1.大吉を引く。幼女に声を掛けられる。
春の陽気が心地いい今日。
気温も20度まで上がるというので、結城は折角だからとGWの中日に散歩がてら外へ繰り出す事にした。
空には、雲ひとつない澄み切った晴天が広がっている。
(小さな子ども連れの家族が街を楽しそうに歩く光景……微笑ましい。
部活帰り、近くのジェラート屋さんとかに寄って買い食いをする高校生の姿……青春だな。
通りを歩きながら、お洒落な雑貨屋さんやカフェに立ち寄ってまったりとしたGWを過ごすカップル……許せねえな。)
昨日も天気が良く、結城自身も学校のクラスメイト全員で花見会を行っていた。
だが大人数での楽しい行事ごとの後は決まって、彼はひとりまったりと自宅に籠って趣味に耽る習性を持っていた。
しかしそれも今日という日に於いては、何となく一人で散策したい気分に駆られていた。
断じて妹に、『GWずっと家に居るのマジ陰キャじゃん(笑)』と言われたから行動に移した訳では無いと、結城はちょっぴり自分に言い聞かせる。
(……てか、昨日学校の皆んなでお花見したし。そう言う貴女は部屋着で自室に上がって行ったじゃありませんか。
そもそも人を陰か陽かで区別するはナンセンスなんじゃい我が妹よッ!
……いけない。折角の麗らかな休日、妹の囁きに一喜一憂してるのは勿体ない。)
思考を切り替え、再び周りを見渡してみる。
(朗らかな春に気分を踊らせ、カップルが手を繋いで街を歩いたり、カップルがカフェテラスで一個のスイーツを二人でつつき合ったり、カップルがショップで『これどう?』なんて言いながら試着室でイチャコラしあったり……うん、許せねえな。)
カップル発見症候群に陥りながらも、結城はそうこうしてるうちに浅草寺の仲見世通りにまで来ていた。
「うわっ、人凄……」
あり得ない程の賑わいを見せる本通り。
GWに行く場所は此処しかないのかと言いたくなる位に渋滞が起きていたが、まあ浅草寺はいつもこんなもんだし、それに自分も来ている訳だしと納得する。
しかし生半可な気持ちでこの荒波に突っ込んでいったので、彼は集団の大いなる動きの流れによって浅草寺奥へと流されていったのだった。
漸く人混みが緩和され、身動きが取れるようになる。
(というか、仲見世通りのぎゅうぎゅう詰めの時にケツを揉みしだかれた気がするんだけど……まあ気のせいか。)
何となく来た浅草寺だが折角だからと、結城は御神籤くらいやって行く事にした。
鞄から財布を取り出して100円を払った後、木製の六角筒を振る。すると穴から漢数字の書かれた箸のような棒が出てくる。
「42番……」
四十二と書かれた木棚を探して……あった。
結城は少し顔に笑みを浮かべて引き出しを開けていた。
(べ、別に子どもながらに浅草寺の御神籤形式にわくわくしてないし)
自身にツンとなって気色が悪くなり、精神的ダメージを負いつつも、彼は浅草寺特有の『もう引き出し開けた時点で運勢見えちゃってるパターン』を、目瞑りと掌運勢隠しの二技を巧みに用いる事で回避した。
そして次の人が居るのでそそくさと脇へずれ……いざ!閲覧する。
「……おっ、大吉」
お寺だが神々しく御神籤の最上部に書かれたるは、大吉の二文字だった。
(どうだ横のカッポー(カップル)ども!
you達がちちくりあって運を消費している間、自宅で趣味に耽って幸運を画面越しに摂取していた俺は、今や幸運この上ない運の塊、略して運塊さ!)
「え〜!わたし凶なんだけど...」
「じゃあもうこれからは運気上がっていくだけだって。おれ中吉だったし運分けてあげるから」
「え〜、中吉のユウ君から貰ってもな〜」
「そういう自分は凶のくせに」
「うそうそ、そう拗ねなさんなって〜。ほい、じゃあ凶の私と手繋いで運を分けて下さい!」
「本当お調子者なんだからアキは」
「えへへ〜」
(……。大吉だったけど、マイフォーチュンは絶対に分けてあげませ〜ん。せいぜい凶と中吉で、半吉程度にイチャコラして下さ〜いッ!
