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第17話 責務 その4

 院での勉学は想像以上に厳しいものだった。ただ机に向かって教えられることを吸収するだけでなく、自分でも次々と新しい課題を研究し、発表していく必要がある。特に政治経済や軍事に関しては現在の情勢を踏まえたうえで問題点と解決法を見出し、将来に向けてどのように国を発展させていくのか、理想だけではなく実際に運用可能な案を求められる。教師たちも学園の倍以上に厳しく、院生が穴だらけの計画を出そうものなら容赦のない言葉を降らせて来るのだった。


 実質最年少のリュシェンヌは必死にくらいつくしかない。他の院生は年上の男性がほとんで、女性は大変少なかった。まして年若いリュシェンヌは相手にされていないも当然だった。リュシェンヌは私塾に入ったころの心細さを久しぶりに思い出しつつも、なんとかみんなに追い付こうと毎日遅くまで勉強を進めた。


 1年ほどたつと、教師から自分の専門分野を決めるようにと言われたので、リュシェンヌは悩んだ。軍事は眼中にないが、政治か経済か、もしくは法律か…どれも強く結びついているので選び難いが、国の経済がどれほど豊かであろうと、その政策によって国民が苦しむこともありうる。やはり政治か…リュシェンヌは心に決めた。


 政治を専門とするにあたり、リュシェンヌは久しぶりに次兄のもとを訪れようと思った。次兄のサハドは文官として、つまりリュシェンヌが目指す地位にあり、将来を嘱望されている。別にその威光を利用しようとは思わない。そんなつもりなら父の名を出せばいいのだから。ただ、実務を離れて久しい父よりも現役である兄の方がより適切な助言をしてくれるのではないかと思った。


「お兄様、お久しぶりです。ご無沙汰して申し訳ございませんでした。フレデリケお義姉さまもお変わりなくて何よりです。サミュエルとジョゼは元気にしておりますか」

前もって使いをやり訪問の意思を伝えたのち、兄の屋敷を訪れてリュシェンヌは兄夫婦と向かい合った。その場にいない甥たちの様子を尋ねる。さすがに今日は侯爵家令嬢として恥ずかしくない服装を身につけているので、それに関して兄夫婦からお小言はもらわなくてすむだろう。


 サハドが笑顔で答える。

「ああ、二人ともあまりに元気すぎてね。早めに学園に通わせて、剣の稽古もさせているのだよ。それでもまだ喧嘩をする余力があるぐらいだ」

フレデリケも待ちきれずに声をかけてきた。

「まあ、リュシェンヌ様、本当にお久しぶりですわね。しばらくお会いしないうちになんてお美しくなられたこと。これならどこへ出しても求婚の申し込みが殺到しそうだわ」


 彼女はリュシェンヌの現状についてあまり把握していないようで、ごく一般的な反応を示した。世話好きで、話し好き。大変穏やかで優しい性格なのでリュシェンヌも大好きな義姉ではあるが、何より年頃の令嬢を美しく飾り立ててみんなに自慢したいという気持ちが強いので次々と話しかけてくる。


「そうだわ、もうすぐ王宮での舞踏会があるのよ。そんなに大げさなものではなく、若い方々が中心に招待されるものなの。あなたのところへも招待状が届くはずですわ。心配なら私が喜んで同伴いたしますから、ぜひお声をかけてくださいね」

「ありがとうございます。その…機会がございましたら」

義姉はリュシェンヌが遠慮しているとでも思ったらしい。

「リュシェンヌ様は恥ずかしがり屋さんでいらっしゃるのかしら。あまり社交界には顔を出していらっしゃらないでしょう。私もよく尋ねられるのよ、どんなご令嬢かしらと」


 リュシェンヌが答えに窮しているので、兄がようやく助け舟をだしてくれた。

「ほらほら、リュシーは私に聞きたいことがあるから来たのだよ。君はそろそろお友達のところへ訪問する時間だろう」

「あら、そうだったわ。ごめんなさいね、リュシェンヌ様。またこんなに間をあけずに遊びにいらしてくださいね」

「はい、ありがとうございます。ぜひ近いうちに」

「舞踏会のこと、忘れないでね」


 義姉は最後まで楽しそうに念を押しながら退室していった。今日の彼女の頭の中は可愛い義妹に似合うドレスや宝石のことでいっぱいで、そしてこれから訪問するお友達の所でリュシェンヌのことを自慢したくて仕方なかった。彼女が出ていくとサハドは苦笑しながら弁解してきた。

「すまないね、あれにはお前の今の生活はあまり教えていないのだよ。ごく普通の奥方なのでちょっと理解してもらえないかと思ったから。私の書斎に行こうか。何か聞きたいことがあるのだろう?」


 兄の書斎には壁一面の本棚があり、ありとあらゆる文献がそろっていた。その前に座った兄はリュシェンヌにもそばの長椅子を勧めてじっくり話を聞く姿勢をとった。

「お兄様、私は今ご存じの通り院で学んでおります。指導してくださる先生から自分の専門を決める時期だと言われました。ずっと悩んでいたのですが、やはり政治を学んでいきたいと思っているのです。お兄様と同じように」


 サハドは久しぶりにじっくりとリュシェンヌの顔を見ていた。妻が言った通り大変に美しい。ただ顔立ちのことだけではなく、自分の意思をはっきりと持った美しさだ。それは普通の、と言っては失礼かもしれないが、貴族令嬢にはない厳しささえも内包する美しさでもあった。外見だけでも妻が言ったように、社交界に出れば結婚の申し込みはすぐにあるだろう。ましてや妹は侯爵令嬢だ。政略的または経済的にも魅力のある存在なのだから…兄は妹が社交界に顔を出さない理由もよく理解していた。


「リュシェンヌ、君が決めたことなら私はそれを応援するよ。だが、わかっているだろうがリード侯爵家の名を利用することは許されない。父上も一切の手助けはなさらないだろうし、私も同じだ」

「はい、わかっております」

「それならば少しだけ今の国の状態について助言をしておこうか。今の国王陛下の基本的な方針はわかるか」

「はい、ご自分のお考えを強く打ち出されることはないと伺っております。枢密院や高位貴族たちの合議にまかせ、その結果を追認されることが多いとか」

「多いというよりはほとんど全てといったところだな。大変穏やかで争いごとを好まないご性質ではあるが、あらゆることを貴族たちに任せきりというのは…ちょっと困ったことでもある」


 リュシェンヌは兄がそんなことを言うのは初めて聞いたのでちょっと焦ってしまう。

「よろしいのですか、お兄様。そのようなことを国王陛下に対して」

「ここには私たちだけだろう。だから言うのだよ。ましてやお前はこれから文官を目指すと言っている。そういうことを知っておくことも大切だ。だからと言って陛下と国家に対する忠誠に変わりはない。私は私のやるべきことを粛々と進めるだけだ。私はまだ非力ではあるが、この国を良い方向に進めていく責任があるのだからね」

リュシェンヌは姿勢を正して兄の話を聞き始めた。



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