ナサナ国王のもてなし
ジェゼロの王への忠誠というには、この甥は変質的だ。変態の中でも上級だ。あの部屋は賓客用であり、声は上の階に筒抜ける仕組みになっている。あれの忠誠心は本物だろう。お嬢さんの方は可愛らしい恋心はあるだろうが、ベンジャミン・ハウスは淡い恋心などではないだろう。二人揃って幽閉してやればいっそ感謝されるのではないだろうか。
遅れて二人を入れた部屋に入ろうとしたが、ドアにイエンが貼りついていた。
「何をしている。覗きとはいい趣味だな変態宰相殿」
「のぞっ……今回の一件、フィカス国王だけにお任せするのは心配です。私も同席します」
「おまえの分の食事はないぞ」
「早々に一人増えると伝えておきました」
そのどや顔がどれほど間抜けか鏡を付きつけてやりたい。
何か考えがあるのかと思ったが、扉を開けさせ中へ入ると納得する。イエン宰相殿は新しいスーツを身に纏い、鼻を膨らませて先に腰かけていた女を見ていた。我が王座の安泰のためでも、新王としてあれを立て反逆というわけでもない。こっちの変態は超純真な恋に落ちたようだ。
「歓迎頂いた中、我が儘を言って申し訳ないが、この服はどうにも落ち着かない」
「いや、予想以上に似合っているぞ。ナサナ国は美の国だ。女性を宝石のように磨かぬ男などそれだけで罪だ」
「私は喧しく飾り立てるより、原石のままが好きでね」
女の格好でやってきたのはそれなりの策だろう。もし国と同じ男装だったならばもう少し厳しい扱いを敷いていた。何せナサナはフェミニストの国だ。女性を足蹴にする者に足はいらない。むろん、女が分を弁えず尊大になるならばそれは女ではなく、望むままに男として扱う。
「それに、従者殿も紳士の服を着れば、文明人に見えるようになった」
「今回のご厚意に感謝いたします」
特別な従者には特別な対応を。それに対して空々しい礼が返る。正装し、髭をそり、髪を整えれば、親類などと生易しい言葉では足りぬ相手の面影が浮き出ている。あの指輪は我が愛しの姉君が父から15の祝いに贈られた物だ。美しく聡明で慈愛に満ちた姉を、この世から奪った元凶が目の前にあると実感する。父親がわかればと思ったが瓜二つの男は少なくともいない。いればすぐにさらし首にしてやった。ナサナの真の王を殺した罪だ。首を斬るだけでも生易しい。
「ナサナのマッサージと同じように食事にも満足いただけるとおもうが」
恨み言が顔に出ぬように言う。
食事は相手の育ちと成りを見るのに適している。ナイフとフォークの使い方。話術にその他の作法。少なくとも、孤児院育ちにしてはまともにナイフを使えるらしい。
「私が乗ってきた馬の世話に問題は?」
「とてもいい馬をお持ちですね。黒い毛並みが美しい。人を乗せるのは嫌っているようだが。とてもいい馬だ」
宰相殿が話の流れで慌てて褒める。馬などまともに乗れもしないくせに。
「ええ、あれは私以外を乗せない」
「ほう、それは面白いな」
「お貸ししてもいいが、もし乗ることを許されればナサナの国王が実は女ではないかと嫌疑をかけられかねない。あれは女好きな馬だからな」
荒れた馬に乗るのも一興だと明日にでも乗ってやろうと思えば、すかさず権勢をかけられた。見事に物怖じをしない。唯一、恐れが見えたのはベンジャミンが出てきた時くらいか。
「噂で、槍の名手と伺っているが、ナサナは両刃の剣技が主流では?」
「剣は好かん。あれは野蛮人が使うものだ」
「私から言わせれば、刃物を使うのは既に野蛮な遊びだ」
「女子供は人形遊びに忙しいからそう思う」
「残念だが、幼少期にその手の遊びには恵まれなくてね。もっぱら馬と男子を腕一本でひれ伏させていたよ」
食事はあまりとらず、すらすらと話を返す。城に来た初めこそ丁寧な話ことばだったが、あれは探りを入れる為の芝居だろう。王が遜るのは神の前だけで言い。
「それは、国王に逆らう気骨がない者ばかりだったんだろう」
「エラ様は、体術に長けておられるのですね。無駄のない体つきをされているはずだ」
