第12話 邂逅 その11
それでも彼女の気持ちなどお構いなしに月日は過ぎていった。12歳の誕生日が近づいたころ、リュシェンヌは父の書斎に呼ばれた。何を言われるのか予想はついていたが、ついに来てしまったという暗い気持ちでいっぱいになる。
「リュシー、最初の約束通りそろそろ学園に入って貴族として必要な教育を受けなさい」
「はい、お父さま」
「もちろん、先生や友達にも挨拶したいだろう。すぐにとは言わない。ゆっくりしておいで」
「ありがとうございます、お父さま」
「どうした。随分と素直だな」
「それは本当に感謝しているからです。この2年間私はごく普通の女の子として心から笑いあえる友達や、刺激を受ける競争相手もできました。こんな経験は滅多にできません。私の一生の宝物です」
侯爵はちょっとびっくりしたように目を見張るとすぐに微笑んだ。
「バルトに預けて良かった。これほど立派な挨拶ができるようになったとはね」
「お父さま、バルト先生とは昔からのお知り合いなのですか?」
「うむ、彼はあまり言いたくないだろうから詳しくは言わない。ただ彼は若いころ私の下で働いてくれたのだ」
「もしかしたら国軍の軍属ということでしょうか」
「この話はもう終わりだ。さあ、もう行きなさい」
自分の部屋に戻って寝床に横になると、2年間の思い出が一気に湧き上がってくる。
(本当に私の宝だわ…これから何があっても大丈夫)
今週がおそらく私塾に通う最後の週になるだろう。心残りのないように全力を尽くそう。そして週があけたらみんなにお別れを言おう。そう決意したリュシェンヌはバルトに願い出た。
「先生、お願いがあります」
「お前のお願いはちょっとこわいな」
バルトは苦笑しながら返してきた。
「かなわないまでもフェリクスと本気で戦いたいのです。お願いします」
しっかりとバルトの目を見つめて言い切った。聞いていたみんなが驚いてざわめく。
「フェリクス」
バルトが側で聞いていたフェリクスを呼ぶ。フェリクスは静かに歩み寄ってきた。
「今聞いたとおりだ。判断はお前に任せよう。どうする」
「受けます」
「そうか、みんな裏庭に出なさい」
リュシェンヌが練習用の短剣を持って構える。フェリクスも短剣を手にしていた。みんなが少し離れて周りを囲む。リュシェンヌは目をつむってゆっくりと呼吸を整え…そして目を開いた。フェリクスも同じようにする。彼らの纏う空気が変わったことにみんなが息をのむ。誰も言葉を発しない。バルトの合図もなく、二人はゆっくりと間合いを詰めていく。
最初はリュシェンヌから仕掛けたが、かわされた。すぐに相手の短刀がくりだされてくる。リュシェンヌの目にはフェリクスしか映らない。彼も同じだと思った。何も考えず、体が動くままにまかせる。彼の首、腕、胴を次々と狙って短刀をくり出すが避けられてしまう。反対に彼の短刀がリュシェンヌの胴に食い込みそうになり、身をひるがえしギリギリのところで避けた。振り向きざまに短刀をすくい上げると、フェリクスの袖をかすめた。左手を搦めとられそうになり、すばやく間合いをとる。ザザッという足音と短剣が空気を切る音、時々思わずといったように発する短くするどい声しか聞こえない。
リュシェンヌは必死だったが、反面フェリクスに感謝していた。これほど全力で戦ってくれるとは思わなかったのだ。何かと反発しあう相手ではあったが、互いを認め合うことができたと心から思えた。体力の限界を感じてこれが最後と思い切って飛び込んだ時、彼女の短剣はフェリクスに弾き飛ばされていた。
リュシェンヌはその場にへたり込んでしまった。呼吸ができずに目がちかちかする。フェリクスも息を荒げているのがわかる。彼が手を伸ばしてきたのを見てリュシェンヌはその手をしっかりとつかんで立ち上がった。
周りにいたみんながワッと駆け寄って来て口々に褒めてくれるのを、リュシェンヌは肩で息をしながら何も言えずにながめていた。やっと口がきけるようになって、フェリクスに向かい合う。
「フェリクス、ありがとう」
声をかけながら右手をのばすと、フェリクスは何も言わずに力強く握手をしてくれた。
「さあ、みんなも稽古を始めなさい」
バルトが何もなかったかのように声をかける。みんなも二人に刺激を受けたのか普段より熱心に練習するのだった。




