終幕の姫君
かつて、その国は汚れた国だった。民から金銭を搾り取り贅沢をする貴族。国の現状になど目を向けぬ王族。民の怒りが爆発するのも当然であった。貴族、王族には罰が与えられた。財産を奪われ追放された者もいれば、長い拷問の果てに死を与えられた者もいた。苦しくみじめな生活から民を救うため先頭に立った者は新王に、彼に付き従ったものはそれぞれの能力に合った役職を与えられた。新王が立ったその国は急速に発展し、民の生活も改善されていった。
新王の過ちは、その国で生き残った者たちの過ちはたった一つ『終幕の姫君』を殺したことであろう__
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私には物心ついた時から別の人間の記憶がある。
革命があった隣国の、愚かな女の記憶。
子爵家の娘として生まれた私は、その記憶のせいか年不相応な性格をした娘で家族からも使用人からも愛されない。それでも別に気にしない。だって、前世ではずいぶん愛された。誰かの犠牲のもとに出来上がっていた幸せの中で私は生きてきた。なら、今世はそのぶん不幸を味わうべきだ。
そう思っていたから家を存続するための婚約だって反対しなかった。
「お前のような女が俺の婚約者など反吐が出る。俺が許可した時以外はしゃべるな。視線は常に下げていろ」
そんな言葉にだって従ってあげた。顔は良くても性格は最悪。でも貴族としての義務は果たそうという気はあるようなので何をしていようと口は出さないと決めた。
なのに、そこまでバカな男だとは思っていなかった。
「お前隣国のアレだろ?反逆者の王だろ?顔は良くても人殺しの妻になるやついねーって。王女殿下は俺の妻になるからダメな」
隣国の王に対して第一声がそれ?不敬でしょう。
つい視線を向けてしまいそうになって慌てて視線を下げる。
「…さすがに人の恋人を取るほど妻が欲しいわけではないのでね。だが、君は隣のお嬢さんと婚約しているんじゃないのかな?」
穏やかな声に少し驚いた。けれど前世のことを思い出してこういう人だったと納得した。もともと心根は優しい人だ。『反逆者』だなんて呼ばれているけど無駄な殺しを喜んでするような人ではないのはわかっている。前世の私が、だけれど。
今世の私は彼と会うのは初めてだから下手な発言は控えたいので黙っておく。
「この女は押し付けられただけだ。王女殿下と子爵令嬢、どっちの意見を陛下が通すのかなんてわかりきっているからな」
「ご令嬢。貴女は宜しいのか?」
いきなり声をかけられて肩が震える。視線を下げているのでその表情はわからない。でも、怒っているのだけはわかる。
「わたくしは、決められたことに従うだけにございます」
それだけを簡潔に告げる。
辛いのかと言われれば辛いのかもしれない。苦しいのかと言われれば苦しいのだと思う。
でも、あの時の痛みに比べたら辛くも苦しくもない。
「……そうか」
小さくこぼされた言葉には小さな小さな決意がこもっていたような気がした。
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「そなたには隣国の王に嫁いでもらう。子爵令嬢ではあるが隣国の要求である。異論は認めん」
「かしこまりました」
いきなり王城に呼び出されたかと思えばそんなことだった。隣国の王を見下していることがよくわかる。でも私には関係ないし、隣国が私ごときでいいというのなら私は構わない。
それに、もうすぐ元婚約者のあの男が王女殿下と婚姻を結び王となるのも知っている。ならば、私は邪魔だろう。
「すまない。君をあの国にいさせたら君が壊れてしまうような気がして」
隣国の王_私の夫となる彼は開口一番謝罪した。一国の王が簡単に謝罪してどうするのだ。
_本当に変わってないのね
私の口からこぼれたその言葉は本当に小さなものだった。けれど、彼には届いていたようで見開いた眼をこちらに向けてくる。その眼は私の表情を見てさらに見開かれた。
「おうじょ……でんか?」
それは、今の私をさす言葉ではない。誰のことを言っているのかなんてすぐにわかる。わかって、しまう。
悪徳貴族と王族への罰の終幕を飾った姫のことだ。たった一人、断頭台で死ぬ、一番軽い罰を与えられた姫。彼女は王になる前の彼が唯一関わった貴族様。
「わたくしは子爵令嬢です。それに_」
_陛下の言う、その方はもう命を落とされたのでは?
