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第21話 責務 その8

 ちょうどその頃、侯爵の私室に来客の影があった。

「いかがです、今夜は有意義な晩でしたか?」

「ふん、そうだな。いろいろとおもしろい人物に会えたのは確かだ」

客の声は若い男性だが、話しぶりはたいそう横柄だった。しかし侯爵は一向に気にしていない。


「まあ、そう思っていただけたなら、こちらも骨を折った甲斐があるというものです。今後も連絡は怠りませんよ。そちら様もくれぐれもお気を付けください」

「それは私の身を心配しているのか、それとも話が漏れるのを警戒しているのかな」

「どちらも…ということにしておきましょうか」


 侯爵の声には笑いが含まれている。客は侯爵の顔をちらりと見ると立ち上がった。

「では帰る。あとはよろしく頼む」

「かしこまりました。以前のお話のとおり進めます」


 男性は庭に面した飾り窓から出ていったが、部屋の灯りの届かないところで立ち止まると、振り返ってつぶやく。

「確かに…あれは策士ではあるが、思いがけない人物に会えたのは事実だな」

彼はすぐに闇に紛れて見えなくなった。


 夜会が終わるとリュシェンヌに日常が戻ってきた。また院に通い自分の勉強に没頭する日々が続く。だが彼女の頭の中にはあの夜会のことが、妙なところに打たれた釘のように残り続けている。


(あの夜会って本当はなんのために開かれたのかした…お客様もなんだか…)

彼女の気持ちとは無関係に、母は次に王宮で開かれるという舞踏会に夢中になっていた。兄が言っていた通りにリュシェンヌにも招待状が届いたので、母は兄嫁たちと一緒にドレスや宝石選びに夢中になっている。二人の兄嫁もリュシェンヌの美しさをより引き立てるような色は何かなどとずっと話していて飽きないようだった。


「リュシェンヌ様は今までこういう場にでていらっしゃらなかったから、皆さまきっと驚かれますよ」

「そうですわね、私たちも楽しみですわ」

本人のいないところで女性3人が大いに盛り上がっているようだ。母と兄嫁たちが仲良く、機嫌よくしてくれるのはリュシェンヌにとってもありがたいことなので、逆らうことはやめようとおとなしくしていた。


 舞踏会に先だって行われたのは立太子の式典だった。こちらのほうが国の一大事なのだが、貴族たちはあまり気にしていない。それというのも第一王子が王太子となるのは順番から言って当たり前だし、誰も反対する者がいない、実に決まりきったことだからだ。王太子はおそらく現在の王のやり方を踏襲すると思われていて、そこも特に問題がないとされるところだった。そうは言っても大国の王太子がお披露目される式典なので、当日は各国の大使やお祝いの使節が数多く訪れ、街角にはたくさんの飾りが施された。その日には菓子や酒なども市民たちに振舞われるので、町全体が明るく楽しい雰囲気になっていた。


