二人の事実
12
「エラ様、そろそろ起きて頂けませんか?」
「んー……ん?」
その声で夢の世界から呼ばれた。何の夢だったか一瞬で忘れてしまう。
「どっ、どうしてお前がここへ入っている?」
特別な鍵のいる部屋だ。王が承認した者しか入れない。ミサがそうであったが、今ここを通れるものは自分以外はロミアだけだ。
「ロミア様が入れるように設定をしてくださいました。……私ではご不快でしたら、別の者に代えて頂きます」
ベッドサイドで膝をついたそれがあからさまに寂しそうに言う。ここに戻るまで、同じベッドで寝たことまであったではないか。ただ、この部屋にベンジャミンが入るのは、その、子を成す時だけだと思っていた所為で妙に驚いてしまったのだ。
「……次からは、聞いてからそういうことをしてくれ。動揺する」
「申し訳ありません」
寝起き姿をじっと見てくるベンジャミンに妙に気恥ずかしい。密室で二人きりになるのは、随分と久しぶりの気がしてしまう。王に戻って数日が経つが、忙しかったのもあるだろう。
「寝起きを、じろじろと見るでない」
「寝起きでなければよろしいので?」
冗談交じりに微笑みを返される。
「ベンジャミン、その……今回の働きに対して勲章か騎士の称号が妥当ではないかと話が出ているらしい、それなりの報奨金もと」
議会院からの報告だ。エユからの話は普通ならば妥当だろう。身一つで王を守り助けたのだから。
ベンジャミンは喜ぶのではなく、少し寂しそうに困ったように微笑む。
「もちろん、そんなものの為に私に付いてきてくれたとは思っていない。これはあくまでも……ジェゼロ王に対する忠誠への褒美と称賛であって……私個人からの感謝とは別の話だ。できるだけ……早くに、正式にお前をこの部屋に入れられるようにしようとは、想っているのだぞ。だが、これから忙しくなるだろうし、子を産むのも育てるのもとても大変だと聞いている。それに……その……お前の事は苦境を超えても変わらずに好いて、いるが……子を産むのは、鼻からスイカを出すほど痛いと聞くし……その、子を成す行為も、鼻をペンチでひっぱるほど痛いと………男も、かなりの苦痛だと聞いている」
長々と言い訳をする。彼を侮辱するつもりはないが、表向きの褒美がないのでは示しがつかないのもわかる。どんな結果であろうと何の対価もなかろうと、あの日に来てくれただろうと疑いはない。
「………エラ様、それを誰から聞いたかについてはあえて伺わずにおきます。出産については個人差があるものの命を落とす危険すらあることです。それに、受け入れる側の女性には、いくらかの苦痛はあるかと存じ上げますが、苦行のような事だけでしたら、人類は繁栄しなかったかと………」
ベンジャミンが至極真面目な顔で言う。
「それに……エラ様がお好きな玩具を前にして我慢ができるほどジェゼロ王らしからぬ性質ではないと承知しております。楽しそうにされるのを邪魔はしたくありません。ただお傍にいるだけで、私には十分な褒美です」
何度も言わせてきた言葉を変わらずベンジャミンは口にする。自分の方が、明らかに好意の度合いは負けている。無償で与えられた物を当たり前に受け取ってはならない。とても貴重なもので、全身全霊で返すべきなのだ。
「……もう少し、近くに寄れ」
ベッドに腰かけて、跪くベンジャミンの両頬に手をやる。それだけで期待に満ちた瞳で見つめ返されて気負ってしまう。
「目は、瞑ってくれ」
言われるままに従うベンジャミンの唇にそっと口付けた。
「っ、ちょっ……待て、ベンジャミっ」
早々に離れようとしたのに、腕を掴まれ、頭を引き寄せられて、深い口付けをせがまれる。なし崩しで、ベッドに押し倒されて、目を開けたベンジャミンが恍惚の表情で見下ろす。そんな宝物でも見るような目で見られては、恥ずかしい。
「……急に噛みつかれては、驚くだろうが」
「申し訳ありません、あまりにも、美味しそうで」
犬と言うよりも狼犬に近いそれともう一度キスをする。この行為は気恥ずかしいが、嫌いではないとうすうす感づいていた。ベンジャミンがたったこれだけで幸せそうなのもあるだろう。
「エッラちゃーん。まだ起きてない……わぉ、失礼しましたぁ」
