君が永遠と言ったこと、僕に明日があるということ
「おや、仕事中だったかね。忙しいところすまない」
「ああ、ローシュ。ううん、平気だよ。もう終わるところ。ちょっと待ってね」
半端だった作業を終わらせ、道具を片付ける。手を洗ってテーブルに行くと、ローシュがコーヒーを啜っていた。リリーが気を利かせて淹れたようだ。
「その様子だと、終わったようだね」
「うん。綺麗になったと思う。あとは今後のメンテナンス次第かな」
冬の寒くて雪の積もった日。神さまが近くなる頃、オラトリオは息を引き取った。最後は眠るように終わったのだという。苦しくなかったのなら、それが一番だ。
「ミス・マリアンヌには連絡を入れてある。準備が出来次第、ワタシの美術館に直接搬入してくれたまえ」
「うん、分かった」
先ほど処置をしたご遺体は、オラトリオだったものだ。幼い身体は懸命に生きて、そしてここにやってきた。ご遺体がここにきてから早半年。僕の出来る限りのことを、全て注ぎ込んで処置した。美術品としての価値は僕には分からないけれど。あの日オラトリオが話してくれた望み通りになっていることを、願うばかりだ。
「それで、話とは何かね?もしかして、彼を展示する気になった、なんて話では……ないだろうね。分かっているとも」
「あれ、よく分かったね?うん、その話だよ?」
「……本当かい?」
コーヒーカップが、危うく滑り落ちそうになる。それをテーブルに置くローシュの姿は、狼狽の色を隠せていない。普段あんなに落ち着いているのに、珍しい。
「ふふ、驚いた?ずっと断ってきたものね。でも、いいの。ローシュ、言ってたでしょう?気が変わったら、真っ先に私のところに来いって」
「それはそうだとも。ワタシを差し置いて、他のコレクターのところにいくだなんて、考えたくもない。いや、そうではなくてね」
ローシュはそこでようやく自分が慌てていることに気づいたのか、一つ咳払いをして。再び僕の方を見た。僕も椅子に座って、話を続ける。
「オラトリオと出会って、話を聞いたの。それで、考えが改まったというか。だから、ちょっとだけローシュに任せてもいいかなって。でも、3日間だけね?僕が寂しくなっちゃうから」
「3日もあれば充分だ。必ずワタシが、最高の展示にすると約束しよう。だが、本当にいいのかね?彼が死んでそろそろ3年になるが、一度も首を縦に振ったことがないだろう?それを何故急に」
「ふふ、それは秘密かな。断ってきたのは、子供っぽい理由なの。だから、内緒なんだ。それでは嫌?」
ローシュは困った顔をした後、やれやれと首を横に振った。
「キミが気まぐれなのは、よく考えてみれば今も昔も変わらない。彼を拾ってきた時も、大層驚いたが。あの日以来の驚きだよ」
普段はローシュがいじわるなことを言うのに、今日はいつもと逆みたいだ。どんな展示にするか、いろんな考えが脳内を駆け巡っているのだろう。ああでもないこうでもない、と独り言を言いながら、コーヒーを見つめている。
「……よし、それでいくとしよう。レインの気が変わらないうちに、早速だがある程度打ち合わせがしたい。いいかね?」
考えがまとまったらしい。世界を相手に商売をしているだけあって、決断も早い。
「ふふ、いいよ。紙とかペンとか、必要だよね。持ってくるね」
美術品としての価値は、僕には分からないけど。ローシュのことだ、きっと素敵なものになるに違いない。しばらく二人で話し合う。頭はエレンのことでいっぱいだった。
夜の帳がすっかり降りた頃。僕の宝物が眠っている場所へ行く。今日は紫陽花を持ってきた。僕の目と同じ色。
「エレン、お話があるの。聞いてくれる?」
ショーケースを開けて、花を交換する。白を持ってこようかと思ってたけど、こっちの色にして正解だった。椅子を寄せて、エレンの隣に座る。
「エレンが死んだ日。ずっと一緒にいるって、約束したでしょう?その意味が、ようやく分かったの。ふふ、遅くなってごめんね」
思えば、この答えに辿り着くまで随分遠回りをしてしまった。エレンのことだから、それも分かっていて。その上で、待っていると言ったのだろう。
「ずっと、エレンの言った永遠がなんなのか、分かっていなかった。僕は、こうしてどこにも行かない存在になることが、一緒にいるって意味だと思ってた。僕のところに永遠を求めてやってくる人も、きっとそうなんだろうって」
今まで僕の元にやってきた人々を思い出す。もう亡くなってしまったものを、ずっとそばに置いておくこと。その幸せを、僕は知っている。知っているからこそ、これが永遠の幸せと信じて疑わなかった。
「オラトリオと話して。形があることに、意味はないって気づいたの」
死んだら、もう二度と会えなくなる。こうして形を遺していなければ、一瞬でなくなってしまう。けれど、それだけじゃない。
「生きていた頃には、一緒にいられない時もたくさんあった。僕もエレンも、生きていくのに必要なものが多かったから。けど、今は違う。ずっとそばにいる。エレンは、僕の中にずっといるんだね」
小さな窓から入る月の光が、エレンの顔を照らす。綺麗な金色の髪が、優しく煌めく。
「今度、ローシュのところに連れて行くね。ふふ、驚いてたよ。ずっと断ってきたからね」
今までの僕は、ここにエレンがいることにこだわっていた。どこにも行かないことを叶えてくれた。それがずっと嬉しかったから。でも、今は違う。たとえエレンの形がなくなったとしても。ずっと僕と一緒にいるんだ。
「エレンも、たまには外に出たいかなって。でも、僕が寂しくなっちゃうから、3日だけって約束なの。ふふ、子供みたい?これでも成長したと思うけれど。……ここにエレンがいなくても。約束が守られてるって、分かったから」
ショーケースの蓋を閉じる。そろそろ寝る時間だ。今日はいっぱい話したから、少しだけ疲れているけど。不思議と身体は軽かった。
「また来るね、エレン。おやすみなさい」
誰もいなくなった部屋に、主人だけが笑っている。