逃亡が見逃されたのは必然だった。
ロミア様をオオガミの元へ案内してから、エラ様は意を決したように牢へと足を向けた。御自身とミサの立場がはっきりした今、会わなければならないと言う使命感だろう。
エラ様の時と違い、脱走を手引きする者はいない。そもそもミサはドアが開かれようとも逃げる事はない。エラ様の前で死刑になる事が、ミサにとって今選択できる最良の結末だろうからだ。
人がやってきた音でミサが顔を上げた。エラ様に対して暴言を吐くかと思ったが蹲ったまま顔を伏してしまう。
「ミサ……シィヴィラから話を聞いた」
エラ様はできるだけ静かに喋り出す。シィヴィラは人が変わったように従順になって戻ってきていた。議会院からの命令で経緯を書き示す事もしている。
「お前が……私を嫌っていたと気付きもせず、ベンジャミンの事が好きだと思いもしなかった。私は、お前を傷つけていたのだな」
ミサがぴくりと動く。
「何を聞いたの」
怒りか恐怖かわからない声だった。
「……ミサが死刑に処した神父が、お前を脅していたと」
「………」
じっとエラ様の顔を見る。ミサの顔は明らかに恐怖が見えた。それは、死刑にされることではなく、真実を知られる事への恐怖だ。
「でたらめよ。私は、ジェゼロの全てを憎んでいた。だから、復讐してめちゃくちゃにするために、あいつと手を組んだの。神父は、協力した後怖気づいたから口を封じただけよ。下手な同情をかけるくらいなら、今ここで殺しなさいよ」
エラ様に噛みつく様な物言いをする。それに対してエラ様は哀しそうな顔をしていた。
ベンジャミンが、ミサの本当の気持ちを言うのは簡単だろう。自分の恋敵が誰かくらい判別できていた。ミサ・ハウスは、女だ。だが、女がエラ様に恋をしてはならぬ法はない。ましてエラ様は閨を取る身分。二人の子でなくてもエラ様は子を産む。そして父親は介入を許されない。いっそ共に生きるだけならば女であることはマイナスではない。
ミサがエラ様の恋人ではなく良き友であり姉のような立場で甘んじたのは後ろめたさとその立場を逃すことが怖かったからだ。残念な事に、自分はミサの考えがよくわかる。お互いに牽制し理解していた。わかり合う事はなくとも、理解していたのだ。
「お前がしてきたことは裁かなくてはならない。だが、死刑にはさせない。私は、ミサを姉の様に慕っていた。友達と呼べるものだって他にはいない。エラ・ジェゼロではなく、エラとして接してくれていたのに、先に裏切ったのは私なのだろう」
「……一生牢に入れる方が余程残酷よ」
「時期を見て、国外へ行くといい」
「……」
エラ様はミサのその絶望を理解していないだろう。理解されることをミサは望まないだろう。
お優しいエラ様の計らいで外に出られたとして、二度とエラ様のメイドたるミサ・ハウスには戻れない。ジェゼロの囚人ならばエラ様の近くに、そして必要であればエラ様は会われるだろう。だが、エラ様のご配慮は、永遠に会うことができない場所へ生きたまま追いやることだ。ベンジャミンは自分がミサの立場ならば、目の前で舌でも噛んで死ぬかもしれない。
「ミサはエラ様の事を」
「黙れっベンジャミン」
ミサが咄嗟に叫び、声をかき消す。それにエラ様が驚き自分とミサを見比べる。
「……ミサ、私はお前の分までエラ様を愛し、慈しみ、お傍に居よう。お前が行ったのは、私のような下賤に機会を与えただけの事だ。お前が自害でもすれば、傷ついたエラ様を慰める好機まで与える。お前がしたかった事全てを俺が手にするんだ」
明らかな憎悪を見せる相手を鼻で笑う。
「もしも、俺がエラ様を傷つけた時に、誰が俺を罰することができると思う? お前がいま唯一望める物は、ベンジャミン・ハウスが暴走した時に心置きなく首を刎ねる時を夢想することだけだろう」
そんな事は有り得ない。だが、ふとした時に自分は立場もわきまえず、エラ様に接してしまうことがある。そう、ミサが死を選ばぬようにではない。自分には足枷を付けておかなくてはならない。
「……お前を殺せるなら、私は悪魔にだってなってやる」
苦々しくミサが言う。
「ミサ……話をしたい。私が憎いのだろうが、ちゃんと話をしてはくれないか」
膝をつき目線を合わせたエラ様の言葉にミサがより苦々しく苦しそうな表情をする。
「……国王になって、自分の人生を変えたかった。そのために、あんたを殺すのは流石に良心が咎めたから、逃げるのを見逃してあげた。まあ、その所為でこの様よ」
「私は、何をしてやれる?」
「……ここから消えて、見てるだけで吐き気がする」
「何か、希望があったら教えて欲しい」
言ってから立ち上がると、エラ様は言われるままに階段を上がっていく。
「糞野郎も出ろ」
「もうエラ様はいない。私は正式にエラ様との関係を議会院に許可される。お前には感謝するよ。言ったとおりに、私はエラ様に尽くすから心配するな」
「死ねばいいのに」
「それではエラ様が悲しむ。安心しろ、シィヴィラはお前が受けた虐待の詳細も、エラ様に対する恋慕も知らない。虫唾が走るだろうがお前は俺が好きだったことにした方がいい」
「本当に糞ね」
「私に一言いえば事態は変わっていただろうに」
「……あんたに? はっ」
鼻で笑うとはこのことだろう。そんなことを今更気にはしない。
「サラウ様は気付かなかったのか?」
自分もハウスの人間だ。だが男でエラ様の付き人として働くようにもなった。若いのに妙に熱心な神父だとは疑問に思っていた。そう、それだけだった。
「サウラ様には何でもないと言った。私が、父親を殺したのは事実だから言えるわけがないでしょ。それまでばれるくらいなら、耐えた方がよっぽどましよ」
「……やはり、事故ではなかったんだな」
ミサの母親は早くに死んで、その後、父親が扶養者として不適格としてハウスに入れられた。しばらくして、扶養権を戻すかという話になった頃にミサの父親は事故死していたはずだ。ミサの父はエラ様の父親だと笑えない冗談を言い議会員から降ろされ、職までが上手くいかなくなりミサを虐待した。本来ならば、ミサはエラ様を逆恨みするべき存在だと言うのに、愛してしまったのだろう。父親の言った嘘を信じたかったのかもしれない。自分はエラ様の本当の姉だと。
「仕方ないじゃない……あんな家に帰れる訳ない。それに……エラから離れることになるのにっ」
エラ様は確かに罪人だ。自分のようなダメな男だけでなく、ダメな女にも愛される体質を持って生まれてしまった。
「もし……エラを泣かせたり傷つけたりしたら、呪ってでも殺してやる」
「いい保証だ」
少なくとも、ミサが自害する事はないだろう。牢場から出るドアは完全には閉まっていなかった。そのドアの横でミサのように蹲るエラ様がいる。次こそドアをきっちりと締めると、膝を付いてエラ様の手を取る。
「あなたは、優しい方だ」
「優しいだけの人間は、王になどなってはならないな」
エラ様が涙を堪えるのを抱きとめて隠す。
ミサが、エラ様の妻役として大儀を務めると言うのならば、自分は諦めていたかもしれない。自分がエラ様のお傍にいたいと言う欲求以上に、エラ様に幸せであっていただきたかった。