第一話「え?明日?」
式守執は戸惑っていた。
さっきまでバスの中でゲームを観戦していた筈なのに…。
いつのまにか帰りのバスに乗り込んでいた。
バスの中は空いているが、式守は一人で座ることを許されなかった。
隣には天土亜留が座っている。同じクラスの彼女が、まるで当然のように式守の隣を選んだのだ。
(なんなんだ…この状況は…。)
深夜にゲームをやっているため学校ではいつも寝ており、友達は1人もいない…同級生と話したのも何ヶ月ぶりだろう。そんな自分が女の子と隣り合ってバスに座っている…。これは現実なんだろうか?頭がぼんやりして思考がまとまらない…。
「…もりくん。ねえ!式守くん!聞いてる?」
上目遣いで心配そうに式守の顔を覗き込みながら天土は尋ねる。
(…夢じゃない…どうやらこれは現実らしい。)
「あ、はい。すみません。聞いてませんでした。」
「全く…急に返事しなくなるから心配しちゃったよ…。」
天土は式守の上着の袖口を掴んだまま、式守に話しかけ続けていた。
「ねえ、さっきの試合ほんとにすごかったね!初めて観たけど、すごい迫力だった!式守くんもあのゲーム上手いの?」
彼女の明るい声とキラキラした目に、式守は思わず目を逸らした。自分を見つめる彼女の熱気が、なんとも居心地が悪い。
「いや、まあ…それなりですけど…。あの、さっきのって本気ですか…?格ゲー教わりたいって…。」
上着を掴まれたまま、式守は少しうんざりした様子で確認する。
「うん!オッケーしてくれるまで離さない!」
天土は微笑みながら、力強く宣言した。その態度に式守はますます困惑する。
「な、なんで急に…今日初めて観たんですよね?」
「理由なんてないよ…。ただ面白そうって思って、やってみたくなっただけ。おかしい?」
「いや、おかしくはないんですけど…。」
天土のまっすぐな目を見ていると、式守は言葉を詰まらせた。彼女の気持ちが不思議なくらい純粋で、押しつけがましくも感じられなかった。
「わたし…新しいことに挑戦したいの!」
天土は式守の上着を掴む手に力を込める。
「さっきの試合観て…すごく熱くなった!こんな気持ち久しぶりで…。絶対にやってみたいの!だから…。」
その思い詰めた表情に、式守は動揺した。
ただゲームを教わりたいだけ。
引き受けてもなんのメリットもない。面倒くさいし、断ってしまえばいい…。
そのはずなのに、式守はすぐに答えを出せずにいた。
式守の答えによって彼女の人生が大きく変わってしまうかのような緊迫感…。気軽に断れない重みがあった。
式守の脳裏には、小学生の頃、親をどうにか説得してゲーム機を買ってもらった日の記憶が蘇る。
天土の必死さに、式守は幼少期の自分を重ね合わせた。
天土の真剣な眼差しを目の当たりにして、式守は覚悟を決め、呟く。
「……あ、あの、教えますから…離してください。」
「え?」
「教えるんで…。上着…。」
「ほんと!やったー!ありがとう!」
天土はぱっと手を離したかと思うと、今度は式守の手を掴み、ぶんぶんと勢いよく振り始めた。
「絶対断られると思ってた!優しいね式守くん!」
「いや、手…。」
「ごめんごめん…。興奮しちゃってつい…。あー良かった。へへ…。嬉しいな…。じゃあ早速明日から始めよう!」
「……え?」
「そうと決まればまずは連絡先交換だよね!」
天土はカバンからスマホを取り出し、式守に突きつけた。
「『トークライト』やってるよね?ID教えて!」
「え、いや、別にそんなのしなくても――」
「いいからいいから!」
有無を言わさず、式守はIDを交換させられた。天土の強引さに完全に押し切られる形だった。
ちょうどその時、バスが天土の最寄りのバス停に到着した。
「じゃあ、また明日ね!」
天土は勢いよくバスを降りた。
その後ろ姿を見送りながら、式守は呆然とした表情を浮かべた。
(……明日?)
式守は呆然としながら家路に着く。
(明日って…どう言う意味?)
天土との会話を反芻しながら家に帰った式守は、疲れ果てそのままベッドに倒れ込む。
(つ、疲れた…。このまま眠りたい…。)
式守の行動を邪魔するかのようにスマホが振動する。
トークライトには早速天土からのメッセージが届いていた。
「今日はありがとう!明日、10時くらいにお邪魔していいかな?」
(……マジ?)
さっき会ったばかりなのに?初めて話した男子の家に来る?
さっぱり意味がわからなかった。
あまりにも猪突猛進すぎる…。
だけど…一つだけわかった事がある。あの子はガチだ。本気で格ゲーを教わろうとしているーー。
天土の思い詰めた表情と、強い意志が宿った瞳が式守の脳裏に焼きついていた。
(…教えるって言っちゃったしな…。明日だけ…どうせすぐに飽きて帰るに決まってるし…。)
結局「分かりました。」という返事と共に家の住所を添付する式守。
「また明日!」
送信された天土の最後のメッセージを見つめながら、式守は深いため息をついた。
(明日、どうなるんだろうな……。)
翌日、彼の家に天土亜留が訪れるとき、式守執の世界は少しずつ変わり始めるのだった。