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第29話 予兆 その8

 会合の翌日早朝、エーベルスレイヤ公爵邸の門を開けさせて兵士たちがなだれ込んできた。公爵は寝起きを襲われ、身体を拘束されていきり立つ。

「何だお前らは!儂は公爵だぞ。下賤の者が触れるな、汚らわしい!」

兵士たちは無言で屋敷内を制圧し、公爵の家族を一か所に集めたが彼らに手を出すことはなかった。公爵は怒りに顔を赤く染め、ますます大声でわめき続ける。

「おいっ!儂にこのようなことをするのは王家に逆らうのと同じだぞ!手を離せ!」

周囲の兵士たちが冷たく見下ろしてくる中、その後ろから一人の人物が現れた。その顔を見た公爵が信じられないという顔つきになる。

「宰相…お前…」

「王家に逆らっているのはどちらの方でしょう、公爵…いやビョルン・エーベルスレイヤ。王太子暗殺と横領の罪で捕縛する。連れていけ」

宰相は自ら指揮を執り、一気に老け込んだような公爵を王宮へと連行していった。


 一つの憂いは取り除かれたが、別の災厄は確実に近づいていた。賊の行方がまだ判明しないうちに、ある晩町に火が放たれた。町のはずれで火の気のないはずの物置が燃えているのに住民が気づいた。急いで周りに声をかけ消火にあたったが、強い風のせいで隣家に燃え移ったのだ。兵士たちが呼び集められ消火と町民の避難を呼びかける。その時はなんとか数軒が焼けただけで収まったが、人々の安堵をあざ笑うかのように、数日後また別の場所で火事が起こった。この時は前回よりは被害が大きく、けが人も複数出たようだった。


 さらに数か所で小火も発生する。どれも放火と思われたので、みんなの不安が大きくなり陰で人を疑うような噂話が広がっていった。兵士たちは見回りを増やし、怪しいものがいないか探索が続いていたが、人々の不安と緊張は大きくなるばかりだった。夜になると誰も外に出ず、火事と略奪を警戒してしっかりと戸締りをしている。だが、小火から3日後、最大の火事が起きてしまった。


 やはり風の強い晩だった。運悪く晴天が続き空気は乾燥していた。町の中心近くで燃え広がった火事は今までにない勢いで燃え広がり、家々をのみこんでいく。人々は慌てふためいて逃げまどい、どちらに逃げればいいのかわからずにただ走り回るだけだった。兵士たちも騎士たちも住民の避難と消火に駆けつけたが、今回の火事は今までとは違った。火の勢いが衰えないことに業を煮やしてカイルが自分も出ようと馬を引きだした時、すぐ隣で少年のような格好で馬に乗ろうとしていたリュシェンヌの姿を見つけた。


「何をしている!危ないから下がっていろ!」

リュシェンヌは平然と言い返す。

「乗馬はさんざん練習したから大丈夫。それにもうひとつ、私はあなたの秘書だからいつでも側にいるものでしょう」

乗馬だけでなく、リュシェンヌはずっと体術や短剣の練習を続けていた。

「くそっ!勝手にしろ!」


 二人は慌てる馬丁を横目に走りだした。火事の近くまで一気に駆けつけると、逃げ遅れた人々に向かって大声で指示をする。

「旧市街地の城壁の向こうへ!あちらには広い緑地が広がっている。塀も高いから火は超えてこない!」

「そちらまで走れない人はとにかく風上へ!西に向かって!子供の手を離さないで!」


 アーチボルトが気づいて馬を寄せてきた。

「カイル!何という無茶を!」

「アーチ―!いいから人々を避難させろ。兵士たちを周りに配置して城壁の中へ誘導する。反対側は風上へ!後の者は少しでも火の勢いがおさまるように周りの家を壊せ!」

「了解!」


 朝まで全員が走り回り、声が涸れるまで叫び続けた。明るくなってようやく火事が収まった時、数百件もの家々が全焼もしくは半壊し、大やけどを負った者はいたものの、死者が出なかったのは幸いだった。リュシェンヌは焼け出された住民の保護と生活の手助けのため、さらに忙しい日々を送ることになった。早く動くことが大事だと考えたリュシェンヌは、宰相の許可をもらい国所有の使われていない兵舎に住民を収容し、入りきれない者は郊外の広場に天幕を張って移動させた。さらに炊き出しをし、住民たちが家の再建に専念できるよう心を砕いた。


