第一章 【慟哭の空】 七
やっと…?
3日後ーーーつまりは、襲撃の前の1日。
ルクの村は簡易ではあるが、要塞となっていた。
襲撃に気付いていない事をカモフラージュするために村の周囲には敢えて何も設置されていないが、一度村に踏み込めばトラップがガザの兵士を襲うだろう。
「減った兵士を全滅させるのが、俺等の仕事って訳だなァ」
「しかし、上手く行くのかい? 相手にバレている可能性だってあるのに……」
シラフィは眉を顰めながら言った。
「あァ、バレてはねェだろうな。ちゃんと見張りから連絡は来てるし、おそらく敵さんは油断してんだろォ。『まだ国境を越えたばかり、敵は気付いていない』ッてなァ」
「まぁ、ね……私の感知にもまだ引っかからないから、偵察も来ていない。つまり、来るのは先遣隊のみって事だ」
「……ンな便利な力があるなら早く言えよ」
あはは、とシラフィは笑う。悪いなどとは微塵も思っていないようだ。
「来るとしたら、今日の夜から明日にかけて……早馬は帰ってきたかァ?」
「いいや、まだだよ。だけどもうすぐ帰ってくるだろう。そうだな……昼頃かな?」
「まァ、そんなもんか」
刀哉は立てかけてあった刀ーー楓を引き寄せる。
「見張りを残して各自休養を取るように言っといてくれェ。俺ァ寝る」
「ノンキなものだね……ま、それもいいか」
呆れか、達観か、判別のつかないため息を残してシラフィは家を出ていった。
「……ホントは、わかってたんだろうなァ……俺が寝る気なんてないこと」
村長の家に1人残されてシラフィの気遣いに感謝の念を、ほんの少しだけーー抱いて消えた。
「あ! 村長さん!」
仕掛けに近寄らないようにして1人遊んでいたエリーにシラフィは声をかけた。
「やぁ、エリー。こんな所で1人遊びかい? 気をつけなよ。いつ敵が来るか分からないからね」
「私がお家に帰っても、みんな忙しそうですから……」
エリーの顔に悲しげな色が混じって陰が落ちる。
「すまないね……私たち大人が皆、エリーのような心を持っていたら……戦争なんて起きはしなかったのに」
「……私、戦争、嫌いです。みんな……死んじゃうから」
「そうだね。私も嫌いだ。これで何度目になるのか……もう終わりにしたい。私たちはただ、ここで生きるだけなのに。大切な物を守るためには、必要な事なのか……?」
その言葉はエリーに対して向けたのだろうか。それとも、自分自身に向けての問いかけだったのだろうか。
「……もう、日が傾いてきた。家に帰りにくいのならば私の家に来るかい? ……トーヤ君もいるよ」
「あ、はい! じゃあ少しだけ……お邪魔します」
すっと差し出された手を取って、刀哉がいる村長の家へと向かった。
村は人が少なくなってしまったせいで、いつものような活気はなく、どこか寂しい、静かな空間が作られている。
(寂しいな……)
何故戦争なんて起こるのだろう。みんなが仲良くなれば、みんな悲しい思いをしなくて済むのに……。そんな思いがエリーの頭の中でぐるぐると回った。
「トーヤ君、今帰ったよ」
「ん……あァ。お? エリーもいるじゃねェか」
「あ、うん。少しだけお邪魔させてもらうの」
刀哉には自分の抱く悲しい思いを悟られたくない。そう思って無理やり笑顔を作った。
「……そんな顔で笑うんじゃねェよ。見てるこっちが痛ェ」
「え……」
ちゃんと笑顔を作ったのに。刀哉に通じなかった。
「なンで悲しい顔してるのか俺には分からねェ。だけどな、ガキがそんな無理やり笑顔作るな。悲しかったら泣け。嬉しかったら笑え。ガキのうちはそれが出来るンだ」
