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第19話 責務 その6

「リュシー、これからお前に話すことは大変難しく危ういことだ。どうするか散々迷ったが、やはり伝えておいた方がいいだろうと思った。これは私の妹だからというわけではなく、これから文官を目指す一人の若者と思って話をする。先ほどの王家の醜聞よりも更に機密保持を要するから、覚悟して聞きなさい。もし聞きたくないと言うならすぐに家に帰るように」

リュシェンヌは普段と全く違う兄の様子に驚いたが、その言葉に覚悟を決め姿勢を改めた。しっかりと兄の目をみつめて答える。


「はい、お兄様。国に危難が迫っているということでしょうか」

「そうだ…しかしまだ何もはっきりしていないのは確かなのだ。これは、そうだな…あまりに漠然とした不安ではある。話すことによって余計に混乱させてしまうかもしれないが…実は大陸の西北がきなくさい」

「西北…というとアガーラですか?閉鎖的であまり他国と交流はないと思われますが」


 アガーラ王国は南をガイヤード、東側を西ヴストラント、そして北側をドアネフに囲まれた大陸で一番小さな国だ。西ヴストラントとの国境には天を衝くようなバエド山脈が連なり、天然の要塞となっている。耕地は少なく充分な農作物もできないが、バエド山脈から得られる貴重な天然資源のおかげで食べていくことができるのだ。輝石や鉱物を他国に売り渡してその代わりに食料を得ている。国の人口も少ないうえに昔から閉鎖的で、取引以外にほとんど交流がない。特にこの50年ほどは目立った動きもしていないと思われた。


「そうだ、確かにほぼ鎖国状態と言ってもいい国だが、それでも全く無視していいというわけではない。我が国の『目』のことは?」

尋ねられてリュシェンヌは黙ってうなずいた。「目」と言われるのは諜報に携わる者たちの総称であり、国の機密でもある。院で学ぶ彼女は当然知っていることだった。存在の是非はともかく、彼らは町中であるいは他国で市民に溶け込み、あるいはひっそりと忍び込み、ありとあらゆる情報を国の中枢に送ってくる。それらの情報を知るのはごく一部の力を持った貴族か上級の文官、武官たちのみであった。もちろんリュシェンヌは知識としてその存在を知っているというだけだ。


「数年前から西ヴストラントとアガーラを出入りしていた『目』の連絡が途絶えた。アガーラで何かが起こっていることは確かだ。閉鎖的な国民性もあり探るのに苦労しているだけかもしれないが、それなら何らかの手段を用いて連絡してくるはずだ。それに言うまでもないことだが、アガーラと我が国の国境には『魔』の存在がある。アガーラの変化と『魔』の存在が全くの無関係とは思えないのだ。お前はまだ高度な情報に触れることはできないが、常にこのことを念頭に置いておくように」


「わかりました。肝に銘じておきます、お兄様」

リュシェンヌは内心の驚きを声に表さないようあえて冷静に答えた。思わず兄の顔をじっと見つめる。リード侯爵家を継ぐのは長兄のアルフォンスだが、内面が最も父に似ているのはこの兄のほうだと思ったのだ。


「うん?何か私の顔についているのかな?」

「お顔にお兄様の情報網が浮かび上がってこないかと思いまして」

兄はそれを聞いて破顔一笑する。その顔はますます父に似て、本心を読み取ることはまだ自分には難しいなと思った。


 しばらくはまた院での研究と勉学に追われる日々が続いた。毎朝早くに家を出て、遅くまで帰らないリュシェンヌは父母の計画など知らなかった。ある日彼女は両親の部屋に呼ばれる。改まって何かと思えば、意外なことを聞かされた。


「夜会…ですか?我が家で」

「そうだよ、リュシー。私は政治の表舞台から退いて久しいが、昔の懐かしい同僚たちが久しぶりに会いたいと伝えてきてね。なに、みんな暇を持て余しているだけだが、集まって昔話をしようではないかということになったのだよ」

「それは楽しみですわね。私は研究がありますので、その日は失礼して院に…」


 そう言いかけたところで母が声を上げる。

「何を言っているの!お父様がお世話になった方々にきちんとご挨拶するのが娘であるあなたの務めですよ。当日はアルフォンスやサハドも来るのですから、あなたが欠席でどうします」

「えー、めんど…」

本音が漏れて、しまったと思ったがもう遅かった。


「リュシー!!今面倒くさいと言いましたか?全くあなたは変わらない…もう19歳にもなるというのに情けなくて泣けてきます」

母が本当に泣きそうになっているので、リュシェンヌはここで逆らうのは得策ではないと黙っている。父が苦笑いしながらとりなしてきた。


「エレーナ、それくらいで許しておやり。リュシー、私の同僚たちは言うなれば国家のために働いてきた者でもある。文官を目指すお前の顔つなぎにもなるだろう。いいね、必ず出席するように」

貴族である以上、社交も大事という訳か。リュシェンヌはしぶしぶ了承した。


 家中が夜会の準備に追われるようになった。執事と女中頭を筆頭に全ての使用人が夜会を開く大広間から家中を徹底的に掃除し、美しく飾り付ける。庭師は当日に合わせて満開になるよう庭の花々の手入れに余念がない。料理人たちは舌の肥えた客人たちをもてなす最高の料理を考えていた。


 そんな中リュシェンヌは母に強引に引きとめられていた。とにかく母はリュシェンヌを令嬢らしく飾り立てて客人たちの前に出したいのだ。生地を選ぶところから始まったドレスの仮縫いや、装飾品のあれこれを吟味するなど、母にとってはほぼ初めてというような娘との楽しい時間である。リュシェンヌは正直研究の遅れが気になったが、父から言い含められているのでおとなしくしていた。しかしドレスの飾りは最低限のものにしてもらうよう、それだけは譲れないと必死に抵抗した。ごちゃごちゃと飾りのついた派手なものなど勘弁してほしい、だいいち動きにくいし。しかし、つつましい衣装こそ彼女のすばらしい金色の髪と感情を豊かに表す濃い緑色の瞳を一層引き立てるのだった。



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