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第36話 禁域 その5

 船は陸路を行くよりずっと早くガイヤード西北の港町ダンケルに到着した。ここはかなり大きな港町で、アガーラから運ばれた天然資源がここからさらに船で他の町に運ばれたり、陸路をたどって内陸に届けられたりする分岐点でもある。首都ほどではないが、商業や工業が発達し豊かな街でもある。男爵の船もここで食料や水を積み込み、国境の戦いの情報も聞きこんでくるようにまかせてあった。ここから国境まではまだ離れているが、戦いのあることは当然知られている。北の国境付近から避難してくる者も多く、町は警備を強化して緊張に包まれていた。


 サハドから教えられたバルトの協力者というのは、アグラというこの町の有力な商人の一人だった。護衛の兵士たちは近くで目立たぬよう待機させ、カイルとリュシェンヌそしてアーチボルトのみが密かにアグラのもとを訪ねる。アグラはよく太って、いかにもやり手の商人という抜け目のない雰囲気を漂わせている人物だった。彼はカイルたちを私邸に招き入れて自ら茶の支度をした。


「国境での戦闘のおかげでアガーラからの荷が全く入って来なくなりましたから、商売はあがったりですよ。店もしばらく閉めるつもりです。妻子や雇人たちはもう少し南に避難させます」

「彼から連絡はあったか?」

カイルはバルトの名を出さずに尋ねた。アグラが静かに顔つきを変えてゆっくりと首を振る。

「あの方からはまだ何も。戦闘のせいで動けないでいるのかもしれません。この月の内には戻ると聞いていたのですが。私の聞いている範囲でよろしければアガーラのことをお話しても?」

「頼む」


「あの方は薬師として北方の村や町を何年も回っていました。すっかり地元の人間の信頼を得たころ、アガーラに向かう隊商の長を紹介されアガーラまで同行することができました。あの国はそうでもなければ簡単に入れませんからね。ゆっくりと隊商の連中やアガーラの取引先と顔なじみになるためにまた数年かかりました。そして何度目かの訪問の時、アガーラ王家につながる豪族を紹介されたのです。あの方は薬師としても大変一流の知識と腕があります。その豪族の家族に気に入られ、直接ではありませんが徐々に王家の話が耳に入るようになったそうです。王家のことは?」

皆あまり詳しくは知らないので、黙って首を横に振る。


「アガーラの王には長く子供ができませんでした。そのため王弟が次の王として認められていたのです。しかし5年前に王妃に子ができました。それも王子でしたので、当然次代の王はその子ということになります。王弟が何を思ったか…おそらく負の想いに囚われたのではないかと。そしてそこにどうやってかはわかりませんが、バドの生き残りが食い込んだ。王弟は一人の呪術師を重用し常に相談相手にしているとのことです。それがバドの長でしょう」

「やはりバドか」

「バドは『魔』を操ると言われておりますが、それは大昔の話。今のバドの長はそれほどの力はなく、逆に『魔』に操られていると思われます。あの方は親しくなった豪族から王宮の様子を聞き、そう判断されました。豪族たちも王家のただならぬ様子に心配はしているようですが…ただ心に闇を持つ者にはバドの言葉は甘い誘惑に聞こえますでしょう。人の心に疑念や裏切りといった負の感情を植え付け育てる。それは『魔』の影響を受けた者にはたやすいこと。バドは王弟を利用してアガーラの国内に力を持ち、古のバドの悪しき力を復活させる…王弟はその力を背景に王になる。そのような図式かと」

「アガーラ王は知っているのか、その企みを」

「王は…これはあの方にもはっきりとはわからないようですが、おそらくご病気かと。もともと病弱な方との話もございますので」

「アガーラは我が国に軍を向けてくるわけではないが、バドの一族が入り込んでいるということだな」

「はい、おそらく最初の狙いは『魔』の周囲にめぐらされた禁域…あれは今ガイヤードの領地です。サーヴ王がバドを追い払い、人々が『魔』の影響を直接受けないように周りを禁域とした所です。まず王太子を害し、首都で騒ぎを起こす。動揺したところに西ヴストラントが南下してきた。我が国の眼が西ヴストラントの方に向いている間に『魔』を取り戻すつもりでしょう」


「よくわかった。協力に感謝する。我々はマクラレン男爵の船にいるから彼から連絡があったらいつでも知らせてくれ」

カイルがそう言いながら謝礼のつもりで金を渡そうとすると、アグラはまた商人の顔に戻ってそれを押し返した。

「あの方に叱られます。私は…昔あの方の部下でした。大けがをして兵として働けなくなり妻の故郷であるこの町に来たのです。ここで商人として働けるのもあの方のおかげですよ。ですからこれは昔に戻ったかのように楽しいことでもあるのです」

連絡があったらすぐに知らせますと言い、カイルたちをこっそり裏口から送り出した


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