勢いよくドアを開けられた後、そっと閉じられる。
「………普通の鍵のある部屋がいい」
ロミアは神だった。だから、ここにだって自由に入れてしまう。
「先に外でお待ちを」
「ああ、すぐに行く」
事務的に返して、淡々と朝の用意をして、髪を後ろに括る。服を着替え、顔を洗って歯を磨く。ふと、寝起きで口付けとは、ちょっとした相手への嫌がらせだったと気付く。次からはちゃんと歯を磨いてからにしよう。そもそも、あれはベンジャミンが悪い。
部屋を出ると、ぴっと背筋が伸びる。ハザキと帝王殿、それにフィカス殿までがいた。
すべてを知っていると目が語るハザキの方は見ないことにしたが、帝王はいつもと変わらぬ微笑みだ。ロミアも変わらずとぼけた顔をしていた。
「まあ、まあ、二人ともそっちに座って。保護者はそっちね」
執務室のソファに座ると向かいに帝王とフィカス殿が腰かけた。ベンジャミンは珍しく自分の隣に座った。
「この場は私的な場とし正式な会談には当たりません。また、ここでの内容を確認なく口外した場合、個人としての賠償を行うことに同意を」
ハザキが粛々と告げる。もう寝起きとは言えないが、急な事に頭が追いつかない。
「ああ、同意する」
「もちろんだよ」
頷く二人の国の長を見た後、ハザキを見やる。
「どこかの身勝手な人物が、地下に眠る技術を使い、秘密を暴く事を約束されました。我々は知りたくなくとも我が国で行われた検査では聞いていないと言ったところで疑いが出るだけ、ですので、三国間の共通の機密にとここで開示させていただきます」
「……素朴な疑問だが、ハザキとベンジャミンはここに居てよいのか?」
そもそも自分が聞いていいのかも疑問だが、秘密とやらもよくわかっていない。
「残念ながら、私はサウラ様の愚痴聞き担当でしたので」
酷く残念そうなハザキがこれまでもこれからも苦労人である事だけは理解した。
「早く結果を聞かせてもらえるか?」
フィカス殿はいつにも増して不機嫌に催促をする。
「じゃあね。まず初めに、DNA検査の結果ではエラは、ジェーム帝国帝王フヅキ君とサラの娘に間違いないよ」
ロミアの暴露に口から変な音が出た。
「まさかとは、思ったが……」
フィカス殿が呆れに近い顔をしていた。帝王殿は両の拳を上げて珍しいほどに喜んでいる。できればそれを殴りたい。サウラ・ジェゼロと恋仲だったという話だけでは絶対ではなかった話を、今ここで確実なものになったのだろうことはわかる。神が示したのならばそれは神託も同様で疑いのない事実になる。
「じゃあ、次だけど、ちょっとややこしいから順番に言うね。ベラータ・ベンジャミナはベンジャミンの母親である事は確実だよ。ただ、ベラータちゃんはフィカス君の異母兄弟ではなく親戚でしかないよ。ここからがややこしくってね。フィカス君とベンジャミンは異母兄弟なんだ」
続けての暴露をロミアが行う。驚き以前にデリケート過ぎる内容にフィカス殿の顔が無表情に変わる。ベンジャミンを見るとどこか不快気で目を合わせてはこなかった。
「母親は、ベラータ・ベンジャミナで間違いはなかったか?」
聞いた事のない様な淡々とした声でフィカス殿が問う。
「渡されたサンプルは少し劣化していたけど、その母親も利用した結果だからDNA上は間違いがないよ」
変わらない軽さでロミアは言う。
驚いている自分と違い、ベンジャミンはさほど動揺も驚きもしていない。その動揺も、この場で知られたことに対するものの様だった。
「自分は、ジェゼロ国のベンジャミン・ハウス以外の何者でもありません。今更、こんな場で話すと言うのは筋違いではありませんか?」
「黙れ、ナサナ国のものをどうするかは俺が決める事だ」
フィカス殿に対してベンジャミンの目がすっと細くなる。不穏な空気と共に、ハザキに目を向けた。
本当に、ベンジャミンがフィカス殿の兄弟ならば、ナサナの王族の中でもかなり上位の継承者ということになる。自分はベンジャミンを闇閨とすると議会院で公言したようなもので、自分たちの子は、ジェゼロ帝王の孫であり、ナサナ王の姪か甥と言う厄介な運命の許産まれてしまう。
「一々、終わった話を蒸し返して、当の本人が希望していない事実を押し付けて、満足ですか? 私は迷惑でしかありませんが。そもそも、ナサナ国のもの? 馬鹿々々しい、私はエラ様のもの以外なりえない」
