第51話 栄光 その5
即位式と結婚式がいよいよ明日に迫った日、リュシェンヌはカイルに半日だけ自由にさせてほしいと願い出た。このために一所懸命準備をこなしてきたのだ。
「構わないが、どこかへ行くのか」
リュシェンヌは彼女の計画を話す。カイルの顔が楽し気に笑い、許可をくれた。ただし、護衛をしっかりとつけるようにとの条件で。
リュシェンヌは目立たない馬車に乗って城を出た。数人の兵士が騎馬で従うが、馬車に一緒に乗るのは王宮の女官の格好をしたノアだ。リュシェンヌは王妃候補となって護衛が必要になった時、大変親切にしてくれたノアを思い出し、彼女を城に呼び出してもらった。そして自身で護衛になってくれないかと依頼したのだ。ノアは平民なので城での仕事に気後れがあるようだったが、リュシェンヌの心からの願いにこたえてくれた。他にも数人信頼できる女兵士を紹介して一緒に護衛にあたっている。普段彼女らは目立たないように女官の格好でリュシェンヌに付き従う。外出の際もこうして同行する。
しかしリュシェンヌにはノア達に護衛の他にこっそり頼みたいことがあったのだ。それは短剣と体術の訓練だった。我流のようになっているそれらをもう一度兵士である彼女らにしっかりと鍛えなおしてもらおうと企んでいた。
「カイルにも内緒にしてちょうだい。私はあなた達に守られるだけではいたたまれないのよ」
「リュシェンヌ様、しかしですね」
「お願い!少し型を見てもらうだけでいいから少しだけ時間をちょうだい」
こんな突拍子もないことを言う王妃はいないだろうが、言い出したら引き下がらないリュシェンヌの性格はすぐにノア達にもわかってしまった。仕方なくノア達はこっそり私室でリュシェンヌに練習させるが、しばらくするとこれ以上必要ないと言い出した。
「リュシェンヌ様にこれ以上強くなられたら、私たちの仕事がなくなってしまいます」
「わかったわ」
リュシェンヌは大変不服そうだったが、ノア達はやれやれとほっとした気分だった。
彼女らを乗せた馬車は懐かしい町並みのほうに向かって走る。途中あの私塾の近くを通った時、リュシェンヌは少しでもあの家が見えないかと目をこらしたが、火事の後に建てられた家々の影になって見つからなかった。もうしばらく走ったのち馬車を止め、リュシェンヌはノアと共に降り立った。護衛の兵士たちは少し離れた所から見守っている。リュシェンヌはノアを一軒のパン屋に向かわせた。広い窓から中で働いている人影が見える。ノアが中に入り、一人の若い女性を伴って出てきた。彼女のお腹は大きく、出産が近いことがよくわかった。不思議そうな顔でノアの後をついて近づいてくるその女性が、リュシェンヌに気づいた。誰だろうというような顔をしている彼女に、リュシェンヌが手を差し伸べてその名を呼ぶ。
「ローザ!」
ローザが驚きと喜びの声を上げて駆け寄ってきた。
「アンナ!まあ、本当にアンナだわ!」
二人はしっかりと抱き合う。何年ぶりか、でもそんな空白はなかったかのようだ。
「ローザ、お母さんになるのね。おめでとう」
「ありがとう、アンナ。あなた…本当に綺麗になって…」
ローザはリュシェンヌの体を少し離すとその姿を見つめてこう言った。
「やっぱり、あなたは良い所のお嬢様だったのね。でもよく訪ねてきてくれたわ。嬉しくて今夜は眠れないかも」
ローザはリュシェンヌを店の裏手にある木の椅子に誘った。一緒に座って手を握り合い、お互いに笑いあい、涙を流して語り合った。ローザの弟ジーンは亡くなったのだという。
「ほら、町の放火が続いたころよ。ジーンの具合が急に悪くなったのだけれど、いつも診てもらっていたお医者様の家が燃えてしまってすぐに来てもらえなかったの。ジーンはやさしかったでしょう?私たちを心配させないように苦しくないよって最後まで笑って…でも間に合わなかったの」
「そうだったの、あの小さなジーンが…」
リュシェンヌはローザの後ろから恥ずかしそうにこちらを見ていたジーンのことを思い出し、涙を堪えられなかった。
「ありがとう、アンナ。ジーンのために…あのね、あの子はよくあなたのことを話していたのよ。お友達になってもらったって。本当にうれしそうに」
リュシェンヌはうん、うんと頷く。
「私…もっと早くジーンに会いに来ればよかった…」
ローザがリュシェンヌの頭を抱えて背中をなでてくれる。
「アンナ、泣かないで。ジーンは神様に愛されていたからきっと泣いてほしくないと思っているわ。この子が生まれてきて男の子だったら、ジーンと名付けようと思っているの」
リュシェンヌは大きくなったローザのお腹にそっと手をおいて、ジーンが元気な赤ん坊に生まれ変わってくれることを祈った。
「ねえ、ローザ。あなたの旦那様はどんな人なの?一緒にパン屋さんをしてくれているのかしら」
「ええ、彼は隣町の布地問屋の息子だったのよ。でも私と結婚してパン屋さんをやると言ってくれたの。実家の店は弟に継いでもらって自分は私の父からパン作りを習って…最近ようやく店に並べられるパンができるようになったの」
「やさしい旦那様なのね。本当に良かったわ」
「ねえ、アンナ、先生とあの頃の男の子たちのことは知ってる?マリとは今も手紙のやり取りはしているのだけれど、皆のことは火事や紛争があってわからなくなってしまって」
リュシェンヌは一瞬言葉につまったが、正直に伝えることにした。
「ハンスは…残念だけれど兵士として戦争で亡くなったそうよ。でもトマスはね、腕のいい木工職人になったの。私、彼の作品を見たから知っているわ。美しい…本当に繊細で美しい作品だったわ。彼が無事だったことがうれしかった」
「そうなの、良かった…本当に良かったわね」
バルトとルキのことはやはり言えなかった。
リュシェンヌはローザの顔をじっと見つめる。ローザが何か言いたいことがあるのかと首を傾げている。
「あのね、ローザ。私とフェリクスの秘密を教えるわ。でもこれは旦那様にも内緒よ。知っていていいのはローザとこのお腹の中の赤ちゃんだけ。誰にも言わないと約束できる?」
ローザはあの頃に帰ったようにクスクス笑いだして、絶対に守ると約束する。
「フェリクスと私の名前は…」
静かに耳元で語られたその名前に、ローザは最初何の意味も見いだせないようだった。しかしその事に気づくと、驚いて叫びそうになる自分の口を慌てて押さえ、しばらくそのまま固まっていた。それからリュシェンヌをしっかりと抱きしめて「おめでとう」と言ってくれた。
何度も手を振りあい、抱きあってローザと別れた。ローザは店のパンをたくさん持たせてくれたので馬車の中で食べ始める。懐かしい味にまた新たな涙がこぼれてしまう。ノアにも勧めると呆れたようにそれはお土産に持って帰った方がいいでしょうと言われた。




