聖女なんかになりたくないっ! 聖女廃業して悪女になるので婚約破棄してください、王太子様
本作は長編版『精霊王の末裔』第一章を<ヒロインである公爵令嬢側から書いた短編>になります。
ダイジェスト的な作りになっているので、気になったら長編版もよろしくお願いします⇒https://ncode.syosetu.com/n9315hr/
「クロリンダ、きみは聖女失格だね。アルバ公爵家に生まれながらほとんど聖魔力がないとは」
クラウディオ王太子は冷たい口調で言い放った。
ここは聖ラピースラ王国の王城内にある謁見の間。長い広間の左右には美しいレリーフのほどこされた大理石の柱が立ち並び、中央に据えられたテーブルには聖魔力鑑定用の水晶が置かれている。
くすんだブロンドの髪を結い上げたクロリンダはうつむくことなく、背筋を伸ばしたまま挨拶を行うと壁ぎわへ下がった。
「レモネッラ様、どうぞ」
執事の呼びかけに従い進み出たのは、ピンクブロンドの髪を背中に垂らした少女。クロリンダの妹だ。
彼女が手をかざすと、水晶はたちまち七色の光を放った。
「おお、これは――」
どよめきが起こる中、王太子が立ち上がった。
「すばらしい魔力量だ。きみこそ聖女にふさわしい。余はレモネッラ嬢と婚約することをここに宣言しよう!」
王都からアルバ公爵領へと走る、帰りの馬車の中。笑い声を上げたのは、姉のクロリンダだった。
「ホホホ。ついにあなたの化け物じみた魔力量が、王太子様に知れてしまったわね」
「ひどいわ、お姉様。お母様もお父様も、私の大きすぎる聖魔力を王都の方々に隠して下さっていたのに」
レモネッラはうつむいて、ひざに置いた手でドレスの裾をぎゅっとにぎりしめた。クロリンダは、ふんっと鼻でわらって、
「この国では代々、魔力量の多い貴族が聖女となって、王太子様と結婚するしきたりなのよ。あんただけ逃げようったってそうはいかないわ」
なにも答えない妹に怪訝なまなざしを向けた。
「なにがそんなに嫌なのよ? ゆくゆくはこの国の王妃になれるのよ?」
レモネッラはキッと顔をあげ、姉を見据えた。
「この世界は高い身分より、もっとずっと魅力的なものであふれているわ。書物だけじゃ飽き足らない。私は自分の足で、この世界を歩いてみたいの!」
レモネッラの夢は国じゅうを旅してまわることだった。
「馬鹿ねえ。ごらんなさい」
吐き捨てるように言うとクロリンダは、振り返って馬車の後ろの窓から乾いた地面を見下ろした。街道の土の上には、はるか遠くまで車輪のわだちが続いていた。
「馬車はわだちの上を走っているから安定してるの。わざわざそこから飛び降りようだなんて。あなたは聖女になるしかないのよ。その異常な魔力量では、もらい手がいないって分かってるでしょう?」
大きすぎる聖魔力は超常の力に等しかった。聖女としてあがめられても、妻にしたいと望む者はいない。だが姉の意地悪な質問にも、レモネッラは屈しなかった。
「私は聖女なんか、ならないわ。毎日に三回、聖堂で祈りを捧げて、ほかの町へ出かけることすらできない生活を何十年も続けるなんてごめんよ」
聖女の務めは、悪い竜を封じた古代の大聖女が眠る瑠璃石に朝昼晩と祈りを捧げること。瑠璃石は王都の中心に建つ美しい聖堂に祀られており、聖堂に寄り添うように建つ王宮と回廊でつながっている。聖女の伝統とはつまり、大きすぎる力を持つ者を共同体から隔離するシステムだった。
「毎日王都で贅沢な暮らしができるのに、ほかの町へ行く必要なんてないじゃない。とにかくあなたには聖女になってもらいますからね!」
「なぜそこまで?」
眉をひそめるレモネッラに、クロリンダは勝ち誇った笑みを向けた。
「聖女になった妹の、身の回りの世話をする気心の知れた侍女として、アタクシが王宮に上がるためよ」
「……は?」
「聖女なんて聖堂にこもりっぱなしで、王太子殿下と愛をはぐくむ時間もないわ。聖魔力を持たない哀れな姉が、聖女となった妹に尽くすのよっ!」
あごの下で手を組み、せまい馬車の中で一人芝居を始めた姉に、レモネッラは沈黙した。
「けなげな姿に心打たれた王太子様が、この美女を見初めるのも時間の問題ね!」
レモネッラは唖然とする。
(自分で美女と言ったわ!)
