第一章 【慟哭の空】 二
こっちの方が執筆スピードが早いのは何故だろう。
村の中に立ち並んだ同じような藁葺きの家の中の一軒。その扉の前でエリーは立ち止まった。ここが、エリーの住む家なのだろうか。他の例に漏れず、裕福でもなく貧困な訳でもない、至って普通の家のようだ。
これもあの村長の治め方がいいということなのだろうか。若いというのに、なかなか頑張っているらしい。
「トーヤさん。どうぞ上がってください。お父さんとお母さんが待ってますよ」
「あァ……じゃあ上がらせて貰うけどよォ。本当に大丈夫なのかァ?」
「大丈夫です! 両親とも優しいですから、まず間違いなく歓迎されますよ? ささ、入ってください!」
それは優しいんじゃなくて、ただ人が善いだけじゃないのかーー刀哉は思ったが、口には出さずに心の中で押し潰した。
「お父さん! お母さん! この人がさっき話したトーヤさんだよ!」
「あー……初めまして、真田刀哉ッていいます。エリーから一週間ほど泊めていただけるって事で伺ったンですけど……」
「あぁ、君がトーヤ君かぁ。村の用心棒をしてくれているそうだね。そんなお世話になってる人を泊めない訳にはいかないよ。好きなだけ泊まっていってくれ……といいたいんだが、残念ながら部屋が空いていないんだ……エリー、トーヤ君といっしょでいいかい?」
「そのつもりだよ! ね、トーヤさん。いいですか?」
「あ、あァ……エリーがそれでいいンなら……」
父親の言葉にエリーは即答。
刀哉は、エリーの勢いに押されて思わず頷いてしまった。まぁ別に幼女趣味はないので、特に問題はないのだが……。
「あぁ、そうだ、自己紹介をしていなかったね。私は父のアレックス・ルーフアだ。よろしく、トーヤ君」
「私は母のリタです。娘が迷惑をお掛けします」
「お母さん! 迷惑なんか掛けないよぅ!」
微笑ましい家族の光景。刀哉には無かったモノ。知らなかったモノ。
(羨ましい……のかなァ)
遥か昔にソレを望んだ事もあった。しかしそれは、望んだとしても手に入らないものと悟って、諦めた。逃げ出してしまった。そして刀哉はーー壊れた。
刀哉は思う。せめて目の前にいる少女だけは、家族の暖かさを知っておいてほしい。自分みたいにならないように。壊れてしまわないように。
傷付ける事もなく、傷付く事もなく。ただ、幸せに。
「さ、食事にしましょうか。ごめんなさいね、トーヤさん。大したもの用意できなくて……」
「あァ、そんなに気を使わないでください。居候させて貰ってる身なンで、質素なモノだけで十分過ぎるくらいですよォ」
刀哉が物思いに耽っている間に、テーブルの上に食事が並べられていた。たしかに現代日本から見たら質素かもしれないが、刀哉にとってはご馳走だった。
学校には行っていた。家族と一緒に家にもせよ住んでいた。しかし、それは家族と言えるような状況ではなかった。
会話もせず、顔も合わせず、ただ一つの家に住んでいるだけの他人。刀哉は深夜まで家に帰らなかったし、親もそれを咎めようとしなかった。
寝るだけの家。食事はいつもコンビニで済ませるか、食べないか。
思えば、誰かが作った温かい食事の記憶なんて、相当遡らなければ見つからないくらいだ。
「あァ……じゃ、いただきます」
合掌、そして自分の食事に手を着ける。……美味い。
「お口にあったかしら?」
「えぇ、凄く美味いッす。久々にこンな美味いモン食べましたよォ」
率直な、思ったままの感想。本当に、こんなふうに食事をしたのも、こんなふうに人の温かみに触れたのも、久しぶりだった。
しかし、そんな思いとは反対に、哀しい気持ちもある。いままでずっと人を傷付けたこの手が、自分に幸せになる価値などない、そう言っているようだ。
「……ご馳走様ッす」
自分に出された分の食事を食べ終えた。今、ここにいるのはツラい。いろんな感情に圧し潰されそうだった。
「おや、もういいのかい? まだ食べてもいいんだよ?」
「あァ、いえ、大丈夫ッす。元々そんな沢山は食べないかタチなンで」
「そうか、それならいいんだ。お風呂には入るかい?」
「……そッすね、お願い出来ますかァ?」
「じゃあ用意してこよう。できたら呼ぶからここで待っていてくれ」
アレックスは楽しそうに笑みを浮かべて走り去っていった。刀哉には、その笑みの意味が分からず、一瞬考えたがすぐに考えるのを止めた。いつもの癖である。
