8話
どうにかして切れないか、と足に手を伸ばしたときだった。
「きゃああぁああぁぁ!」
断末魔の叫びとともに、グンッと足を強く引っぱられる!
「おいアインスッ⋯⋯!」
焦ったようなレイドの声が、一瞬にして遠ざかり、私は地面を引きずられ、宙づりになってプラプラとふりこのように揺られる。
うぅっ、頭に血がのぼってクラクラするし、揺れが激しすぎて気持ち悪い⋯⋯。
ツンと鼻をついた鉄の匂いに顔をしかめると、目の前を真っ赤なナニカが落下していった。
ベチャッと嫌な音を立てたソレに、腹の底からせり上がるモノを感じた。
「うっ⋯⋯!」
華奢な女性の、血に染まった腕。
サシャの腕、だ。
ハッハッと呼吸が荒いのは、宙づりになっているせいだけじゃない。
口の中が、キュゥとすっぱくなる。
あぁヤバい。気持ち悪いな。吐きそう⋯⋯!
焦点の合わない視界が、グルリと回転する。
回らない頭に入ってきた情報は、『食われる』だけ。
天井スレスレまで身体が上がり、目前にはギラリと光る、血のしたたる牙。
何も考えられない間に、ゆっくりと先端が近づいてくる。
「バカ! しっかりしろ!」
耳元でたたくような大声で叫ばれ、ボーッとしていた意識が戻ってくる。
横からとびこんできた人影は、そのままの勢いで私をさらって壁をけり、地面に着地した。
「いっ⋯⋯!」
レイドは小さくうなると、グラリとよろけて、私のほうに倒れてくる。
慌てて支え、どうして助けたのか、という疑問と一緒にヒュッと息をのんだ。
左足の膝から下がない⋯⋯!?
レイドが助けてくれたときは、もうドラゴンが口を閉じる瞬間だった。ギリギリで助けられた。
けど、ギリギリで食われたんだ⋯⋯!
ドッドッと心臓が早鐘を打つ。
スーッと全身から血の気がひいて、目の前がチカチカと白く点滅する。
レイドの応急処置しなきゃ⋯⋯でも、こんなに大きい傷、どうやって⋯⋯!?
ドラゴンの相手だって、私じゃムリだよ⋯⋯!
どうしたらいい?
どうするべき⋯⋯!?
「⋯⋯おち、つけ。おれは、だいじょーぶ、だから」
かすれた弱々しい声に、ビクッと肩をすくませる。
私の手にレイドがそっと手をのせ、安心させるように笑う。
冷た⋯⋯!? 血が通ってないみたいだ⋯⋯。
「いい、か。みけんを、ねらう。ほじょする、から、アインスがまほうを、うつ、んだ」
「え⋯⋯ムリだよ! 魔力も練れないし、狙いだって、あんな遠いところじゃ定まらないし!」
「だいじょうぶだ。アインスは、ただまほうをうてばいい」
「でも⋯⋯!」
「でも、じゃない。俺の、バディだろ」
真剣に、射ぬくような目に、こわばった顔の私が映る。
できるのかな⋯⋯?
レイドが補助してくれるなら、大丈夫?
でも、大また一歩離れた的にだって、当たったことないのに。
ドラゴンの眉間は、ここから見て、こぶし一個分くらいだ。
わずかな期待に、失敗する確信がのり上がる。
「アインス、俺を信じろ。ほら、足の血も止まった。俺にできないことなんてない」
「⋯⋯!」
「俺は強い。アインスが自分を信じられないなら、俺を信じろ。できるだろ?」
言い聞かせるような、強気な声。
本当だ。レイドの足から、止まることを知らない勢いで出ていた血が、ピタリと止まってる。
私には、できないと思った。
けど、レイドはやってみせた。
私にはできなくても、レイドならできる。
だったら⋯⋯!