姉の頭の中には吟遊詩人もびっくりな、甘ぁい恋物語が展開しているらしい。
「そんな身勝手な理由で、私の人生から自由を奪おうというの?」
「身勝手? その大きな力を国のために使わないあなたのほうが身勝手ではなくて? 公爵家で測定したあなたの魔力量を、実際より低く報告したお母様も同罪ですけどね」
お母様という言葉を耳にするやいなや、レモネッラは身を乗り出した。
「そうよ、お母様! もういいでしょ? 早くお母様に会わせてよ!」
貴族学園の寄宿舎で生活していたレモネッラは、母が病に伏せったという連絡をもらって公爵領に帰ってきたのだ。レモネッラの聖魔法なら、ほとんどの病をたちどころに治療できるから。しかしクロリンダは公爵邸での実権を握るため、母を診せようとはしなかった。代わりにレモネッラを王都へ連れてゆき、王太子の前で聖魔力を鑑定させたのだ。
聖ラピースラ王国では大聖女の血を引く貴族の家系に時々、大きな聖魔力を持つ女の子が生まれた。しかしこの力は男子には現れないため、王国の貴族家系では女性の力が強かった。姉妹の父親も例外ではなく、病に伏せった妻と力をふりかざす長女におどおどするばかり。レモネッラも端から彼に期待はしていない。
「レモネッラ、あなたと王太子殿下の婚姻の儀の日取りが決まったら、お母様に会わせてあげるわ。それまでは、あなたほどの力はないけれど魔法医が診ているから安心なさい」
「ちょっと放しなさいよ!」
公爵邸に着くやいなや、レモネッラは屋敷の私兵たちに拘束された。
「申し訳ありません、レモネッラ様。あなたをお守りするようにとの、クロリンダ様からのご命令です」
「そうよ」
侍女がかたむける日傘の陰で、クロリンダが唇のはしをつり上げた。
「あなたのことだから逃げ出すと思ってね。王宮へ嫁ぐ日まで見張りをつけさせてもらいますわ」
「くっ」
レモネッラが歯を食いしばった途端、兵士の一人が見えない力に弾き飛ばされた。
「い、いけません、レモネッラ様! 聖魔力を攻撃に使っては、聖女様のお力がけがれてしまいます!」
「私は聖女なんかじゃない! 悪女にだってなんだってなってやる!」
「魔術兵よ、集まりなさい!」
クロリンダの命令に従って、屋敷の中からも庭からもバラバラと兵士が駆け寄ってきた。
結局、非番の兵士をのぞいたほぼ全ての魔術兵の力で、ようやくレモネッラ嬢を止めることができた。彼女は寝室に閉じ込められ、七人の魔術師が魔力封じの結界を張った。
「クロリンダ様。我が屋敷で雇っている魔術兵を総動員して、交替で結界を張るよう指示しましたが、十日も経たぬうちに彼らは疲弊してしまうでしょう」
執事の報告を聞きながら、クロリンダは不機嫌そうに眉根を寄せた。
「早急に、一人でレモネッラを抑え込めるような強い魔術師を見つけなさい」
「しかしレモネッラ様を傷付けず止められる者となると――」
「そうだわ。化け物には化け物をぶつけるのよ」
ソーサーから持ち上げたカップを優雅に傾けながら、クロリンダはほくそ笑んだ。
数日後の朝――
「レモネッラ、あなたのために新しく護衛を雇ったわ」
やたらと広がったドレスを左右の壁にぶつけながら、クロリンダが妹の部屋を訪れた。
「竜の血を引く男で、あなたの力でも叶わない恐ろしい化け物よ。醜い姿をしているから全身白い布でおおって生活させるわ。布の下を見ないよう忠告しておいてあげる」
その日の午後、執事に伴われて化け物と呼ばれた護衛がやって来た。ゆったりとした白いローブに白いグローブをはめ、白いブーツをはいている。ローブについたフードをかぶったうえ綿のベールで顔を隠しているせいで、髪も顔も一切見えなかった。
「ジュキエーレ・アルジェントです」
綿のベールの下から聞こえたのは、やや緊張した少年の声。
「ジュキくんね」
ぎこちなく一礼する小柄な姿に、レモネッラは持ち前の好奇心をかき立てられた。