......いや、分けてあげないんじゃない。俺の場合、分ける相手が居ないんだったな、てへ……)
一体自分は何をしているのかと哀しくなり、結城は気を取り直して御神籤の細かな運勢欄に目線を変える事にした。
流石は大吉か、嬉しさと安堵を人々に提供する文面ばかりなようだった。
そして彼は、何となく最後に残した『結婚・付き合い・絆』の欄へと目を移す。
(まあ別に?俺にとっては『出産』よりも優先度の低い項目だから、全然気にしてないけどね)
「──ねえお兄さん。引いたおみくじ、大吉?」
それは一瞬、春の陽気の化身と錯覚してしまう程に。
結城の目の前には、それは愛らしく、柔和な雰囲気に気高さをも感じさせる、幼い少女が佇んでいた。
やや気後れしてしまう程に端正な顔立ちと、自分にはどの演出があっているのかを完璧に熟知していると言って過言では無い洋装。
艶やかに伸びた黒髪には何処か身に覚えもあったが、一言で言えば、読んだ事は無いがティーン向けの雑誌で看板モデルでも張ってそうな子という印象を結城は受けるのだった。
自分が話しかけられているんだと辺りを確認した上で、結城は少女に向かって返答する。
「……うん、そうだね。大吉だったよ」
完璧な表情と声色で受け答えが出来たと実感しながら、結城は大吉と書かれた面を見せる。
(近所の子ども達を世話して培ってきた、俺の圧倒的対処力(※子どもに特化)が火を噴くぜ!
動じず微笑みを持って柔らかい口調で。
これさえ踏んでおけば小さい子への正しい接し方選手権は余裕の予選通過だ。
それに小さい子の好奇心はすぐに他へと移るもの。
大吉と知ったら『見せて見せて〜!』からの、『うわ、凄ーい!』からの、すんと興味が失せて立ち去ってからの保護者が後から来て『ウチの子がすみません!』コンボだと相場が決まっている。さあ来い、プリティガールよ。)
「……ふ〜ん、そう」
(あれ、聞いてきてこの塩対応、この子興味失くすの早くない?
……そうか、昨今の子どもはネット環境の整い過ぎで話題が絶える事はない。
そういった目まぐるしい情報量の大海原を生きる彼女達若者は、興味の変遷が驚異的に早いのか。
しかし、そんな昨今の状況は小さい頃の成長に悪影響を与えてしまうのではなかろう──)
「──じゃあその大吉、ゆあに頂戴?」
( 俺がエセ評論家っぽいこと言ってる最中、今この子なんて?
それにその、人差し指を唇に当てる小悪魔ポーズみたいなのは何だ?)
「お兄さんのその大吉御神籤、ゆあに頂戴?」
やはり聞き間違えてはいなかった。
あまりにもすんなりと、しかも子どもらしい無邪気さをさして感じさせる事も無く寄越せと言うので、この状況に結城は一瞬戸惑いを見せるのだった。
(まあでも、こうして純粋に欲しがる辺りは無邪気な子どもかな。)
「……えっと、お嬢ちゃんはどうしてこの大吉が欲しいのかな?」
「お嬢ちゃん呼びはやめて。ゆあで良いわ」
「あ、すみません......じゃあゆあちゃんは、どうして大吉が欲しいの?」
「ゆあが欲しいからだけど、それ以上に理由言う必要ある?」
(え、どうしようこの子。滅茶苦茶高圧的〜。)
彼女の強々とした姿勢に驚くあまり、結城の笑顔は一瞬引き攣りを見せる。
あまつさえ大吉を貰おうとしている人に対してのこの物言いに、彼は最早ロックじみた何かすら感じていた。
最近の少女はこういう性格がトレンドなのかとも、変に思案を重ねる。
「そっか。......でも、人の大吉を貰っても運気は上がらないかも知れないよ?」
「え……。......ぐすっ、...ぐすっ、」
(うそ……この子急に泣き出しちゃったんだけど。
ここまで感情の起伏が豊かな子は家の近所に居ないし、流石に対応に困るな...。
というか、このままじゃ俺が泣かしたみたいにならない?気付いたら人集りが出来て、そのまま通報からのお巡りさんへ釈明ルートに分岐してしまうかもしれない。
俺まだ未成年だけどその辺大丈夫なのか?……いやいけない。弱音を吐いてちゃ駄目だ俺。)
「……ど、どうしたの? 何か悲しい事とかあった?」
「ぐすっ、……ゆあの……ひっく、……お姉ちゃんが……」
「お、お姉ちゃんが?」
(あ、この感じは結構深刻なやつだろうか。
お姉ちゃんが病気とかで、自分がお姉ちゃんの快復を祈って御神籤引いたけど大吉出なくて、焦って俺の所に来たのとかかも知れない。)
「最近お姉ちゃん体重増えたって言うから……ゆあ、どうしたら良いか……ひっく……」
「……うん、それは神頼みよりご飯や運動を見直すよう言おうね」
「ちッ」
(え、舌打ちした?今この子、ぴたっと泣き止んで舌打ちしたよね…)
最近の子どもは皆んな子役張りの演技派なのかと、寧ろ結城は感心を覚えていた。
しかし取り敢えずは、この子のお姉さんが生活習慣の見直しをすれば大丈夫と分かり、一安心する結城だった。
(……まあ、赤の他人に体重が増えた事暴露されちゃってるけど。)
でもこの後一体どうしたものかと、結城は考える。
ゆあという少女は、どうしてか執拗に彼の大吉を狙っている。
正直言うと、大吉にそこまで固執している訳では無いし、何なら100円払って御神籤を彼女自身の手で引かせてあげても良いとさえ、結城は思っていた。
(……だがしかし。この国の未来を考える俺にとって、見ず知らずの人間から物やお金を貰って悦楽に浸る事を少女が覚えてしまうのには断じて加担など出来ない。
少々言い方にモラルの欠ける部分があるが、大体そういう事だ!)
