中編
幸せな夢は案外長く続いた。
アンセルとは無事に婚約を結べたし、今日はアンセルが我が家にやってくる(これっていわゆるおうちデート?)日だ。
顔合わせの日から一週間しか経っていないが、毎日のように手紙交換はした。
というか手紙を送りまくった。
スマホがないのは不便だが、手紙は手紙で味があって良いものだ。
推しの手書きの文字も見れるし。
アンセルから返事をもらいたかったので、原作で知っていたアンセルの情報をアンセル本人から話してもらえるようにめちゃくちゃ質問しまくった。
交換ノートのように質問を書いて空欄を作り穴埋めしてもらう形式だ。
これでアンセルと話しているときにアンセルに詳しくても怪しまれるリスクも減るだろう。
ちなみにこの一週間で自分の情報についても収集した。
結論からいえば性格などまんま自分だった。
流石自分の夢。
都合が良すぎる。
外面が良いが、身内には遠慮のない性格。
そして現在が17歳なのだが、13歳からつい先月まで隣国へ留学しており、祖母のところで世話になっていたらしい。おかげでこちらの国には友人と呼べる友人もいないとのこと。
というか、まだこちらの学園に通えていないのだという。
なぜなら原作の舞台であった学園はミュゼットたちの騒ぎで校則や安全面などを見直したり、校舎を建て直したりするため3ヶ月ほど休学になっているらしい。
まぁ、ミュゼットの婚約者だった第2王子が廃嫡されたり、ミュゼットの逆ハーメンバーじゃないヒロインに魅了された多数の生徒たちが問題を沢山(魔法を使った乱闘騒ぎで校舎が壊れたり)起こしていたから仕方ないだろう。
なるほど、物語が終わったあとは色々大変なんだな。
おかげで学園に通わなくて済むアンセルは私との時間を作ることが出来るのだ。
時系列的には、原作終了間際に私が留学から帰国し婚約破棄のあったパーティーにも参加→アンセルに惚れる→休校になって1ヶ月後に縁談を申し込む→一週間後に顔合わせ→それから一週間後の現在、ということになる。
「ミュゼットが第1王子とくっついたのが婚約破棄パーティーのちょっと前だから、アンセル様の心の傷はまだまだ深いわね……」
いくらミュゼットの幸せを願っていたとはいえ、ミュゼットと第1王子がくっついた事実はかなり辛かっただろう。
でも原作のミュゼットと第1王子の結ばれるシーンはそれはそれでかなり良かった……アンセルは推しだが、物語は物語で好きなのだ。
これがファンとしての辛いところでもある。
ミュゼットが第1王子と結ばれる世界線でミュゼットとアンセルの結ばれる世界線があって欲しいのだ。
ミュゼットちゃんが分身してくれればいいのに……と、何度考えたことか。
ファンとして自分が推しを幸せにしたい気持ちはもちろんある。
だが推しであるアンセルが一番幸せになれるのは、ミュゼットと結ばれる世界線だと思うのだ。
しかし残念ながら我が推しアンセルの性格的に第1王子を押し退けてミュゼットを振り向かせることは出来ないだろう。
……なーんて、色々妄想も膨らむ。
「ゲームならルート分岐あるけど、漫画じゃifルート描いてもらえないもんなぁ」
乙女ゲームの良いところってそこだよね。
攻略対象全員がそれぞれヒロインと結ばれる世界線を見られるから他のルートで失恋していても耐えられるのだ。
少女漫画じゃ当て馬くんは健気にヒロインを想って身を引いて……そこからヒロインと結ばれるルートは描かれない。
「アンセル様……夢の中でくらいわたくしが幸せにしますから!!!!」
すっかりお貴族様っぽい喋り方に慣れてきてわたくしという一人称にも違和感がなくなってきた。
勉強も不思議と理解出来たし、夢の中だと私は天才気質なのかもしれないと自画自賛している。
きっと、このハイスペックは推しであるアンセルを幸せにするために備わったものなのだ。
「ふふ~ん。アンセル様早く来ないかなぁ」
※※※
アンセルは非常に戸惑っていた。
彼は追いかける恋をしたことはあっても、追いかけられる恋をしたことはなかったからだ。
「アンセル様……あーんしてもいいですか?」
「え? あ、いや、それは」
「やっぱり、お嫌ですよね。わたくしからのあーんなんて……」
「そ、そんなことは」
「え、本当ですか? じゃあ……アンセル様あーん」
目の前にはアンセルの好物であるチェリーパイを差し出すルルアの姿。
彼女が小首を傾げるとサラリと銀髪が揺れる。
「……………………あ、あーん」
自分は何をやっているのか。
ついこの前まで別の女性に好意を抱いていたというのに、嵐のようにアンセルの心に居座った目の前の女性に彼は何とも言えない気持ちを抱いてしまった。
(俺はこんなにも軽い男だったか?)
