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サイダーのようにモラトリアムサマー

作者: 譜久山 希

人は誰でもこんな時期があるものです。大人でもない、子供でもない、必死に自分を探している時期が。

 水神泉(みかいずみ)家の掟。それは夏に必ず親戚一同が集まって本家で過ごすこと。正直、昔は面白かったこのサマーキャンプも今では、だるいの一言。中学三年生まではこの掟に従わなくてはならず、今年で終わると思ってようやく荷造りをした。両親は最後の3日間に手伝いにいくだけなので、私は妹と二人で最果ての地、水神泉の本家へ電車で3時間、乗り継ぎ5回、バスで1時間揺られて、到着した。ここで夏休みの終わり、つまり8月15日から8月29日までの14日間を過ごさなければならない。私の目的は、受験生でもあるので、宿題をやり切るのと、休み明けテストに向けての勉強。もっと小さい頃は、花火や畑の収穫をおばあちゃんとしたり、ただひたすら遊んですごした。自由研究や工作をみんなと一緒にできるのも楽しかった。でも、中学生に上がるころには、めんどくさい行事だなとしか思えなくなっていた。このサマーキャンプには4歳から私のような15歳までが集まるのだから、一緒に遊べと言われても、子供たちのテンションについていけない。だから、私は去年同様、中学二年生の妹と宿題をすることになるだろう。

「いらっしゃい。よう帰って来たね。智恵ちゃんとひらりちゃんやね。大きくなったなあ。上がって」

 妹の智恵は、荷物を広い玄関にどさっと置いた。

「お姉ちゃんとまた一緒の部屋?」

 おばあちゃんに聞くと、おばあちゃんは私の顔をみた。

「そのつもりやけど……。いかんかったかな」

「大丈夫。寝るだけの部屋だし、妹は最近、反抗期なの」

 私はおばあちゃんに弁解し、毎年、変わらない、二階の私たちの部屋に入った。二段ベッドで私が下。妹が上。これは、小さいときに、2段ベッドを見て嬉しくなった妹が、上がいいと言ってから、毎年このスタイルで寝ることになっている。部屋は、昔、下女が使っていたという部屋なので、狭いし、2段ベッドだけでかなり窮屈。勉強は畳の大広間があるから、そこで、ご飯も食べて、夏はほとんどそこで過ごすことになりそう。私は荷物を整理して、このキャンプで読もうと思っていた本と音楽プレーヤーを枕元に置き、適当に服を棚に置いて、広間に向かった。広間にはすでに何組かの子供が着いて、遊んでいた。去年より、一つ大きくなった子供たち。私も同じ。去年より、より顔つきも変わって、背も高くなって、こういう面では、こんな行事があってもいいのかな、とも思う。水神泉家は8人の子供を儲けたため、8家族の子供たちが一同に介している。さて、どこの誰が来ているかと言うと、翔太(8歳)と蓮(6歳)の兄弟、それから安奈(12歳)、玲奈(10歳)、礼央(9歳)の三兄弟、聡(13歳)、晴(7歳)、樹(6歳)の三兄弟、凛太朗(10歳)の一人っ子、そして私たち。ひらり(15歳)と智恵(14歳)の姉妹。あと、誰だったかな、あ、そうそう、隼人(10歳)、この子はお兄さんが高校生に上がって来なくなったから今年は一人。8人兄弟と言っても、1家庭は子供いなかったから、あとは……。

「ごめん、俺らが最後だった」

 背の伸びた男の子が二人。双子の将司と清司の15歳組。これで全員揃った。

「みんな、よう来たね。さあ、ここまで来るんも疲れたやろうから、ちょっとおやつでも食べようか」

 おばあちゃんの手伝いに駆りだされているのは、翔太と蓮のお母さんと凛太朗のお母さんとお父さん。長机を出して、四つ並べると、みんなでお茶とお菓子を囲った。妹の智恵は、疲れたと言って、スマホをいじっていた。こんな山奥の果てでもアンテナが届く、日本のアンテナ技術に感謝。私のスマホを取り出したが、誰からもメッセージは届いておらず、時間を確認してポケットに閉まった。妹はずっといじり続けている。ここでは、ほとんど自由に過ごせるが、時々、クエストが発生する。例えば、浴衣を着て花火をしたり、スイカ割り、川で魚釣りなど。このクエストの参加は任意だが、半強制的におばあちゃんの手によって参加させられている。おかげで毎年、クエストはコンプリしている。

「みんな、お菓子食べたら部屋行って、荷物を片付けんさい。夕ご飯は6時半やでな」

 私は、部屋から取ってきた、ノートと宿題を広げた。ここで2週間遊んで過ごしたら、夏の最終日は72時間くらいあっても足りない、大変な目に遭う。妹も中学生の忙しさを分かっているから、隣で、イヤホンで音楽を聴きながら、宿題を広げた。中学生の大変さを知らない子供たちは、さっそく庭で遊び始めている。するとそこへ、将司と清司の双子が、同様に宿題やら課題やらをもって向かいの長机に座った。

「まあ、俺ら4人はこうなるわな」

 受験生が3人、中2といえどテストに追われる妹と私たち。

「智恵は結構、宿題出た?俺は石井がたんまり課題出してきやがって、まじで終わんねぇよ」

 将司と智恵は同じ中高一貫校に通っている。たぶん、学校では顔を合わせることもないだろうが、教員などの話は通じる。智恵は別に、とぶっきらぼうに答えた。

 ……なんか気まずくない?

 私の思い過ごしだろうか。妹はより苛々しているように見える。私たちは、そのまま無言で一時間ほど勉強し、私もかなり集中していた。庭の喧騒さえ耳に入らないくらい没頭していると、智恵が不意に口を開いた。

「お姉ちゃん、これ教えて」

 智恵は、大人に対しては反抗的な態度をとるのに、私にはそのとげを向けることはない。私も妹には、なんでも譲るし、いつまでも可愛い妹というイメージは変わらない。智恵は数学でつまずいていた。二次関数は最初につまずくよね、と言いながら、私は解法の一部をヒントとして教えて、智恵は分かったと言って、続きを解き始めた。私は、順調に解いている妹を見て、にっこり笑って顔を上げると、将司と目が合った。将司が意味ありげなにやり笑いをしてきたので、姉妹とはこういうものなのだ、とどや顔をしてやった。先ほどの集中は切れてしまったが、なんとなくだらだらと宿題をしながら、夕ご飯になった。おばあちゃんは、ものすごく料理上手な人で毎年、ご飯だけは本当に幸せ。私のお母さんも料理は上手だけれど、おばあちゃんは、煮物や焼き魚や子供が嫌がりそうなメニューでも、子供が好きになるように工夫して作ってくれる。もちろん、手伝いの叔母さんたちも、おばあちゃんの労力の賜物だ。そのおかげで、私は、嫌いだったピーマンを克服した。今では、好きな野菜の一つでもある。今日は、茄子のカレー。茄子が嫌いな子供のために、小さく切ってルーに混ぜてある。私も茄子は得意ではないので、ありがたい配慮だ。私たちは、一斉にいただきますと言うと食べ始めた。子供たちの会話には付いてけない。なんとかライダーの話や、変身もののアニメはもう見てない。私たちがみるのは、ドラマや映画。話が噛み合うのは、将司と清司の二人だけ。だから、自然と4人はいつも固まっていた。毎年、一つずつ同じように歳が上がっていくけれど、夏だけを一緒に過ごす不思議な関係。同じ中高一貫校に通っているが、家は正反対の位置にあるため、会うことも無ければ、親同士の関りもほとんどない気がする。従兄弟といえど、クラスの男子より遠い存在かもしれない。

