それぞれの作品たち
雨の多いこの町は、今日もしとしとと濡れていた。お気に入りの赤い傘をさして、大きなトランクを持って。この町で一番魅力的な花屋に向かう。こじんまりとしたそこは、一見普通の花屋だ。店内に入ると、ここの看板娘──僕の『作品』でもあるリリーが出迎えてくれた。
「あら、ハルカおにーさん!きてくれたのね、待っていたわ!」
「やぁやぁ、ご機嫌麗しゅう!元気だったかい?うんうん、見たところ『キミ』は大丈夫そうだね?安心したよ」
ざっとリリーの状態を確認し、問題なく動いていることに安心する。このリリーは少し特殊な個体で、喋る機能や軽量化に特化しているため、少し脆いのだ。
「わたしは元気よ!けれど、他の『わたし』の調子が悪いの。二階にいるから、診てあげてくれる?」
「もちろんだよ。じゃあ、ちょっとお邪魔するね」
勝手知ったる花屋の中、裏口から二階への螺旋階段を登る。くるたび思うんだけど、ここの階段ちょっと急じゃない?ローシュには辛そう!重たい扉を開けて、中にはいる。
「ご機嫌麗しゅう!ハルカおにーさんだよー。レインいるかい?」
声をかけてすぐに、奥からレインが現れた。「ハルカ!あのねあのね、リリーの調子が悪いの?直る?大丈夫?」
「まぁまぁ、落ち着いて。ボクの『作品』は、そうそう壊れないよ。それにこっちのリリーは特に丈夫に作ってあるしね!」
「本当?よかった。リリーはこっちで寝てるの。きてくれる?」
「もちろん!」
レインに連れられ、奥の部屋に向かう。普段はレインの『作品』のために使われる処置台には、『リリー』が横たわっていた。
個体名『リリー』は、ボクがレインのオーダーを受けて作ったカラクリ人形だ。花屋で受付をしている『リリー』と、目の前の『リリー』は同じシリーズだが、仕様が異なる。 今回レインが修理をお願いしてきたのは、レインの『作品』の手伝いをするために作った五体の内の一体だ。レインの手伝いをメインとしているため、表情の機微や言語は受付の個体より劣るが、力や器用さは上だ。難しい作業をするので、かなり丈夫に仕上げ、異物混入などを防ぐために滅菌加工や髪を短くするなどの工夫をしている。
「ふむふむ。あー、なるほどね。足のパーツが脆くなっちゃったんだね。経年劣化……ではないと思うけど。なにか心当たりある?」
「この前、地震があったでしょう?その時に、足の上に何か落としたみたいで。本人は気にせず動こうとするから、一旦電源を切ってハルカに診てもらおうと思って」
「あー、結構頑張り屋さんな個体だから、ちょっとの故障だと動けちゃうんだよねぇ。電源切って正解だと思うよ。これ以上パーツ破損したら大変だし。うーん、ちょっと丈夫な靴も検討しとくね」
「ありがとう。……すぐ直る?」
「もちろん、今日持ってるパーツで事足りるしね。任せて」
レインは心底ホッとした様子でリリーの髪を撫でた。
「すぐ直るって、よかったねリリー。もうちょっと頑張ってね」
ボクは彼の、こういうところが気に入っている。『作品』を我が子のように大事にしてくれるって、作家冥利に尽きると思わない?
「2、30分くらい時間をくれる?ついでに他に調子悪いところ隠してないか見るよ」
「ありがとう。あ、ならお茶淹れてくるね。何がいい?紅茶?コーヒー?」
「コーヒーがいいな!砂糖とミルク多めで頼むよ」
「ふふ、分かった。淹れてくるね」
レインはそう言うと部屋を出ていった。さて、ボクも作業に集中しよう!トランクを開けて、必要な道具を取り出す。ちゃーんと元の状態にするからね!
