ほぼほぼ再掲、クリスマスイブ、ぼっちです。クリぼっち決定です。連休が辛いです。うそ。カラダが休まって嬉しいです。ほな(あッ、ほな、って、それではみなさんごきげんよう、の関西弁やね?ホンマか?)。
もう、クリスマス直前。
てか、今日はイブ当日やし、明日はそのものズバリのクリスマスな日(な日、って、文法上、どうなん?名詞ぷらす「な日」って、たとえば「箱な日」とか「電車な日」とか、通じひんよなぁ。なら、「の」ならどうなん?「箱の日」とか「電車の日」とかなんか「この日なんの日?」の「日」としては、文法上まちがっていないみたい。「たまごかけご飯の日」とか、クスッ、あ、なんで笑ってるかわからない人は、私の詩集(載ってるのは、『がんばれ秋さん』(なぜ、わざと詩集のタイトルを、間違う?その詩集に対する愛情が「がんばれ」って、応援させてるんと違うか?もう、終わりかけやしね)くらいかなぉ?)(に、二重カッコって、読みにく過ぎやろ?)を、ご一読いただければ幸いです。
にもかかわらず(なににもかかわらず?なんか、もう閑話長すぎで忘れたわ)街や、テレビや、ネットでは、クリスマス色が以前と比べてだいぶ薄まっているのではないだろうか?とか感じてしまうのは、私だけだろうか?
クリスマスって、もっと、はではでしかったのでは、ないだろうか?
そうか、私の記憶操作だろうか?
アレー?こんなもんだっけ?
まぁ、そういう話を引っくるめて(ウソウソ、そんな話を引っくるめられるわけないやん)とにかく、今は、『クリスマス詩集』(詩のコーナーで、ご一読いただければ、幸いです)をつくっています。
なんとか、わたしのきもちだけでも、アゲようかな、と。
そして、グチともつかない、グチ、をノベル
あーあ。
ひとりだね。
ひとりでいると、
身につまされるね、
経ていない時間の
その長さ。
アッ、「経ていない」って、
カレシカノジョとクリスマスまでの
経て来た1年とか数ヶ月とか
そういう時間のことかしら?
ちょっと、非常にわかりにくい使い方やね?
(って、「ちょっと」なんか、「非常に」なんか
どっちやねん?)
とかはまぁ、こっちへ置いといて、
それでは、クリスマスエッセイをお読みくださいませ。
って、これ、エッセイ、ちゃうんちゃう?
ま、ジャンルはエッセイに投稿しますけど。
『ロンリーロングクリスマス』
こーんな!
ことになるんじゃないかと、
思っていたよ。
クリスマスも、イブ当日に、
こーんな!
詩ーッ!
なんて、もん、
書いてるボッチは、どーこ、だ?
こーこ、だぁ。
あー、もう。
イヤッ!
恥ずかしいんだ!
こんな日にまで
ひとみな一年に一度の
ラブリータイムを過ごす
夢にしっぽり濡れてるこのひととき、
私ひとりで、
毎年毎年、
今年もやっぱり
イブイブイブも、
イブイブも、
そんで、
イブ、も。
さ。
ひとり、
さ。
(家族と暮らすのは
クリスマスに数えない、
っていうじゃなぁい?
残念ッ!)
(て、こんなん、あったよなぁ?)
(サムライニッポン、やったっけ?)
(わかりにく過ぎ、それもいうなら
バイオリンザムライやったっけ?
やろ?)
なら、黙ってテレビでも、ネットでも、みてなよ?
わざわざ、
こんなところで世間様に向かって、
ワタシハヒトリダヨー。
サミシイヤツデスヨー。
って、言いふらす必要、ないんじゃない?
そんなことしたって、
だれもここに
飛んで来て、
くれないよ。
なーんで?私は、こうなった?
私、そんなあやまち犯しました?
ひとりが怖いから
だれでもいいから
だれかが欲しかっただけ
あれがあやまち、だったのかな?