「どうぞ」
と部屋に案内すると、まるで初めて仕事をする子みたいに上ずった声で、
「あっ、ありがとうございます。レモネッラ様」
と礼を言った。貴族の護衛につくのが初めてなのかもしれない。
「レモでいいわ」
その言葉にも恐縮しているようだ。こんな少年が本当に化け物の姿をしているのだろうか?
「顔を見せてくれる気はないの?」
綿のベールにずいっと顔を近づけると、彼はびくっとしてのけぞった。だが白いベールの向こうに、宝石のエメラルドのような瞳が二つ輝いていたのをレモネッラは見逃さなかった。
何か食べ物でも出したらベールをはずすのではないかと期待して、侍女に指示するのも待ちきれないレモネッラは手ずからハーブティーを淹れたが、彼は器用にベールを持ち上げてカップを口に運んだ。
(どんな姿をしていようと、彼は普通の人間と変わらない心を持っていそうだわ)
賢いレモネッラは、少年の様子を注意深く観察しながら計画を練っていた。
(私の境遇を説明して、味方に引き入れられないかしら)
異国から来た少年は聖ラピースラ王国の聖女についてよく知らず、レモネッラの話を興味深そうに聞いていた。
レモネッラは今にも泣き出しそうな声で、病に伏せった母に会うことも許されないと打ち明けた。
「私を聖女にするつもりはないって言ってくれていたお母様……!」
「母さんに回復魔法をかけるために部屋から出ようとしていたのか――」
彼は我がことのように苦しそうな声を出した。うつむくレモネッラの腕を、グローブをはめた手で落ち着けるようになでてくれた。
(この人―― やさしいんだ……)
顔は見えなくても彼の心が伝わってきて、レモネッラの胸はかすかに高鳴った。
その日、レモネッラは魔術兵たちに手を出さなかった。
(おとなしくしていたほうが、あの護衛さんの同情を引けるもん。これは作戦よ!)
少女は自分に言い聞かせた。
翌朝起きると、ジュキエーレ・アルジェントが部屋の見張りに、
「公爵夫人のご容態はいかがですか?」
と尋ねているところだった。彼のよく通る声が部屋の中まで聞こえてくる。
レモネッラの部屋の前に立った二人の魔術兵は、
「きみに答えることはできない」
と、そっけない。
「でも…… レモネッラ様が心配されてるんです――」
天蓋付きベッドの中で着替えるレモネッラの耳に、悲しみの旋律を歌うかのような少年の声が聞こえる。その音色は澄んでいて、不思議と心を揺さぶる響きだ。
「俺がお嬢様の代わりにお見舞いに行って差し上げることはできませんか?」
自分のために彼が一生懸命、動いてくれていると思うと胸がぎゅっとなった。
(なにこの感じ! ちょっとやめてよ……)
レモネッラは思わず口もとをおおった。
公爵夫人の容態を心配するレモネッラのために、屋敷の者が寝静まったころにジュキエーレがこっそり様子を見に行ってくれることになった。
「お母様のお部屋はお屋敷の東翼にあるの」
華奢な猫足が優美な白いテーブルで、地図を書きながら道順を説明する。公爵邸は広いのだ。
「俺たちが今いるのは? この部屋三階だよな?」
テーブルに頭を寄せ合って話していると、鼓膜を甘くくすぐるような彼の声が心地よい。
「ここは南棟よ。お母様のいらっしゃる寝室も同じ三階なんだけど直接つながってないから、いったん二階に降りてちょうだい」
「うん分かった。任せて」
ベールの下で彼がにっこりと笑った気配がした。その笑顔を見てみたいと渇望している自分に気が付いて、レモネッラは慌てた。
夜、彼が出て行った部屋で、レモネッラは落ち着かない気持ちでベッドのはしに腰かけていた。どれくらいのあいだ暗闇で目を開けていただろう。
「者ども出会え! 曲者よ!」
寝静まった屋敷に突然、クロリンダのキンキン声が響いた。
(ジュキ――見つかっちゃったんだわ!)
