第15話 責務 その2
リュシェンヌは自分が恵まれた立場にあることを重々承知したうえで、その立場にある以上は果たさなければならないことがあると胸に刻み込んでいた。これはリード侯爵家に代々受け継がれてきた気質であるかもしれない。父や兄たちに特に言われたことはないが、普段の彼らの振る舞いを見ていればそれが当たり前だと思って育った。
長兄は武官として、次兄が文官としてそれぞれ自らにふさわしい道を選択した。ひとり娘であるリュシェンヌは本来ならばおとなしく社交界に入り、いい嫁ぎ先を見つけることが貴族階級の常識だろう。しかし父はそれをリュシェンヌに勧めてくることは全くなかった。いろいろと思うところはあっただろうが、リュシェンヌが自分で道をみつけるだろうと信じてもいるようだった。
おかげで学園でもリュシェンヌは自分を飾ることなく、充実した勉学の日々を過ごす。ある日、リュシェンヌは中庭で久しぶりに気の合う令嬢たちとのんびりしていた。彼女たちの繰り広げる流行の服やおいしい菓子店の話などあちこちに飛ぶ話題を、半分考え事をしながら聞いている。その時リディアという男爵家の令嬢が遠くを指し示して小さな声をあげた。
「ねえ、あちらをごらんなさいよ。ダガード伯爵家のアーチボルト様ではないかしら?」
他の令嬢たちもそれを聞いてそわそわし始めた。
「本当だわ!アーチボルト様は一応院には籍をおいていらっしゃるけれど、最近はめったにいらっしゃらないのに。めずらしいわね」
「ほら、リュシェンヌ!どこを見ているの。そちらではなくて教員棟の方よ」
「えっ、何か言った?」
「もう、リュシェンヌったら、ダガード伯爵家のご子息よ。とってもすてきな方なの。みんなの憧れの君よ。ほらほら、行ってしまう」
せかされて見上げると、黒髪で背の高い学生の後ろ姿が見えたが、すぐに建物に入ってしまったので顔まではわからなかった。
「ああ、遠くからでもすてきだったわ。でもできればゆっくりお話ししたかったわね」
「もっと学園に通ってくだされば嬉しいのに。お忙しいのね、残念だわ」
「以前は先輩としてとても良くしていただいたものね。代表の立場で学園側にもいろいろと伝えてくださったし」
彼女たちは口々に興奮した様子で語り合う。
「そんなに人気のある方なの?」
「相変わらずね、リュシェンヌ!あんなに有名な方なのに」
「そう言えばリュシェンヌは私たちより少し遅れて入学してきたから、すれ違いで知らなかったかもしれないわね」
「でもアーチボルト様だけではないわよ。リュシェンヌの口から男性の話は聞いたことがないわ。勉強しか頭にないのはわかっているけれど、そのままでは適齢期になってからあせっても遅いわよ」
「そうよ、私たちはあなたが頭でっかちなだけではなく、とってもいい娘だってわかっているけれど、男性にはなかなかそれは通用しないものよ」
「頭でっかち…それは一応褒めてくれているのかしら?」
小声の抗議は無視されたようだった。
「アーチボルト様はね、ダガード伯爵家のご嫡男なの。立派なお家なのはさすがに知っているでしょう?お小さいころから第三王子様の側仕えとして勤めていらっしゃるから学園に来られることも稀だけれど、女の子たちの間では一番人気よ」
「そうそう、私たちはしがない地方貴族の娘だけれど、高位の令嬢の中には将来の結婚相手として狙っている方も多いのよ」
「第三王子とはいえ王族の側近ですもの、あの若さで。出世は間違いないでしょう。ただご本人がとにかく王家に忠節を尽くす方なので、親しい女性はいらっしゃらないようね」
「逆に言えば浮気の心配はないでしょうということよね」
「きゃあっ」とみんなが笑いさざめき、沸き立った。普段は男性の品定めなどしない友人たちが、こんなに盛り上がるのは珍しい。ところが、その時後ろから鋭い声がふってくる。
「身分もわきまえず伯爵家のご子息の噂話をするなんて、身の程知らずというものですわね」
みんなが振り向いてあっと声をつまらせる。アデレイドという公爵家令嬢で、リュシェンヌとはとにかく気の合わないお嬢様だった。今日も何人かの取り巻きを引き連れていて、いかにも貴族的な冷笑を浮かべながら続けてきた。
「あちらも高名な伯爵家なのだから、お相手はそれなりのお家の方からお選びになるでしょう。そんなこともわからないなんて」
リュシェンヌは何か言い返してやろうと思ったが、それを察した周りの子たちに袖をつかんで引きとめられる。アデレイドはつんとすまして行ってしまった。
リディアが小声でリュシェンヌの耳元にささやく。
「リュシェンヌ、さっきアーチボルト様との縁談を望むご令嬢がいらっしゃると言ったでしょう?その筆頭がアデレイド様なのよ」
「えっ、アデレイド様はブラウエルス公爵家のご令嬢よね。それなのに伯爵家のご子息を?」
「アデレイド様の我儘ぶりと浪費癖は高位の貴族の方々には有名だから、まだどなたとも婚約まで進んでないのよ。私たちより少しお年上だから、あれほどのお家ならもうお相手が決まっていてもいいのだけれど」
「確か幼い頃に許婚の方がいらっしゃったと母から聞いたことがあるけれど、何かのご事情で解消されたらしいとも伺っているわ」
「だからね、公爵家から伯爵家に申し入れればお断りしづらいだろうというわけなの」
「ああ、アーチボルト様、お気の毒だわ。もしそんなことになったら…」
「ご本人はともかく、伯爵家としては断り切れないかもしれないわね」
彼女たちは口々に憧れの君のあまり好ましくない縁談について話し続けた。リュシェンヌにとって結婚はともかく、貴族たちの力関係には興味がわいたのでめずらしく熱心に耳を傾けたのだった。