ホラ、ココニイマスヨー。
サイテーナヤツデスヨー。
なら、私の孤独は
自業自得ということで、
納得してもらうしかない
だれに、納得?
むろん、自分に。
こーんな!
こんな、くっだらないこと書くために
一年間頑張って来たんじゃないんだぁ〜
あ〜〜〜、あぁあ?
あ〜ぁ、あ。
もう、ホント!
ため息しか、出ないね?
もう、これ以上は、
ため息しか出ないので、
オシマイ。
なんせ、私は、
いつだってひとりっきりさ、と、
ハードボイルド風のものの言い方で
照れ隠しおこなっちゃう
繊細な人、だからね?
(ホントに繊細な人は、自分で自分のこと
(繊細な人って、言わないよねー?
(イヤ、でも、言うわなきゃ、
(私の孤独は、だれにも伝わらないじゃない?
ホント、難しい、ところ、やね?
イヤイヤイヤ、
とかなんとかゆうておりますが、
けっきょく、やりたいように
やってるだけですさかい、
そんな、
哀れむような目で
みてもらわなくても
けっこーですよ?
私は私でおもしろおかしく
生きておりますさかいによって。
ホラ、心の動揺が
方言(えっ?関西弁って、方言?)を
へんな使い方させているのと
ちゃいますの?
あ、きみきみ、ちがうよ?
なんか壮絶な思い違いをしてへんか?
この詩(?エッセイは、どこ?)のタイトルの、
「ロンリーロングクリスマス」の
ロングって、
詩の長さが長い詩、という意味や、ないよ。
ロンリーな時間が、ロングだったって
意味やから、
べつに、それは、もう、すでに、
終わった過去の既定事実やから
気にせんで、ええで。
そんなことより、
勘違いして
思いっきり長くしようとしてる、この詩
いい加減、
往生、さしたりぃな?
あぁ、ホンマやねー、
この詩の冒頭の、
まだその前の、
まえがきみたいなヤツの、
「今年はクリスマス色が、薄い」
って言葉。
それ、
あ、な、た、だ、け、で、す、か、ら
残念っ!(って、むかし流行ったような)
とかなんとか、
ゆうておりますが、
けっきょくは、なにをどうごまかそうとしても
サミシイ、ヒトリネノ、くりすます
おくる、みたいな、うんめい、です。
あーめん。
最後は、敬虔に、教会で、
聖なる御子に祈るカタチで、
終わります。
って、
そういえば。
「♪♪あーめん、そーめん、ひやそーめん、♪♪」
って(知ってる?いまの人は知らんか?)
ひやそーめん、
って、
フツーやん?
そーめん、と、ひやそーめん、て
どこがどうちがうの?
フツーに、そーめん、といえば
冷えてるそーめん、思うよなぁ?
この、いい方やと、
そーめん、は、ふつーあたたかい食べ方するもので、
なかには、冷やして食べる食べ方もあるよ、
みたいな錯覚、してしまうわなぁ?
コーヒーと、レーコーみたいな。
あ、これ、たとえが、方言やん。
だめ、やん。
伝わらへん、やん。
やから、
コーヒーと、アイスコーヒー、って
言い直すけど、
けど、そおやろ?
ひやそーめん、のくだりは、
ほんまにそうやんなぁ?
そうか、あれか?
食べ方、変わったんかなぁ?
むかしは、ホットそーめんが普通やったけど
いつのまにかに、アイスそーめんに
取って代わられた現在だから、
現在聞くと、違和感がかんじられるのかなぁ?
てか、そもそもみんなは、
そんなこと、気にもならんて、いうてるわ。
て、いうてへん、やん。
なんでもかんでも、
「みんなが、ゆうてる」
ていうの、ほんまに、もう、
やめてもらいたいんですけど。
もう、長く続ける意味もなくなったので、
ヲハリ、で、いーですか?
いーですよ。
でわ。
ヲハリ。
ですです。