「ここいると、月曜のドラマ見られないな」

 将司はため息をついた。

「なんてドラマ」

「『あなたが知らなくても』あれ、好きなんだよな。結構いいところまで進んで、お母さんに録画予約は頼んだけど、おばあちゃん家ってTVないじゃん。どうせならオンエアで見たいよな」

「携帯で見ればいいじゃん」智恵が言った。

「携帯で見られないよ。ほとんど電波とんでないから」清司が答えた。

 私も見たいドラマはお母さんに予約を頼んでおいた。帰って、学校で休み明けテストが終わってからの楽しみにとっておく。おばあちゃんの家には、TVは無いが、新聞は来る。もう、この大きな屋敷にはおばあちゃん一人しか住んでいない。私たちのお父さんを含む8人子供は全国に散らばり、この夏休みが唯一のおばあちゃんの楽しみなのだろうと思う。正月でさえ、全員が集まることはない。でも、子供だけなら集まることは可能だ。そうしてできた、この掟は絶対に破れない。私は、いい加減うんざりだけど、おばあちゃんのためにも、たぶん智恵も来たのだろうと思う。智恵は、夏休みが始まってかなり頻繁に出かけていた。それが出来なくなり、ストレスは溜まるだろうな、と推察する。私は、どうせ出かけないから、ここで過ごしても、おばあちゃんのところで過ごしても変わらない気はするが、TVがないとか、一人部屋がないとか、そんないつもの些細なことが無いことが、不自由さを感じる。

「ひらりは夏休みどうしていた」将司は聞いた。

「別に。これと言って何もしてないかな」

 答えると、にやり笑いが隠せない将司に嫌々聞いてやった。

「なに、それってあんたに夏休みは楽しいですか、って聞いてほしいわけ」

「俺さ、彼女出来たんだよね」

 なに、そのどうでもいい情報。清司は笑っている。

「将司はずっとその話ばっかりだよ。一回、家にも呼んでいたし」

「どんな子なの」

「普通の子だったよ。部活のマネージャーらしいけど」

「へぇ、将司にぃにも彼女がねえ。その彼女、目見えてないんじゃないの」

 智恵は嫌味を言った。智恵は昔から、将司にぃ、清司にぃと呼んでいる。その癖が抜けず、今でもそう呼んでいる。

「馬鹿。俺の優しさと美貌に惚れたんだよ」

 将司はカレーをすくながら、大袈裟に言った。

「違うよ、将司が告白したんだ。それで付き合うことになったんだよ」と清司。

「お前、そういうことは言うなよな」

 将司は文句を言ったが、なんとなく、去年より成長した私たちは、成長したなりの関係性を築き始めている気がした。

「で、ひらりは彼氏いないの」

 将司はやや上から聞いてきた。むかつく質問。

「いないわよ。それがなにか」

 将司はにやにやと自分が優位に立っているような雰囲気でご飯を食べていた。恋愛することがすべてじゃない。私も、告白されたことはあるんだけど、付き合うとかそういうのが分からなくて、結局、断ってしまった。

「ひらりー! 茄子食べたー! 」

 6歳の蓮が走ってやってきた。蓮は好き嫌いの多い子で、まだ牛乳とか沢山のものが嫌いだった。その蓮が、茄子を克服したとは、これは家に帰ったら大ニュースだろうな。おばあちゃんってやっぱりすごい。

「すごいね、蓮はやればできる子だね」

 褒めてやると嬉しそうに、満面の笑顔だった。きっと私にもこんな時があったはず。成長すると、こういうことが記憶から消えて行って、その時こんなにも嬉しかったことが、どうでもいい事象になってしまう。蓮はそれを報告すると、また自分の席に戻った。私は、どの子とも仲が良いわけではないけれど、蓮は可愛いので、毎年、私のお気に入りだ。蓮も私と遊びたがるが、ここ数年は一緒に遊ぶことも少なくなっている。どうせなら、今年は、一緒に遊んでやろうかな。この田舎にも夏祭りというものがあって、運が良ければ、この最初の週に夏祭りがあるといいんだけど、ここの夏祭りは田んぼのお米の育ち具合で日をきめているらしいので、毎年祭りの日が移動する。私も1.2回あたったことがある程度。

「おばあちゃん、今年の夏祭りってもう終わったの」

 おばあちゃんは、そうそう、と思い出したようにみんなに呼び掛けた。

「今年の夏祭りは明後日だからね。みんなで行こうかね」

 みんなは沸き立った。祭りと言ってもほとんど夜店は出ないし、あんまり祭りと言う感じはしないんだけれど、自治会が夜店は出してくれるし、一応、この水神泉家が村を統括しているので、子供が集まるときには、金魚すくいなども手配してくれている。

「お姉ちゃん行くの」智恵は聞いてきた。あまり行きたくなさそうだ。

「一応行っておく。智恵も行きなよ。おばあちゃん喜ぶし」

「うーん。分かった」

 やはり、サマーキャンプには自分の自由な時間は、あるようでない。こうやって、なんだかんだ、自分の時間が削られていく。仕方がない、とは言いたくないが、おばあちゃんの喜ぶ顔が見たいから。おばあちゃんの喜ぶ顔はめったに見られるものでない。なぜなら、5年前におじいちゃんが亡くなった。その時の落ち込み様は、見ていられるものではなかった。そのために、みんなは必ず集まるのだ。確かに、毎年聞くことができたおじいちゃんの戦争の話は聞けなくなった。おじいちゃんと一緒に川で釣りをして、釣りの知識を深めることもできない。でも、孫といるおばあちゃんの笑顔だけは絶やしたくない。少なくとも、年長者にはその思いがあった。

 サマーキャンプのお風呂は戦いである。年の低い子から、数名ずつ入っていく。10歳以上は一人で入るため、私の番が来るのは大分遅い。19時から入り始めても、私の番が来るのは、8番目以降。22時は過ぎるなあ。それまでは部屋で本でも読んでおこう。私は広間から出て、自分の部屋に向かった。すると、清司に会った。将司清司の双子は私たちの隣の部屋、つまり下男が使っていたという部屋。間取りは私たちと全く同じで二段ベッド。

「ひらりも部屋で過ごす派?」

「何時間も勉強したから今日はもう止めて、本でも読むつもり。清司は?」

「俺は、ゲームする」

 私たちはそれぞれの部屋に入って行った。戦前からあるこの屋敷に、下男と下女がいた頃使用していたという部屋は、壁が薄く、隣の音はかなり聞こえる。私は、ベッドに横になると、本を開いた。この2週間のためにとっておいた、米澤穂信の「夏季限定トロピカルパフェ事件」を一枚一枚読み進めていくと、隣から、ゲームの音らしき電子音が聞こえてきた。最近はポータブルのゲーム機が増えて、授業中でも後ろで遊んでいる男子がいる。清司もそんな一人なんだろうか。私は、公立の中学に進んだが、妹は県立の中高一貫校を受験した。家からは少し遠く、電車でも1時間ほどかかるのだが、それでも、大学へ行きやすいという将来を見据えて、入った。入ってから、将司がその学校にいたと言うことを知ったのだ。智恵は、嫌がったが今更、もう戻れない。でも、なんとか上手くやっているみたいだ。清司はどうして、受験しなかったのだろう。詮索しにくい話題だから聞いたことなかったけど、受験に落ちたか、私のようにそこまで受験に興味が無くて受けなかったか。中高一貫校のメリットはやはり、授業の速度が速いから、後々、高校生になってから、沢山勉強できる。大学が付属していれば、その大学に入りやすい。いいな、と時々思うこともある。でも、公立でいいんだ、私は。

「お姉ちゃん、お風呂だって」

 智恵がパジャマ姿で部屋に入ってきた。もう、そんな時間になっていたのか。やはり、この本は面白い。緻密に作られた文字を追い、その世界にどっぷりと浸かって、時間を忘れさせてくれる。