 家や財産を失った人が多くなると治安が悪くなる。放火もまた繰り返されるかもしれないので、見回りは引き続き厳しく行われていた。ついに二人の兵士が真夜中に町中を見回っていた時、前方に一人の男が人目をはばかるように路地へと入っていくのを見つけた。二人は顔を見合わせ静かに男の後をつける。男はきょろきょろと辺りを見回すと無人の店舗の前にしゃがみこんだ。男が何かを地面に撒いてその手を近づけたとき、男の手元がパッと明るくなったのだ。


「待て!」

兵士たちが男に飛びかかり、チロチロと燃え始めた火を踏み消した。男は兵士に取り押さえられながら必死の声を振り絞った。

「放してくれ!こうしないと妻と子供たちが…ああ、頼む!見逃してくれ!」

兵士たちは慌てて男の口をふさぎ、男を縛り上げて城へと連れ帰った。夜中ではあったが、知らせを聞いた宰相はカイルに面会を求めた。


「放火の犯人が捕まったと?」

カイルとアーチボルトを前に宰相が報告する。

「は、まだ細かい所まではわかっていませんが、犯人はレンガ工だと言っております。ただかなり取り乱していて、妻が、子供たちがと泣き叫んでおりまして。今その男の家に兵士たちを急がせておりますので、何かわかりましたらまたご報告いたします」

「何時になってもかまわない。すぐに知らせてくれ」

宰相が礼をして下がっていく。アーチボルトがつぶやいた。

「もしかしたら家族を人質にとられたか?」


 空が白み始めたころ、宰相が一人の兵士を伴ってもう一度カイルの部屋を訪れた。

「直答を許す。早くご報告申し上げろ」

「は、捕えた男の家に向かいましたところ、家の中にその妻とみられる女性と二人の子供たちが縛られているのを見つけました。かなり衰弱はしておりますが、城の侍医に診せましたところなんとか回復しそうだとのことです。子供たちは小さいので事情の説明ができるのは妻だけかと思われますが、まだ意識が戻っておりません」

「家族が助かったことを男に知らせてやれ。そうすればなぜ放火などしたのか話すだろう。家の中には他には誰もいなかったのか?」

「小さな家ですので隠れるようなところもありません。他の者が周囲を捜索しておりますが、我々が近づくのに気づいて逃げたのかもしれません」


 兵士たちは朝まで捜索したが何も手がかりは得られないままだった。しかし、妻子が助かったことを聞いた男が泣きながら事情を話し始めた。

「ある晩、黒装束で顔を隠した男がいきなり家に押し入ってきたのです。下の子を捕まえてのど元に剣を突きつけ…私に妻の手を縛らせました。それから子供たちも縛り上げると奥の部屋に閉じ込め、俺に…助けてほしければ火をつけろと…兵に知らせたら家族の命はないと…ああ!やりたくなかったのです!信じてください!でも、やらなければ子供たちを一人ずつ殺すと脅されて…すみませんでした!すみませんでした!妻と子供たちは許してください、お願いです」

最後は大声で泣きだして床に崩れ落ちた。


「彼はさすがに許すわけにはいかないですね。情状酌量はあるにしても牢に入れて裁きを受けさせるよう手配しますが、妻子はどうしましょう」

部屋に戻ってそう問いかけるアーチボルトにカイルは言う。

「手当をして回復したらどこか別の町にでも行けるよう計らってやれ。元の家にはいづらいだろうから」

ここまでの流れを聞いていたリュシェンヌは平凡につつましく暮らしていた一家が理不尽なことで離散してしまわなければならないこと、そしてそれをもたらした賊に対して今までにない憤りを覚えた。昔お別れも言えずに去って行かざるをえなかったルキのことを思い出す。


「しかし相手はおそらく一人か二人でひそかに町中に入り込んで来ています。これが続くようではきりがない。何としても元凶を叩かないと…」

「そのためにも今ルース兄上が禁書書庫を、サハドが王宮の書庫をそれぞれ探っている。何かあるはずだ。記録が紛失しているはずはないのに」

最近兄サハドの姿を見かけないのはそのためだったのか。信用しきれない者に重要な書類を探らせることもできず、二人はそれぞれの場所で何百年分もの多量の文書と格闘しているのだ。



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