私兵たちの走り回る足音があちこちから聞こえてくる。
(もしや見張りがいなくなった!?)
期待をこめて部屋の外をのぞくと、ドアの前の二人は微動だにせず立ったまま。
(いいえ、テラスから中庭側を回ってお母様の部屋にいけるはずよ!)
ガラス戸からテラスに出て中庭を見下ろすと、月明かりが照らし出しているのは噴水だけ。
(よしっ!)
レモネッラはネグリジェの裾を両手でたくし上げると、テラスの手すりに足をかけた。
(あともうちょっと――)
手すりの向こう側へ脚を伸ばす。慎重に、慎重に――
そのとき不意に、ガラス戸に人影が映った。
「えっ……」
「レモ、何をして――」
ローブの前をはだけたジュキエーレがテラスをのぞいた。その白い胸の真ん中に、金色に光る大きな目玉が張り付いていた。
(やっぱり、化け物――)
頭が真っ白になった刹那、テラスをつかんでいた両手から力が抜けた。
「ひゃっ!」
片足がずるりとテラスの外側をすべる。
「危ない!!」
ジュキエーレがテラスに躍り出た。彼の両腕がレモネッラを抱きとめる――が、バランスを崩した二人の身体は手すりの外に投げ出された。
「翼よ!」
叫んだ彼の背中から広がるはずだった羽は、重いローブにさえぎられて一瞬遅れた。
「きゃあぁぁぁぁぁあっ!」
レモネッラの悲鳴が響く。ジュキエーレを下敷きにして、彼女は中庭に落下した。
「嘘でしょ…… 目を開けて!」
庭の土に激突した彼の身体からゆっくりと血が流れてゆく。
「ジュキ―― 嫌ぁぁぁっ!!」
もう二度と、彼のやさしい声を聞くことができないなんて――
(いいえ。私なら治せる)
涙を流しながら、彼女は冷静になろうと努めた。
お願い、元どおりに――
レモネッラの強い祈りに共鳴するように、二人の身体を白い光が包み込んだ。あまりのショックで痛みさえ感じていなかったが彼女自身が負った怪我さえ、その聖なる光は完治させた。
混乱したレモネッラは忘れていたが、中庭に魔力障壁は及んでいなかった。
「ジュキ、返事をして」
少女はそっと、彼のベールとフードを取り去った。
「あ……」
月明かりが照らし出したのは、真っ白い肌に銀色の髪をした少年だった。長いまつ毛に整った小さな鼻、ふっくらとした唇には血の気がなかったが規則正しく呼吸していた。
「綺麗――」
あどけなさの残る彼の頬に、そっと指をすべらせる。
だが遠くから近付く見張りたちの話し声に、レモネッラは我に返った。
「風よ――」
残っている力をふりしぼって、彼を抱き寄せテラスへ舞い上がる。
庭の土と血液でよごれてしまったローブを脱がせて、風魔法でベッドまで運んだ。
サイドテーブルに置いた燭台に火を灯し、ベッド脇に椅子を持ってきて座る。少年はまだ目を覚まさない。
胸の真ん中にはうっすらと切れ目があったが、今はもうあの目玉は閉じていた。肩からは水晶のような角が、背中には竜を思わせる白い羽が生えていた。
「あなたは決して化け物なんかじゃないわ――」
華奢な腕を覆うなめらかなうろこは、真珠のように輝いている。
「目を開けて、ジュキ――」
魔力障壁のことなどすっかり忘れたレモネッラは、渾身の力を振り絞って聖魔法を使った。額から流れる汗が目にしみるのも構わず。
彼の唇がぴくりと動いて、
「まぶしい……」
かすれた声でつぶやいた。銀色の長いまつ毛が震え、ゆっくりとまぶたがひらいた。燭台のロウソクから広がるやわらかい光を受けて、まるでエメラルドが埋め込まれたかのような両の瞳がきらりとまたたいた。
