アンモナイト
まずはともあれ、描いてみるがよろしい。毛筆、万年筆、色鉛筆、ボールペン、なんでも使い慣れたものを手に取られよ。失敗を恐れて鉛筆で書いておこうなどと思わぬことだ。
この古代生物は、おおざっぱに貝殻と軟体部とに分けられる。古生代(おおよそ5億年ほど前で、「イカ」「タコ」「ダニ」「シラミ」「蛆」など、不幸にも人間を蔑む時の呼び名に用いられる生物が、全盛を誇った時代)から中生代白亜紀(これも、よく頭の足りない人を呼称する時に使われる「恐竜」や「鰐」の類が、我がもの顔に大地を闊歩していた時代)まで、とにかく長き代にわたって世界各地にしぶとく生息していたというから、地面を掘ってみれば、その形状に多少の違いこそあれ規則性がみられる。
だから何だと言えば、細かいことは気にせず思いのままに描かれよということだ。
まずは殻から。一点定めて筆をおいて、ぐるりと半円を描いたら、そのまま二回、三回くるくるくると円を描かれよ。右からでも左からでもよろしい。
ちなみに「とぐろを巻く」という慣用表現は、蛇などが上へ上へと立体的に渦を巻くことをいうからこれとは異なる。よく柄の悪いお兄ちゃんたちがどこぞの店先でたむろしていると「やや、とぐろ巻いておるな」などと小ばかにして警戒することがあるが、これは群れて溜まっていること。貝殻はあくまでも平面的であるからご注意あれ。
さて、二巡三巡したら、少し波を打たせながら徐々に、徐々に前の輪郭との間を広げるように線を引いていき、円をはみ出たあたりでぴたりと筆を止め、渦の中心に向けて筆を下ろすべし。その際に「~」と軽くうねらせて外殻のところできちりと止める。単調な渦捲きに、妙な深みと味わいがでること請け合いだ。
ちなみに「~」の部分を、山形に描くと破損した化石のようになる。うねりの角度が時節を表すとは、これぞ落書きの妙味よ。
化石についてはまた後ほど。
いかがであろう。線が曲がった? 円が不均衡になった? いやいや、それで結構。むしろ、いびつな方がそれらしく見えてしまうものだ。それでも納得いかぬというならば、渦の中心部をぐりぐりぐりぐりと黒く塗りつぶしみよ。ほれ、奥行きがでて厚みが増すだろう。目を離して見れば、貝殻の中に潜む「何ものか」が、顔を出しそうな気配が漂ってこないかね。
次に軟体部。貝殻の奥に潜む得体の知れぬ何ものかだ。こちらは殻ほど単純ではないから少々骨が折れようが、失敗を恐れてはならん。
まずは、先に描いた殻の入り口にあたる「~」から突出するように、一本線を引いていただきたい。その線だが、今度は「~」を九十度横転させる。そうしたら、その下に平行に波線を引いていって、上の線の終点部で先を合わせる。
ほれ、触手が一本できあがり。あくまでも緩やかに、うねらせることですぞ。
ちなみに「捻りを加える」などと言うが、これは「ねじること」だ。「御捻り」といったら、古くは洗米を白紙に包んで神前に奉納するお供えのことで、昨今ではご祝儀のことをそう呼ぶ。また肥えた力士が、腕の力だけで相手力士を投げおおせる技を、「上手捻り」とか「下手捻り」という。
しかし、この古生物の軟体、イカやタコほど筋肉が発達していないゆえに化石化していないほど繊細であるからして、力技で豪快に描こうなどとは思わぬことだ。どうか、うら若き乙女の黒髪の毛先を撫でさするように、細やかに慈しんで線描していただきたい。ゆっくりゆっくり、そう、包み込むように、やさしく、やさしく……いかがかな?