隙を見ては他国の王を誉めそやし、気を引くために鼻を伸ばす馬鹿宰相に話の腰を折られる。
「従者も手練れであったと、将軍が言っていた。あれと互角とは、中々に見どころがある」
会話には入らず一人淡々と食事をとっていたベンジャミンに話を振る。時間稼ぎか、口の中の物を悠長に飲み下してから口を開けた。
「敗者は勝負について話す事がありません」
待たせた割にはつまらない返しだ。だが、実際に武器が差を付けた試合だったと聞く。もし名のある剣を持っていればどうなったかわからないと、あの熊のような男が負けを示唆したのだ。
「酒が進んでいないな。ジェゼロにワインはないのか?」
二人に声をかけるとエラは肩を竦めた。顕わになったそれは美しいカーブを描いている。
「アルコールは人の頭を馬鹿にする」
この手の女に吹っ掛けても乗っては来ない。自分のルールを守った飲酒しかしないのだ。女であればその賢さは宝だ。
「そちらは、まさか酔いつぶれる心配か? 安心するといい、そのグラスを飲み干して倒れたとしても、ナサナは客人とした者のゲロの始末も厭わない」
「行儀が悪うございます」
小声でイエンが言う。その間に、ベンジャミンはグラスを飲み干していた。自分の限度を知っていても、男は馬鹿な生き物だ。酒が入れば尚の事。
「失礼だが、私はそろそろ休ませてもらっても? 男性諸君も一度コルセットを絞められてから食事をしてみるといい。旨いものがろくに食えないぞ」
折角興が乗って来た折にエラが席を立つ。従者も立とうとしたのを女主人が手で制した。
「お前はちゃんと食べてから戻れ」
なにかいいかけて口を閉じる。つくづく尻に敷かれているらしい。従者と言う立場ならば、有無を言わさず追従すべき場だ。それができないのは、本来の立ち位置を見失いかけている証明ではないか。
「では、ナサナとジェゼロの末永い交友に乾杯」
グラスを傾け煽るように言う。そして互いにグラスを傾けた。剣術だけでなく、酔いつぶれない相応の自信があると見た。そうでなければ勝負にならない。
少し歩いただけで足の指は体重で押しつぶされて親指と小指の付け根が赤くなっていた。それに踵も擦れている。何よりも、コルセットで息が苦しい。
部屋に戻ると、すっかり日は暮れている。昨日の夜は不安で押しつぶされそうだった。ベンジャミンが生きているかも定かではなかったのだ。
拷問的靴を脱ぎ棄てコルセットの紐をほどく。着る事は出来なくとも脱ぐことは一人でできる。裸足で歩いているため足の裏に柔らかな絨毯の感触が心地いい。
「これは、正気か?」
ベッドには就寝用らしき服が一着置いてあるが、薄くて体のラインが好けるような膝より多少長い程度のネグリジェだ。救いは羽織もある事だろ。このドレスのままでいるわけにもいかず、着替える。
ごてごてと作られた顔を落として、ようやく伸びをした。マッサージの効果か、体はそれ程疲れていないが、心労が今になってどっときている。
ここが安堵していい場かはまだ計りかねていたが、フィカス殿が敵とすれば持て成す真似はせず、いたぶって楽しむだろう。あの巧みな双子を遣わせるとも思えない。
久しぶりのまともなベッドに潜り込み息を付く。昨日はほとんど睡眠がとれなかった。
少し微睡んで、深い眠りの入り口が見えた頃、物音で目が覚めた。ジェゼロにいた時ならば起きなかっただろう。神経が未だに鋭いままなのだ。
「エラ様、陛下、どこですか」
ベンジャミンの声だ。いつもよりも大きい。
「どうした、ベンジャミン」
何事があったのかと、起き上がり廊下から入る灯りを頼りに駆け寄る。
「みゅっ」
いきなり抱きしめられて変な声が出た。後ろでベンジャミンについていた双子が立っていたが、お辞儀をしてそっとドアを閉めた。その所為で余計に部屋が暗くなる。今更だが、城の中でもジェゼロにあった灯りは見当たらない。
「ほんっとうに、あの男に、捕まって、酷い事をされたのではと、こうふ……心配で心配で、私の心臓は止まるところでした」