「ジュキ―― 良かった。目あけてくれた」
まだ冷たい頬を、指先でそっとなでる。
「レモ……?」
呆けたように見上げるまなざしが、レモネッラをとらえた。
「ごめんね。私を助けてくれてありがと」
彼の意識が戻ったことに安堵すると、緊張の糸がぷつんと切れたかのように涙があふれだした。同時にいとおしい気持ちがこみ上げてきて、少女はほほ笑みを浮かべながら、彼のやわらかい銀髪に手櫛を通した。
だがジュキエーレはハッとして、両手で顔をおおった。
「ローブは? ベールは?」
「汚れちゃったから脱がせてしまって――」
ジュキエーレはベッドに慌てて身を起こし、何かを確認するように自分の身体を見下ろした。
「う、うああ……」
声をあげてうずくまり、ひざに顔をうずめてしまった。
「起き上がって大丈夫なの!?」
レモネッラは自分もベッドに乗って、彼を支えるように抱きしめていた。
「どこか痛むの?」
白い羽の生えた背に腕をまわし、もう片方の手で小さな子をあやすように彼の銀髪をなで続ける。しばらくそうしていると落ち着いてきたのか、彼は顔を上げて尋ねた。
「レモ―― 魔法、使えるようになったの? 魔術師たちの魔力障壁は?」
「あ……」
初めて魔力障壁のことを思い出した彼女は、にっと笑って親指を立てた。
「必死になったらいけたわ!」
「ごめん。無理させてた……」
少年は申し訳なさそうにうつむいた。
「そんなことないわよ!」
レモネッラは慌てて否定する。瀕死の怪我を負ったっていうのに、私のことを心配してくれるなんて――
「お姉様に呼ばれた魔術師たちが持ち場を離れて、結界も弱まったみたい」
その夜二人はベッドの上で身を寄せあって夜を明かした。
「危険な目に遭わせてごめんなさいね」
彼の胸に頬を寄せると鼓動と体温を感じた。彼が生きていることが、ただ泣きそうなほど嬉しい。彼の長い指が自分のピンクブロンドの髪をすべってゆくのに、レモネッラは心地よく身をゆだねていた。
翌朝起きると彼の角と翼は消えて、そこそこ人間らしいシルエットに戻っていた。どうやら魔法で消せるらしい。
「角と羽があった方が神秘的でかっこいいのにぃ」
注文をつけると、
「やだよ、寝返りうてねえし……」
彼は口をとがらせた。うん、確かに。レモネッラは納得して、訊くべき質問を口にした。
「あのぉジュキ、昨日お母様に会えたのよね?」
「会えたんだけどな、すぐにクロリンダ姉さんが来ちまったんだよ。公爵夫人、せきこんでたけど普通に会話はできてたぜ」
彼はレモネッラを安心させるようにほほ笑んだ。
だが当然というべきか、公爵夫人の寝室に偵察に行っていたのが見つかったジュキエーレは、レモネッラの護衛解雇を言い渡された。しかしそんなことで引き下がるレモネッラではない。
「お姉様が解雇すると言うなら、この子はわたくしが雇います」
堂々と宣言した。
クロリンダは新たに三人の護衛を雇うことで対抗した。ジュキエーレと同郷の者で、彼と同じく竜の血を引くらしい。しかし彼らはジュキエーレと違ってうろこなど生えていないし、肌の色も聖ラピースラ王国の人々と変わらなかった。そして残念ながら、その実力も――
イーヴォとか呼ばれていた赤髪の、図体ばかりでかい男が振り上げたこぶしを、
「氷の盾」
ジュキエーレは魔法を発動させて素早く受け止めた。
「なっ、くっついて来やがった!」
こぶしが盾に張りついて慌てる様子に、レモネッラは思わずつぶやいた。
「うわ、なんだか間抜け」
呪文を唱えようとするも、
「水よ」
