悪役令嬢ですらない私は
「アイリス・クライン!君との婚約は、破棄させてもらう!」
「なっ…」
王子が堂々と叫ぶ。その横でわざとらしく しなを作り袖で顔を隠す男爵令嬢。
本来は卒業パーティーで、祝いの場なはずのホールはしんと静まり返った。
私は、
王子の目の前で唇を戦慄かせるアイリス様____ではなく
切なげな目で男爵令嬢を見つめるガイア様、の婚約者である。
・
・
幼い頃、私 トレッサは婚約者としてガイア様を紹介された。
私の家___キングストン家は由緒ある名家として名を馳せていたが、祖父の代で廃れていき、私が生まれた頃には既に貴族とは名ばかりの没落寸前の家だった。対して、ガイア様の家であるシートン家はガイア様のお父上の代で子爵から公爵へとのし上がった……言い方は悪いが成金である。
キングストン家は資金が、シートン家は名家の名前が欲しかった。つまり、この婚姻は両家の利害が一致した以上避けられないものだったのだ。
分かっている。
こんなものは政略結婚だ。私だってガイア様だって嫌がっている。
………いた、はずなのだ。
いつからか分からない。この恋心は、息をするように自然に、いつのまにか私の中に居座っていた。
冷たい言葉しかかけられたことがない。目が合うことだって稀だ。口を開けば悪態を吐くし、婚約者だというのに贈り物どころか甘い言葉ひとつかけられたこともない。
それでも。それでも私は、ガイア様が誰より努力してることを知っている。本当は優しくて、少しだけ泣き虫なとこも、意地っ張りで負けず嫌いなことも。
いつか来ると思っていた。
でも実際それを目の当たりにしたとき、自分の覚悟がどれほどに甘かったのかを思い知った。
ナタリア様が私達と出会ったは、丁度今から2年前のことだった。
平民ながら魔力を持つナタリア様は、その扱い方を学びに、たったお一人でこの学園に編入してきた。
当時は不安なこともあるだろうと、王子であるレイン様自らよく声をかけてあげて。レイン様の右腕であり旧友であるガイア様も、必然的に行動を共にするようになったのである。
よく笑って泣いて、失敗を恐れないナタリア様は誰から見ても魅力的な人物だった。…私達は、感情を抑制するよう幼い頃から教育されてきたから。
彼女の前だと皆つられて素の自分になり、皆が彼女に夢中になった。
そうして、気付いたときには、上流貴族の男子生徒はほとんど彼女に籠絡されていた。
…ガイア様、も。
ナタリア様は凄い。可愛くて、強くて、努力家だ。
でもね、ガイア様がいないと、私に意味なんてないの。
お願い、なんでもあげるから、だからせめて、ガイア様だけは、私の傍に居させてほしい。
………たとえ、ナタリア様がいなくたって、ガイア様の心は手に入らない。
そんなこと、もうとっくの昔に分かっている。
・
・
※ガイア視点(視点変わります)
幼い頃から、自由がなかった。
決められた台詞、決められた仕草、決められた未来…。
全て周りが望むように生きてきた。
何もかも諦めて、死んだような目で日常を送っていた俺を救い出してくれたのは、普通の少女だった。
ナタリアといるときだけ、俺は身分やしがらみから逃れることが出来た。ただ、その先は望めなかった。
分かっていた。彼女が誰を好きか、なんて。
学園を卒業したあと、俺はナタリアの結婚式に出席し、暫くしてトレッサと結婚した。
そうして、また皆の望む"ガイア様"を演じていく。
王太子の側近として淡々と仕事をこなし、ただ日常を消費した。
そして、愛してもいない女の元へ帰る。
「お帰りなさい、あの、ご飯が出来て、」
「いらない。今日は寝る」
出迎えをしたトレッサを押し退け、自室へ向かう。
結婚してから、俺は夜中にしか家に帰らない。ナタリア以外の女なんて吐き気がするからだ。
トレッサには部屋には来ないよう言ってあるし、会うのは朝晩のみ。食事も共にはしない。
夜も寝ていればいいのに、あの女はいつまでも起きて俺の帰りを待っている。それがなんだか、気に食わなかった。
思えば、トレッサは最初からおかしかった。同級生は婚約者ができた途端 宝石や装飾品を強請られ、毎日贈り物に頭を悩ませていたが、俺は送ったこともない。文通もしてないし、そもそも興味がなくて顔もしっかり見たことがない。だがそれに、不満を言われたこともなかった。
学園を卒業した後も、ナタリアへの恋慕を理由に殆どの男子生徒が婚約を破棄され、跡継ぎから下ろされた。それが出来なくとも、女子生徒の家に有利な条件で結婚していた。
だというのに、俺は何も問われなかった。何もなかったように、そのまま、俺に有利な条件でトレッサと結婚した。
トレッサは、何も言わない。何も言わずに、夜中まで俺を待っている。
・
・
「最近、ナタリアが妃教育を嫌がってな。
……母上とも折り合いが悪いんだ」
近頃レイア様があまりにもやつれてきていたので、休憩を勧めるとレイア様はぽつりとそう漏らした。
当たり前だ。ナタリアは女生徒と上手くいっていなかったし、なにより…皇后はアイリス様がお気に入りだった。
突然現れた平民の女など受け入れられるはずもないだろう。
「お前はどうなんだ、新婚だろう」