ベンジャミンが冷ややかに棘のある口調で返す。ナサナ国での扱いに些か疑問はあった。ここまで位が高いとは思っていなかったが、ベンジャミンが知らされていても黙っていた事に理解はできる。どこまでも馬鹿なやつだ。そうまでして、私といたいのか。
「エラ殿の付き人に選ばれた彼が、ナサナ国の思惑で翻弄させられるのは私としてもあまり嬉しくはないね。それに、君は王を下りる気もないだろう? なら、今回の事は我々の胸にそっとしまっておこう。もちろん、エラ殿が私の子であると疑っていたわけではないけれど、間違いがないと分かった今でも、連れ帰り次期帝王になどと無茶な事を言うつもりはないよ」
あからさまに機嫌のいい帝王にイラッとする。以前から薄々感じていたが、彼に対してはどうにもいら立ってしまうことが間々あった。
「……いや、いっその事公表すべきだ」
直ぐに言い返さずに間を空けてフィカス殿が言う。突飛な事をする王だと伝え聞いていたが、実際に会ってそこまで思わなかったが、確かにそうだったらしい。ハザキが今までにない渋面顔だ。
「どうせデキ上がってるんだろう。ならば正式に結婚すればいい。別に好きでない相手を宛がう訳でもない。何の問題もないだろう」
「ジェゼロの王は男と結婚はできない」
「新しい時代になると言うならば、ジェゼロの王制こそ女性差別の象徴だろう。女王と名乗れとも、女性家系を止めろとも言わんが、国民に隠してもいないくだらない男装よりは余程健全だろう」
馬鹿らしい申し出に、冷ややかだったベンジャミンが困り切った顔をしている。当たり前だ、こんな突飛で無計画な申し出、受けられるわけがない。
「申し訳ありませんエラ様、私は悪魔の囁きに大して言葉を発することができません」
「……ベンジャミン・ハウス、立場を弁えるように言ってきたはずだ」
「ベンジャミン・ハウスではない、それはベンジャミン・ベンジャミナ、正式なるベンジャミナの一族だ、頭が高いぞ」
次はハザキとフィカス殿の睨み合いが始まった。
直ぐに反論なり賛同なりを示しそうな帝王は思案深く黙ったままだ。ロミアは喜劇を鑑賞している顔だ。
会談内容を知らせずにフィカス殿はここへ来たはずだ。何故か不思議だったが、ジェゼロの血筋を調べる技術を勝手に餌に使っただろう。苛立ち以上に帝王殿には怒りすら覚える。当事者たちの確認も取らずに行ったのも最低の行為だ。こんなくだらないことの為に呼ばれるくらいなら、あのままベンジャミンと寝起きを安らかに過ごしたかった。
「……案外と、冗談ではなく、その方法はよいかもしれないね。民衆を上手く誘導する必要はあるけれど、上手くすれば同盟の象徴にもなるだろう。何よりも、ジェームにしろナサナにしろ、ジェゼロは神聖な場と言い伝えられていた。その次代のジェゼロ王が同盟国の血を持つということが、とても重要だ」
何を考えていたかと思えば、帝王までもがそんな事を言い出す。
「一先ず、この話は保留としよう。同盟関係やオーパーツの扱いについて取りまとめる方が重要度は余程高いだろう」
「エラ様、人生で結婚よりも重要な事があるとお思いですか?」
重々しくハザキに言われる。味方と思っていた者に背中から刺された気分だ。もうこうなればはっきりさせるしかない。
「ジェゼロのややこしい王の制度は、政略結婚を防止する意図も過分にある。私からの申し出ならばまだしも、他国の王たちの正当性の為にそれを曲げる訳がない。この話は終わりだ。この事を私は口外する気は毛頭ない。そもそも私達は身勝手な大人たちの単なる被害者だ。責任を取れと言うのならば、まずは原因を作った者たちからだろう。それでどのような損失が出るかも重々に考えろ」
きっぱりと言い切る。帝王は叱られたと哀し気だ。フィカス殿は腕を組み名案としたことを否定され不貞腐れている。ハザキはいつもの顔だ。ロミアは未だに喜劇を見ているようでニマニマしている。ベンジャミンはいつもと変わらない顔に戻っていたが少し強張っている気もする。
ベンジャミンから結婚の申し込みがあったのならばまだしも、他の者に押し付けられるなど甚だ馬鹿らしい。




