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第32話 禁域 その1

「アガーラとの国境に向かう」


 剣を身につけたカイルの姿を見て、本当にこれしか方法はないのかと誰もが苦しい表情になる。見つかったサーヴ王時代の王史には『魔』を抑えるために、サーヴがただ一人禁域に向かい、『魔』に対峙し、その剣をもってそれを切り伏せたと記されていた。しかし、『魔』に触れることはその人間の根幹を危うくすることでもある。よほどの意志と胆力、心の闇の誘惑に勝ちうる強い心がなければ『魔』に飲み込まれてしまうと言われている。万が一のことがあれば、王家の終焉もあり得るのだ。しかしカイルの決心は揺るがなかった。サーヴ王の言葉を信じるなら俺を信じろと言う。護衛のため部隊を同行させようとした宰相の言葉を止めさせるとカイルはきっぱりと告げた。


「グズグズと時間をかけることはできない。大人数では動きが鈍るし、移動に時間がかかる。まして『魔』に近づけるのは俺一人だ。周りに誰がいてもかえって邪魔になるだけだ。他の者は賊の探索に回れ。何一つ見逃すことなく徹底的に。まだ必ず町に残っているはずだ」

「しかし…やはり最低限の護衛は必要でしょう」

「腕の立つ者を厳選して人数を極力絞れ。船で行く。陸路を行くよりずっと早く着くし、途中で襲われることもない」

「船…いったい誰が『魔』に近い海域に…」

「こんな時のための海賊男爵だろう。そのために顔を合わせたのだから」


 慌ただしく出発の準備が進む。その間にも「目」からの報告が届いた。それによると、やはりアガーラの王弟の傍らには常に呪術師のような人物が控えており、王弟はどうやらその人物に頼りきっているようだ。また別の「目」からの報告ではどうやら以前賊と思われる一行がガイヤードとの国境を超えるのを、西ヴストラントの国境警備兵が黙認したという知らせも届いた。『魔』に魅せられているのはアガーラの王弟。西ヴストラントの王はその現状を把握したうえで、中立だった国の立場をかなぐり捨て、それに乗じてガイヤードの国力を削ごうとしていると思われた。


 そして、いよいよカイルたちが出発する日の朝、重大な知らせが飛び込んできたのだ。それは国境に配備されていた軍からの急使だった。急ぎ城の中に通された兵士は叫ぶ。


「申し上げます!西ヴストラントの国軍が国境を越え侵攻してまいりました!我が軍が応戦しておりますが、賊の探索のため広い範囲に展開しており、警備の薄くなったところを攻められて苦戦しております。どうか至急援軍の派遣をお願いいたします!」


 ざわっと部屋の空気が大きく揺れる。緊張の中カイルが立ち上がり次々と指令を出した。


「東ヴストラントとの国境に展開している軍を西へ回せ。東には至急使者を送り、以前締結した不可侵条約を思い出させてやれ。西に同調するならそれなりの報復を覚悟しろとな。首都からも援軍を送る、至急準備を!それから国中の門の警備を強化し、賊の探索を続けるように町の長に徹底する。兵の足りないところは市民の力を借りる。しかし絶対に賊の相手はさせるな!軍は進みながらその旨周知していくように」


 命ぜられて各々が散って行こうとした時、開かれた扉の向こうにこの場にそぐわない一行が近づいてきた。女官たちに付き添われて現れたのは王妃だった。今まで何年も公の場に出て来なかった王妃、そして王太子が暗殺されてからは私室からも出ようとしなかった王妃が、突然このような場に現れたことに皆が驚く。カイルもまたその場に立ち尽くす。


「母上…」

王妃は今まで見たこともないような毅然とした態度で話し出す。

「このような大変お忙しい所に申し訳ありません。ですが、今しかあなたとお話する機会がないと思い、こうして参りました。カイル、私の母国ドアネフ王家に私から私信を送ります。ガイヤードに助力し、西ヴストラントの後方から相手を牽制するようにと。ドアネフはガイヤードほどではありませんが、兵の勇猛さは知られております。攻め込むまでもなく無言の圧力をかけるには十分でしょう。さらに隣国ネアーフランドに西ヴストラントの非道を訴えるため使節を送ってもらいます。今のドアネフ王は私の弟であり、その妃はネアーフランド王の姪にあたる方。弟はガイヤードに嫁した私に恩義を感じているので必ずお役に立つはずです。使いの手配をしてください」


 カイルも他の者も王妃の申し出に言葉が出ない。どのような変化が王妃に起こったのか。

「カイル…今さらこのようなことを言って許されようとは思っておりませんが…私は今までつまらない意地をはって何も見てこなかった。年若いあなたが全ての重荷を背負っている今、私も一人の親としてやるべきことをやるまでです。陛下は…私がしっかり看ておりますから、あなたはあなたの義務を果たしてください」

「母上、ありがとうございます。必ずや責務を果たして戻ります」

カイルはしっかりと母の顔を見て言うと、「行くぞ」と短く声をあげて部屋から出て行った。




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