「トーヤさん……ふぇっ……うぇぇぇん……」
涙が。
声が。
今まで抑えていた感情が。
堰を切って溢れ出てきた。
一生懸命抑えてきたのに。誰にも心配をかけたくなかったから、ずっと笑顔でいたのに。
「泣いとけ。いつかは泣きたくても泣けない時がくる……それまでは、なァ……」
胸の中で身を震わせるエリーを、刀哉は優しく抱きしめた。
この小さな子の不安が少しでも無くなるようにと。
ーー乾いた音。
部屋の中に吊した、大量の竹の切れ端。いわゆる鳴子と呼ばれる物だ。
それが音を立てた。
鳴子は一度だけに止まらず、何度も揺れて乾いた音を鳴らす。この鳴子が示すもの、それはーー
「来たようだなァ」
「あぁ。これが第一報だとすれば、敵はもう数キロ圏内に入っている。すぐに到着するだろうね」
「エリー、オマエはみんなと一緒にいろ。俺が行くまで外には出るなよォ?」
「う、うん……トーヤさん……」
まだ目の端に涙が残る顔でこっちを見てくる。
「どォした?」
「死なないで……死んじゃ、やだよぉ……」
また、涙が溢れてくる。
「……法律はかいくぐるためにある。規則は破るためにある。契約は穴を突くためにある。……ただひとつ。約束は守るためにある」
「……?」
「エリー、俺ァオマエに約束する。たった一つ、死なないことを」
ぱっと晴れた顔になって、また泣きそうな顔に戻った。
「それじゃァ、行ってくる」
エリーに、また戻るという意志を含めて別れを告げる。
「いってらっしゃい……トーヤさん」
◇◇◇
「夜……かァ。いいか、篝火や人影が見えたら。一気に矢を放て。手持ちの矢が切れたらすぐにシェルターに行け」
左手の刀がちゃきりと音を立てる。緩やかな乱れ刃の業物……楓。
人を斬るだけの刀。
人を守れる力。
一度鯉口を切って、また戻す。
「落ち着かないかい?」
「まァ、な。俺のいた世界の、もとの国じゃ戦争なんて無かった。この力もただの暴力だったのにな……世の中わからねェ」
「それも全て君の運命って奴さ。受入れるといい」
「ハッ……運命かァ。面白れェ」
「敵襲!」
誰かの声が攻めてきたことを知らせる。物見櫓の上に居る村人が一斉に弓を引く。
「……撃て」
矢が風を裂き、ガザの兵士に牙を剥く。
「撃ったらすぐ次の矢を装填! 間を空けるなァ!」
断続的に風を裂く音が響く。
森のあちらこちらで悲鳴が聞こえる。
「……シラフィ、行くぞォ」
「あぁ」
刀哉は楓を左手に握り、シラフィは右手に細剣を。
物見櫓から降りて、遠回りしながらガザの兵士の背後に回る。
「シラフィ、逃げる奴は?」
「一人。……都合がいいね。ちょうどこっちへ向かってくる」
シラフィが言い終えた直後、刀哉たちと同じような鎧に身を包んだ兵士が走ってきた。
「だ、誰だっ!」
「あァ? 死神様だ。シラフィ、殺れ」
「仕方ないね……『動くな』」
シラフィがガザ兵士の目を見据えて、一言告げる。それだけで、今にも飛びかかって来そうだった兵士は、言葉も発せず静止した。
「恨むなら君らを先遣隊にした上司を恨んでね」
右手に持った細剣を、首を狙い横凪に一閃。
一瞬血が吹き出して、ドロドロと黒い血が溢れ出る。
兵士は息を吸い込もうとするがままならず、ゴポッと口の中に溜まった血溜まりに息を少しだけ吐き出した。
「凶悪、だなァ……」
「今のは1人だったからね。これが複数になると難しい。完全に動きを止めることは難しいし、能力の有効人数は十人が限界さ」
シラフィは苦笑混じりにため息を吐いた。
「まァいいか。それより、そろそろ矢が切れる。逃げ出しそうな奴はまだいるかァ?」
