第37話 禁域 その6
アグラからの連絡を待つ間,カイルたちは男爵とここより北にある港に行く方法を模索していた。男爵が現況を説明する。
「西ヴストラントの侵攻は思ったよりも進んでいる。密かに準備していたということだな。だが、もともと西側は宣戦布告もなしに不可侵条約を破って攻め込んできたから弱みもある。すぐに援軍も到着するからそちらは任せておけるだろう。それよりやはり問題は『魔』とバドの奴らだな。これは国軍では対応できない」
「北の港近くの様子はわかったか」
「うちの船員にあちらの出身者がいる。そいつに案内させよう。潮の弱まる時間なら小舟で上陸できる。できれば上陸してからの情報がほしいところだが、まだ連絡はないのか?」
男爵はバルトのことは知らないが、町に協力者がいるとは伝えてあった。
「あまりこちらから接触したくはないのだが、今日一日待って何もなければ明日行ってみよう」
その晩遅く、アグラの店で働く若い者が密かに船を訪ねて、急いで来るようにと伝えてきた。
カイルとアーチボルトがすぐに向かうと、青ざめたアグラが出迎えた。
「しっ!…早くこちらへ」
戸をほんの少しだけ開いて二人を中に入れる。家の中は灯りもほとんどついていないが、二人は血の匂いに気づいた。アグラが二人を案内したのは、書斎の奥に造られた隠し部屋だった。そこに横たわっていた人物を見てカイルが駆け寄る。
「先生!お怪我を?」
その声に彼はゆっくりと目を開いた。
「ああ…フェリクス…いや、カイル殿下…」
「フェリクスと呼んでください。先生…何があったのです?」
バルトはたいそう苦しそうではあったが、アグラに助け起こされて話を始めた。
「すまない、もう少し詳しく知りたくて深入りした。何とか追手は振り切ったのでここは大丈夫だと思うが…。フェリクス、バドについて知りえたことを話す。今アガーラの王弟の側には常に呪師と呼ばれる中年の男がいる。これがバドの長だ。奴は『魔』の力を利用しているつもりかもしれんが、逆に自分の闇を濃くしているだけだ。『魔』を封じることができれば自滅するだろう。そうすれば操られていた人間も暗示が解ける」
バルトの息が浅く、傷の痛みに声が途切れる。バルトはしっかりと握っていた小さな紙を震える手でカイルに渡してきた。
「大丈夫だ…これを…『魔』は今、バドの長が近づいて己の闇を捧げたため、力を強めているが消すことはできん。剣をもって封じる、それが唯一の手段…お前に…なら…できる。バドの生き残りは少ない…が…一人…気をつけろ」
声がかすれ、ついに話せなくなる。
「先生!しっかりしてください。アンナにも会わなければ!」
カイルが耳元で叫んだが、ついに返事はなかった。
カイルは離れがたい思いだったが、アグラとアーチボルトに促されて立ち上がる。アグラが涙をこらえて二人を送り出した。
「この方のご遺体は明日我が家の墓地に手厚く葬ります。その後私は残った雇人たちと共に妻たちの待つ南の町に向かいますから、どうぞご心配なく。この方の死を無駄になさいますな。すぐにも北へ」
「頼む」
カイルは言葉少なに別れを言うと、闇に紛れて船に戻った。船ではリュシェンヌが起きて待っていた。
「カイル、何があったの?」
「…先生が…亡くなった。おそらくバドの生き残りにやられたのだと思う」
リュシェンヌは衝撃を受けて口を覆う。言葉が出ずに涙だけが流れる。再会できると思っていたのに、信じられない気持ちでいっぱいだった。自室に駆け戻り朝まで出て来なかった。
カイルがバルトから渡されたのはかなり正確な禁域の中の地図だった。これを調べていて怪しまれたと思われる。カイルもまた朝まで一人じっと考えていた。




