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外伝 苦労性アーチボルトの思い出話(1)

カイルの側近アーチボルトの思い出話です。

前後編に分けてお送りします。

「くっそ生意気なガキンチョ」

これが殿下に初めてお会いした時に、私が二番目に思ったこと。


私はダガード伯爵家嫡男として生まれました。幸いにも貴族としては珍しく、穏やかで常識的な両親のもと何の苦労もせず幼少期を過ごしております。


ガイヤード王国は大陸一、いやこの世界で最大と言われる大国です。初期の貴族の特質を示す武力に長けた家が多い中、ダガード伯爵家はどちらかと言えば裏方として王家を支える家柄であることは事実。あまり目立った働きはしておりませんが、代々真面目に、王家に忠実に仕えてきました。ありがたいことに、王家や他の貴族の方々からもその忠義を認められ、それなりに報われていると思っております。


貴族の常として、私も小さいころから家庭教師について様々な学問を叩きこまれました。若い貴族の中には、勉強より遊びや自堕落な生活を覚える方が早い者もいるらしいですが、私の中に流れるダガード伯爵家の血がやはりそれを許してはくれません。私も羽目を外すよりはきちんと毎日を過ごす方がしっくりくるのです。若いころから年寄くさい…と言われることも多かったですね。


8歳になる直前には学園に入り、本格的な勉学が始まりました。学園にはこの国一番の教師たちが揃っておりますので、厳しさもそれなりでしたが、一心に励みました。父母からは特に言われてはおりませんが、王国を支える一員となるためにもここでさぼったり、手を抜いたりするわけにはいかないと思っておりましたので、苦手だった剣の練習にも力を入れるようになりました。と、言うのもこの頃両親がその誠実さを買われ、王子の守役に抜擢されていたのです。


両親がお仕えするのは現国王ご夫妻の第三王子、カイル殿下。私より少し年下です。両親が守役として王子を支える…ということは、その子である私も王子のお相手として召し上げられるということです。これは少し…いや大いに緊張します。三番目の王子とはいえ、その方に何かあっては一大事です。伯爵家をつぶせば責任がとれるというものではありません。


すぐにもお目通りがあると思っていたのですが、なかなかその機会は訪れませんでした。季節が一つ、二つ過ぎたころ、ようやく両親に連れられて私は殿下に初めてお目にかかることになったのです。


王宮の奥、王家の私的な住まいがある場所で私はかなり硬くなって王子をお待ちしていました。その時、奥から聞こえてきたのは、王宮ではあり得ない悲鳴でした。

「きゃあっ!」

「いやあっ!!」

複数の女性の悲鳴。どうやら女中たちのようでした。

ガチャガチャと食器の倒れるような音。それに続いて聞こえてきたのが、パタパタという子供の走る足音と笑い声。そして奥から現れたのが、カイル殿下でした。


殿下の第一印象は、「なんて可愛らしい」でした。今ではその時の私の頭を叩いて、よく見ろ!と言ってやりたいですが、赤みの勝ったフワフワの髪に、子供らしいバラ色の頬、そして何より印象的な大きく見開いた青灰色の瞳。どれをとっても大変可愛らしく無垢に思えて、さすがに王子様と思ったのです。


そしてその花のように可愛らしいお口は…私を見るなりこう言いました。

「なに、こいつ」

その顔は一瞬で天使ではなく、冒頭の「くっそ生意気なガキ」へと変貌していたのです。


その時父が少しも慌てず私を紹介しました。

「殿下、先日お話しました私の息子、アーチボルトでございます。殿下のお相手としてお側に上がることになりました」

「いらない」

(はい?)

と、私は心の中で思いました。ご挨拶しようとした口を半ば開いたまま固まってしまいます。


「殿下、侍女達だけではお話相手もままなりませんでしょう。アーチボルトならお好きな剣のお相手もできますよ」

「ふーん」

あっけにとられている私の近くまで来ると、殿下は私の顔をじっと眺めてきます。そのお顔は一言でいえば何か企んでいる少年のものでした。

「おい、お前!カエルは好きか?」

初めてのご下問がこれとは…

「えっ!カエル…でございますか。特に好きではありませんが、苦手でもないです」

「じゃあ、ゲジは?」

「申し訳ございません。ゲジというものは存じ上げないのですが」

「これ!」

そう言って彼が私の手に乗せてきたものは、短い胴体に無数の長い脚が生えているとんでもないムカデでした。それはいきなり私の腕まで登ってきたのです。

「うわあっ!!」

初めて見たウヨウヨとうねる脚に、私はすっかり立場も忘れて叫ぶと、あわててそれを払いのけました。そいつはサササっと部屋の隅へ逃げ去って行きます。王子はそれを追うでもなく言い放ちました。


「伯爵、こいつ弱虫じゃん」

「は、申し訳ございません。ぜひとも殿下に鍛えていただければ幸いです」

「ふん、仕方ないな。じゃあ、俺の家来でいいね」

「はい、殿下」

いやもう、私の頭はほんの短い間にクラクラしてきました。私がお仕えするのはとんでもなく大変な王子様だと。


お目通りが済んで私は父と共に退出しました。長い廊下を歩く間、父に言いたいことがたくさんあったのですが、さすがに馬車に乗るまで我慢しました。そして馬車の扉が閉められて家に向かって走り出した時、初めて父に詰め寄りました。