一本描けたら、後は長短細太取り交ぜて、交差させたり絡ませるがよろしい。不規則であればあるほど、それらしく見えるはずですぞ。何体でもご随意に。
さあ、これで完成だ。
「ほ、ほ、ほ、ほほほ、絵心高じてまだ描きたいもんじゃ」「まあ、こんなにアンモナイトらしく描けるとは思わなかったわ」「むむ、もうちょっと、むむ、この辺をうねらせて、むむむ……」思いはさまざまであろうが、自ら描いたことも手伝って、なんとも心が晴れやかではないかな。
その情たるや、愛着、慈愛、寵愛などと言えよう。愛らしい、愛くるしい、コケティッシュなどといえば、この古生物への評語ともなる。
なに、なに、恥じ入ることはない。
ならば、人の胸に沸き立つこの感情と、誰もが賞賛すべき評価は果たしてどこからやってくるのだろう。
今、筆者の手元には小さなアンモナイトの化石がある。この手の内に収まるくらいの小粒な塊を見ながら、その愛の行方をたどってみようではないか。
「アンモナイト」。その名を口ずさめば、不可思議でありながら、それでいて柔らかく穏やかな音律や響きを感じるのは筆者だけではあるまい。「アンモナイト」「あんもないと」「菊石」「龙虾」「ammonite」「ammonit」文字に起こせば、その字面から視覚的に触発される感情は、やはり好奇と親しみに満ちみちておろう。
実際、この古生物の化石を目撃した学者が、古代エジプトの神「アモーン」を想起したというから、そこにも何らかの愛のかたちがあったに違いない。
筆者もその名のいわれとなった「アモーン」のレリーフを目にしたことがある。一瞥して、濃い髭に覆われた厳つい顔には気がひけたが、頭部に目を転じた途端、こめかみのあたりに羊のものと思われる渦巻き状の角が、ちょこなんと収まっているのに心を奪われた。あまりの意外性に、そのおじさん面までもが愛らしく感じられたものだ。
確かに、この古生物の渦巻き状の殻には、美の効果が客観的に見てとれる。
その表面的な形状に注目するならば、殻の「 」から内部に入らねばなるまい。その中は、まず軟体が鎮座まします小部屋に始まり、さらに奥へ奥へといくにつれ、いくつかの房室が隔壁によって仕切られ並んでいる。それぞれの小部屋は軟体の私室ではあるが、むろんお休み処などではない。各房には管が走っていて、汚らしい体液や、いやらしい毒ガスを噴射し、浮力を維持させているのだ。この隔壁、ボール紙の切断面のように襞が折れ込む構造となっているため、ほどよい強度と軽量を保っていたという。
この古生物が、我がもの顔で海中を浮遊していた姿が目に浮かぶようだ。
軟体の命を育む小集合体を、外殻がしなやかに丸く包み込む。その自然の綾なす均衡のとれた形状美には落ち着きがあって、なによりも単純明瞭である。一切の無駄を排し、小さくまとまった姿こそ、見るものに得も言われぬ生命の神秘を感じさせ、感動を促すゆえんである。
なるほど「かわいい」と口をついて出てしまうわけだ。
もしも、自然がこのちっぽけな生物の姿を過酷な環境に適するようにあらしめたのならば、それは万物を生成する大いなる宇宙の力によるものと言わねばなるまい。生命を生み育む宇宙の創意。ならば、軟体が身を寄せる殻は、その形状はむろんのこと、一つひとつの房とその中に納まる生命体とが相まって小宇宙をなしておろう。
ああ、宇宙を内包する無限の「掌」よ。
自然が育む生命維持機構の創造美かな。
もしも、その内宇宙を覗いてみたいと思うならば、外殻の渦の中心部の眼玉のような部位に注目されたい。ひび割れ、損壊した化石の奥底にひそむ凡百の何ものかが、緩やかに密やかに伝わってくるはずだ。
それは大銀河系の渦かもしれぬ。あるいは太古よりたゆとう荘厳な時節、はたまた常ならぬ無の境地か。それとも我等の想像すら及ばぬ壮大な自然の摂理もあろうか。
いやいや、それは渦を覗くあなた自身かもしれない。そこには、あなたをあらしめている血脈もあろう。あなた自身の経験もあろう、知恵も感情もあるかもしれない。さらには人類の誕生の秘、英知と進化の過程、文化文明の発展か……ああ、なんたる気高きロマン! 思わず抱きしめたくはならんかね。
いかがであろう。我らの愛すべきアンモナイトの美は。
他愛のない落書きに始まり、そのキュートな姿に魅入られるがままに、愛の行方をたどってきたわけだが、その美しき旅路も終わりを迎えようとしている。
その終着点はといえば、言わずもがな、中生代は白亜紀の海中にある。
一億年と言う気の遠くなるような幅をもつこの地質時代にも、先の代から続く絶滅現象が相次いだという。外宇宙からは巨大隕石が落下し、山々は火を噴き、地割れ、嵐逆巻き、海は熱く煮えたぎった。
アンモナイトも、他の生物同様、この自然の激烈な衝撃に巻き込まれる。あまたの個体は、焼きただれては水上に浮かんだにちがいない。あるものは、海中に突入した火球が激突し、殻が破砕され、肢体を飛び散らせたろう。
かろうじて生き延びたものは子孫を宿し、細々と、しぶとく種をつないだ。
その連鎖の中では変化も生じた。環境によるものか、あるいは進化の末期的な症状を晒し始めたと言えばよいのか、この古生物の種はいたるところでおぞましい姿を見せ始めたのだ。二メートルを超すサイズに肥大したものもあれば、殻が紐状に伸びきったもの、さらには、異常なまでに絡まった管状の殻を巣とするものまでもが姿を見せ始めた。それらは、いびつながらも、ごく自然に環境になじんで増殖を続けて、束の間の繁栄を見せたかにも思えた。
がしかし、これら憐れむべき畸形種も、生物の絶滅という運命からは逃れることはなかった。
アンモナイトは、白亜紀末期のある時節をさかいに地球上から忽然と姿を消したのである。
しかし、悲しむことなかれ。その残滓はいたるところにある。脆弱な柔らかい部位は地層に痕跡を残し、硬度のある外殻は石と化した。
それに、ほれ、手元の絵を今一度ご覧あれ。
諸君は必ずや想像されよう。
いかに姿を変えようとも、絶滅の際まで体をぶつけあい、ひしめき合うアンモナイトの群生を。
小汚いガスを噴射し、転げまわるように浮揚するアンモナイトの愛くるしさを。 ( 了 )