ジュキエーレに水属性の術で攻撃され、
「雨漏りしてんのか、この屋敷」
天井を見上げる。雨漏りする公爵邸なんてあるものか。そもそもここは最上階ではない。
「くそっ、でかい火属性の術を使ってやるぜ!」
室内で非常識なことを言い出したと思ったら、
「凍れ」
ジュキエーレの声ひとつで動けなくなった。
歯が立たない新護衛たちに、クロリンダが怒り出した。
「もうたくさんよ、あなたたち! 竜の血を引くっていうから、ジュキエーレ・アルジェントに対抗できると思って雇ったのに! 竜人族だなんて言ってアタクシをだましたわね!?」
一度癇癪を起こすと止まらないクロリンダは、彼らを虚偽罪の廉で投獄してしまった。
圧勝するジュキエーレを見ながら、レモネッラは重要なことに気が付いた。イーヴォたちは魔力障壁結界のない廊下から攻撃していたのに対して、迎え撃つジュキエーレは結界があるはずの室内で楽々と魔法を使い、あっさり勝ったのだ。
(ジュキには七人の魔術師が張った結界すら用をなさないのね。それなら彼が魔法で見張りを眠らせれば、私もお母様のところへ行けるじゃない!)
果たしてその夜、レモネッラは念願を叶えて公爵夫人を回復させた。
クロリンダが自分を聖女に推薦し、王太子が婚約を申し込んだと報告したレモネッラに、公爵夫人は悲痛な決意のこもった声でつぶやいた。
「一人の女性から人生を奪う聖女の仕組みは、終わりにしなければならないわ」
その言葉にレモネッラはハッとした。今もお妃様が聖女として日に三回、祈りを捧げているのだ。
(私が次期聖女にならずに済めばいいなんて身勝手な考えだった。私が逃げられたって、代わりに誰かが聖堂に閉じ込められるんだもの)
こんな伝統は、私が終わりにしようと決意を固めた。大聖女の魂が眠ると信じられている瑠璃石も、聖堂も破壊してしまうのだ。そんなことをすればこの国では大罪人だが――
(聖女になるくらいなら、悪女にでも罪人にでもなってやるわ!)
レモネッラはこぶしを握りしめた。
「この国になんのしがらみもない俺が請け負うぜ。いまや俺の雇い主はあんただ。遠慮なく命じてくんな」
ジュキエーレがそう言ってくれたが、彼を罪人にするくらいならお姉様が雇ったあの新護衛たちに罪をなすりつけられないかしら、とレモネッラは策略を巡らせた。
(ついでにお姉様にもね)
自分が雇った護衛が暴走したら、彼女もお咎めなしとはいかないだろう。
レモネッラのよこしまな思いが通じたのか、翌日、土魔法で脱獄したイーヴォたちがまんまとやってきた。投獄前に私物をすべて没収された彼らは路銀すら失っており、同郷のジュキエーレに金の無心に来たのだ。見張りの目を盗んで中庭からテラスに上がって来た彼らに、レモネッラは嘘を吹き込んだ。
「お姉様の真の目的は、聖堂に封じられている魔神を完全に葬り去ることなの。あなたたちが王都の聖堂を破壊すれば、真の依頼達成となるわ。それを話す前に、お姉様は感情的になってあなたたちを投獄してしまったのね……」
哀れな彼らはレモネッラの言葉を信じて王都へ向かった。
だが時同じくして、レモネッラとジュキエーレも聖堂へ向かっていた。イーヴォたちの攻撃より先に、聖堂に務める現聖女様――王妃殿下と彼女に仕える巫女たちを逃がさなければならない。それからもう一つ、彼らには重要な任務があった。