「分かった」

 時計は22時を過ぎていた。私の後に、将司と清司が待っているし、そのあとはおばあちゃんたちがいる。早めにさっと上がろう。脱衣所は、昔のままで、ドアではない。その代わりに後から、アコーディアンカーテンを取り付けた。お風呂の中だけ、リフォームして、とても綺麗になっている。私はシャワーでさっと浴びて、湯船につからずに10分ほどで上がった。髪は濡れたままだったが、そのまま将司たちを呼びに部屋へ行った。

「どっちかお風呂入って」

 ドアを開けてそういうと、清司がゲームに没頭していた。将司の姿はない。

「お風呂入って、てば」

「分かったー」

 間延びした返事をして、清司はゲームを布団の上に放り投げると、私の方を見て一瞬静止した。そして言った。

「お前のパジャマ、ださいな」

「うるさい!」

 私は自室に戻ると。デリカシーの無い男子にしばらくむくれていた。一応、余所行きのパジャマなんですけど。ピンクのチェックにグレーのズボン。ていうか、こんなところに、可愛いパジャマで来る子なんていないよ。おばあちゃんの家なんだから。

「お姉ちゃん、どうしたの」

 智恵が不思議そうに聞いてきた。

「別に、なんでもないんだけどね」

 二人は団扇を片手に、ベッドにそれぞれ横になった。私は、ぼんやりと二段ベッドの壁を見上げていた。すると、急に智恵が小さい声で話し始めた。

「お姉ちゃんに言ってなかったことがあるんだけど、私さ……」

 智恵はすうっと息を吸うと、一気に吐き出しながら言った。

「彼氏できたんだ」

 私は、ふーんと聞いていた。

「誰」私が聞くと

「クラスの子で、野球部の子。背が高くてカッコいいんだ。写真見る?」

「うん、見せて」

 智恵は二段ベッドから顔を下ろして、スマホを見せてきた。私はスマホを受け取ると、そこには、智恵と丸刈りした見知らぬ男子が一緒に写っていた。二人の手でハートを作っている。

「実は、8月25日が付き合って3か月記念日なんだ。でも、このサマーキャンプのことを話して、ここに来る前に祝ってきちゃった」

 智恵は嬉しそうに話した。これが、やたら、ぶっきらぼうに親や他人に対応していた理由か。私はスマホを返すと、カッコいいねと答えた。

「お姉ちゃんは本当に彼氏いないの」

「いないよ」

 本当にいない。好きな子も気になっている子もいない。

「もう、電気、消すね」

 そう言って消したものの、暗くなった部屋で、慣れないベッドのせいかなかなか寝付けなかった。違う。本当は、いつまでも子供だと思っていた智恵がいつの間にか大人になっていたから。恋愛経験値が大人につながるとは思ってないけれど、可愛い制服着て、交際して、きっと楽しい毎日なんだろうな、と想像していた。智恵もきっとすぐに、私のことなんか追い越して結婚とかするのかな。将司といい智恵といい、これも中高一貫校のメリット?

 その夜、不思議な夢を見た。智恵が「お姉ちゃん、私、子供出来ちゃった」と狼狽していて、私は産みたきゃ産めばいいじゃんと、適当にあしらってしまう。今までなら一緒に悩んであげたが、そんな不出来な妹のことは知らない、と決め込んで、私は背を向けて歩き去ってしまう。しかし、歩いてたどり着いた部屋には、智恵が男と一緒に戯れていた。私は止めに入るが、智恵は「お姉ちゃんに何が分かるの」と反論され、私はそのまま目が覚めた。

「おはよう、よう眠れたかい」

 おばあちゃんが部屋を開けて立っていた。廊下の向こうで、もう子供たちがはしゃいでいる声がする。

「もう朝ごはんになるからね」

 おばあちゃんは扉を閉めて、私たち二人は着替え始めた。今日の服はこれにしようかな、と考えていると、昨日、ださいなと言われたことを再び思い出した。男子ってきっと女子の可愛いが分からないのね、と思い自分の好みの服を選んだ。智恵と二人で洗面所に行くと、将司と凛太朗が一緒にいた。凛太朗は一人っ子で、お兄さんのような存在の将司を気に入っていた。洗面所は4人が入れるほど広くはない。凛太朗は、お姉ちゃん使っていいよと、先に後ろに下がった。でも、凛太朗はまだ、寝癖がひどく、波のごとく右側がひどかった。

「凛ちゃん、ひらりお姉ちゃんがかっこよくしてあげる。ほら、ここに立って」

 子供用に出されている台に乗せると、鏡に凛太朗の顔が映り、水で濡らして髪を整えてあげた。凛太朗は嬉しそうに跳ねた。

「凛太朗、良かったな。ひらり姉ちゃんは将来、美容師になりたいんだ」

「ええ! そうなのお!」凛太朗が驚いた。

 変な嘘をつかないでほしい。これが、凛太朗で止まればいいけど、家に帰って親に言えば、変なことになるじゃない。

「凛ちゃん、将司にぃは嘘つきだからね、信じちゃだめだよ」

 私は優しく言い聞かせながら、将司をにらんだ。笑いながら、じゃあ後はよろしくと言って広間に向かった。私は凛太朗の髪を直して、行っておいでとようやく洗面所を仕えたところで、智恵はすでに身支度が整っていた。

「先行っておくね」

 智恵はいつもよりかわいく見えた。こんな可愛い智恵に、その彼氏は惚れたんだろう。その点、私は、なんて不細工なんだろう。髪も適当だし、いつもポニーテールか三つ編み、前髪も真っすぐだし、目も小さくて鼻は低い。前髪を斜めにしてみようかな。昔、読んだことがある話で、広島の原爆の前日に書かれたもので、女の子が前髪を斜めにしたという日記が見つかったというのだ。戦争中でもそんな小さな乙女心を日記につづり、彼女は原爆の被害者になってしまった。しかも、仕事のためにかなり中心部にあたるところで被爆したとのことだった。そんなことを日記に書くぐらい、前髪を斜めにすることは、女の子にとって重要だ。私も、少し斜めにしてみた。雰囲気変わるかな。スプレーで軽く斜めを留めると、一歩下がって、悪くないと思った。きっと今日のことは一生忘れない。人生で初めて前髪を斜めにした日だから。

 広間では朝食の準備が、着々と進んでいた。これだけの人数がいると、さすがに洋食になっていた。私はトーストを一枚、男どもは二枚、子供たちは目玉焼きを乗せていたりしている。

「いただきます」

 いつもの朝食より、美味しく感じられた。おばあちゃんのトーストだからか、みんなで食べるからかな。サラダも卵も、おばあちゃんは一体何時に起きて、これを作ってくれたのだろう。おばあちゃんは、今年83歳。私より、5倍も生きているし、戦争も経験している。明日からは、一番年上の私も手伝わなくては。

「お姉ちゃん、どうしたの」

 智恵が私の顔をじろじろ見た。

「前髪、斜めにしている。どうしたの」

「ちょっと気分転換にしてみた。どうかな」

「いいと思う」

 智恵はすぐに気づいてくれたが、他の人は絶対気づかない。些細な変化にも気づいてくれる妹の前髪も斜めに流されていた。私とは左右逆だが、いつ斜めにしたのか気づかなかったことを悔やんだ。

 朝食後は小さい子供たちは、庭に出してもらったプールで遊んでいた。私はそれを縁側に座って、眺めていた。

「ひらりもぷーるしよーよ」

 最年少の蓮と樹が誘ってきたが、さすがに水着は持ってきてないし、お姉ちゃんは見ているからと言って断った。智恵は宿題をしながら、スマホをいじりながらの二刀流で机に向かっていた。風鈴の音が、暑い夏を少し涼めてくれる。大人たちはいないので、プールの見張り番をしている私。スマホにはメッセージは誰からも来ていない。友達はそれぞれ夏を楽しんでいることだろうな。私も楽しくないわけじゃないけど。

