第44話 勝利 その4
アーチボルトが緊張したその場の空気を和らげるように明るく声をあげる。
「そうそう、お伝えしたいことがもう一つありました。実はアガーラの王子殿下が8歳になられた暁には我が国の学園に留学していただくという方向であちらと話を進めております。学園では現在考えうる最高の教育を行うことができると自負しておりますから、見分を広めご友人を作る良い経験ができればと思っております。確かこちらの国王陛下にも同じ年頃の王子殿下がいらっしゃると伺いましたが、ご一緒にいかがでしょう。良いご友人になられると思います」
国王の第二王子は今6歳。確かに同じ年頃ではある。しかしこれは人質のようなものではないのか。皆の頭に一瞬浮かんだ懸念はカイルの言葉によって打ち消された。
「陛下、私は子供の頃町の私塾に学んだことがあります。そこで何物にも代えがたい経験をし、終生変わらぬ友情を育むことができました。年若い王子たちにはぜひあのような経験をしていただきたい。そして国々の懸け橋となってほしいのです」
「カイル王子…」
ガイヤードと西ヴストラントは数々の条約と協定を結び、今後のことは改めて話し合うということで決着した。カイルたちが発つ前に、国王はぜひとも家族に会ってほしいと懇願し、晩餐会を催すと申し出た。カイルはそのような場があまり好きではないのだが、アーチボルトに説教される羽目になる。
「アーチ―、これからまだ行くところがたくさんあるのに、なんでこんなのに付き合わなくてはならないのだ」
「それもこれも外交だよ。一度付き合っておけばそれで済むのだからあきらめろ。一日も早く国に帰りたいのはわかるけどね。国王には簡素なものにしてほしいとお願いしてあるから」
「ふん、あの国王は少し見栄っ張りな感じがするからな。派手にしてきたらすぐに退場してやる」
「おーい、心の声が正直すぎるぞ」
カイルはしぶしぶ出席したが、晩餐会では見事に外交に徹してボロは出さなかった。それどころか大国の王子として正装した彼の姿に、王女を始めとする若い令嬢たちがどれほど心を奪われたことか。アーチボルトにだけわかる、貼り付けたような笑みを浮かべてカイルは令嬢たちをダンスに誘い、彼女らを虜にしてしまった。アーチボルトはこれから始まるであろう騒動に悪い予感しかなかった。
晩餐会が終わるとカイルは引きとめる西ヴストラント側にはっきりと断りを入れて北へ向かった。母である王妃の生まれ故郷ドアネフを訪ね、西ヴストラントを牽制してくれたことへの礼を言うのが目的だった。それがわかった西ヴストラント側も悪あがきはできず、ようやく出発することができたのだ。
初めて会う叔父アドラス王は母に似て繊細な外見の持ち主で、王太子の死に対して悔やみを述べると、甥であるカイルを誇りに思うと言ってくれた。二人きりでゆっくり話し合いたいからと人払いをして手ずから酒の用意をしてくれる。
「叔父上、ご協力に感謝いたします。叔父上が国境付近の警備を厳しくし、ネアーフランドや東ヴストラントに親書を送ってくださったおかげで、西も全ての力をこちらに向けることはできませんでした。母からも改めて手紙を送らせていただきます」
「そなたも若いのに大変な苦労だったね。私は子供のころ体が弱くてね。姉上には大変心配をさせてしまった。ガイヤードに嫁ぐことは随分早く決まっていたのだが、あのころの我が国は色々とあってね…」
叔父はしばらく口籠っていたが、意を決したように母と自分の昔話を始めた。
「そなたには聞き苦しい話になるが、姉上のことを少しでもわかってほしいから恥を忍んで話そう。実は我々の父王には正妃以外に女性の影が絶えなかったのだ」
カイルは王家の明け透けな話に相槌も打てず黙って聞くしかなかった。
「姉上と私は正妃の子だが、腹違いの兄弟や妹たちがいる。先ほども言ったとおり体の弱い私より、王妃と離婚して愛妾を正妃になおし、その子供を次の王にしたらいいなどと言う輩がいてね。ガイヤードの影響力が必要だったのだ、特に国を継ぐ私の後ろ盾として。自分の非力が情けなく、会えなくなる寂しさもあって姉上には人質になるような結婚はやめてほしいなどと言ってしまったのを今でも後悔しているのだよ。今回のことはほんの罪滅ぼしだ」
王は弱々しく微笑んでカイルの顔をじっと見つめる。
「カイル、姉上が夫である王の愛人を追い払ったことはわかっている。しかし今言ったような事情があるのだ。きっと姉上には自分の父と夫の姿が重なって許せなかったのだろう。許せとは言わないが、理解してやってほしい」
「叔父上…お話しいただいたこと感謝いたします」
「ありがとう、カイル…これだけは言いたかったことなので、そなたが来てくれて本当によかった」
アドラス王は涙ぐんでいたが、しばらくすると、ふっと声を潜めて話し出した。
「そなたは姉上によく似ている。我が国の重臣たちにも紹介したいから、ぜひとも機会を設けさせてくれ。それとも泣かされるご令嬢の数を増やすだけになってしまうかもしれんな」
カイルは穏やかな笑顔を見せながら、心の中でこの叔父を力いっぱい罵っていた。
そして更にカイルはネアーフラントに向かう。彼はこの機会に全ての国を回って外交に力を入れるつもりだった。各国とガイヤードとの関係を改善し、将来の協力をお互い約束する。ガイヤードがこれ以上力を持つことに警戒心を抱く国はもちろんあるし、今は協力体制にあっても何かあれば覆る状況に変わりはないが、それでもカイルはこの話し合いが無駄とは思わない。顔を見て話し合うことでただ書面だけの付き合いよりは関係が深まるというものだからだ。彼が国王となるのは覆らないだろうから、即位後は簡単に他国を訪れることはかなわない。ならば自由のきく今こそがその機会であり、それを逃すつもりは毛頭なかった。
ネアーフランドとその次に最後に訪れた東ヴストラントでも歓迎を受け、新たな条約を結び、思ったより日数が経ってしまった。東ヴストラントを発つ前夜、カイルは寝室でぐったりとうつ伏せに横たわり、アーチボルトに文句を言っていた。
「疲れた…もう二度とこんなことは願い下げだ」
「どこでも大歓迎で晩餐会は必須だったからね。さすがにお疲れ。でも明日はいよいよハマーショルドに向かって出発だ。ああ、みんなに会うのが待ち遠しいな」
カイルはその言葉にピクッと動くと起き上がって低い声で尋ねる。
「誰に会うのが楽しみだって?」
「え?だからみんなだよ。戦場で別れてそれきりだし、城に残った連中とはもう何か月も会っていないじゃないか」
「…」
黙ってしまったカイルに少し意地悪をしたくなってしまう。
「それとも君は誰か特別に会いたい人がいるのかな」
それを聞いてカイルはますます不機嫌になり、ボスっと音を立てて寝台に倒れこむと
「うるさい!寝るから出ていけ」
と顔も見せずに声を上げる。アーチボルトはクスクスと笑い声を残して静かに出て行った。




