第42話 勝利 その2
次の朝早く、一行はダンケルに向け南下した。数日ほとんど休みなく走ってようやく夕暮れ時に港に着き、マクラレン男爵と久しぶりに会うことができた。男爵はリュシェンヌの顔を見て珍しく心底安堵したような表情を見せた。すぐにカイルが『魔』を封じたこと、今は軍と合流して西ヴストラントとの国境付近にいることを伝えると、男爵は大きく目を見開き大声で笑い出す。
「俺の目に狂いはなかったぞ!どうだ、野郎ども!」
船員たちも実に嬉しそうに笑っている。どこまでも明るい笑い声にリュシェンヌは救われるような思いだった。
「さあ、姫君!あなたのための船だ。乗ってやってくれ」
男爵が大声で叫び、船乗りたちが雄叫びをあげる。その賑やかな声に押され、リュシェンヌはノア達と共に船に乗り込んだ。
帰りの船旅は順調で、男爵は何度もリュシェンヌの話を聞きたがった。リュシェンヌも繰り返しカイルが『魔』を封じるまでのことを話したが、どうしてもルキのことは話せなかった。それに実際『魔』を封じた瞬間のことはカイルしか知らないのだ。男爵も何かあると察したようだが、強いて聞いてくることはなかった。
ハマーショルドの港が近づき、リュシェンヌは胸がいっぱいになる。ここを離れたのはほんの少し前のことだったのに、もう何年も離れていたような懐かしさに目頭が熱くなる。しかしまだカイルたちは戦っているのだ。のんびり休んでいる暇はない。私はここでできることをしなければならない。下船する際男爵に礼を言うと、彼はちょっと真顔になってリュシェンヌの手を取った。リュシェンヌが戸惑っていると、彼はその手に軽く口づけを落としながらいつもの明るい口調でこう言った。
「リュシェンヌ嬢、あなたが呼ぶときには私はいつでも駆けつけよう。忘れないでくれ」
「ありがとう、男爵」
船員たちにも大きく手を振ってリュシェンヌは港に降り立った。
王宮に到着するとリュシェンヌは護衛としてついてきてくれたノア達に厚く礼を言った。彼らは一緒にいられたのが光栄でしたと笑顔で答え、できるだけ早く戦場に戻りたいとすぐに別れていった。この後上官に報告し、補給部隊と共に国境へと向かうのだと言う。おそらくリュシェンヌのために国の行く末を左右する戦いに加われなかったことを残念に思っているのだろうが、おくびにも出さずに去って行く。短い間だったが、まるで姉のように世話をしてくれたノアには本当に感謝しかなかった。
リュシェンヌは城に戻るとすぐ兄を呼び出してもらった。兄サハドは文字通り駆けつけてくると、リュシェンヌの無事な姿を見るなりいきなり抱きしめてきた。兄にそのようなことをされたのは小さな子供の頃以来だったので、恥ずかしく戸惑ってしまうが、それだけ心配されていたのだと思いおとなしく抱かれたままでいた。ようやくサハドはリュシェンヌから離れると椅子を勧めて目が赤くなっているのをごまかすように尋ねてきた。
「殿下は?ご無事なのだな?」
「はい、私がお別れしたのはアガーラと西ヴストラントとの国境付近です。アルフォンス兄さまと合流されましたので、すぐに前線に向かわれたはずです」
「それでは…」
「兄さま、殿下は『魔』を封じたとおっしゃいました。私たちも禁域の最奥からその瞬間のものと思われる閃光を確かめております」
「そうか!やはりそうか」
「やはり、とは?」
兄は少し周りを見回すようにした。人払いがしてあるので小さな部屋には兄と二人きりなのだが、戸口は開いているので小声で話し出す。
「実は「目」からの報告で、アガーラの王宮で何事か起こったらしいと知らせてきた。どうやら王弟に何か変事が起きたらしく、かなり混乱しているようだ。『魔』を封じた影響が現れたのだとすれば納得できる。もうしばらくしたら詳しいこともわかるだろうが、アガーラ王は病弱で王子はまだほんの子供。今あちらが崩れてはガイヤードにもいいことはない。西に知られて増長されても困る」
「はい、私もそれを心配しておりました。殿下と国軍を支えるために他国へも強く訴えるべきです。王妃様がおっしゃったとおり、ドアネフ王家のお力添えを再度お願いすることと、それから…」
サハドがそれを聞いて笑い出すので、リュシェンヌが不思議そうな顔をすると
「まったく!お前もリード家の人間だな。どんな時も自分のやるべきことを忘れない」
「兄さまたちの教育の賜物ですわ」
二人は笑いながらそれぞれの持ち場に帰って行った。カイルの無事と『魔』を封じたことが知らされると城中が明るく沸き立ち、一層の力が湧いてきたのが誰の目にも明らかだった。
それは戦いの最中にある国軍も同じ、いやそれ以上だったかもしれない。何よりカイルの腕はお飾りではないのだ。兵士たちと共に戦い、彼らを鼓舞する。先頭に立つその姿は恐ろしく同時に美しい軍神そのものに見えた。その影響は全軍にいきわたって、彼らは常の何倍もの力を得たように感じ、奮戦した。反対に西ヴストラントの兵にとってこれほど恐怖を感じることはなかったろう。じりじりと攻め込まれていた国境沿いの地域で、ガイヤードの軍は北へと敵を追い払うべく力強く前進していった。最後の激しい戦闘が終わった時、ガイヤードの領地に無事で立っている敵の姿は一人たりとも見えなかった。
兵士たちが勝利を叫び、興奮してカイルの名を讃えているが、カイルはその中に無言で北を向いて立つ。戦いの中カイルの側を離れなかったアルフォンスは、皆が勝利に沸き立つ場であまりに鋭いカイルの瞳に気づき愕然としたのだった。