ぐったりしたレイア様に聞かれ、言葉に詰まる。
…いつまでもこの状態でいられるとは思っていない。
もう他人のものになったナタリアに興味などないんだ。けれど、他の女を大切に思うことも出来なかった。
レイア様に早く帰れと追い立てられ、初めて日も沈まない内に屋敷へと帰った。
「お帰りなさい…っ?!」
出迎えたトレッサの腕を掴み、今まで一度も使われたことのない寝室へ引き摺る。
「ど、うされたんですか……っい゛」
ベッドに無理やり押し倒すと、トレッサは小さく悲鳴を上げた。
「…夫婦の務めを果たそうか」
別に、本当にしようとした訳じゃない。ただ、彼女の歪んだ顔を見たいと思った。
唖然とした表情のトレッサの頬に手を伸ばし、ゆっくりと身体に滑らせていく。
初めて触れた身体は、思ったより華奢で頼りなかった。
「……抵抗しないんだな」
わざとらしく身体の線をなぞっても、震えるだけで拒絶反応を見せない。
怪訝に思い問いかけると、トレッサは大きな瞳に目一杯涙をためて、
酷く苦しげに、笑った。
「そんなに、嫌か」
ぽつりと呟くと、微かに首を横に振る。
そして、手をゆっくり頬に伸ばされた。
「傍にいて、ごめんなさい」
囁くように溢れた言葉は、俺への謝罪で。
思わず後ずさった。重心がぶれて、ベッドの上で尻餅をつく。慌てたようにトレッサも身を起こした。
「ぁ、あの、目隠ししますか」
「………………は?」
「ナタリア様だと思えば多分出来ると思うんです」
薄暗い寝台の上で、トレッサは場違いに明るい声を出す。
知ってましたか、実は私、ナタリア様と身長も体重も一緒なんですよ。
だから、ナタリア様の代わりにはなれなくても、目隠ししてたら何とかなると思いませんか。
「ちょっとまって、待ってくれないか」
「…っはい」
すぐに大人しくなるトレッサはまるで、何かに怯えているようで。
「さっきから……その、勘違いだったら悪い。
俺のことが好き、みたいに聞こえるんだ」
別に、俺と結婚する必要なんてなかった。トレッサは美人だと評判だし、俺じゃなくたって幾らでも嫁の貰い手はあっただろう。金が欲しいならナタリアのことで脅せば今より大分優雅な生活が送れただろうし、跡継ぎが欲しいなら尚更、俺じゃなくていい筈だ。
…なんて、必死に言い訳を捻り出すも、そんなものはただの憶測に過ぎない。俺がこの結論に至ったのは、あまりにも____トレッサが、泣きそうな顔をしていたから。
「…すき、です」
呆然とした顔で言うと、トレッサはハラハラと涙を溢した。
そのあと、またごめんなさいと謝る。
トレッサの小さな声を聞いた途端、今まで自分がしてきた仕打ちに気付き 罪悪感に押し潰されそうになる。最低だ。何故今まで自分が一番不幸な面をして生きてこれたんだろう。どれだけトレッサの気持ちを踏みにじってきただろう。
ゆら、と定まらない視線を動かすと、トレッサは綺麗な目元を赤く染めて泣いていた。
セットされていたはずの髪は乱れ、白い腕には掴んだ跡が残り、アイロン掛けされたドレスはぐちゃぐちゃに皺が寄っている。
そのあまりの痛々しさに息を呑んだ。
・
・
※トレッサ視点(視点変わります)
「今まで……すまなかった、その、色々と…」
あのあと、逃げるように自室へと戻ったガイア様は、翌日 私の部屋に来て深々と頭を下げた。
「っいえ!ガイア様が謝ることなんて何もありません!
私の方こそ…変なことを言ってすみませんでした」
慌てて どうか頭を上げてくださいと言うと、ガイア様は苦しげに顔を歪めた。
確かに、私なんかに告白されても気持ち悪いだけだろうなぁ。普通に嫌だよな、離婚したいだろうなぁ。顔も見たくないだろう。
…でも私は狡いから、私からは離れる言葉を言ってあげられない。
ごめん、ごめんなさい、ガイア様。
「…違うんだ。
君の告白は驚いたけど、…その、嬉し、かったよ。取り繕わない俺を受け入れてもらえた気がした。
だからこそ……すまない。
何をしたら償えるか分からないけど…君が、もし、許してくれるのなら……君の夫として、努力していきたいと思ってる。」
拳を震わせながら、それでも真っ直ぐ見つめながらそう言い切ったガイア様を見て、思わず涙が溢れ出てしまった。
慌てるガイア様を見て、泣きながら笑う。
あぁ、やっと。ようやく。
私は彼に好きと伝えることが出来るようになったんだ。
・
・
「こんなとこにいたのか」
ふわりと後ろから抱きしめられて、瞬間触れられた箇所から体温が上がる。
「は、い…。庭の薔薇が綺麗に咲いていたので…」
しどろもどろに答える私に、ガイア様は優しく笑った。
「トレッサはいつまで経っても初々しいな、こんなに一緒にいるのに」
すり、と頬を寄せられて私は思わず目を瞑った。
「だ、だって、ガイア様は毎日格好良くなってるし……」
なんだそれ、と呆れたように言うとガイア様は私の額にキスをする。
「"ガイア様"ね…、いつになったらガイアって呼んでくれるのかな」
「わっ私なんかが呼び捨てなんて出来ません!」
「その"私なんか"は俺の奥さんなんだけど?」
「ゔ…」
甘すぎて供給過多な気もしますが、毎日幸せです。
私、ガイア様のことを好きになって良かったって、本当にそう思うんです。