第46話 勝利 その6
その日遅くなってからアーチボルトが今までとは色合いの違う立派な封書を何通も持ってやってきた。カイルが不審に思って見上げると、
「あまりにたくさん来るから取りまとめて持ってきた。お前に縁談だ」
「は?」
アーチボルトは、これだからおまえは!とでも言いたげに話し出す。
「だから、これは全部お前宛に来た結婚の申し込みだよ。外交だから適当にやれと言っただろうが。各国での晩餐会でお前は王女さまから高位の貴族令嬢まで、全ての未婚女性を魅了しちまったの!無自覚な奴はどうしようもないね」
アーチボルトは音をたててそれらを机の上に放り出す。カイルは呆れて声も出せなかった。
「自分の立場わかっているか?戴冠式はまだ先だが、お前は大国ガイヤードの国王だ。しかも独身で婚約者もいないときている。未婚の王女や貴族令嬢にとってこれほど最高の嫁ぎ先があるか考えてみろ。今までガイヤードは外国から王妃を選ぶことが多かったから、どの国も他国に負けたくないだろうしな」
すでに諸国の意向を受けた貴族たちが各々推薦する令嬢たちのために動き出しているとも言った。
「…」
「カイル、きちんと自分の気持ちに向き合え」
カイルは封書に手も出さずにしばらく眺めていたが、低い声で言った。
「アーチ―、これは全部丁重にお断りしてくれ」
アーチボルトは封書を集めて、黙って部屋を出ようとする。その背中に向かってカイルは小さな声で
「ありがとう」
と言った。
リュシェンヌは首都に帰ってきてすぐに仕事を始めたが、その帰りを知った両親がとにかく無事な顔を見せるようにと強く言ってきたため、一度実家に帰ったことがあった。両親とも彼女の顔を見て安心したようだったが、左手の傷を見た母に泣かれてしまった。父もさすがに心配になったのだろう。すぐにでも仕事を辞めなさい、家に帰るのが嫌ならば院に戻って勉強を続けるのもいいのではないかと説得が続いている。リュシェンヌは自室の寝台に寝転んでいる。リュシェンヌにとって父の心配はわかるし、申し訳なかったと思うが今さら裏切られたような気がしてならない。今回のことは異例中の異例だ。文官として働く分には危険なことなど何もないのに。と、そこまで考えて彼女は自分の将来について改めて覚悟を突きつけられたように思う。
彼女はずっと考えていた。カイルへの自分の気持ちがどのようなものなのか。
様々な問題が片付きつつあり、世間が落ち着いてきて各国との関係も徐々に改善されていく中、2か月後にはカイルの戴冠式が予定されている。あれほどの危難の最中であったこともあり立太子礼も行われていないが、カイルはずっと実質的な王太子として、また王としてすべての采配を振るってきた。『魔』を封じて以後は特に、国内ではカイルが王となることは当然と思われ、貴族たちの間にも反対意見はない。まして国民は全員がそれを熱望していると言っても過言ではない。戴冠式に向けて全土をあげて祝いの準備に余念がないと言った様子だった。
リュシェンヌはそこでアーチボルトの手元に集まっていた封書を思い出してしまった。アーチボルトはリュシェンヌにそれらを見せまいとしているようだったが、あまりの数に見たくなくても目に入ってしまったのだ。仕方ないと思う。特に顔を合わせて話し合いを進めてきた諸国の王族や貴族たちにとって、カイルは娘を嫁がせる候補としてこれ以上ない人物である。大陸一の大国の次期国王、『魔』を封じた若き英雄、抜群の容姿のうえ独身で婚約者もいない。各国の年頃の王女たち自身が憧れる存在となり、複数の縁談が持ち込まれているというのが侍従たちの噂だった。国王の娘、また年頃の娘がいなければ姪や貴族の娘を養女としてといった具合に。マクラレン男爵の話では他の大陸からさえも打診があるらしい。
前国王夫妻が不仲であったため、亡くなった王太子の配偶者は国内から選ぶという選択肢もあったのは事実だが、将来のことを考えれば外国から王妃を迎えるのが国のため、新王のためというのは分かり切ったことだ。
そこまで考えてリュシェンヌは自嘲気味に笑ってしまった。カイル本人の気持ちもわからないのに、何を勝手に先走っているのか。あの禁域で一度だけ口づけを受けたのは事実だが、それ以降カイルとは仕事の話しかしていない。彼がリュシェンヌを見る瞳には何の感情も表さず淡々と日々の業務をこなしていく。あの時は思いがけずルキに出会い、しかも『魔』に対峙しなければならない不安と絶望の淵に立たされていたカイルの気の迷いから、思わず取ってしまった行動を彼は悔いているのかもしれない。自分が揺り動かされているからといって、思い上がりもいいところだ。
これ以上秘書として常に傍らにいるのはおそらく耐えられない。でもあの禁域でカイルのとてつもない孤独に気づいた以上、何らかの形で彼を支えたいというのは本心からのことだった。家に戻って、普通の貴族令嬢としていずれかの家に嫁ぐなど平凡な人生を送れるとは到底思えない。やはり当初の目的通り文官を目指して、その立場でカイルと将来の王妃、そしてこの国を支えるのが私のできることだと決意する。それが自分なりの愛情の表し方で、自分には似合っていると思った。リュシェンヌは仕事に戻ると、秘書を辞めることを文官長に申し出た。