クロリンダから実権を取り戻した公爵夫人が用意させた馬車に揺られながら、ジュキエーレはいとおしそうにレモネッラを見つめていた。竜を封じた大聖女をあがめる聖ラピースラ王国では、竜の血を引く彼は異端の存在だ。にも関わらずレモネッラは血筋など意にも介さず、彼自身を見つめてくれた。固定観念を持ったり差別したりしないまっすぐな心をもつ彼女に、ジュキエーレは惹かれていた。とはいえレモネッラは王太子の婚約者。ライバルは強大だ。
「俺は王太子殿下からあんたを奪うつもりだ」
うす暗い馬車の中でさえ、彼の瞳はエメラルドのように輝いていた。真摯なまなざしで見つめられて、レモネッラの鼓動が速くなる。公爵令嬢である自分の護衛として雇われた立場で、しかも聖女とは因縁深い竜の血を引く彼が、はっきりと打ち明けてくれたことが嬉しかった。
「ありがとう。勇気を出してくれて。あなたは強いひとなのね」
「俺が強いとしたら、それはあんたを守るためだから」
照れ隠しなのか、彼はちょっと目をそらして馬車の窓枠に頬杖をついた。
「私みたいに魔力量が多すぎる女の子は、王太子様に婚約破棄されたら一生一人だと思っていたわ」
一人で生きてゆく自由を喜んで受け入れるつもりだった。だが同時に、誰も自分を愛さないと思うと、チクリと胸が痛んだ。
「私なんかに誰も結婚を申し込んだりしないもの」
「何言ってんだよ。俺なら喜んで申し込むのに」
ジュキエーレがあまりに率直な言葉を口にしたので、レモネッラは一瞬驚いた。だがすぐに笑顔で答えた。
「喜んでお受けするわ!」
突如始まった聖堂への攻撃のせいで、王宮の衛兵が右へ左へ大わらわになっているころ、王太子の居室に窓から来訪者がやってきた。
「お邪魔しますわ」
ベッドの上で、ネグリジェ姿の女と過ごしていたクラウディオ王太子は目を見開いた。
「なっ、曲者!」
「アルバ公爵家のレモネッラですわ、殿下」
両手でスカートの裾を持ちあげつつしれっと挨拶を行う彼女のうしろには、白いローブをまとった護衛までいる。
「未然に防いでいただこうとお伝えに上がったのですが、遅かったようですね。クロリンダお姉様が雇った竜人族が暴走して、このようなことを――」
レモネッラが視線を向けた窓の外では、聖堂から上がった炎が夜空をなめている。
「な、なんと!?」
王太子は腕の中の女をはね飛ばして窓際に走った。
「聖堂にいらっしゃる母上は!?」
「ご安心くださいませ。聖女様たちにはすでに逃げていただいております」
王太子は胸をなでおろした。
「レモネッラ、賢明な判断であった」
その横顔に冷たい視線を向けながら、レモネッラは作戦を開始した。
「大きな過ちを犯したクロリンダの妹であるわたくしが、王太子殿下に嫁ぐことなどできません。婚約を取り消されて当然ですわ」
しかし王太子は意外な反応を示した。
「何を申す、レモネッラ。我が王家はそなたの血筋を必要としているのだぞ」
「殿下――」
うやうやしく進み出たのは、それまで黙って控えていた護衛のジュキエーレ・アルジェントだ。
「それはレモネッラ様を幸せにするお気持ちがあってのお言葉なのですか?」
その言葉に王太子は吹き出した。
「ぷぷっ。護衛くん、きみの頭はお花畑か? 余の子供を産んでほしいだけだ。異常な魔力量を持った化け物など、余が愛するわけなかろう」
レモネッラがうつむいて唇をかむのを見たジュキエーレは、とっさに彼女を抱き寄せた。
「あんたにレモネッラ嬢は渡さねえよ!」
「この無礼者!」
叫んだのは、それまで部屋の暗がりで存在感を消していた男。王太子に仕える騎士だろうか。
「構わん。やれ」
王太子が短く命じると、男は剣を抜いた。
(こうなったら作戦第二フェーズに移行するわ!)
