第18話 責務 その5
女性にとってあまり好ましくない表現があります。
ご注意ください。
兄は現状について話せる範囲でリュシェンヌに説明してくれた。現在の国内政治と対外政策について具体的に話を進める。歴史あるガイヤードは政治体系も確立されており、日々の業務は滞りなく行われている。だがやはり一番の問題は国王があまり政治にかかわることを好まず、貴族たちに任せきりであることだ。それをいいことに、一部の貴族たちには自分の利益を優先させる傾向があり、公費の支出に関して不透明な点がままあること、文官である兄たちの提出する法案に彼らにとって不都合な点があればなかなか承認にこぎつけないなど小さな弊害が積み重なっていた。
「国が大きくあればあるほど、理想は遠ざかるかもしれない。我々文官は国と国民のためを思い、いろいろと苦労を重ねているつもりではあるが、そんな文官たちの中にも当然軋轢はあるものだ。お前には苦々しいことばかりかもしれないな。どうだ、これを聞いて嫌になったか?」
兄がからかうように言ってきた。
「いいえ、お兄様、余計に力がわいてきました」
「ははっ、変わらないな、アルフォンス兄上に剣を持って向かっていたころから何も変わっていないようだ」
「失礼な、まるで成長していないかのようではありませんか」
「いやいや、充分美しく成長しているよ。そうだ!王家には3人も王子がおられるのは当然知っているだろう。ご長子のマリク様は近く立太子礼に臨むことが決まっている。この方も国王陛下に似て大変穏やかな方だよ。どうだ、リュシー」
「どう…とおっしゃると?」
兄はちょっと調子にのってリュシェンヌをからかうように続ける。
「だからさ、フレデリケの言っていたことだが、次回の舞踏会に招待されるということはお前もお妃候補に選ばれる可能性があるということだよ。お前の意思はどうあれ、若い未婚の貴族令嬢はそういう目で見られるということだ」
「ご冗談を。この国の王太子様のお相手は外国のご令嬢から選ばれると思っておりました」
「ああ、代々それが慣例であったし、現在の王妃様もドアネフ王家の方だからね。だが、リュシーもうすうすは知っているだろう、国王ご夫妻のご関係があまり芳しくないことを。今までは国と国の関係を重視して他国との縁談が多かったのは確かだ。武力による衝突をできる限り避けたいのは小国だけではない。ガイヤードも大きく力があるとはいっても、好き好んでその力を見せつけることは得策ではない。あまりに過ぎる力は反面跳ね返りも多いものだ」
リュシェンヌは黙って聞き入る。
「国の始まりがそもそも様々な民族の寄せ集めだ。長い歴史の中で融和が図られてきたとはいえ、どこか特定の者を優遇すれば反発も起きる。だからあまり国内で国王の妃を探すことはなかった。だが、残念ながら現状は良くない」
兄は一旦そこで話を切るとリュシェンヌの顔を見てからまた話し始めた。
「聞き苦しい話かもしれないが、この機会に伝えておこう。ご結婚当初の陛下は政略結婚ではあったが王妃様と打ち解けようと努力されたらしい。『らしい』というのは、まあ父上からの伝聞なのだがね。だが、王妃様はドアネフ王家の姫であるという誇りがあまりにも高かった。ドアネフは大陸の北にあり、さほど大きな力を持っているわけではないが、ガイヤードに次いで古い歴史を持つ国だ。まして大国に嫁いできたのは王妃様にとって人質になるような思いだったのかもしれない。絶対にそのようなことはないのだ。王妃様のお子様が次代のガイヤード国王になるのだから。二人もお子をもうけながら、しかし王妃様は陛下になかなか心を開こうとはしなかった。そのうちに…陛下は…一人の踊り子に心を奪われてしまった」
あまり社交界には出ないリュシェンヌの耳にも国王夫妻の不仲は届いてはいたが、ここまで具体的な話は初めてだった。