「ひらりもプールに入ればいいのに」

 清司が横に座って言ってきた。

「私が入ったらそれでプールが占拠されちゃうでしょ」

 清司は笑いながら、一緒に眺めていた。何か言いたそうだった。

「なんかあった」

 私が尋ねると、清司は首を横に振った。

「別にないんだけどさ、将司の彼女の話」

 一番、興味ないネタを振ってきた。こんなこと相談されても、興味ないとしか回答できない。

「同じ双子なのになんで差がでるんだろうな」

 清司の相談は、私が思っていたこととは違った。

「差って何」

 私はなんとなく共感しながら、促した。

「あいつは今の学校、黙って受けたんだよ。親にも黙って。それで、受かったら親も喜んでそのまま進学。俺は知らなくて、そのまま公立。ここですでに差あってさ。で、次は彼女ができたとか言い始めて、青春しているなあって感じる今日この頃だよ」

 昨日、私が智恵に感じたことのすべて。智恵に嫉妬しているわけではないけれど、ただなんとなく距離ができたような、私に付いて歩いてきていたあの頃じゃないという感じがしていた。同意したいけど、智恵の彼氏の話はきっと秘密。

「将司は将司、清司は清司でしょ」

 私は、キラキラ光る水しぶきを見ながら答えた。

「そうなんだけどさ」

 清司は納得いかない顔だった。それはとても良くわかる。双子だが将司が兄で清司は弟、ここですでに差を感じているに違いない。私も妹という存在がなんとなく、自分より下で、なんとなくそこに差を感じていたはずなのに、それが妹が上になって妙な気分になっているだけ。そう、きっとそれだけの話。

 私たち二人は、その後、他愛無い学校の話や親の話をしながら午前中を過ごした。お昼ご飯もみんなで食べて、昼からは、4人で宿題に向かった。小学生のように、自由研究や図工やそんなものはない。課題、課題、課題。私が得意なのは数学だが、国語のテキストに時間をとられる。今日は一日国語デーにしよう。智恵が音楽を聴きながらやっているように、私の自分の世界に入るため、音楽をイヤホンで聞きながら勉強した。昼からは日差しがきつくなり、気温は午前中よりぐんと上がった。しかし、山間部に流れる風はなんとなく冷気を帯び、クーラーのない屋敷でも、過ごすことができた。家なら、朝からクーラーつけないとやってられないのに。でも、今日はあまり、進まなかったように思う。

「夕ご飯にするよー」

 おばあちゃんの掛け声で、三々五々に分かれて遊んでいた子供たちが、広間に戻ってきた。

「ひらり、今日もおべんきょうしたの」

 蓮が聞いてきた。

「うん。お姉ちゃんは勉強しなくちゃならないの。蓮もそのうちそうなるんだよ」

「えー。べんきょうきらい。じゃあ、明日のおまつりは行かないの」

 蓮は悲しそうな顔をした。

「ううん、明日は、お勉強はお休み。みんなで一緒にお祭り行こうね」

 蓮はやったあと喜んだ。こうやって純真無垢な子供には私も心が洗われる気持ちだ。私も昔はそうだった。智恵を連れて祭りにも行った。おばあちゃんに少しばかりのお小遣いをもらい、二人で楽しかった。智恵を見ると、スマホに夢中だった。彼氏とのメッセージのやりとりに忙しいのかな。姉として、そこは見守ろう。そんなことで、心を乱されて、妹に嫌な思いをさせたくない。

 夕ご飯後はお風呂に入って昨日と同じように過ごした。でも、私は、スマホの目覚ましを6時にセットして早めに起きることにした。少しでも、大人たちの負担を減らしたい。私は、本を読みながら、そのまま眠ってしまった。

 枕の下のバイブルで起きた。あ、朝か。起きなくちゃ。ゆっくり起きて、妹を起こさないように服をきて外に出た。台所に向かうと、叔母さん二人とおばあちゃんが、せっせとご飯を作っていた。人数も多いし、後片付けも大変なはずだ。

「おばあちゃん、私も手伝うよ」

 おばあちゃんは振り返ると、おはようと言い、指示を出してくれた。お皿を出したり、お茶を沢山作ったり、私にできる仕事は少なかったけれど、おばあちゃんは嬉しそうに言った。

「ひらりも大きくなったねえ。手伝ってくれるやなんて、お姉さんになったもんや」

「少しだけなら手伝えるから」

 私は答えたが、叔母さん二人も、ありがとうと言ってくれた。一時間早く起きることで、誰かの助けになるなら、私はいとわない。

「ひらり、そろそろみんな起こしてきてくれる」

 叔母さんに言われ、私は年少組の雑魚寝部屋から起こしにかかった。

「朝だよ!みんな起きてー」

 私は部屋で大きな声で言うも、みんなにはほとんど聞こえていない。仕方ないなあ、一人ずつ叩いて起こして、着替えをさせて部屋から随時出していく。その後、叔母さんにバトンタッチして、身だしなみを整えていく。その後の10歳以上組はわりと目覚めは良い。おばあちゃんみたいに優しく起こさないからか、みんな「なんでひらりなの」と疑問を口にしつつ起きて行った。智恵も起こして、隣の将司清司の部屋にも起こしに行った。

「朝だよ」

 声かけると、将司は起きていたのか、なんでひらりなんだよと言っていたが、清司は私の声で目覚めたらしく、慌てて起きてタオルケットを抱き込んだ。

「もう朝ご飯できているよ」

 私はそう言って広間に戻った。みんなを迎えるってこんなに大変なことなんだな、と感じた。おばあちゃんの体には負荷がかかり過ぎなんじゃないだろうか。智恵が起きてきた。相変わらずスマホをいじっていたが、早く起きていたの知らなかった、とか言ってくれれば私も手伝ったのにとか言っていた。私は、お姉ちゃんだから、と答えた。

 今日は、夏祭りの日。昼食が終わると、みんな、浴衣を出して見せあいっこを始めていた。私も浴衣を持ってきていたので、ピンクの蝶々が舞っている白地の浴衣。智恵のものは、薄い緑色に水色の波が描かれているような柄。どちらも、お母さんが買ってくれたもので、安いものだけれど、自分の好みのものを買えた。私は満足している。夏祭りはこの水神泉家から下ったところにある公民館の前で行われる。子供たちは、早く早くと言って、かなり早めに浴衣を着せてもらっていたが、私たちはゆっくりと16時過ぎに着始めた。夕ご飯は早めに食べて、みんなで行くことになった。一人にならないことを念押しされ、おばあちゃんと私たちで出かけた。おばさんたちはきっと、夕ご飯の後片付けやお風呂の準備などに追われるから、行かないけど楽しんできてねと声を掛けていた。

 私は、智恵とゆっくり歩きながら、聞いてみた。

「彼氏と来たかった?」

「うーん、まあね」

 智恵は照れ臭そうに答えた。そんな智恵の表情も初めて見る。

「来年には私は、サマーキャンプから卒業するから、来年からみんなをよろしくね」

「お姉ちゃんが来ないなら、行きたくないなあ」

 智恵は答えたが、きっともう甘える歳じゃないんだ。

「智恵が一人、最年長だね。彼氏とスマホばっかりやっていちゃだめだよ」

「分かっているって」

 公民館前は、おじいさん、おばあさんばかりの群れをぼんぼりが照らしていて、過疎の一途をたどっている村が、警鐘を鳴らしているようだった。夜店には、金魚すくいと綿菓子、輪投げなどがあった。おおよそ私がするものじゃないけれど、智恵は綿菓子食べようとはしゃいでいた。そこへ、将司がやってきた。