レモネッラは意を決して、窓わきのチェストの上に飾られていた陶器の花瓶を持ち上げた。金色の優雅な取っ手を両手で握り、ジュキエーレと斬り合う男の後頭部めがけて振り下ろす。
「ぐおぅ!?」
叫び声をあげて、男はバタンと倒れた。
「殿下、これでわたくしも罪びとですわ!」
「なっ――」
王太子は驚愕のあまり言葉を失ったが、すぐに叫んだ。
「侵入者二人を捕らえろ!」
王太子の呼びかけに応じて衛兵たちがやってくるが、ジュキエーレの敵ではない。
「凍てつけ」
一言で全員、氷漬けとなった。
「侵入者ですって!?」
レモネッラはわざとらしく驚愕して見せる。それから心底困惑した表情で、
「わたくしはあなたの婚約者ですが?」
王太子は唖然とした。
「お前自分で今、罪びとだと申したではないか! 頭おかしいんじゃないか!? 婚約など取り消しだっ!!」
(うっし! 作戦成功!!)
レモネッラは小さくガッツポーズした。
部屋の外から大勢の足音が聞こえてくる。
「殿下、ご無事ですか!?」
ジュキエーレはローブをレモネッラの肩にかけると、白い翼を広げた。
「逃げよう!」
彼女を抱きしめ、今入ってきた窓から夜空へ舞い上がった。
無数の星屑が散らばる藍色の空に白い翼が羽ばたき、澄みきった月光が彼のやわらかい銀髪の上で踊っている。レモネッラは彼を見上げてほほ笑んだ。
「ようやく自由を手に入れられたわ」
「良かった――」
ジュキエーレは少女の頭をそっと抱き寄せた。
「レモネッラ嬢、きみのことは俺が絶対幸せにするから――」
月が見守る夜のただ中で、二人は静かに唇を重ねた。
後日――
騒ぎが収まるまで隣国に亡命していた二人は、街で見かけた新聞でその後の顛末を知ることとなった。曰く――
<聖ラピースラ王国の聖堂を襲撃した竜人族の男たちが現行犯逮捕された。王国当局によると二人は犯行動機について、同王国アルバ公爵家クロリンダ嬢の命令だったと主張している。アルバ公爵家ではこの事件を重く見て、クロリンダ嬢を屋敷内の北の塔に百日間幽閉すると発表した。
なお聖堂の破壊を受け、国王と現聖女が聖女システムの一時休止を公布した。再開時期については言及されていない。同王国では代々聖女が第一王子に嫁ぐ習慣があったが、この決定を受けクラウディオ王太子が、次期聖女候補であったアルバ公爵家レモネッラ嬢との婚約破棄を発表。さらに王太子の妹君である王女の侍女であった男爵令嬢ポッペーアとの婚約を発表した>
最後までお読みいただきありがとうございます。
作者を応援してやろうかというお心の広い方はブックマークや評価を頂けると嬉しいです。
ページ下の☆☆☆☆☆を★★★★★にして頂けると喜びもひとしおですが、正直な評価が一番勉強になります。次回作への参考にしたいと思いますので、率直なお気持ちを表明してください☆
---【長編版もございます】------
『精霊王の末裔 〜先祖返りによって水竜の力がよみがえった俺は聖女になりたくない公爵令嬢と手を取りあって旅に出る〜』
↑第二章まで完結しております!
https://ncode.syosetu.com/n9315hr/
ページ下のリンクから飛べます。目次から気になる話だけでも読んでいただけると嬉しいです。
短編版では書ききれなかった聖女の歴史や、レモネッラ嬢とジュキエーレくんがゆっくり関係を深めていく様子を描いています。