「よし、終わった!……あ、コーヒー淹れてくれたんだね、ありがとうレイン」
作業に集中していたせいで、全然気づいていなかった。ボクの悪い癖だなー。ズズズっと飲むと、丁度いい温度になっていた。猫舌だからこのくらいが好きなんだよねー。
隣を見ると、もう一つの処置台でレインが作業をしていた。カーテンで仕切られているから影しか見えないけれど、様子からして向こうもひと段落ついているようだった。
「レインー。そっちはどう?こっちは終わったよ。電源入れたら動く状態」
「あ、ハルカ。うん、こっちも終わったよ。ちょっと待ってね……うんしょっと」
しばらくゴソゴソした後、カーテンが開いた。少し眩しそうな顔をした後、にっこりと笑った。
「さっきよりリリーの顔色、いい気がする。ありがとうハルカ」
「そうかい?ふふ、どういたしまして。じゃあ、スイッチ入れちゃうね」
背中の電源ボタンを押して、起動させる。しばらく瞬きをした後、ゆっくりと起き上がった。
「個体名リリー、識別番号003、起動しました。あの、レイン様。お手数をおかけいたしました」
「ううん、気にしないで。もうしんどいところない?」
「今ならハルカおにーさんがばっちり直すよー!」
「お気遣いいただきありがとうございます。大丈夫そうです」
リリーはしばらく手足をのばしたり軽く動いてみた後、調子が悪くないことを伝えた。大丈夫そうでよかった!まぁボクの腕だから当たり前といえばそうなんだけどね。
「よかった。次はもう我慢しちゃめっ、だよ。僕も早く気づいてあげられなくてごめんね」
「はい。気をつけます」
「ちなみに、今回はなんでこの子が調子悪いって分かったんだい?」
「受付のリリーから、ハルカに見せてあげてほしいって。それでわかったの」
個体名『リリー』はお互いの情報を交換しあっている。どの『リリー』がみた情報であっても全員が知っているのだ。同じデータを共有しているけど、それぞれの学習プログラムの差異によって若干性格や言語に違いが出るようになっている。これはただのボクの趣味の仕様だけどね!
「ほら、他のリリーが心配してるよ。行っておいで」
扉の方を見ると、そっと他個体が様子を伺いにきていた。仲がいいよねえ、この子たち。ボクの他の『作品』はここまで感情的ではない。持ち主の影響が強そうだ。
「そういえば。今作業してたのは、レインの次の『作品』なのかい?」
「え?ああ、うん。そうだよ?お得意様の依頼なの。お気に入りの子だから、絶対ローシュのとこで飾りたいって」
レインの本当の仕事は、エンバーミング──遺体をかぎりなく生前に近い状態にし、長期保存できる状態にする処置を施すことだ。
彼のエンバーミングの技術は、素人のボクからみても大変素晴らしく。処置後の遺体の美しさはまさに美術品そのものだ。
その美しさに魅了された「お得意様」たちがレインに依頼するのは、新しい美術品だ。彼らのお気に入りを処置し、その後美術品として観賞するのだ。話だけ聞くととても非道徳的で、倫理観に欠ける物ではあるのだけれど。レインの処置した後の遺体は、それほどまでに美しく魅力的なのだ。……ボク、レインが悪魔か天使の使いだって言われても信じる自信あるもん。そのくらい人離れした魅力が、彼の『作品』にはあるし、彼自身にもある。遺体の処置をする彼の姿に魅了された人も多い。ボクもだし、おそらく彼の一番のパトロンであるローシュもそうだろう。それに、レインの最高傑作である彼も。レインに魅了されたうちの一人だ。
「後はケースに移すだけなんだけど。見る?」
「いいのかい?ふふ、依頼主より先にキミの仕事が見れるなんて、良い気分だよ」
通常の依頼であれば、レインも流石に遺体と無関係のボクに見せるなんてことはしないんだけど。これは作品としていずれ人の前に出るからか、そういう時は高確率で見せてくれる。
遺体に被せられた布が取り除かれる。薄暗い部屋に、白い肌が光った。
「それじゃあ、ちょっとお邪魔して……ああ、今回は女性なんだね。いやー、美しいな……」
「ありがとう。生前の写真をいくつか見せてもらって。その頃の輝きになるように頑張ったの」
「ああ、彼女。もしかして半年前に事故死したオペラ歌手かい?」
レインによって整えられた表情。そこに見覚えがあった。新聞記事の一面を飾った悲報。人気オペラ歌手の舞台事故による死。その後の葬儀の話を聞かなかったけれど、なるほどここにきていたのか。レインのお得意様の誰かが、作品にして欲しくて買い取ったんだろう。彼女のことを不幸に思う人もいるかもしれないけれど。レインの手によってここまで美しくなれるのであれば、彼女も救われるのではないかと。身勝手にそう思う。
「そう。今回、死んでからここにくるまでが長かったみたいで、大変だったんだ。けど、ここまで綺麗に戻せてよかった」
レインの作品には、故人が生きていた時以上の魅力がある。当の作者本人は、首を横に振るだろうけど。「元の姿が綺麗だから、僕はそのままの姿になるよう近づけただけ」と。
彼の技術は、本物だ。彼の遺体と向き合う真摯な気持ちも、きっと誰よりも深い。それゆえに、彼に魅了される人々が後を絶たないのだろう。
「さて、そろそろお暇しようかな!レインの新作も見せてもらえたし、今ならいいもの作れそうー!」
「ハルカも、あんまり無理しちゃダメだよ?すぐ徹夜してスミレを困らせるんだから」
「う。き、気をつけるよ」
どうしても創作意欲が収まらない日は、夜が長くなってしまう。助手のスミレに迷惑をかけていることは承知なんだけど、やめられないのさ!