「綿菓子だったら買ってきてやるよ。二人とも欲しいの」

 そんなところで、男ださないでよ。自分で買えるわよ。と言いたかったが、智恵が二人分お願い、と黄色い声で答えてしまい、将司は4つの綿菓子を買ってきた。私たちと、自分と清司の分。四人は綿菓子を食べて公民館のあたりをうろうろしていた。自治会が主催しているカラオケコンサートは、知らない曲ばかりが流れて、おばあちゃんも参加していた。おばあちゃんは、パワフルな体力で、たぶんヒットしたと思われる演歌を歌っていた。伸びのある声に驚いた。密かに練習していたのかな。おばあちゃんは、カラオケのステージから手を振った。私は手を振り返すと、気が付いたら智恵がどこかに行ってしまっていた。まあ、子供じゃないし、放っておいても大丈夫だと思うけど、彼氏と電話しに行ったのかな。屋敷の中じゃ、あんまり電話できないものね。私は、カラオケコンサートの椅子に座ったまま、せっかく着た浴衣を眺めていた。智恵のように誰かに見てもらいたい相手もいない、でも見てもらうなら、誰だろう。考えていたら、そこへ清司はやってきた。

「浴衣は可愛いね」

「浴衣『は』ってなんなのよ」

 私が怒ると、笑いながら、将司もどっか行ったんだよと言ってきた。

「将司も彼女と電話じゃないの」

 清司はすぐに反応した。

「『も』って何」

 しまった。つい口が滑ってしまった。

「秘密にしといて欲しいんだけど、智恵にも彼氏がいて、それでたぶん智恵も彼氏に電話しに行ったから。これ、ほんとに秘密だからね」

 私は両手を合わせた。清司はにこっと笑うと、分かったと答えた。

「屋敷でもずっとスマホで逐一、彼女に連絡とっているよ。そんなに何を話すんだろうね」

 清司は馬鹿だなというような風に笑った。

「それだけ好きなのよ」

 私は答えた。

「それって、ひらりにも好きなやついるってこと」

「違うわよ。ただ、そんな感じじゃないのかなって思っただけ。好きとかそういうのは私には似合わないから」

 清司は黙ったが、何かを言ったようにも聞こえた。

 おばあちゃんは、カラオケコンサートで優勝し、にこやかにステージから降りてきた。

「どうだい、おばあちゃんはまだまだ現役でいけるでぇ」

 今回の夏祭りのハイライトは、おばあちゃんのカラオケ優勝だろう。子供たちもかなり楽しむことができたようだった。私もそれなりに楽しかったはず。でも、少し寂しい気分にもなった。帰り道は、智恵は後方から付いてきていたが、私は蓮や凛太朗と一緒に騒いで帰った。これがサマーキャンプの醍醐味。みんなと騒げる。

 屋敷に戻ると浴衣を脱いで、眠った。疲れていた。うとうとと、半分寝ていた時に、急に智恵が静かに二段ベッドの上から降りてきた。私には声をかけずにスマホを持って静かに外に出て行った。私は寝たふりをして、静かに帰りを待っていたが、そのまま寝てしまった。6時に起きた時には智恵は帰ってきていた。このまま、姉妹の絆はなんとなく離れていくのだろうか、それとも私が追い付けばいいのだろうか。

 次の日からも、ただただ勉強した。宿題の量からいくと、早めには終わりそうだが、夏休み明けのテストにも備えないといけないので、もう一度テキストは復習しておきたい。私は、無言で過ごした。時々、蓮や凛太朗の工作や宿題を手伝いながら、一週間が過ぎた。そして、花火の日がやってきた。

 庭で行われる花火は、ロケット花火のようなものはなく、手で持つタイプのものばかりだが、それでも、この人数ので花火をするとかなり綺麗だった。私は火をつけて子供たちが危なくないように、花火の方向を確認しながら、世話を焼いていると、清司が傍に来た。

「ちょっと、いい」

 私は輪から外れて、縁側の方に誘われると、私の前に立った。

「俺の後見て」

 肩越しに見えたのは将司が、庭にある御影石のテーブルに座っている姿。その前には、智恵の後ろ姿。

「何」

 私は意味が分からず答えると、清司は言った

「ここ数日、夜出て行っているんだよ。そっちもだろ」

 智恵は確かに夜中に出て行っている。

「それが、どうしたの。電話でもしに行っているんでしょ」

「違う。俺、見に行ったら二人で会っていた」

「なんで」

 それには清司は答えなかった。二人がいい仲になっているとでも言いたいのだろうか。そんなはずないでしょ。二人とも、恋人がいるのよ。それとも、私たちには言えないような赤裸々な相談でもしているのかな、同じ学校に通っているし話題もあるだろう、想像はいろいろと膨らむが、私にはそんなに重要なことには思えなかった。でも、清司は、深刻そうにしていた。

「とりあえず花火に戻ろう」

 私たち二人は、花火の輪に戻ったが、将司と智恵は花火が終わるまでずっと、座って話していた。



 サマーキャンプも残すところ一週間。子供たちが釣りに行っている間、私はパスした。宿題が溜まっているからと言う理由で、今回はクエストのコンプリは無理そうだ。私は部屋でベッドを机代わりにしながら課題の復習にとりかかった。4人でいるとなんだか気まずいし、かといって智恵と二人もなんだか座り心地が悪い。昨日の清司の気まずい雰囲気で二人を見ていた目が、私の目もそうさせる。二人に何かあるわけではないと思う。ただ、智恵は清司より将司を慕っていた。昔から、そうだった。久しぶりに会う友達みたいな感覚じゃないだろうか。でも、私は、もうこのことは考えたくない。一人が一番、そう思っていたら、ドアをノックされた。出てみると、清司だった。

「ちょっといい」

「また? 今度はなんの話よ」

「今夜、ここに居ないほうがいいかも」

 清司は真っすぐにこちらを見た。

「なんで」

「だから、いないほうがいいって。忠告はしたからな」

 それだけ言うと部屋を出て行った。一秒も私たちの部屋に居たくないかの如く、顔だけ出してすぐに廊下に踵を返した。何があるっていうのよ、ここは私の部屋よ。清司の言ったことは、ひっかかったが、きっと清司は敏感になり過ぎなのよ。将司に急に彼女ができたから。男女=恋なんて誰が決めたっていうの。この部屋に、もし将司がやってきても、別に普通に迎え入れてやるわ。

 夜が来ても特に何も起こらなかった。私の杞憂だったのね。智恵は普段通りだったし、お風呂入って、私は本を読み、智恵は早々にベッドに入った。私も横になって本を開いていたが、手元から落ちて顔にぶつけて、さすがに寝ようと思った。部屋の電気は付いたままで、私起き上がって消すと、智恵のスマホから出るブルーライトが浮かび上がった。

 夜中に、物音で目が覚めた。何か音がする。ベッドの上からぎしぎしと音がしている。智恵、具合でも悪いのかなと思った瞬間、男の声がした。将司の声だった。将司の小さな声がなんと言ったか聞き取れた。智恵の息遣いも聞こえた。そして、上で何が起こっているのかを悟った。私は聞きたくなかったが、その音は耳をドリルで開けるように聞こえてきた。どうしようもない声が部屋にこだまする。壁の薄いこの部屋での出来事は、きっと清司にも聞こえている。聞きたくない。これを忠告したかったのか。陰で、智恵と将司はできていたということ。それを察した清司が、私に話してくれたが、私の方が鈍感で、相手にしていなかった。これって、姉として止めるべきなの、あなたにはまだ早いわよって言うべきなの、それともこのまま知らなかったことにして明日の朝を迎えるの、最近、夜いないけどどうしたのってそんな前の出来事から聞けばいいの、私は一体どうしたらいいの。