ここは一度自分自身が発想を柔軟にし、子どもの遊び的にこの状況を考えた方が良さそうだと思い立つ。
「……あ、そうだ。御神籤自体はあげられないけど、それじゃあ特大サービス。この御神籤に書かれてる『願事』とかの中から、一つの効果だけ君にあげるよ」
(キタこれ。物やお金を介さず、あくまで心の中だけで納得いくやり取りを行う素晴らしい打開策!
これで少女が非行へ走ってしまう可能性を幾分か抑える事に成功したな!......大袈裟。)
「……分かった。それじゃあ…『結婚・付き合い・絆』の効果を頂戴?」
(Oh my god……。浅草寺の御神籤にある項目からなら、まさかとも思ったけど。この少女、流石やりおるわ。俺がまだ見てすらもいないその項目を奪おうとするとは。)
「……あれ、もしかしてお兄さん嫌なの?」
「……いや別に! 寧ろこんな項目あるなんて今気付いたよ、全然あげるあげる」
「……。『結婚・付き合い・絆』、仲人によってその距離は──」
「──あ〜っと! 読まなくても大丈夫だよ〜。人に言ったら効果消えちゃうからね」
「そんな事言って、お兄さんこの項目最後まで楽しみにとっておいたからまだ見てなくて、あげた後に良い事書いてあったら自分が悔しいからじゃないんですか?」
(くッ、この少女。読心術者か?」
「そ、そんな事無いよ?」
「まあ陰キャっぽいお兄さんには要らない項目ですもんね。それじゃあ遠慮なく頂いていきます!」
(この子、最後に言ってはならない事をッ! 一人でいる情緒も好きなパーソナリストと言ってくれ!!
……しかしさらば、俺の恋愛運。)
俺の分まで若いうちから青春を謳歌してくれと、結城は未練たらたらながらも少女へ自分の恋愛運を託すのだった。
「──あっ居た〜! もう結愛ちゃんってば心配したんだから〜!」
それは一瞬、春の木漏れ日と錯覚してしまう程に。
麗かな口調の透き通った声が、人でごった返す仲見世通りの方から心地良く聴こえてくる。
目線を移すと、そこには息を切らして此方へ向かう少女が見えた。
どうやら、結城の大吉を奪おうとしたゆあちゃんという子のお姉さんか従姉妹のような感じだった。
自分と同年代の出で立ちではあるものの、結城は何処か大人っぽさの見え隠れするこれまた端正な顔立ちとスタイルに目を奪われていた。
(妹に太ったとか暴露されてたけど、一体何処が?と疑いたくなる程にモデル体型じゃねえか。
なにか?乙女の世界では電子天秤レベルで体重増えたら太ったと表現するのかよ。
全く、妹さんと同じく綺麗な黒髪ロングだし、完璧な姉妹じゃないか……って)
「……あ、竹内さん?」
「……あれ? ゆ、結城くんッ⁉︎」
結城の顔を見て少し取り乱した様子のプリティガール姉は、昨日もクラスの花見会で会ったばかりの同級生で、校内随一と専ら噂される程の美少女、竹内さんだった。
結城は、期せずして同級生、それも校内で絶大な人気を誇る少女の体重事情を知ってしまった訳になる。
この事は闇に葬ろうと、彼は深く決意したのだった。
(というかそれはそれとして。同級生を知らず知らずとは言え、舐め回すように見ながら讃えまくってた自分が最高に気持チワルイッッ!!!)
