第11話 邂逅 その10
翌週リュシェンヌは手に入れた服を自分で持って塾に向かった。アンナの叔母の家で着替えさせてもらうと、アンナも叔母も呆れかえって目を丸くしてしまった。
「お嬢様…本当にそんな格好でここから塾までいらっしゃるのですか?」
アンナはもう泣きそうだ。
「ほら、髪をひとつに結んだら邪魔にならないでしょ。動きやすいのが一番なのよ」
すまないとは思いつつ、これで遠慮なく動き回れるとそちらのほうに夢中になっていてアンナの気持ちを思う余裕はなかった。
すっかり男の子の姿になって現れたリュシェンヌに他のみんなもポカンとしていたが、普段から負けず嫌いの彼女の性格はすでに知れ渡っていたので、何も言われなかった。バルトもちょっとおもしろそうな顔をしたが、すぐに授業を始めた。
体術の時間になると、リュシェンヌはバルトに男の子たちと組ませてほしいと申し出た。だがバルトはすぐに認めはしなかった。彼女の動きをじっくり見極めてから、初めてハンスと組むように言う。体の大きいハンスに対して、リュシェンヌは慎重に動いた。調子に乗ってはいけない。女の子だからと遠慮されたり、手加減されたりしないためには実力を示さなければならないだろうから。いつもの練習が終わるころになると、さすがにリュシェンヌは疲れ切っていたが、気分は最高だった。何と言っても体を自由に動かせるのが嬉しい。相手をしてくれたハンスに礼を言う。
「ありがとう、ハンス。いつもより動きにくかったでしょう。ごめんなさいね」
ハンスはちょっと考えてから真面目な顔で話し出す。
「いや、アンナ、正直最初は手加減してやろうかと思っていたけど、途中からそんな余裕はなかったよ。しょせん女の子だからと軽く見ていた。すまん!」
「お世辞じゃないの?」
「いやあ、ホントだって。次回からは最初から全力で相手するぜ!」
周りで見ていた他の子たちもニコニコ笑ってすごいと声をかけてくれた。アンナは胸がいっぱいになって、声が出せない。マリとローザも楽しそうに話しかけてくる。
「最近は兵士にも女の人がいるそうだし、アンナもきっともっと上達するわよ」
「そうそう、私なんかあっという間に抜かされたもの。でもその格好には驚いたわ。アンナにはいつもびっくりさせられることばかりよね」
「さすがはアンナだわ」
よくわからないが褒めてはくれているようだ。バルトはそんなリュシェンヌをじっと見つめて何事か考えているようだし、フェリクスはいつもと変わらず無表情だった。
それからというもの、体術の時間にはリュシェンヌは男の子たちと同じ指導を受けるようになった。まだ力もないので、本気を出した年上の男の子たちにかなうわけはないのだが、それでもハンスやトマスはすごいと言ってくれる。ただいつまでたってもフェリクスやルキにはかなわなかった。ルキは小柄で非力に見えるがその分身軽で動きがすばやい。何の力も入れていないように見えるのにスルッと逃げられてしまい逆に手を取られる。フェリクスはリュシェンヌを相手にするときには本気を出していないのにかなわないのだ。悔しくていつも終わったときにはにらんでしまうが、相手にされない。
何とか一歩でも近づきたいリュシェンヌは、ルキに頼んでコツを教えてもらうようになった。彼の動きを学べば、非力な女性でもやりようによっては男性に負けないのではと思ったのだ。ルキは恥ずかしがり屋だが丁寧に教えてくれた。天性の身軽さと身体能力は真似しようもないが、彼のおかげでリュシェンヌは着実に上達していると確信していた。
ルキは自分から話しかけてくることは少なかったが、それでもリュシェンヌとは練習の合間の休憩中にぽつぽつと会話するようになっていた。特にリュシェンヌがローザの小さな弟と時々一緒に遊ぶという話をすると、ルキは自分の妹たちの話をしてくれた。
「妹たちはまだ小さいから上手にできないけど、それでも自分の使った食器をがんばって片付けようとするんだよ。危なっかしいから手を貸そうとすると怒ってダメって言うんだ」
「かわいいわね」
「うん、宿題の邪魔をされることも多いんだけどね。やっぱり年が離れているからかな、かわいいよ」
妹たちの話をするルキの顔はいつにも増してやさしく微笑んでいた。
体術では男子にかなわない分、リュシェンヌは勉強では誰にも負けないように常にバルトの話を食い入るように聞いていた。意見を述べる時にはなぜか、フェリクスと衝突することが多い。彼女の意見に彼が反対し、彼の提案に彼女が疑問を呈する。教室は白熱した議論の場となることも多く、他の子たちも巻き込んで討論は続いた。
1年が過ぎたころ、バルトはリュシェンヌに短剣を持たせた。長剣は重くてさすがにリュシェンヌの今の体格では扱えないが、短剣ならばなんとかなりそうだ。練習用の刃を入れていない短剣を使ってバルトと相対する。隣で男の子たちがこちらも練習用の長剣をふるっている間、バルトと向かい合ったリュシェンヌはひたすら短剣をにぎっていた。
そのころ突然ルキが塾に来なくなった。みんなが心配していたが、誰にも理由はわからなかった。何日か過ぎたころ、バルトが近所の人から聞いた話をしてくれた。それによるとルキのお父さんが突然亡くなり、お母さんとルキやその妹たちは遠くの親戚に引き取られていったそうだ。ルキの父親は染め物職人だったが、家に余裕がないので親戚に引き取られるのは仕方のないことだった。
みんなお別れも言えずに去ってしまったルキを想い、泣きそうな顔をしている。あんなに塾が好きで、体術もうまくて、きっとすばらしい大人になっただろうに。リュシェンヌも親切に教えてくれたルキのおかげでずっと身軽に動けるようになったので、感謝の気持ちしかなかった。せめて一言お礼が言いたかった。肩を落として帰り道を歩いていると、後ろからフェリクスが追い付いてきた。リュシェンヌは誰かとルキの話をしたかったので、彼に話しかけた。
「ねえフェリクス、ルキの事、残念だったわね。親戚のおうちでも勉強を続けさせてもらえるかしら」
「言っても仕方ないだろう」
「仕方ないって…それだけなの?」
「暮らしに余裕がないのはルキのせいではないが、俺たちにできることはない」
「…確かにそうかもしれないけど」
「他人のことより自分の心配をしたらどうだ。ルキに教えてもらってなんとか俺たちについてこられたのに、これからどうするんだ」
リュシェンヌはカッとなって大声で言い返す。
「何よ、それ!ルキのことを心配してはいけないの?確かに私たちは子供だから今は何もできないけれど、大人になった時にこんなつらいことが起こらないように覚えておくことはできるわ。体術ならご心配なく。絶対にあなたには負けないから」
リュシェンヌは腹を立てて足を地面に叩きつけるように進む。フェリクスから少しでも早く離れたかった。わかってはいるのだ、これは八つ当たりだと。何もできない自分が情けなくて、悔しさに視界がにじんだ。
その日はずっと考え事をしていて、食事中も心ここにあらずという状態だったので、両親から諭されてしまった。