「今のところはもういないね。村に急ごう」
まだ降り注ぐ矢に当たらないよう迂回して、村に戻った。
物見櫓にはもう誰もいない。
おそらくもうシェルターへと避難したのだろう。
何故か、村長の家の地下に作られた隠し部屋。五十人は入れそうなスペースと、堅牢な扉。それに床とうまく同調するように作られた入り口。
よほどのことがないかぎり、まず見つかりはしない。
「さて、あとは俺らの仕事だァ……シラフィ、頼むぜェ」
「りょうかーい」
すうっと一息、肺に空気を含んで、ありったけの声を出した。
「ガザの兵士共ォッ! かかってこい雑魚がッ!」
森の中から殺気が膨れ上がり、次いで雄叫びが上がる。
「……シラフィ、敵は何人だ?」
「四十」
「じゃああと三十だなァ」
森の中で、雄叫びとは違った声。あれは、悲鳴。
「簡単なブービートラップ……まァ、ただの落とし穴だけどよォ」
「あと三十二だね」
シラフィの声が敵の残りを告げる。
刀哉は無言で楓の鯉口を切ってーーゆっくり、抜いた。
「殺戮、開始だなァ」
トラップを抜けた兵士が刀哉たちを視認して、雄叫びを上げながら走ってくる。
「ーー“初曲・閃花”」
たん、たん、たんーー
軽やかなステップで刀を振るう。それと共に刀哉の周りを舞う鮮血。
そう、それはまるでーー花のよう。
兵士の身を包む鎧さえも軽々切り裂いて、次々と絶命していく。兵士の動きが鈍いのは、シラフィの力故だろう。
「ーー“初曲・閃花・絶”」
ほんの一瞬、時間にしてコンマ数秒。それだけで体のありとあらゆる関節とバネを駆使して、力を右腕に集約する。
1秒に達するか達しないか……その瞬間、刀哉の周りで人が舞った。
さながら、一瞬のみ閃く花のように。
「あと二十三だよ」
「すぐ終わらせる」
シラフィに向き直って、返事を返した時ーー聞き慣れた声の、緊迫した声が響いた。
「トーヤ君っ! 危ないっ!」
振り返る。
遅い。
剣が。
『彼』の体へ。
ずぶり、と肉を裂きながら。
血管を喰い千切って。
命を奪おうとする。
「アレックーースッ!!」
アレックスが倒れた。
ガザ兵を睨みつける。
楓を鞘にしまって腰溜めに構えて一気に引き抜く。
この間、1秒にも満たない。
「“一閃”」
体を二つにして、ガザ兵が崩れ落ちた。それを捨て置き、刀哉はアレックスに駆け寄る。
「アレックスさん……なんで……シェルターにいろって言ったろォが……」
「はは……なんで、かな……わからないけど、君の姿が見えたら駆けだしてたよ……」
「馬鹿かよォ……クソ、もう一緒にメシ食えねェだろォが」
「済まない……ね。リタと……エリーを、頼……む」
「あァ……任された」
「……逝ったようだね」
シラフィがアレックスの顔に布を被せる。刀哉は、ただ、静かに立ち上がった。
「シラフィ。オマエ、シェルター行け」
「君は、どうするんだい?」
「1人残らず殺す。……初めてだ。こんな気分はよォ……大切な物を失うってのは、こんな気分なのかァ……?」
シラフィは、刀哉の頬を伝う雫に気付いたが、見なかったフリをした。その雫には刀哉さえ気付いていないようだったから。
「クソッ……クソッ……俺は……俺はッ……アァァァアァァアァアッ」
響く慟哭。
悲痛な叫び。
シラフィには刀哉に掛ける言葉を見つけることは出来なかった。
「許さねェ……」
シラフィは見てしまった。
刀哉に重なるようにして、刀哉から湧き出でるようにして、刀哉を包む空間に滲み、虹彩のように揺らぐ、黒い光。
刀哉は自分自身に誓う。
「誰一人、生きて帰さねェ」
静かに、歯車が動き出した、音がした。