「いくぞ」
「うんっ⋯⋯!」
つたなく練った魔力を、レイドが、握った手から精密に直してくれる。
伸ばした手のひらに、濃緑の光が力強くまたたいた。
「「いっけええぇええっ!」」
音もなくドラゴンの眉間へと駆けた魔法が、静寂の中へと消える。
時が止まったような緊張が、洞窟をはりめぐる。
⋯⋯ドゥッ!
グラリと巨体が傾き、私から数歩離れたところに倒れこむ。
半開きになった口からは、厚い舌がダラリと地面に伸び、閉じられたまぶたはピクリとも動かない。
やった⋯⋯? 倒した⋯⋯?
「やったなぁ! 倒したぞ!」
いつの間にか横に座っていたレイドに、バンッと背中をたたかれる。
太陽みたいな明るく無邪気な笑顔に言葉を出せないでいると、レイドはハッとしたように、気まずげな顔のあと、厳しい表情を向けた。
「アインス、なんで家から出ていった? ⋯⋯っていっても、俺のせい、だよな。ごめん」
あのレイドが、謝った⋯⋯!?
驚きを隠せないあまり、あ、う、と言葉にならない声がもれる。
レイドはそんな私を見て、バツが悪そうにそっぽを向いたあと、クシャリと髪をかいてうつむき、真っすぐで、どこか不安げな目で私を見つめた。
「でも、言ってほしかった。アインスには、なんでかああいうことを言っちゃうんだ。直したらいいって思うかもだけど、でも⋯⋯!」
あれ?
もしかして、レイドも同じ気持ちだった?
自分の悪いところは分かる。
でも、どう直せばいいのか分からない。
レイドの言うことも一理あるなぁって思ったこともあったけど、最近は魔法の実験体になってる気もするし。
私にだってダメなところはめちゃくちゃあるし、私もレイドに謝⋯⋯。
「本当のことなんだよ。カッとなったからって、魔法で黙らせたらダメだって言われてたし⋯⋯。正直俺、どう気を使えばいいのか分からない。だってそうだろ? アインスは怠け者の劣等生だ」
「⋯⋯そういうことだよ、ニャンニャン猫かぶり」
「⋯⋯そうやって人に言える実力なんてないだろ」
バチバチッとにらみあって火花を散らすも、お互い疲れきって、いつものように続かない。
レイドは安心したように眉を下げると、ふいと視線をそらし、消えそうな声でつぶやいた。
「アインスが嫌なところは、直すように努力する。だから、こんなこと、もう一人でするなよ⋯⋯」
うつむいて目を手でおおったレイドは、耳まで真っ赤だ。
え、もしかして、心配してくれてた⋯⋯?
私を探しにきたのも、師匠に言われたからじゃない⋯⋯?
あのレイドが?
私を一番嫌ってたレイドが?
でも、足が食われても助けてくれたし⋯⋯でも、だとしても素直すぎない?
いつもなら、こんなこと、ぜっっっっったいに言わないよ?
チラリとレイドが私を見て、その疑いようにムッとふてくされる。
「⋯⋯さっきは、俺を信じてくれただろ」
恥ずかしさが限界に達したのか、レイドが右膝に顔をうずめる。
⋯⋯だから、また俺を信じられるだろ、って?
たしかに、レイドは私の不可能を可能に変えた。
私を嫌ってるわけじゃなさそうだし、好感度は少し上がったけど、レイドは私が望む言葉をくれるのかなぁ?
じゃなきゃ、どうせ戻ったって、何も変わらないんだから。
「ねぇ、レイドは私をどう思ってる?」
情けないことに、声が少し震えてしまった。
レイドはキョトン顔で私を見て、またすぐにつっぷした。
「そんなの⋯⋯いてほしい、と、おもっ、てる⋯⋯」
いてほしい、か⋯⋯。
たったその一言が、私の凍った心をじんわりと溶かしていく。
「うん。うんうんっ! ありがとうレイド! もう一回言ってほしいなぁ!」
「っ言わねー! いいからはやく帰るぞ!」
「なんでー」
ワァワァじゃれあう私たちを、きらめく朝日が照らしていた。