 次の日の朝は、私は不眠のため、かなり疲れていた。朝の手伝いもできなかった。目の下にくまができている。ちょっとファンデで隠さないとやばいかも。顔を洗って、自分に言い聞かせた。昨日のあれは、きっと夢。そういって、ため息が出た。そんなわけないじゃない。一晩中起きていた私は夢なんかみているわけない。水が顔からぽたぽた落ちて、洗面台のタオルで拭いた。広間に行く足取りは重かった。

「ひらりー、おそいー」

 蓮が走って足に抱きついた。朝ごはんは私のために待ってくれていたみたいだった。清司が意味ありげに私の顔を見た。

「ごめんなさい。ちょっと寝癖が直らなくて」

 そういって席に着くと、隣は智恵、斜め前は将司、前に清司、この四角関係が私を苦しめた。少なくとも、この中の二人は昨日のことを知っている。ただ、そのことをお互い知っているかの探り合いはしたくない。だって知っているんだから。

 朝食後は、子供たちも絵の宿題をしたり、工作したりと夏休み最後の宿題に、追われていた。私は。どうしても、みんなといることができなくて、外に散歩に出かけた。

 おばあちゃんの住むこの村は、本当に少ない人数で成り立っていて、ほとんどが田んぼや森、田んぼのあぜ道を歩いていると、田んぼの中にたくさんのおたまじゃくしを見つけた。もう半分蛙になっている。もう少しで大人の蛙になれるね、頑張って。田んぼの緑がどこまでも続いて、山が三方を囲っている。すると、そこへ清司が走ってきた。

「忘れ物」

 そういって、私の頭に麦わら帽子をかぶせた。

「ありがと」

 沈黙。二人とも、頭の中は昨日のことでいっぱい。話したいけど、でも、智恵の悪口になることは言いたくない。

「今日は、こっちの部屋来ておけよ。さすがに居られないだろ」

 清司は優しく私を気遣ってくれた。

「そうするわ。でも、将司が昨日、何時に来たか知らないの」

 清司はスマホを取り出した。

「これ、二人のやり取りの写メ。見てみて」

 二人のメッセージが映ったスマホを写真に収めていた。今日0時ごろに行っていいか、の後に、お姉ちゃんが寝たら連絡する、と智恵のメッセージ。その後、来て大丈夫と送り、OKと将司。

「だから、最初から部屋に入らなければいい。どうせ、二人も俺らが気づいていることを知っている」

「でも、なんかよく分からない。智恵はこんなことする子じゃないのに」

 清司とあぜ道を歩きながら、悩んだ。

「将司はそういう奴だよ」

「じゃあ智恵は将司にいい様にされているってこと? そうなら止めなくちゃ」

 私は早口で答えると、清司は私の腕を掴んだ。

「それは違う。将司のこと守るつもりもないし、智恵のこと悪く言うつもりもない。でも、止めることはあいつらのためにはならない」

「どうして、間違ったことをしているなら姉として止めなくちゃ。あの子はまだ中学二年生なのよ。14歳なのよ」

 私は母親のような言い方をした。でも、正しいことを言っているはずだ。

「今、二人を止めたら、俺ら4人はばらばらになる。この夏が終わっても、兄弟は一生続くんだぜ。一回の失敗を見過ごすだけだったら、たぶん絆は壊れない。なんとなく分かっているけど、口に出さなければいいって話だ。だから、このまま放っておこう」

 清司は保守派なのね。黙っててもいい。でも、いつか私は口に出してしまう。きっと智恵の失敗を怒る日がやってくる。あの時もそうだったじゃない、と言ってしまう日が。こんな間違いを犯していてその上、妹が傷つくようなことがあれば、私は許せない。私たちは、答えが一致しないまま、屋敷に戻った。玄関で靴を脱いでいると、おばあちゃんが声を掛けてきた。

「おやつ、食べに帰ってくると思っとったよ」

 おばあちゃんは、今の私たちの重大な事件を知らない。多分、気づくこともない。私たちの部屋は、子供たちの雑魚寝の部屋より離れているし、そもそも、屋敷の端っこの部屋だ。夜中に何をしてようが、見かけることも耳にすることもないだろう。それは、おばあちゃん達が、きっと私たちを信用してくれているから。いや、それとも、そもそもこんな状態になるなんて想像もつかないことだろう。私は、この心の内を話せる相手がいない。今までは、悩みを話す相手は妹だった。私にはそんなに友達もいないし、ましてや恋人もいない。親とすごく仲がいいわけでもない。そうやって殻に閉じこもって、私は、独りになるのかな。

 広間では、やはり、智恵と将司は一緒にいた。それを疑う人間はここには存在しない。だって、これはサマーキャンプ。見ず知らずの、血の繋がりのない人間が集まったわけではない。私たちは全員、従兄弟。それに子供。私は、何事もなかったかのように、智恵の隣に座って、お菓子のアイスを食べた。

「どこまで散歩に行っていたの」

「屋敷を下りて、少しだけよ。暑くて戻ってきたわ」

 普通に。自分に言い聞かせて、深呼吸した。清司は、私の前に座ったが、穏やかな表情だった。今晩から最終日まで起こるかもしれないことを抱えているようには見えない。しかし、智恵と将司は仲が良かった。いつもに増して、仲が良いように見えた。

 その日、私は再び、二人を目撃してしまった。お風呂に入ろうとしたとき、智恵が入っている間に、荷物だけ置きに脱衣所に入った時だった。智恵の下着の下に将司と思われるパンツがあった。中学三年生なら、もうブリーフは穿いてない。このトランクスはきっと将司のもの。将司が入った後に、智恵が入ったんだろう。私は荷物を置いて、去ろうとしたら、後ろに将司が立っていたのだ。驚いて声をあげると、中から智恵が、誰かいるの、と声を掛けてきた。私は、とっさに「私よ。荷物置きに来ただけ。虫がいてびっくりしたの」と将司の存在を消してしまった。将司はそれで察したのか、脱衣所に入ろうとしていた足を引っ込め、廊下を歩いて行った。今、将司は明らかに用もないのに妹のお風呂場にいた。もう、なんでこんなにいろんなことが一度に起きるの。私はぐちゃぐちゃになった頭の中を整理したかったが、お風呂上りには清司の部屋に呼ばれた。

「将司が、ひらりとここで寝ろって」

 つまり、さっきのことで気づいたんだ。清司に、お風呂場での一件を話すと、言ってしまったものは仕方がないよ、と答えてくれた。

「俺ら、どうなるんだろうな」

 二人は床に座って、ぼんやりとした明かりの中でそれぞれに悩んでいた。答えの出ない悩みを。

「どうしたらいいか分かんない。正直、今すぐにでも家に帰りたいけど、できないし、もう……」

 悩みが堂々巡りだ。

「清司って好きな子いないの」

 ふと思ったことを聞いてみた。清司は、少し驚いたが、鼻で笑った。

「好きな子はいた。でも諦めた」

「どうして」

「ひらりは思ったことをすぐに口にする癖、直した方がいいよ」

 そう言って、清司は二段ベッドの上にのぼり、私も下のベッドで横になった。

「思ったことを口にしたい。だから聞くし言うよ」

「はいはい。じゃあ聞きたいこと何でも聞けよ」

 清司の顔は見えないが、きっと呆れた顔をしているだろうな、と感じた。

「じゃあ、清司は将来何になりたいの。進学先の希望とか」

「将来は研究職に就きたい。具体的には、たぶん宇宙工学系。そっちの道に入りたい」

 すごい、そんな夢があるなんて。

「すごいね。私は、進学先もたぶん適当。行けるとこ行って、それでなりたいものがあったら目指すかな」

「俺だってなりたいものが漠然としているよ。何か特定のものになりたいわけじゃないんだし」

「それでも、そう思っていることがすごいと思うよ。そんななら、彼女いなくても全然平気じゃん」

「それとこれとは別だろ。学生の本分は勉強、ただサイドメニューに恋愛があるだけだよ」

 私たちは笑った。きっと隣にも聞こえているかもしれない。隣の声は私の耳のは聞こえない。話す相手がいれば、隣なんて気にならない。

「清司ってモテるの」気分が良くなった私は聞いた。

「告白されたことは、まああるけど、モテ男じゃないよ」

「じゃあ、どんな子が好きなの」

「大人しくて、可愛い子。ひらりとは正反対の子だったらいいよ」

「大人しくないことは認めても、遠回しに可愛くないって言っているでしょ」

「不細工って言うよりましだろ」

 私たちはこんな会話をしながら、ここにきて、ようやくサマーキャンプを心から楽しめた。こんな楽しいことが毎日あればいいのに。清司との話はつきなかった。その夜は、二人で笑いながらそのまま眠ってしまった。

