第43話 勝利 その3
勝利の一報が入り、城と街中がさらに明るく沸き立つ。その知らせは教会にも知らされ、床についていたルースも少し元気を取り戻したようだった。教会ではこの国を救った神への感謝が捧げられ、国中がカイルを英雄として、そして当然のように次の国王として讃えている。しかしカイルは戻ってこなかった。リュシェンヌ達は次々に送られてくる国境からの指示に追い立てられ必死で仕事を続けていた。
カイルは敗戦の将である西ヴストラントの将軍を通じて国王に会うことを強く要求した。この戦闘は西ヴストラントの側から仕掛けたもので、しかも大変卑怯極まりないやり方だったので、国王には弁解の余地もなかった。
アガーラの王弟とバドの長が結びついて古のバドの力を復活させ、今ガイヤードの領地となっている『魔』の禁域をアガーラのものにしようとした。しかしアガーラにはガイヤードに対抗しうるほどの兵力はない。そのためにガイヤードの国力を削ぎ混乱を招こうと、王太子の暗殺や放火など内部からの崩壊を狙って動き始めたのだ。少しずつ『魔』の力を利用して人の心にある闇を操り、蝕んでいこうとした。その動きを「偶然」知らされた西ヴストラントの国王が「ほんの少し」領土を南に広げられないかと欲を出した。西ヴストラントは内陸国であり、大陸で唯一海に面していない。港を求める欲は代々の国王にくすぶっていた。彼もまた心の闇を大きくしていたのだろう。
カイルは国軍の一部を率いて西ヴストラントの王都に赴き国王に面会する。国境での戦闘は圧倒的にガイヤードの勝利で終わったので、カイルが命じればガイヤードの軍は国境を越えて西ヴストラントの領地を征服することも容易にできたのだ。しかしカイルは国境線で軍を止めさせるとそれ以上の進軍は厳しく禁じた。この戦闘は侵略が目的ではなく、元通りにすることが目的だと言って。西側の武装は解除され、将校たちは捕えられたが、ガイヤード側は決して軍装を解くことはせず威圧するにとどめた。西ヴストラントの国王は二重、三重にガイヤードへの借りがあることになる。
城の謁見の間に向かう西ヴストラントの国王ミゼルヴァの足取りは重かった。どうしてこんなことになったのか。これほどの屈辱は味わったことがない。一部の重臣たちの反対を押し切って軽い気持ちで兵を動かしたことへの後悔もあり、自分は国王で相手はまだ王太子でもない一人の若い王子であるという、すがるような矜持があり、しかしながらその若者に負けたのだという敗北感も足を重くする。だが重臣たちへの言い訳も通じず先に部屋に入り、彼らと共にカイルが訪れるのを待っていた。皆一様に押し黙り、裁かれるために立ち尽くす罪人のような面持ちで入り口の扉を見つめる。訪れを告げる侍従長の声が少し震えを伴って聞こえ、その声が消える前に足早にこちらへ向かう力強い足音が聞こえてきた。
大きく開かれた入り口にカイルが護衛の兵士たちと共にその姿を現した時、ミゼルヴァ王と重臣たちはその若さとそれにそぐわない力強い瞳に圧倒されてしまった。前線からの報告で、この若者は自分一人の力で『魔』を封じた英雄とも言うべき存在であるとは知っていたが、その若さを侮っていたことに今さらながら気づかされる。女性とも見紛う美しい顔立ちなのに、ただ立っているだけでこれほどの存在感を示し畏怖さえ感じさせるこの青年は一体何者なのか。カイルは軍装のままだった。周りを取り囲む兵士たちも油断なくこちらを警戒している。ミゼルヴァ王はようやく手を伸ばして声をかける。
「カイル王子、よく来てくださった」
上ずったようなその声に対し、カイルが大変落ち着いた声で挨拶をした。
「西ヴストラントの国王陛下にご挨拶申し上げます。ガイヤード王国第三王子、カイル・ガイヤードにございます」
カイルは年長者に対してのきちんとした礼をとったが、決してへりくだったものではなかった。
「陛下、このような場を設けていただき大変感謝しております。我々の間に起きたいくつかの問題について忌憚なく話し合うためにこうして伺いました。陛下からもぜひお話を伺いたいと存じます」
「カイル王子、いや…本来ならばこちらから伺うところであるのに、そのお言葉大変ありがたく、また申し訳なく思っております」
ミゼルヴァ王は自分でも不思議なことに謝罪の言葉を口にしていた。この若者の前では取り繕うことが無駄に思える。重臣たちも自然とその場で頭を下げている。王はこの時初めて負けたのだと認めざるを得なかった。この青年は自分の国が受けた仕打ちは忘れない、しかしこちらのかすかに残った自負心を認めて将来に託そうとしている。国王は一度頷くと一行を会議室へと案内した。
カイルはアーチボルトや他の随身たちと共に西ヴストラントの国王、重臣たちと具体的な戦後処理について話し合った。ガイヤードへの賠償金の額は覚悟していた以上のものではなかったが、国王が驚かされたのはアガーラへの援助と禁域の取り扱いに助力を求められたことだった。
「ご存じのとおり、アガーラの次期国王ともみなされていた王弟殿下が亡くなられ、今あの国は大変不安定になっております。お体の弱い国王陛下をお助けするため、ガイヤードからはできるだけ政治について助言していこうと思っておりますが、アガーラと古くから交渉のある西ヴストラントの皆さまにも手助けをお願いしたい」
「それは…よろしいのでしょうか。我々が…ご一緒しても」
国王の隣にいた宰相が言いよどむ。
アーチボルトがカイルに代わって答える。
「アガーラの治安を守るため我が国の軍隊が駐留することで、他の国にいらざる警戒心を抱かせたくはございません。こちらと合同であればガイヤード一国がアガーラを属国とするつもりではないと保証していただけましょう。無駄な猜疑心を起こされずにすみますから」
宰相は国王に確かめたうえでこう答えた。
「確かに承りました。こちらも手配を急ぎましょう。それから禁域の扱いと言うのはどのようなことでしょうか」
「今回は何とかなりましたが、いつかまた禁域を破り『魔』を利用しようとする者が現れるかもしれません。アガーラとも話し合い、今ある禁域をもう少し広げその警戒を続けていくつもりです。アガーラ側にある禁域の守備をお手伝いいただきたい」
それを聞いた国王は驚いて思わずカイルに尋ねてしまった。
「よいのか、我々を禁域に近づけることになるが。我々があれを利用するとは思わないのか」
それまで取り澄ましていたカイルの顔に初めて不敵な笑みが浮かぶ。
「何度でも封じてやる」
その言葉で西ヴストラントの者たちはカイルの背後にある円卓とその上に横たえられた剣に吸い寄せられるように視線を向けた。会議室に入る際、西ヴストラント側もガイヤード側も全員武器の携行はもちろん認められず、全てが外にいる侍従たちに預けられることになっている。しかしカイル自身が己の剣だけは他人に触れられることを拒んだのだ。ガイヤードの言い伝えはあまりにも有名なので、他国の者たちも当然知っている。だからこそ特例として室内にこうして置くことになった。国の危難の際、それを救える王だけが持つことを許される剣。そしてその王がここにいることを改めて思い知らされた。




