父と娘
馬で先を行くエラ殿の背を見ながら、帝王は深慮していた。
三国同盟と言っても、一番負担が大きいのはジェーム帝国だろう。元々持っている物が違うから仕方がない事ではある。人の数も土地も、ジェゼロなどジェーム帝国にとっては田舎町程度の大きさと言っていい。ジェゼロはそれまでほとんど独立した陸の鎖国だった。資金面でも貧弱だ。ナサナ国はジェゼロに比べればマシだが、内紛もあり、それほど強い国とは言えない。財政は隠しているがそれほど良くないだろう。むしろ、フィカス殿に代替わりをしてから建て直している。大部分はイエン宰相の手腕だが、比較的若い彼に一任した采配があってこそだ。実際に会ってフィカス君がそれほど頭がいいとは言えないがそう自覚があることが彼の強みなのだろう。
今回の改革で得られるものが一番多いのは実はナサナ国だ。産出される希少金属類はしばらくはいい資金源になるだろう。新しい物好きで知られ芸術文化が昔から盛んなナサナは新しい文明機器にも順応が早いと踏んでいた。
ジェーム帝国は神官様が正常な状態に戻れると言うなら、先の三百年は安泰と言っていい。もちろん、ロミア殿に頼らずとも知識の源があるのだからジェゼロに頭を下げずとも、その後はやっていける。
ジェゼロはそれまで他国からすら神聖な場として珍重され、侵略されなかった理由を失い、小さい国土と少ない国民で新しい文化文明に対応しなくてはならない。工場を作る土地もない。観光を財源にすることは可能だが、それ以上をどうやっていくのか。ロミア殿がいたとして、先の文明の見本品はジェームでも多く保管している。
愛馬キングに乗り、森を進むエラ殿を見ながら、大変な時期に生まれてしまった彼女を心配する。
王として慕われていてもまだ威厳は伴わず、何よりも優しすぎる。王位を不当に奪った者を助けるほどに滑稽な慈愛に満ちている。
そんな彼女が荒波を上手くやり過ごせるのか、いっそジェーム帝国の許に保護した方がいいのではないかとすら思ってしまう。
「馬はこれより先にはいけぬので、少し歩きに」
少女が乗るには不釣り合いに立派な馬からするりと降りると近くの木に繋ぐ。エラ殿によく懐いた馬に一度挨拶をしたが、鼻で笑うような仕草を返された。キングと大層な名前を付けられたそれは、本当に頭がいい馬らしい。決して主を間違わない。
「くれぐれも、植物に勝手には触られぬように。ここであなたに死なれては戦争にすら発展する」
サラ殿の毒草園に連れて行ってほしいと言う無理な願いを渋々聞いてくれたエラ殿が五度目の念押しをする。
「大丈夫だよ。サラ殿にも昔再三言われていたから」
ジェゼロ王の名の許、侵入が禁止された場所にそれはあった。元々毒キノが多い場所だったことから禁止されたらしい。狼の森と呼ばれる場所の端にあるそこを、サラ殿が菜園として使っていたのだ。
馬が間違って毒草を食べてしまわぬように、少し離れた場所に待たす習慣らしい。そこで警護も待たせた。今はまさに二人きりだ。
「……これは、懐かしい花だ。ジェゼロでも芽吹いたのか」
白い可憐な花が一面に広がるのを見て顔が綻ぶ。春吹雪と呼ばれるジェームの高地に咲く花だ。
「小さな実を乾燥させて擦り潰して煎じて飲むと、心臓を潰せると言われている物だろう。普通にしていれば問題はないが……」
エラ殿はため息交じりに言う。この花をどうしても欲しいと言っていたから、群生地を探させて連れて行った。きっとあの時から、サラ殿は自分を異性として見てくれるようになったのだろう。花を愛でて唯美しいと言うのではない博学で知識に対する欲深いサラ殿はとても輝いて見えた。思い出の花を大事に育ててくれていたことが感慨深い。
「基本的には温室内で育てているものが多かった。サウラ・ジェゼロの死後は、ミサが……世話をしてくれていたよ」
奥にあるガラスの建物はまるで宝石箱のようにきらめいていた。
サウラ・ジェゼロの墓に行きたいと最初は希望した。そこへはジェゼロ王以外は行くことができないとはっきり言われてしまった。だから彼女の一番情熱をかけた場所に行きたかった。
「これはまた、素晴らしいできだね」
キラキラと輝くその場所に幾つもの鉢が置かれている。数多くの植物はまさしく彼女の人生を表している。
「……本当に、いたんだねここに」
本当に、この世にはもういないのだ。
「って、帝王殿!?」
「すまないけど、少しだけ、一人にしてくれるかい?」
エラ殿が出ていく。既に溢れ出した涙に嗚咽が混じる。ただ一人の特別な存在だった。サラ・ハウスと名乗った女性だけが、人間だったと言っていい。他の者などただの家畜と大して変わらない生き物だった。可愛らしい彼女との娘は人生で最高の贈り物だった。だけど、そこにはもうサラ殿はいない。この世界のどこを探しても、いないのだ。可哀想なサラ殿、立場を考えて病床に伏しても知らせることもできなかった。そんな彼女の事を思うと申訳がない。彼女がここにいると知っていれば、何を置いてもどんな手を使ってでもやってきたのに。
どれだけ待たせたか、涙を拭いて落ち着いてから温室から出ると屈んで春吹雪を眺めているエラ殿がいる。とても、可愛らしい自分とサラ殿の娘だ。それだけでまた泣いてしまいそうだった。
「ち……父上、気はすまれましたか」
「……………………」
「約束でしょう……、今回だけです。その、父上と呼ぶのは」
ミサ・ハウスを助ける交換条件に、エラ殿が自分を父と認め、ジェゼロを出るまでに父として名を呼ぶと言ってくれた。おとうさんとかお父様を想定していだか、エラ殿らしい呼び方で可愛らしく言う。
「サラ殿には、絶対に勝てないなぁ……こんなに可愛いらしく育ててくれたなんて」
改めて、彼女の偉大さを感じる。サラ殿だけが人だった。いなくなる前に、もうひとり人と思える人間を残してくれていた。彼女を失っていた時間がどれだけ空虚で無意味だったか。エラ殿が目の前に現れてから、自分の視界に色が戻ったようだった。
「孫は何人がいい? 大丈夫だよ。ジェーム帝国はジェゼロ国全てをまとめて愛するよ。むしろ、もっと、人間に見える人が増えたら僕ももう少しましになるかもしれないし」
「父上、ズレている自覚があったんですね」
「そういえば、敬語なんだね」
「母……サウラ・ジェゼロにだけは、そうでしたから」
ああ、エラ殿、いや、エラちゃんが可愛い。