「お姉ちゃん、早く部屋に戻らないと」

 智恵に起こされたのは6時だった。そうか、おばあちゃんが起こしに部屋にやってくるから、早く戻らないと。その時は、とりあえず部屋に戻ることで、智恵に問わなかったが、部屋に戻った智恵は気まずそうに身を縮めた。

「お姉ちゃん、知っているんだよね」

「知っているよ」

 私は着替えながら、背を向けて答えた。顔は見たくなかった。

「お願いだから、明日来るお母さんたちには言わないでね」

「言えるわけないでしょ」

 私は、続きを言おうと口を開いたが、空気を噛んだ。清司に言われたことを思い出す。なんでも思いついたことを言うべきではない。今、私は妹をたしなめようとした。それが、妹にどう影響するかを考えてから言わないといけない。私は、ここは黙っておくべきだと判断した。親にも言わない、妹のこの間違いは姉妹でなんとか解決して、10年後とかそれぐらいに笑い話で終わるように。

「誰にも言わない。約束する」

「ありがとう。やっぱりお姉ちゃんだね」

 私は喜ぶ智恵の顔を見て、罪悪感に襲われた。明日来る両親を含め、8人兄弟がそろう。その配偶者も含めたら総勢30人。私たち4人はこんなに泥沼だというのに、誰にも話せない。親は信用できない。絶対に秘密にはしてくれない。智恵と将司の両親呼んで家族会議とか始めそうで怖い。明日には、全員揃ってみんなで一泊して、サマーキャンプは終わる。一刻も早く終わってほしい。

 しかし、明日はすぐにやってきた。親の顔を見たくない。見られない。秘密を守ることで、同じ罪をかぶっている。そもそも、妹には交際している人がいるにも関わらずの、この貞操観念。将司にも同じことが言えるけど。昼過ぎから、続々と各両親がやってきて、子供の宿題の進み具合や出来を見て、親同士の話にも花が咲いていた。

「ひらり、智恵、キャンプは楽しかった」

 お母さんがやってきた。

「まあまあかな。お姉ちゃんは結構、勉強していたけど」

 智恵はしれっと答えた。

「宿題は済んだよ。帰ったらまたテストに向けてやるつもり。明後日の朝帰るんだよね」

「そうね。朝にはここを出ないと、帰省ラッシュに捕まりたくないからね」

 良かった。明後日の朝にはここを出られる。この場所から出れば、きっと元の生活に戻ることができる。

 親はおばあちゃんと共に、子供たちの世話にかかりきりだった。私たち年長者は、自分でできるから放っておかれている状態だったが、むしろその方が楽だった。時間の経過がやけに遅く感じられたが、一人で屋敷内を歩いてみたり、おじいちゃんの書斎に行ったりして時間をつぶした。おじいちゃんと共に、歴代の水神泉家の当主の遺影が飾られている。おじいちゃんより前は全く分からない。知らない人の写真が並ぶ中、こうして自分が存在していることを不思議に思った。なぜ、この家だったんだろう。私は、生まれ変わってもこの家に産まれたいと思うだろうか。来世はイタリア人かもしれないし、ゴキブリかもしれないし、水になっているかもしれない。人間は、この地球上で、さも天下を取ったなりと大きな顔をしているが、本当は、宇宙が発生してから45憶年経ち、その中のたった一瞬の光にすぎない。でも、私はその中で自由に行動し、もの考えることができて、コミュニケーションをとり、そして、繁殖もできる。おじいちゃんは、おばあちゃんを結婚した時、自分で選んだ相手ではなかったと言っていた。家が選んだ相手で、結婚する日に初めて顔を合わせたのだと聞いている。私だったら、そんなの絶対嫌だけど、時代の流れがそうさせたのだ。ほんの一瞬の光にすぎないのに。

 屋敷は広い。でも、ほとんどが空き室で、昔は繁栄していた名残だけが虚しく埃に溶けている。私は、勉強に集中できなくて、静かな部屋を求めて彷徨った。きっと今頃、将司と智恵は仲良くしているだろうな。すると、そこへ凛太朗がやってきた。

「ひらりはどうしてここにいるの」

 子供は正直で残酷だ。嘘を信じ、素直に話す。私にもこんな頃があった。きっとその頃はみんなに親しまれていた。

「ちょっと歩こうかなと思ったの。凛ちゃんはどうしたの」

「ひらりを探してた」


「なんかご用かな」

「ううん、僕も一緒に歩く」

 私は凛太朗と一緒に屋敷をうろうろした。

「ママがお化け出るって言ってた」

 私は笑ってしまった。

「お化けなんていないよ」

「出るもん」

「見たことあるの」

「怖いときに、見たことあるもん。なんか分かんないけど、たぶんお化けいる」

 凛太朗の目は真っすぐで穢れがない。お化けを信じるのは、サンタクロースを信じるのと同じくらい、信憑性に欠ける。しかし、なぜかサンタクロースはいないと分かるのに、幽霊がいるということはなぜか大人になっても信じている人がいる。私は信じていない。人は死ねば消えるのだ。何も残らない。思い出はやがて消えて、次の世代に引き継がれることはない。

「凛ちゃん、そろそろ戻ろうか」

 私は広間に戻り、がやがやと賑やかになった席に戻った。長机も二倍の数になり、子供と大人に分かれて夕食をとる。私は話さなくなった4人の机で、この関係性がいつまで保たれるか、いつ崩壊するかを危惧しながら、食事は無理矢理、喉を通過させた。子供たちは自由にはしゃげていい。何の心配も不安も無い。私たちはいろんなことが混じりあって、楽しみも不安も幸せも不幸も、自分次第。

 私はその夜も清司と共に過ごした。話も尽きて、二人は床に座ってベッドの柵にもたれかかりながら、眠ってしまった。あと一晩。明後日には家に帰る。

 朝、私は早めに起きて、おばあちゃんたちを手伝った。私のお母さんも台所に立っていた。

「ひらり、おはよう」お母さんはいつも通り言った。

「ひらりはお姉さんになったね。ひらりは朝早く起きておばあちゃんたちを手伝ってくれたんだよ」

 おばあちゃんは私のことを、お母さんの前で褒めてくれた。お母さんはおばあちゃんからすれば、嫁になるが、娘のことを褒められて、お母さんも嬉しそうだった。私も嬉しかったが、その顔を隠すように俯いてしまった。お皿は私の俯いた顔を映し出し、私に問いかけた。本当にお前は称賛に値する人間なのか。心は読めるぞ。