「陛下のお気持ちに同情はできないが、王妃様との生活に疲れていらしたのかもしれない。ただ相手が悪かった。いやその踊り子本人がということではなく、平民のしかも下賤と言われるような職業の娘だったということだ。誰か遊び仲間の貴族の邸で、その踊り子のいる一座が余興を請け負っていてそこで出会われたということだ。陛下にとっては遅れてきた初恋のようなものだっただろうが、残念ながらその貴族の口から王妃様の耳に入ってしまった。王妃様は当然陛下を非難する。どうやら裏から手をまわしてその貴族を通じ娘に金をわたして追いやったらしいのだよ」
「それは…」
「陛下はさすがに王妃様を許せないと思われたようだが、その腹立ちを王妃様にぶつけたやり方もまずかった。大変失礼な言い方ではあるが、なかば無理やりその…関係を強要して、その結果お生まれになったのが第三王子ということだ。だからなのか、両陛下ともあまりお子様たちに関心をお示しにはならない。まして第三王子のことはほとんど気にかけることもない。おまえもマリク様とルース様のことは存じ上げていても、第三王子に関してはお名前を聞いたことがあるという程度だろう」
「そうですね…確かカイル様と。私自身が公の場に出ることもないので、存じ上げているのはお名前だけです。マリク様は当然王太子となられますし、ルース様はお体が弱いのでご自身のご希望でアーメド教の神官になられるとは伺っております」
「これは父上がちょうどその頃国の中枢にいたからこそ知っていることだ。父上も私が文官になった時に教えてくださった。この話を知らずにいたらどこかで両陛下をご不快にさせるかもしれない。ましてやお前は女性だから、うっかり男性の不実な態度を非難するようなことがあるかもしれない。昔から曲がったことが嫌いだったからね。話そうかどうか迷ったのは話しているうちにお前が怒ってしまうのではないかと心配でね。私に対してだよ」
「確かに、以前の私でしたらそんな話を聞かせるお兄様に怒っていたかもしれません。でもお兄様、文官の心得のひとつは常に平常心であれということでしょう」
「やられたな、お前…本当にすばらしい成長ぶりだよ。私には妹だけかと思っていたが、どうやら頼もしい弟もいたらしい」
「失礼ですわ、お兄様。私のどこが弟に見えまして?この姿を見てください。久しぶりに精一杯のおしゃれをして来ましたのに」
「いやいや、知っているぞ、リュシー」
「はい?何をご存じなのですか?」
「お前私塾に通っていた時、男の子の恰好をしていたそうじゃないか」
「なっ、なんでそのことを!」
「私の情報網を甘く見るなよ。その頃家にいなかったといっても、ちゃんと把握しているのだから」
「アンナですか、お兄様に言いつけたのは!!」
「彼女を疑っては可哀そうだろう。あんなにお前を第一に考えているのに」
「で…でも、それじゃあ誰が…」
「内緒。教えない。教えたら今後情報が入らなくなるから。まあ、今後はせいぜい私の耳に入らないように努力したまえ、弟くん」
「くう…っ」
「まあ、冗談はともかく。そういうこともあって、次の国王になられる王太子には国内の令嬢も結婚相手の候補に入れようと言う試みがあるのは確かだよ。同じ国のほうが馴染みやすいのではないかと言う配慮だね。それもあって今までご婚約も決まっていなかった。そこで振り出しに戻るが、どうだね、リュシー」
「しつこいですわね、お兄さま」
「さっき妻が言っていただろう、若い人中心の舞踏会があると。あれは立太子に合わせて行われる予定で、若い王太子が気兼ねなく話せる若者をと言う建前だが、要はお妃候補もついでに選ぼうというわけだ。そこで高名な侯爵家令嬢であるお前にもお声がかかるだろうと」
「お願いですから、やめてください。王家に加わるなんて考えただけでぞっとします。かた苦しい決まり事だらけの生活はお断りです。私にはやりたいことがあると何度も言っているはずですが」
「やはりそうか、まあ、最初からわかってはいたがね」
「でしたら最初からそんなご冗談はやめてください。お兄さまもお忙しいでしょうから、私はそろそろ…」
兄はリュシェンヌに向かって待てと言うように軽く手を挙げた。リュシェンヌが首を傾げて見返すと、兄はそれまでとは打って変わった沈鬱な表情を浮かべる。それでもまだしぶっていたが、一度下を向いた顔を上げたとき思い切って話すことに決めたらしく低い声で話し出した。