「気をつけて帰ってね。今日は来てくれてありがとう、ハルカ」
「このくらいどうってことないさ。それより、キミの新作ができたら教えておくれよ?見に行くからさ」
「うん、わかった。伝えるね」
扉の前でお別れする。次はお茶菓子でも持ってこよう!るんるんで階段を降りる。来た時より心なしか気持ちが浮ついている。レインにあうと、なんだか心が洗われるような気持ちになるんだよね。
「あら、その様子だと終わったみたいね。ありがとう、ハルカおにーさん」
一階に戻ると、受付のリリーがブーケを作っていた。彼女の作るブーケはよく売れるらしい。仕事帰りにふらっと立ち寄って買って帰る人もいると、以前話してくれた。
「ああ、無事終わったよ。キミも、調子が悪かったらすぐに言うんだぞぅ?ボクよりレインが悲しむからね!」
作り物の彼女たちを、心から大切にしてくれる彼。作者としてこれ以上ない喜びだ。これからも彼女たちを大切にしてくれるだろう。
「あら、わたしはちゃんと言ってるわ。その証拠に、どこも悪くなかったでしょう?」
「うんうん、そうだね。キミはそういう個体だったよ。……ああ、そうだ。次に来た時にキミたちの靴を持ってこようと思うんだけど。何か希望がある?」
「靴を?嬉しいわ!そうね。今から寒くなるから、ブーツはどうかしら。ショートブーツがいいわ」
「いいね、キミたちに似合うと思う!じゃあ、それで作っておくね。できたらまた来るよ」
「ありがとう、ハルカおにーさん!いつでも歓迎するわ」
外は日が傾き出していた。夏も秋も短いこの町は、あとひと月ほどで雪が降る。
そうだ、今年のクリスマスは、レインに何をあげよう。ふふ、気が早いかな。そんなことを考えながら、花屋を後にした。
「レイン、お疲れさま。『わたし』を直してくれてありがとう!」
ハルカが帰ってしばらくすると、リリーが二階にやってきた。昨日焼いたというクッキーを手に持って。
「ハルカが来てくれてよかった。僕じゃリリーを直してあげられないから」
ハルカの作る人形は、ハルカ以外に作れないほど精巧で複雑な作りをしている。下手に素人が修理できるものではない。
「ふふ、レインがいつもわたしたちを大事にしてくれて嬉しいわ。こんなに大事にしてくれるご主人様は、レインくらいなんじゃないかしら?」
「ふふ、まさか。褒めすぎだよ。でも、そう思ってくれてるのであれば嬉しい」
リリーの持ってきてくれたクッキーを食べる。いちごジャムが乗った可愛らしいお花型。僕はよく食べるけど、料理はそこまで得意じゃない。リリーには料理ができる機能がそなわっている。作り手のハルカが料理上手だからか、彼女の作るご飯やお菓子も美味しい。
「あら、今回の仕事はもう少しで終わるのね?よかったわ」
「うん、後はケースに運ぶだけ。リリー、手伝ってくれる?」
声をかけると、待機していた他のリリーが了承してくれた。目の前のリリー以外の子は、基本的に動かず控えている。
「じゃあ、もう一仕事したら下に戻るね。クッキーありがとう、美味しかった」
「ふふ、どういたしまして。先に戻ってるわね」
リリーは軽やかに笑うと、部屋を出ていった。
トントントン、と。足取り軽く、今日もエレンの元に向かう。今日の花はバラ。夏の花のイメージが強いけれど、秋にも綺麗に咲く品種がある。トゲはしっかりとった。エレンに傷が一つでも付いたら大変だから。
鍵を開けて、部屋に入る。今日はすっかり夜だけれど、満月のおかげで部屋はうっすら明るかった。
「遅くなってごめんね、エレン。今日のお花はバラだよ。落ち着いた色で、今の時期にいいでしょう?ふふ、気に入ってくれた?嬉しい」
ショーケースの蓋を開け、花を入れ替える。いつでもそこにいる、僕だけのエレン。今日も変わらず綺麗だ。花の匂いに包まれる。生きている頃からエレンは、ずっと優しい甘い香りがする。ずっとずっと、好きな匂い。大好きな匂い。
「もうすぐ、冬がくるね。雪が降ったら、窓からみえるかな?……ふふ、そうだね。その時は一緒にここで眺めようね」
ショーケースの蓋を閉める。丁寧に、丁寧に。時間をかけて。
「それじゃあ、そろそろ行くね。……また明日。おやすみなさい」
扉がゆっくりと閉じる。静かになった部屋には、主だけが眠っている。