 倍量になった、お皿や朝食は大変だったが、お母さんたちの手も増えて、子供の着替えも身だしなみもスムーズにいった。今日は、一日、夏休み宿題チェックの日。遊びはなしで、最終日にみんなで遊ぶ。そのために、今日頑張ろう。私も、差し迫ったテストの確認やチェックに奮闘した。朝食もそこそこに、そのままみんなは長机で勉強となり、私も音楽を聴きながら、外界をシャットアウトし集中した。智恵は横に座っていたが、何も話すこともなく、同じように音楽をイヤホンで聞きながら、私の存在をシャットアウトしたいのだろう。

 私は目の前に投げられた小さな紙に、集中を切らされた。小さく折られた紙をひろげると「絶対に言うなよ」と書かれていた。顔を上げると、将司も清司も私をみていた。目から察するに、たぶん将司が書いたものだ。

「当たり前」と書いて投げた。将司は読んで、紙をくしゃりと手に握りしめ、ポケットにいれた。清司は一部始終を見ていたが、何も声を掛けずに見守っていた。たぶん、喧嘩にならないかだけ見守ってくれていたのだと思う。

 私は一日、勉強で疲れた体をお風呂で癒した。このサマーキャンプ中に生理が来なくてよかった。サマーキャンプの最終あたりにかぶりそうで、怖かったが、大丈夫そうだった。お風呂とかを最後に入らないといけないし、そうなると分かる人には生理がきているとプラカードを掲げているのと同じなので、本当に来なくてホッとした。聞くところによると、お風呂は心の洗濯らしい。もしそうなら、この不安まで洗ってくれるかな。でも、長居はできない。後ろがつかえているし、早く上がらないと。私は、お風呂の蓋をして外に出ようとしたが、すりガラスの向こう側に揺れる人影を見た。誰だ。私はそっとドアから離れると、影はこちらの様子をうかがっているようだった。すると、影はすっと脱衣場から消えて行った。私は少し時間をおいて、ドアを開けると、誰もいなかった。

 最後の夕食は豪華だった。子供の好きなもの全部作りました、と言わんばかりの机の上にはたくさんの料理が置いてあった。私の好きな唐揚げもある。

「みんな、野菜もちゃんと食べるんよ」

 おばあちゃんの掛け声は子供に届くだろうか。子供たちは好きなもの争奪戦に備えて好きな食べ物を凝視。

「いただきます」

 一斉に声を合わせて言うと、一気に部屋は声にあふれた。私も唐揚げに手を伸ばそうとしたが、微妙に遠くて、立ち上がろうとすると清司が声をかけた。

「ひらりは唐揚げ取りたいんだよね。取ってきてあげるよ」

 清司は私の皿を取ると、立ちあがって唐揚げや野菜を丁度いいバランスでとってきてくれた。

「ありがとう。よく知っていたね」

「ひらりはいつも唐揚げだったから」

 私は清司の好きなものなんか、覚えてない。清司はエビフライとレタス、スパゲティを皿に入れて戻ってきた。



「これで最後だから、他言無用でこれっきり」

 壁の向こうから将司の声が聞こえた。智恵に言っているらしい。智恵は何と言ったか聞き取れなかったが、鼻をすする音が聞こえた。二人にはそれぞれ恋人がいるのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。私は、壁に耳をつけて、会話を聞き取ろうした。

「俺にも彼女いるし、一応、これで最後ってことにしよう。でも智恵のことは忘れない。学校で会っても声はかけないが、時々連絡する」

 将司の声は、自分に言い聞かせているようで、心が見えなかった。私は壁から耳を離し、音楽を聴くためにイヤホンを耳に入れた。そのまま、ベッドに横になると、目を瞑って、サマーキャンプを思い返した。凛ちゃんや蓮とはよく話したけれど、安奈、玲奈、礼央とはあまり話せなかったな。みんな、ちゃんと宿題は全部終わらせられたのかな。このサマーキャンプの目的は、家族や血の繋がりを強くするためのもの。ある意味では強くなり、一方で焼けきった木のように脆くなった。

 突然、私のイヤホンが耳から抜き取られた。目を開けると、清司の顔があった。びっくりして声をあげようとしたら、清司の右手が私の口を塞いだ。

「静かにして」

 私は口を塞がれたまま、今までも静かにしていたんだけど、と言いたかった。清司は私が声を出さないと分かり、手をどけた。

「何」

 私は聞くと、清司は狭い二段ベッドの下で寝ている私のテリトリーに侵入し、私に乗っかった。

「ここ数日は耐えられなかった」

「どうしたの」

 清司は私の腰に両手を添えると、一枚しか来ていないパジャマの中に手を入れてきた。私は清司の手首を掴んだ。

「何のつもり」

「ひらりは警戒心が無さすぎるよ」

「どういう意味」

「ひらりは、毎日お風呂上りはノーブラだ」

「なんで知っているの。というか何それ」

「俺だって男だよ」

 清司は私に覆いかぶさった。

「ごめん」

 謝りながら、ぎこちなく私にキスをした。熱い吐息が私の唇にかかる。私は、抵抗しなかった。なぜか無心だった。なにも感じなかった。でも、なにか感じているような気がした。清司はそのままパジャマの中に手を滑り込ませると、私の胸を掴んだ。

「やっぱりノーブラ」

「寝るときは楽になりたいから」

「お風呂場でチェックしたけど、今日のパンツは水色だった」

 清司は自分のTシャツを脱ぐと、肋骨の浮き出た細い体が豆電球にされた光の中に晒しだされた。

「ひらりも脱いで」

 清司は私を起こすと、私のパジャマのボタンを外し、脱がせて、ぎゅっと抱き込んだ。

「私……」

「今夜は黙っていて」

 清司の固いものが体に当たった。私は、これから何をされるのかの不安より、揺れ動かない心に感情が吸い取られていくことが怖かった。

「ひらり、初めて?」

 清司は自分のものを触りながら、小声で聞いた。

「うん」

「俺もだけど、痛くないようにする」

 そこからは、ほぼ無言だった。速い息遣いと、漏れ出る声に心と体を押されながら、ゆっくりと清司が中に入ってきた。熱くて硬かった。ブチっと感じた瞬間に痛みが走り、私は顔をゆがめた。清司は、ごめんと呟いたが、止めなかった。太腿に何かが流れるのを感じたが、私も止めてほしいと言わなかった。

「動くよ」

 清司は私の返事も待たずに腰を揺らし始めた。私はただひたすら痛かった。なにかでお腹をえぐられるような鈍痛に近い痛みを感じながらも、本で、そういうこともあるけどそのうち気持ちよくなるということを書いてあったことを思い出した。でも、この痛みが快感に変わるとは思えなかった。

「もうだめそう」

 清司はそういうと激しく動いた。何秒も経たずに、体の中に液体が流れ込むのが分かった。同時に私の腰が浮いた。清司は自分のものを抜きとると、そのまま私の横に倒れこんだ。息遣いはまだ早く、私の肩にかかった。私も力が入っていた腹筋が緩んだ。

「ありがとう」

 お礼を言われても……。

「私は何もしていないよ」

 私はそう言って、清司が横に寝るためのスペースを確保するために、体をずらした。私は今夜の出来事を、秘密のバッグに詰めて、生きていく。これからのことなんて分からない。今後、清司とどうなるかなんて分からない。なんか、どうでもいい。

 そのまま心地よい疲れともに、眠った。



「おはよう」

 お母さんが私たちを起こすために、部屋を開けた。その目は驚きと哀れみを含んでいたことを、私は一生忘れない。

 赤く染まった私のシーツが、日の光が当たって、持ち主を探していた。


私にもこんなモラトリアムを抱えていた時期があったなあと思い出しながら、書きました。ひらりは、自分では大人のつもりだけれど、大人と言う人間をまた違う角度から観察し、自分は子供ではないと思っています。自分の心の中はいつも悩みや葛藤でいっぱいなのに、ふと間違いを犯していることにも気づけないほどに自分が見えていません。そんな昔をあなたにも思い出してほしいです。

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