あんなにもミュゼットを好きだったのに、ルルアに会ってからミュゼットを思い出す回数が減った。
同じ王都に居るというのに、毎日手紙を寄越すルルアからの山のような質問への返答ばかり考えていた。
ミュゼットが第1王子であるキースとダンスを踊った姿ばかり思い出してはため息を吐いていたのに、ルルアに出会ってからは彼女がアンセルにプロポーズした瞬間ばかりが頭に浮かぶ。
10年前、幼なじみであるミュゼットが今のミュゼットになってからずっと一途にミュゼットだけを想っていた。
彼女が幸せになるならそれで良かったのに、彼女が幸せになった姿はアンセルを苦しめる。
(ミュゼットの笑顔が辛いと思うなんてな)
「アンセル様、次はわたくしにあーんして下さい!」
「お、俺がか?」
「わたくしはショートケーキが食べたいです」
ニコニコと笑うルルアはミュゼットとは似ても似つかない。
ミュゼットは猫のような女性だった。
孤高で、だけど繊細で。
気を許した少数だけには見せる優しい笑顔。
比べるなんて目の前のルルアに申し訳ないのに、どうしてもミュゼットと比べてしまう自分がいる。
「あーん……」
ミュゼットは周りを振り回すタイプではなく、周りが彼女のために尽くしたくなるような女性だった。
ルルアはその真逆だ。
アンセルが大好きだという表情で、アンセルが戸惑う姿を楽しんでいる。
「アンセル様に食べさせてもらったから今までで一番美味しい!」
チクリ。
心に針が刺さる。
ルルアは素敵な女性だ。
この短期間で心からそう思う。
ミュゼットのことを引きずるアンセルに文句も言わず、それどころか振り向かせてやると言わんばかりに全力でアンセルに好意を見せてくれる。
だからこそ心苦しい。
自分はミュゼットを忘れられないのに。
それを受け入れてなお、好きだと言うルルアが眩しすぎて。
(こんなに素敵な女性は、俺なんかには勿体ない)
※※※
「とか、考えてるんだろうな~」
アンセルは意外と表情に出やすい男だった。
何度かおうちデートを重ねてアンセルからの印象も悪くなさそうだが、終始申し訳ない顔をするのだ。
その姿が可愛くないわけじゃないが、このままというわけにもいかないだろう。
「そりゃあコロッとはいかないよね」
アンセルはとっても一途で健気なキャラなのだ。
出会って1ヶ月ほどの女にコロッと落ちるほど軽い男じゃない。
しかも性格的にちょっとウジウジしちゃうタイプでもある。
「めんどくさい……けど、戸惑ってるのが可愛いよ~」
まるで迷子の子供のような表情。
このまま進んでも良いのかと葛藤しているのだ。
「やっぱりアンセル様は優し過ぎて損してるなぁ」
きっと、このあとの展開的にアンセルは私に婚約を辞めようと言ってくるだろう。
私を傷つけたくないからと。
「強引に持っていくルートと、一旦突き放すルートのどっちが良いものか」
こういうとき、恋愛経験豊富な人なら駆け引きを楽しんだりするのだろうか。
でも私はこの夢を見てから一貫してアンセルを幸せにしたいと行動している。ついでに自分の欲望も爆発させてるが、第一にアンセルを幸せにしたい。
「駆け引きとか要らない。アンセル様が傷つく可能性のある選択肢は却下よ」
アンセルを振り向かせるなら自分の存在が大きくなったタイミングで突き放したりして、あれ俺ってもしかして君のことが……とかいうのがお決まりパターンかもしれない。
しかしそれではアンセルが泣いてしまうかもしれない。
「アンセル様が嫌がらないなら、犯罪じゃないなら、押して押して押しまくってやるのみだー!」
そもそも現実で恋人が出来たことのない私には駆け引きなんて無理な話なのだ。
アンセルが嫌がらず(もしかしたら私に配慮して嫌じゃないと言ってくれているかもしれないけどそれはそれとして気づかないことにする)、ストーカーのような行為以外の手段でアプローチするしかない。
「それにしてもこの夢なかなか覚めないな……?」
脳裏にちょっぴり一抹の不安が過るが、それも見ないふりだ。
今は時間を無駄にできないのだから。