第23話 予兆 その2
新しい王太子が諸国を訪問するという話が公にされたのは、舞踏会からしばらく後のことだった。いろいろと協議された結果、王妃の故郷であるドアネフを訪問することになった。国王夫妻のあまり芳しくない関係はそれとなくドアネフ王家も知っている。そこで二人の息子である王太子が訪問することで嫌な空気を払拭し、さらなる良い関係を結んでいくことが王太子の最初の公務として提案されたのだ。
大陸の北にあるドアネフまで行くには手前にある東西ヴストラントも通って行かなければならないので、そちらにも立太子礼の時の返礼を兼ねて訪問するという大掛かりなものになってしまった。兄を含む文官たちは道中の様々な手配や相手国との交渉、随行する人員の選定、護衛の数などありとあらゆる準備に忙殺されていた。頻繁に国家間の文書がやり取りされ、何度も調整が繰り返される。今は特に敵対する国もなく、季節も良いとはいえ、大国の王太子が国外に出るということは大変な事業であった。
それでもようやく準備が整い、出発の時が来た。王太子の一行はアーメド教の教会で、ザッハード神官長以下全ての神官たちの祝福と道中の無事を祈る言葉を受けると、皆に見送られて北へと出発した。さほど大人数ではないがもちろん大切な王太子の道中であるから、随行員と護衛は選りすぐりの者が選ばれている。みんな特に何の心配もしていなかった。
王太子一行が出発して数日たつとこの季節には珍しく雨が降り始め、なかなか止まなかった。王太子は馬車に乗っているのでゆっくり進んでいるはずだが、それでも最初の訪問地東ヴストラントに入るころだろうと思われる。安全を考慮していくつかの道筋が考えられ、そのうちのどこを王太子が通っているかは機密とされている。また同じような編成の一行に別の道を進ませて、さらにわかりにくくする工夫までされていた。しかしそのまま数日がたったころ、衝撃の知らせがもたらされた。
その日の早朝、数頭の馬が北のほうから大変な速さで城に向かって町を駆け抜けていった。馬上の兵士たちは誰もみな必死の形相で、市民たちは馬にけり倒されないよう逃げるのが精いっぱいだった。音を聞いて起きてきた者もいて、みな不安げな表情で城の方角を見上げる。
城門に駆け込んだ兵士たちは馬から崩れ落ちるともう動けないほど疲弊していた。彼らが王太子の護衛としてついていった者たちだということがわかると、その場が言いようのない不安と緊張につつまれた。兵士たちは回りの目から隠されるように城の奥に運ばれていった。高位の貴族たちが急遽集められ、ザッハード神官長も神官となったばかりの第二王子ルースを伴って現れた。
会見の場に集まったはいいが、みな緊張と恐れから声も出せない。国王夫妻が急いで奥から現れると、兵士たちが報告するように促される。隊長と思われる年長の兵士が苦しい息の中から声を絞り出した。
「陛下…王太子殿下が…賊に襲われて…息をひきとられました!」
あまりのことに国王夫妻も貴族たちも耳を疑った。そして一気に騒ぎ出す。全員が叫びあうだけで何もわからなくなった。
「あれに何があったのだ!そんな馬鹿なことがあるものか!」
国王のめったにない叫び声に、ようやく一同は話を聞こうと静まった。
「我々一行は何事もなく東ヴストラントとの国境付近に到着しました。その日宿泊する予定だった町のすぐ近くまで来た時、森の中からいきなり矢を射かけられたのです。我々は一斉に迎え撃つ体制をとりながらも、王太子殿下が乗られた馬車を囲んでそこを走り抜けようとしました。両側を崖と森に挟まれて道が狭く隊列が長くなってしまった時、賊が馬車の前に回り込んできたのです。彼らは最初10名ほどでした。全身黒い衣でさらに顔も布で覆っていたため、容貌はわかりません。組織だったすばやい動きで御者を倒すと我々護衛と馬車を分断していったのです。私は数名の部下とともになんとか馬車に近づこうとしたのですが…その時さらに別の兵士と思われる男たちが後ろから襲い掛かってきたのです。覆面の連中とは違い顔も隠していませんでした。彼らに阻まれながらも何人か切り倒し馬車に向かった時、殿下が…馬車から引きずり降ろされ覆面の賊どもに…」
最後は涙で声にならないが、それでも振り絞って報告を続ける。
「賊どもはあっという間に逃げていきました。覆面の賊は一人も倒せず、私どもが倒した兵士たちも平凡な服装で、身元を示すようなものは何ひとつ持っておりません。武器を持たない随行の方々は多くが亡くなられ、生き残った方たちも重症なので、近くの町にとどまって治療を受けておられます。王太子殿下の…お体は…残った者たちがお守りしてこちらに向かっております。私どもは一刻も早くと馬で…」
そこまで言うと隊長はがまんできずにその場で床に伏せてしまった。
「まことに…まことに申し訳ございません!」
これ以上なく苦痛に満ちたその声に誰も声を上げることができない。信じられないという気持ちの方が先に立ち、思考が停止しているようだった。その時、王妃が小さく叫び声をあげてその場に倒れてしまった。女官たちがあわてて王妃の体を奥に運び込む。王は声も出せずにその場に立ち尽くしていた。
衝撃の知らせがもたらされてから半時ほど後に、大急ぎで王宮に戻ろうとする二人の青年の姿があった。その後ろからは従者がぴたりとついて行く。目立たないように馬にも乗らず歩いて出かけていたため、知らせを受けてそのまま走って来たのだ。二人の顔色はさすがに青ざめていた。先を行く若者が思わず声を絞り出す。
「兄上…」
もう一人が何か声をかけようと口を開いたその瞬間、後ろにいた従者が警告を発した。
「お気をつけください!左前にっ!」
次の瞬間、前方から矢が鋭い音を立てて二人を狙ってくる。後ろにいた若者が前に踏み出すと同時にすばやく抜いた剣で矢を払い、射手に次の矢をつがえる間を与えず一気に詰め寄り無言で切り捨てた。そこへ別の方向から襲い掛かって来た賊と、これも前に躍り出た従者が剣を持って切り結ぶ。こちらも圧倒的な力の差を見せ、ほんの数手で敵を倒した。やはり剣を手に持ち周りを警戒していた若者が落ち着いた声をかけてくる。
「大丈夫か。これで終わりのようだが、妙に中途半端だな」
「二人だけで十分だと思われたようだな。甘く見られたものだ」
賊を倒した従者が駆け寄って来たので後始末をするように命令すると、二人はすぐに王宮の裏門へと入って行った。
混乱と嘆きに満ちた王宮の中を、急ぎ奥へと向かいながら青年が言う。
「あれは兄上に向けられた者とは違うだろうな。素人じみて稚拙すぎる」
「ああ、ろくに訓練もしていない私兵か用心棒といったところか。どこの者かすぐにわかるだろう。それより今は王太子様の…」
そのまま二人は口をつぐむと重臣たちの待つ広間へと入って行った。