 儀式は何事もなく終わり、舞踏会が始まった。リュシェンヌも両親と共に城に向かう。

「リュシー、顔をあげて。ダンスに誘ってもらえませんよ」

「いえ、お母さま、私はここで…」


 リュシェンヌを前に押し出したがる母を何とかごまかそうとしている時、近くにいる令嬢から声をかけられた。

「リュシェンヌ、あなたもいらしたのね。私のこと覚えていらっしゃるかしら?」

学園で一緒に学んだリディアと会うのは数年ぶりのことだった。リュシェンヌはこれ幸いと母から離れてリディアのもとへ向かう。

「まあ、リディア!もちろん覚えているわよ。本当にお久しぶりね。お元気そうで安心したわ。あの頃のみんな変わりはないかしら」


 リディアはリュシェンヌを上から下まで見つめると、大きくため息をついた。

「まあ、あなたは本当に変わったわね。最初人違いかと思ったほどよ。あの頃の勉強ばかりだった面影はないわね」

リュシェンヌは彼女の耳元に顔を近づけると、こっそり秘密を打ち明けるようにささやいた。

「今だって変わらないわよ。母や義姉たちに寄ってたかって人形のように飾り立てられたの。もう早く帰って楽になりたいわ」


 リディアは目を丸くしてからクスクス笑いだした。

「安心したわ。変わり者のリュシェンヌ健在といったところなのね」

リュシェンヌは他の友達の消息などを尋ねてみた。彼女たちはそれぞれ地元に帰ったり、もう結婚したりしたらしい。


「私も実はそろそろ結婚が近いのよ。叔母の紹介で知り合った方と」

「まあ、おめでとう!なんて嬉しい知らせかしら。今日はそれを聞いただけでもここに来た甲斐があるというものだわ」

「リュシェンヌ…相変わらずなのねえ…いいのか悪いのか」

「いいと言ってよ、私が一番楽しいのだから」

「わかったわ、リュシェンヌ。あら、あそこにいらっしゃるのはアーチボルト様だわ!なんだか学生時代を思い出すわね。あの時もそんなことがあったじゃない?」


「ああ、アーチボルト様なら先日…」

とリュシェンヌは言いかけてリディアが指し示す人物に言葉が出て来なくなった。

「ねえ、本当にあちらで話していらっしゃるのがアーチボルト様なの?」

そこにいた青年は騎士の正装で他の客たちと談笑している。背が高く黒髪ではあるが、リュシェンヌが自宅での夜会で会った青年とは全く別の人物である。何より優し気な笑顔があの時の青年と正反対だった。


「そうよ、相変わらずすてきな方ね。間違いようがないわよ」

そこへリディアの連れの男性が戻って来て声をかけてきた。リュシェンヌも挨拶して彼らを見送る。しかし彼女は後ろにいたアーチボルトのことが気になってならない。


(確かにあの人はダガード伯爵家の名を出した。でもアーチボルト様ではない。いったい彼は何者だったのかしら)

父に聞いてみようかと見回すが、あまりに人が多くて見つからない。アーチボルトもいつの間にか離れていってしまったようだ。


 音楽が始まり、王太子がどこかのご令嬢の手を取って踊り始めると、若者たちもそれぞれ踊りの輪に加わっていった。リュシェンヌは人の動きに紛れてこっそり露段に出ると深呼吸した。広い場所なので他にも何人か外の空気を吸いに出ている客はいるようだった。


「うーん、わからないことばかりだわ。いったいあれは誰だったの。お父様の客人なのだから怪しい人ではないと思うのだけれど」

思わず独り言が出てしまう。すると後ろから突然声がかけられた。

「大事なことはあまり大きな声で言わない方がいいですよ」

  

 聞き覚えのある声にさっと振り返ると、そこには今まさに考えていた人物がいた。今日は騎士ではないが、すばらしい仕立ての正装に身を包んでいる。

「やあ、私のことは覚えていらっしゃいますか、リュシェンヌ嬢」

「ええ、アーチボルト様…と名乗られた方ですわよね」


 彼はおやという顔をする。いたずらっ子が何か企んでいるような表情になって、次の言葉を言いかけたその時、彼の後ろから声がかかった。

「殿下、こちらにいらしたのですね。ルース殿下がお呼びです、あちらに…」

声をかけてきた人物こそアーチボルト・ダガードその人だった。リュシェンヌが青年の陰になっていて見えなかったようで、近くまで来てあっと小さな声を上げ、あわててリュシェンヌに対して礼をする。


「殿下…え、ええ?」

リュシェンヌは混乱の極みだった。アーチボルトが殿下と呼ぶのは王子に決まっているし、彼は確か第三王子の側近…と、いうことは、この青年は!


 アーチボルトがすまなそうな顔で青年のほうを見やりながら紹介した。

「ご令嬢、こちらはカイル王子殿下でいらっしゃいます。私はアーチボルト・ダガード。失礼ですが、ご令嬢のお名前を伺っても…」

その間、カイル王子と紹介された彼は無表情に黙っている。


「大変失礼いたしました。私はリュシェンヌ・リードと申します。存じ上げないこととはいえ、ご無礼をお許しくださいませ」

リュシェンヌは最上級の礼をして、そのまま顔も上げずにじっとしていた。カイルは何か言いたげではあったが、すぐにアーチボルトを連れて去っていった。


 リュシェンヌはようやく顔をあげ、彼らの後ろ姿を見つめていた。彼について父に聞いても答えてはくれないだろうという確信があった。それにこれは自分で考えろという父からの無言の教えのような気さえする。リュシェンヌは勉強中も父と兄の話を何度も思い出すのだった。


 院では毎年恒例のことではあるが、選ばれた優秀な院生たちの研究結果と報告書が王宮にあげられる。名誉なことにリュシェンヌの施策に関する提案もそのうちの一つに入っていたのだ。しかし報告書は全て無記名で提出されて、本人にも選ばれたということは知らされないのが通例だったので、彼女の生活に変わりはなかった。



次回から新しい章が始まります。

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