更にぎゅーっと抱きしめられる。そうする相手が相当に酒臭いと気付く。
「お前、いったいどれほど飲んだ?」
「ほんの数杯です。もちろん、多く飲みました。陛下の物たる私が、他者に負けなどできません」
こんなにも酔っている姿など見たことがない。他人を酔わせて秘密を暴露させる悪癖があると聞いたことはあるが、本人はかなり酒に強かったはずだ。
「水を飲め。吐くならあちらの部屋へ行け」
そもそも、隣の部屋に直接通せばよかったろう。こんな酔っぱらいを押し付けて。
「……陛下。私は、怒っているのです。そう、怒っている」
引き剥がそうとすれば、酔っ払いの足取りがふらつく。
「ほら、ベンジャミン。とにかく座ってくれ」
ベッドに座らせると、がっしりと手を掴まれた。これでは水も取って来てやれない。
「何故あんな格好を、私以外に見せたのですか。他の男に、見せたくなどなかった」
急にはっきりと話し出す。どこまで酔っているかわからない。
「勝手をしてすまないと、謝ったはずだ」
「例え、付き人が私しかいないとはいえ、陛下は一人で行けたはずです」
「……」
子供の様に拗ねた口調だ。確かに、あれだけの資金があればジェーム帝国の近くまで行き、首都の情報を得る事もできただろう。
「一人が怖いなんて理由で、お前を取り返しに来たわけじゃない」
酔っぱらいに言ったって無駄だと分かりながら。むしろ、わからないだろうと口を付く。
「牢から出た時、お前は来るはずがないと思いながら期待していたんだ。……全てを捨てて、来てくれた姿を見て、私はお前がいないとダメなんだと自覚した。だから、駄目な私がジェーム帝国に行ったとして、意味がないから、お前を、ベンジャミンを助けに来たんだ。私は姫ではない。助けられるばかりでは王として情けないだろう」
言ったあと、暗くてもベンジャミンの視線が刺さるようだった。
「……エラ様、今日は女神の様に美しい」
引き寄せられたと思ったら、背中にベッドがあった。直ぐ近くにベンジャミンの顔がある。
「……普段は、男みたいなものだからな」
「私の神。エラ様」
「んっ」
両頬を掴まれ、脚の間には膝を入れられて逃げ場を見事に失わせながら唇が重なる。
「エラ様は、自覚すべきだ。あなたは女であり、器だ。男たちがどんな目で見るのかを」
熱っぽい視線でまた口づけを交わす。最悪な事に、夢に見たファーストキスは酒の味ばかりがした。それでも、拒めない自分が至極情けない。
「ちょっと待てベンジャミン。らしくないぞ」
唇を離れた後もベンジャミンは首筋や鎖骨に口づけを落としていく。
「私が、閨にふさわしくないことは承知しています。ですが、他の男がその役をするなど……耐える自信がない。それなのに、陛下の傍にいられない私など無価値になってしまう。それも、耐えられないっ」
鼻声になり、彼らしからぬ感情的な声で訴えられる。それに唾を飲みこんだ。誰が言っていたか。酔っぱらいの言葉は信じるだけ損だと。
「陛下、お慕いしております。この身を捧げてでも、あなたを王に戻しましょう。それがあなたの望みなら。だから、お慈悲を」
頬に熱い液体が落ちてくる。泣き上戸になるのだなと小さくため息をついた。素面の自分が冷静さを欠いてはならない場だ。
「ベンジャミン、おいで。私の隣はお前のものだろう」
「はい」
素直にベッドの上に乗り毛布の間に入り込む。それが少しおかしくて笑っているはずなのに、涙が出そうだった。
「私は、目的地が分からなくなりそうだ」
もし、国王に戻ったとして、どうなる? そこにベンジャミンがいたとして、別の男を寝所に招かねばならないのか? ならばいっそ。
「ベンジャミン、私はお前の事をずっと……」
「…………」
言いよどんだ間に寝息が聞こえ出す。落胆と安堵でため息が出た。それに少し寂しい。
ベンジャミンの服を脱がしていないから皺になるなと妙に淡々と考える。
「お休み。ベンジャミン」
そっと酒臭い息を吐く唇に、キスと一滴の涙を落とす。