「父上!何ですか、あの方は!私にあの方に…仕えろと?勘弁してください。とても王子とは思えない。あれではまるで下町の悪ガキのようではありませんか」

「言葉を慎め、アーチボルト」

「父上の御役目は理解しておりますが、私には荷が重いです」

父はため息をつくと、実は守役も我が家に決まるまで2回変わっているのだと言いました。帰宅後父は私を部屋に招き入れ、事情を説明してくれました。


「カイル様はお生まれになった直後から、ご両親に見捨てられているような状態なのだ。両陛下は残念ながらお子様方に関心がなく、特にカイル様は乳母や侍女たちに任せきりでお育ちになった。ほんのお小さいころはともかく、今はご自身がどのように扱われているか理解しておられる。ましてお年よりずっと賢くて敏感な方なのだ。あのような振る舞いも仕方のないことなのだよ」


驚きました。両親に見捨てられている…。関心を持ってもらえない。それは子供にとっては肉体的に痛めつけられるより以上に心を傷つけられることでした。王宮というこれ以上ない贅を尽くした場で、大勢の家来に囲まれながら誰も親身になってくれる人がいないなんて。


「私たちが守役となっても最初のころはまるで相手にされなくてね。お前の母が毎日王宮に通い、乳母たちとじっくり話しあって、殿下に少しでも心地よく過ごしていただこうと努力を重ね、ようやく私の話も聞いてくれるようになった。あれには頭が上がらない」

そう言えば、母を家の中で見ることは少なくなっていました。行き先が王宮だったとは…

「そうだったのですか、母上がそれほどまでに」

「お前のことも関心がないようなそぶりだったが、実は楽しみにされているのが私にもわかるようになってきてね。殿下は本当は素直で可愛らしい方なのだ。お前には苦労をかけるかもしれないが、きっと一生お仕えしてもいいと思われる方だ」

「父上がそうまでおっしゃられるのでしたら、私は喜んで殿下にお仕えします」

「頼んだぞ、アーチボルト」

この父の言葉に納得した私でしたが、ここでも今にして思えば「ちょっと待て」とその時の自分に言ってやりたくなります。


学園に通いながら合間に殿下のお相手を務める日々が始まりました。勉強や剣の練習のお相手と思っていたのですが、最初のうちは正直に言っていたずらの犠牲者でしかありませんでした。まあ、よくも考えつくものだと今も呆れるくらい色々とやられたものです。虫や爬虫類は当たり前、椅子の足に細工があったり、扉に糸が結びつけられていて…後はご想像ください。


ちなみに初めて王宮に伺った時、侍女たちに仕掛けたいたずらは瀟洒な菓子鉢にカエルを詰めてあったものだと、母に後で聞きました。


私も初めは遠慮があって何も言いませんでしたが、あまりにひどい時にははっきりと叱るようになりました。特に召使たちに粉と水をぶちまけた時には首根っこをつかまえて説教しました。

「カイル殿下、女性にこのようなことをするものではありません!若い女性があんな姿になってうれしいわけがないでしょう。特に彼女らはあなたの世話だけでも大変なのです。ありがたいと思いこそすれ、上に立つ者が余計な仕事を増やしてどうするのです!」

殿下はいきなり私の足を蹴ろうとしてきました。でも私も無駄に過ごしてきたわけではありません。さっと避けてみせると、悔しそうに唇をかんでいます。

「それほど力が余っているなら午後は剣術の稽古をいたしましょう。ちょうど騎士団長がいらっしゃるそうです。私と一緒に稽古をつけてもらいませんか」

「…わかった」


殿下は机に向かっているよりは、剣の練習のほうが好きなのです。その頃の騎士団長は引退の近い年配の方で、子供の相手も気軽にしてくださいました。殿下と私、二人を相手に軽々と稽古をつけます。

「ほらほら、殿下!右脇が隙だらけですよ、そこで引かない!アーチボルト、お前の足は棒か?もっと動け、動け」

いいようにあしらわれて、私たちは二人ともへたり込むのが常でした。団長が引退なさる時にはご挨拶に来てくださいました。私にも特に声をかけてくださったことを覚えています。まだ10代半ばだった私も大人として扱ってくださいました。

「アーチボルト、殿下は大変心の強い方だ。お前も大変だろうが、あの方にお仕えして悔いはないと思う。頑張りなさい」

「ありがとうございます」


しかし、殿下は難しい年頃になっていました。ご両親や兄上たちにお会いすることも滅多になく、貴族たちからも軽んじられて私の家族以外に特に親しい者もありません。小さいころのようにいたずらで鬱憤を発散することはなくなりましたが、その分暗く内向的になっていくのがわかりました。笑顔は見られなくなり、剣の稽古も荒れてきました。このままではいけないことは私にもわかります。私はまだ若く、手段も思いつきませんでしたが、両親はいっそ外の世界をお見せしたほうがいいと考えたようでした。密かに、時間をかけて侍従長や宰相に話を通し、町の私塾に学ばせようと決めたのです。


殿下は最初あまり乗り気ではなかったのですが、殿下の身分を知らない同じ年頃の少年たちは遠慮というものを知りません。教室で対等に扱われ、話しかけられ、喧嘩もしているうちに、ゆっくりと変わっていきました。特に塾長であるバルト先生には徐々に心を開き信頼していくようでした。むやみに荒れることがなくなり、とても落ち着いてきたのです。塾では何も構えることなく、自然に過ごしているようでした。無口でぶっきらぼうであることに変わりはありませんが、私にもこうおっしゃいました。

「アーチボルト…アーチ―」

「はい、殿下。何か御用でしょうか」

「うん…その話し方もやめろ。殿下とも呼びかけるな。カイルでいい」

驚きましたが、人前では以前のとおりにするということで決着しました。大変うれしい出来事でした。


両親は1年ほど通えばと思っていたようですが、それを過ぎても殿下は私塾に通い続けました。そして…その私塾で殿下は会ったのです。リュシェンヌ・リード侯爵令嬢に。




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