「……あ、この子。もしかして竹内さんの妹さん?」
「うん!ちょっと歳の離れた妹で、結愛っていうの。そう言えば、結城君はまだ結愛ちゃ...結愛と会った事なかったよね……って。もしかして、迷子になった結愛のこと見てくれてたりした?」
「いや、そんな大した事してないよ。御神籤でちょっと遊んでただけ」
「このお兄さん、休日の真昼間に一人で寂しそうだったから結愛が遊んであげてたの」
「うわっ結愛ちゃん辛辣......お兄さん引き籠ちゃうわ」
「あははッ」
「こ、こら結愛ちゃん! 結城君に変な事言わないで! ……結城君ごめんね。この子仲見世通り歩いてる途中で、急に手を離してどっか行っちゃって……」
「ああ全然気にしないで。 俺も結愛ちゃんと話してて楽しかったし」
恥ずかしそうに顔を赤らめて結城に謝る竹内さん。
(人前では妹さんのこと結愛とだけ呼ぼうとしてるっぽいけど、いつもはちゃん付けなんだな。
ちょっとした動揺ですぐちゃん呼びに戻っちゃうけど本人は全くそれに気づいてない感じ、良いお姉ちゃん感が滲み出ていて実に良い。
良いしか言えない俺の語彙力は良い感じに乏しいが、そんなのはどうでも良い。そしてこれが今流行りの良い-ラーニング......)
自身で渾身の極寒ギャグを生み出す事で極限まで冷静になった結城は、自分の顔の緩みを引き戻しつつ、学校で皆んなといる時とはまた違った竹内さんの一面を見られた気がして、やはり自然と柔らかな表情を浮かべていた。
(竹内さんもこの態度から察するに、妹には手を焼いてる感じかな。性格も驚くほど違ってるし……まさか、竹内さんも裏ではこんな感じだったり?
...まあでも。様子を見る限り妹の結愛ちゃんもお姉ちゃんに凄く懐いてる感じだし、ウチの妹とはえらい違いだ。
……いや、妹という存在を比較してしまうのは愚行だ。
最近......いや思えば昔から俺に対しては手厳しいけど。ウチの妹は、人への礼儀や義理に関してはめちゃくちゃしっかりしていて、動物やモノも凄く大切にする本当に優しいやつだし、兄としては超誇らしい妹じゃないか。
...改まって言うと、なんか背中の辺りがむず痒くなる......。帰りに、アイスでも買っていってやるか。ちょっと高いやつ。)
「まあ結愛の見立てでは……及第点ってトコ? お尻の硬さから見ても軟弱極まりないって感じ。
お姉ちゃんにはまだまだ相応しくないけど、将来性を見込んで『可』って事にしてあげるわ。
昨日の花見写真も拡大してずっと見てたけど、お姉ちゃんは何でこんなぱっとしないやつの事を好きn──もごッ⁉︎」
「何してるの?」
「な、何でもないから結城くん気にしないで!!」
妹の口を手で隠し、あからさまな顔の赤らみと動揺を見せる竹内さん。
こんなに慌てた様子は初めて見るが、思ってた以上の破壊力だと結城は見惚れていた。
慌て顔選手権なら優勝を目指せるなという謎の基準を携えながら、彼はその場を可笑しく眺める。
(……ん、お尻の硬さ? ...まさか、あの時俺の尻を揉みしだいたのは結愛ちゃん? )
触ってみると、彼のズボンのお尻部分には『封印!』と書かれたステッカーが貼ってあった。
(何これ、目印? ......兎も角、人の尻を勝手に封印するんじゃありません!
……というか、そんなこと悠長に言ってる場合じゃ無いッ!)
「結愛ちゃんギブギブッ!!」
「……はッ!ごめん結愛ちゃん!」
我に帰った竹内さんによって、妹の口元に自由が舞い戻る。
「ぷはッ! ……全く結愛の恩を仇で返すなんて、お姉ちゃんの意気地なし! 陰キャ好き!!」
そう言って、再び仲見世通りの方へと走り駆けていく結愛だった。
「こら結愛ちゃん!待ちなさい!」
「そこの陰キャ結城と一緒に来ないと結愛は止まらな〜い!」
(俺は今日中にあと何回陰キャと呼ばれれば気が済むのだろう...)
「もうッ!結城君にそんな事言わないで!
ごめんね、結城くん。............そ、それで......結愛がああ言ってる手前、もし良かったで全然良いんだけど......その...一緒に来て貰っても、良いかな?」
その竹内さんの表情は、妹の結愛ちゃんが最初に大吉御神籤をねだってきたときの顔そっくりだと、結城はしみじみ思う。
(圧倒的破壊力……やっぱ姉妹だわ。)
「やっぱり竹内さんの妹さん、面白いね」
「ホント、いつも手を焼いてるよ〜」
結城は、困り顔だけどちょっぴり楽しげな竹内さんと一緒に、再び仲見世通りの賑わいへと入っていった。
彼は手に持った大吉御神籤の存在を、とうに忘れていた。