第7話 邂逅 その6
「今日はまず先週の続きから始めよう。この国の歴史について…」
リュシェンヌにとっては初めての授業なのだが、バルトからの手加減はなかった。薄い手作りの教科書を持たされたが、バルト自身は特に本などを見ることもなく授業を進めていく。彼の話は多岐にわたり、どんどん子供たちに質問して考えさせる。中には答えにつまる子もいたが、責めることはなく自分の言葉と考えで話をさせる。ただ結論を言うだけでなく、どうしてそう考えたのかも説明させられた。リュシェンヌも精一杯質問に答えた。
バルトの語る内容は歴史だけでなく、社会の成り立ちや地理、宗教などあちこちに飛ぶようでありながら、最後には全てがつながって全体が理解できるようになっていた。ほんの2時間ほどでリュシェンヌはすっかり圧倒されていた。
短い休憩をはさんでバルトが声をかける。
「では裏庭に出て。体術の稽古だ」
ワッと少年たちが沸いてバタバタと部屋を出ていく。
「なに?どうしたの?」
リュシェンヌが何事かと尋ねると、二人の少女のうち背の高いマリが笑って答えた。
「体術よ。運動というか…実戦に近いものらしいわ。あなた運動は大丈夫?」
もう一人のローザも苦笑いしながら言う。
「わたしはちょっと苦手なんだけれどね。ここに通うからには先生の技を少しでも知っておいた方がいいわよ。女の子には護身術にもなるし。先生はすごいのよ。剣も教えてもらえるの」
どうりで二人とも女の子にしては動きやすそうな格好をしている。
「体を動かすのは大好きだから大丈夫よ」
「そう、よかった。行きましょう」
裏庭は表の庭よりずっと広々としていた。少年たちは指示に従って二人一組になり教えられた組み方をこなしていた。バルトの教える体術は、素手で相手の仕掛けてくる技をどうしたら避けられるかというものから、こちらから仕掛けていくものまで幅広いようだ。力もさほど入れていないようなのになぜ掴まれた腕を抜くことができるのか、なぜ小柄なのに相手の動きを抑えることができるのか、リュシェンヌが見てもわからなかった。
バルトはこちらに歩いてくると、マリとローザにも組んで習った技を復習するように指示した。そしてリュシェンヌと向かい合って立つ。
「お前は今日が初めてだからな。基礎から教える。二度は繰り返さないから、しっかり覚えるように」
「はい!」
バルトはリュシェンヌの姿勢を直すところから始め、呼吸法と基本の型をいくつか教えていく。どんどん進むのでリュシェンヌはついていくのに必死だった。いくらかは兄たちに教えられて心得があるとはいえ、しょせん子供相手の遊びの延長だ。しかも軍仕込みの兄の技とは違い、きれいな作法があるわけでもない。体に覚えさせようと流れる汗にもかまわずひたすら繰り返す。
小一時間の練習が終わった時にはリュシェンヌはふらふらで立っているのもやっとだった。少年たちはもちろん、マリとローザもずっと続けているので少し息を切らす程度のようだ。ここで倒れてたまるものかと脚に力を入れなおした時、こちらを見るフェリクスと目が合った。彼の青灰色の瞳が小ばかにしたように光るのを見て、くやしさに唇を噛みしめた。絶対にすぐにも追い付いてやると心に誓う。
体術の時間が終わると昼近くになっていた。子供たちはみんな近所に住んでおり午後は家の仕事を手伝うようだった。
「先生、ありがとうございました。また明日」
それぞれが挨拶して帰っていく中、リュシェンヌもマリやローザと一緒に外に出る。
「アンナの家はどっちのほうなの?」
「ああ、私の家は少し遠いんだけれど、叔母さんの家が近いのでそこに寄っていくから」
「そうなの?ここら辺では会ったことがないものね。私たちの家はすぐ近くなのよ。今度時間があるときに寄ってね」
「ローザの家はパン屋さんなのよ。とってもおいしいの。今度一緒に買いに行きましょうよ」
「すてき!絶対行く!」
思わず大声を上げたリュシェンヌに笑いながら、二人は手を振って反対の方向に歩いて行った。
顔が思わずにんまりと崩れてしまう。充実した半日を振り返りながら歩きだした時、少し前方を一人で歩くフェリクスの後ろ姿が目に入った。彼はまっすぐ前を見て大股で歩いていく。
リュシェンヌより少し年上だろうか。意思の強そうな顔つきと振る舞いが印象的だ。体術の時間あまりにも余裕のなかったリュシェンヌだが、少し息をついだ時に見た彼の技は、他の少年たちより頭一つ抜きんでていた。すばやい身のこなし、的確な技の出し方、どれをとってももっと年上のように見える動きだった。
リュシェンヌがまた悔しくて唇をかみしめたとき、彼はふっと脇道に入って行って見えなくなった。リュシェンヌもしっかりと周りを見て小走りにアンナの待つ家に向かった。