「ホントすいませんねェ。何から何までお世話ンなっちゃって。代わりと言っちゃァなんですけど、何でも言ってください。俺にできることなら何でもしますよォ」
元の世界では荒れていた刀哉でも、お世話になっている事に対しての礼くらいする意識はある。……とは言え、こっちに来てから性格が丸くなった気もするわけだが。
「いえいえ、村の用心棒というだけで私たちは助かっているのですよ。これ以上を望んでしまったら罰が当たるというものです」
「そうですよ! トーヤさんがいることで私たちも安心して暮らせますしね!」
「そういってもらえると助かるぜェ……」
「トーヤ君! お風呂用意できたよ!」
アレックスがニコニコの笑顔で戻ってきた。なにがそんなに嬉しいのか、刀哉にはやっぱり理解できなかった。
◇◇◇
「じゃあ、おやすみなさい、トーヤさん」
エリーはベッド横のテーブルに置いてあった蝋燭を消した。
「……あァ。その前に一つ聞いていいかァ?」
「え? あ、はい。何でしょう?」
「……なンで同じベッドで寝てンだァ?」
「……嫌、ですか?」
「ッ! ………………嫌じゃ、ねェよ……」
負けた。何かに負けた気がする。
「良かった!」
「いや、オマエがいいなら、いいンだけどよォ……」
暫くして、静寂が訪れた。
しかし刀哉は、その静寂を打ち破ってエリーに話しかけた。
「なァ、エリー」
「? なんですか?」
「オマエは幸せかァ?」
「幸せ……ですね。お父さんがいて、お母さんがいて、裕福じゃないけど貧困でもない、普通の暮らしができる事が、幸せだと思います」
「無くすなよォ、その幸せ……俺みたいには、絶対なるんじゃねェぞ」
「トーヤさんは……幸せじゃなかったんですか?」
エリーに問われたことに対して、過去の記憶が蘇ってくる。
エリーになら話しても問題ないだろう。
「エリー、最初に言っとくがよォ、俺ァこの世界の住人じゃねェ。俺が居たのは、地球の日本ッつー国だ」
「宇宙人さん……ですか?」
「いや、人間だなァ。そこからなんでか、わかンねーが、気付いたらこっちに居たんだ。俺が話すのはそれより少し前の話だァ」
ぽつりぽつりと刀哉は自らの過去を紐解いた。
「俺が生まれたのはなァ、真田ッつー武術と剣術のデケェ道場だった。まァ、言ってみりゃァ富豪の家に運良く生まれたンだろうなァ」
刀哉は思い出す。自分が壊れる前の事を。壊れることになったあの時を。
「俺が生まれた国じゃ、髪の毛は黒、目の色も黒が普通だったんだ。俺はちょっとした病気でなァ、こんな髪と目になっちまったんだァ」
部屋は暗くて、刀哉の容姿などエリーからは見えないだろうが語り続ける。
エリーは何も言わない。
「誰も悪くねェ。それがあの時の俺には判らなかった。母親が死んで、やっと気付いたよ。……人ってやつはよォ、異質な物があるとそれを認めようとしねェ。認めようとしねェのに、そこに異質な奴が居ると、どうしても排除したくなるんだろうなァ。結果俺ァ、いじめられた」
びくり、とエリーが震えたような気がした。
「だがなァ。運が良かったのか悪かったのか、俺が生まれたのは戦闘技術の名門、真田家だァ。物心着いた頃には殆どの技を覚えてたよ。だから、イジメに加担してた奴は片っ端から潰してった。まァ俺が暴れればその責任は当然親に行く。父親はともかく、母親はもともと体が弱かった上に俺が心労を掛けちまったんだァ……俺が母親を殺したようなモンだ」
(ここら辺で、俺ァ壊れちまったンだよなァ)
「それでよォ、俺ァ人を傷付けるってことになンも感じなくなっちまったァ。親とももう数年話してねェ。ただ、暴力に取り憑かれたバケモノだよ俺ァ。……壊れちまったんだよなァ」
ねじ曲がった心。もう真っ直ぐには戻れないほど曲がってしまった。
折れた鉄板に付いた折れ目が消えないように、この過去はもう消えない。
「だからよォ、オマエは俺みたいに曲がって生きるなよォ? ……エリー?」
「……すぅ……すぅ……」
「寝てンのかよ……まァ、いいかァ。……こいつは、曲がらねェよなァ」
窓からはいる微かな月明かりが、エリーの顔を照らす。穏やかな寝顔は、刀哉の渇いた心を少なからず落ち着かせた。
(明日は村長サンにでもこの世界の常識を教えてもらうかァ)
刀哉は明日するべきことを頭の中で反芻して、眠りについた。
明日は、きっと晴れるだろう。