彼に向けている微笑みが歪んでいる。すごくひどいものだと思う。でも、私はこうしなくてはならない。彼に愛されてはならない。彼の国に歓迎されてはならない。彼を愛しても、彼の国を愛しても、愛されることだけはあってはならない。
そのためならばどんな醜い女でも演じよう。かつての『終幕の姫君』のように。
そう決めていたのに目の前に座る彼の瞳は後悔しかなくて、胸が痛む。それでも私は愚かな女でなくてはいけない。私がこの国に再び終幕をもたらす女になってはいけない。
「………どうか心の底にある自分の気持ちを否定するのだけはやめてほしい。君が私を恨んでも、それだけは_」
「それはできませんわ。わたくしは愚かな女ですもの」
だから、私に微笑みを向けないで。私に温かい言葉をかけないで__
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「王妃殿下、陛下から花をお届けしに参りました」
この国に来てから陛下は会えぬ日には贈り物をしてくれる。決して高価なものではないけれど私の好みに合わせているのかありがたく使わせてもらっている。
届けてくれるのは陛下と一番長い付き合いの宰相様。侍従を使えばいいのにとは思うけれど傲慢な王妃を演じるならそのままにした方が都合がいいだろうと思ってそのままだ。
宰相から差し出されたその花は淡いピンクの花。名前は知らないけれど前世から大好きな花。
「ありがとう」
甘い香りに、つい受け取った花を抱きしめる。
前世で初恋の彼に初めてもらった花はこれだった。彼にとってその花を買うお金すら高かったはずなのにくれたその花はどんな花よりも美しくて、嬉しかった。
「…陛下の言う通りですね」
宰相は口にするつもりはなかったのだと思う。その言葉に視線を向けると口を押えて視線をさまよわせた。
誰かと私を重ねてこぼした言葉なんだと思う。
その誰かは死んだあの、『終幕の姫君』で、彼女は王族の一人でありながら恨まれてはいないようだった。
その彼女に重ねられるということは私は愚かな女を演じることができていないのかもしれない。でも、何もしない王妃もそれはそれで愚かだと思っていたのだけど。お礼を言ってはいけなかっただろうか。
「殿下は…陛下の初恋の君にそっくりでございます。まるで、彼女を見ているように感じるほど」
そう言って宰相は苦笑した。彼らが、終幕の姫君に対して特別な感情を抱いていたのは知っている。あるものは妹のように、あるものは姉のように、あるものは生涯愛するたった一人の想い人にするように皆が皆終幕の姫君を愛していた。無知で愚かと言われる彼女を、彼らは忘れられない。
「……わたくしのことを愛していますか。陛下」
いつもいつも、宰相と共に来て影に隠れているのは知っている。
「…一つお願いがございます」
だから、何もかも終わらせる。
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「はっ!反逆者共が隣国の王族までも殺すか!」
元婚約者の男はそう叫んだ。
私の願いで彼は私の母国に侵攻した。
彼は一瞬だけ動きを止めた。でもそれは一瞬で、すぐにその手にもつ剣を振り上げた。
「だめよ」
さほど大きな声ではないけれど彼の手は止まった。彼、いいえ彼らの視線が私に向けられる。悲し気なまるで飼い主に怒られた子犬のような眼にふわりと笑みがこぼれた。男はそんな彼らをあざ笑うように見ていたけれど私の言葉で表情を凍らせる。
「私だけ何もしてないなんてダメでしょう?貴方の妻らしく共に背負うべきよ」
「だが_」
「貴方たちが『反逆者』というならソレを受け入れた王女は何なのかしら。もう何も知らない籠の鳥は嫌。貴方たちと共にはばたく自由な鳥でありたい」
その言葉に彼らは目を見開く。
彼らは確かに殺した。それはどんな理由があろうと殺しに変わりはないでしょう。でも、それに救われた人がいる。彼らが己は汚れていると、私に触れたがらないのなら彼らと同じように『反逆者』となりましょう。
「な、んで…お前は!俺の婚約者だったじゃないか!おとなしく言うこと聞いて、反論したことなんてなかっただろ?!俺が好きだったんだろ?!今、俺を助ければ側妃ぐらいにはしてやる!」
惨めな命乞いをする男ににっこりと笑いかける。男は何を勘違いしたのかほっと息をついた。
「貴方を愛したことなんて一度もないわ。さようなら愚かな王様?」
そう言って男に剣を振り下ろす。即死ではないけれど致命傷の傷。
私たちは痛みでもだえる男をその命が尽きるまで見下ろしていた。
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ある愚かな国に『終幕の姫君』と呼ばれた王女がいた。
彼女は城という籠の中で守られ、犠牲のもとで成り立つ幸せを与えられた。無知な王女は何も知らぬまま生きてきた。
だからこそ、彼女は死を選んだと言われる。
「お母様、お父様、お兄様。わたくし、とても幸せですわ」
美しい髪を風でなびかせながら女は零す。女は美しく優しげな微笑みを称えている。
女の前にはかつて悪とされ殺された者が捨てられた泉がある。
「親愛なる_
愚かなお父様たち。わたくしが何も知らぬ娘だと信じていたのですものね。ふふっ…」
女は嗤う。
心優しき王妃の顔はそこにない。無知で愚かと呼ばれた王女の顔はそこにない。
あるのは、悪女の顔。
口元は醜く歪んだ笑みを称えている。
「お父様が仰ったのですよ?欲しいものを手に入れるのに手段を選ぶなと」
だからこそ、女は家族すらも切り捨てた。
「お母様が仰ったのですよ?女はずる賢くなくてはならぬと」
だからこそ、女は前世で何も知らぬフリをして己の幸せの為に国を荒らした。
「お兄様が仰ったのですよ?人を騙す術を身につけなければこの世で生きていけぬと」
だからこそ、女は『善なる娘』を演じた。
女の瞳は狂気を含む。女の声は嘲笑うように跳ねる。
だが、女の瞳には泉は映っていない。女の瞳に映るのは愛する男の顔。永遠を誓った夫でありこの国の王である男の顔。
「ふふっふふふ…愛していますわ。愚かな人たち。わたくしに踊らされた方たち。まぁ、最後の最後でわたくしを巻き込んだことは評価いたしますわ。でも_」
_わたくしが転生したことが運の尽きでしたわね?
王国はどうなったのでしょうね。
ある意味バッドエンドな気がします。