本の使い方
小島からの連絡で慌てて迎えに行くと丁度エラ様が岸についた所だった。
「……エラ様、お風邪をひかれますよ」
「船を待っていられなかったんだ。妙な話だがジェゼロの神を見なかったか? 見たことのない者だ。調査隊と一緒にいるはずだ」
ずぶ濡れのエラ様は麻のシャツが透けて美しい肌の色までが露わになっている。ぞくりとして慌ててタオルをかけた。
「……先ほど、城門にそれらしい一行が」
「よし、馬を借りるぞ」
一人で先に行ってしまいそうで手を掴んだ。
「ご一緒します」
「お前まで濡れる」
「その程度は構いませんよ」
妙なことを気にされるエラ様に笑ってしまう。その言葉で卑猥な連想をしたとは気取られないようにすまし顔で務めた。
コユキ姫とは二人で馬に乗ったが何も感じなかった。密着するエラ様にぞくぞくする。エラ様と一つの馬に乗るなど何年ぶりだろう。濡れた肌に手を回して心が抑揚する。エラ様は、もうすぐ自分のモノになる。いや、それは正しい表現ではない。自分が彼女の物になれる。それをエラ様が議会院の前で宣言された。
急斜面を登る馬の力強い足並みに従って揺れを感じる。前に乗せたエラ様へ密着する。コユキ姫とはできるだけ体を密着させなかったが、エラ様とはできるだけ近くにいたい。濡れる事はいっそ喜ばしい事だ。
「その者はどんな見た目をしていた?」
「……子供とも大人とも言えない外見で、ハザキが調査隊の三人と何か揉めていました。ハザキがどうにも怒っているようで」
エラ様の香りが近い。左指の傷が更に疼くのは、脈拍が増した所為だろうか。
「ベンジャミン……あまり、密着するな……人目が、ある」
「失礼しました」
頬を染めるお姿にぞくりとする。馬が上に着くころには体を離しておく、エユ様とハザキが門で白装束の一人と話している。エラ様が先に馬から降りるとそちらへ駆け寄っていく。自分は馬を止めに馬小屋へ入った。
「やあ、お馬さんって可愛いね」
中で馬を見ていた男が、にこりと笑って言う。馬から降りて、繋いでから、一度目を閉じ対応を考慮する。
「自分はベンジャミン・ハウス。エラ・ジェゼロ国王の付き人をしております。お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「僕はロミア。ロミアって呼んでいいよ」
「ではロミア様、ようこそジェゼロへ。いえ、お帰りなさいませ」
言うときょとんと眼をしばたたかせ、にこりと笑い返す。
「サラが言っていたベンジャミンだね。小さいときはマッチ棒みたいだったのに、エラの犬になってから知力と筋力と執着を身に着けたって褒めていたよ。本物に会えて嬉しいよ」
「サウラ様からそれほど評価していただけていたとは、光栄です」
「大丈夫、サラは君たちの関係を生暖かく見守っていたから。自分は自分の親とは違うって証明したいがための意地だったみたいだけど」
「でしょうね」
この方は本物らしい。
「エラ様が戻られましたが、服を着替えられるまで少しお時間をいただくことになりますが、よろしいでしょうか?」
「いいよ。その間にお城を案内してよ。サラ御自慢の、森の毒草畑まで連れて行けとは言わないよ。お城の薬草園には行きたいけどね」
馬小屋の外へ案内する。
緑の瞳はエラ様のそれよりも鮮やかに日光の下ではより煌めいていた。
戻るとエラ様が呆然としていた。何を揉めているのか不思議に思っていたが理由は一目でわかる。
ジェーム帝国帝王が例の白装束の被りを取った状態で立っていた。
「……エユ議会院長。ひとまず彼らを城内へ案内してよろしいでしょうか。エラ様は風邪をひかれる前にお召し替えを。それから……ハザキ議会員は私とこの方と一緒に、少し散策に」
ベンジャミンはできるだけ淡々と平静を装い進言する。エラ様に対して良き付き人を装うのは慣れている。
至急来て欲しいと連絡があった。すぐにジェゼロ城へ戻るとエユ議会院長が城門で待っていた。
「……エユ殿、何の御用ですか」
あと何時間かしたらどうせここへ来る予定だったと言うのに何事か。
「こちらへどうぞ。お話が」
訝しんで眉を顰める。城の中へ入ると議会院室ではない中庭らしい場所が見える部屋へと案内された。
「私は個人的に、リンドウ様に対しては尊敬の念があるのですけれど、今回の一件をご存じならば軽蔑しますが、ご存じでないなら、同情を」
窓からは四人の人物が質素な草花の植えられた中庭を歩いていた。ベンジャミン・ハウスにハザキ・シューセイと言ったか。それに見たことのない男。それに……帝王。
「エユ殿、まず初めに、あの方の身分をご存じで?」
「ジェーム帝国帝王。違いますか?」
「では、できることならば同情を。私は、彼を心底尊敬していますが、たまに、本の角で頭を殴ってやりたいとも……。私が知る限り、帝王はジェゼロに危害を加えるつもりはないかと。エラ・ジェゼロ殿をとても優遇していたので、最後まで見届けたかったのか、何か殴らなくても済む重大に理由があるかです」
言ってから、口を噤んだ。
帝王の愛人ではないかと思った時、帝王が何といったか……あの時は自分も混乱して正常な認識状態にはなかったらしい。
「……そうか」
立ち眩みがして窓枠で体を支えた。
私の子がと言った。彼の子がエラのお腹にいるのではなく、エラ・ジェゼロ自身が、彼の子か……。
「申し訳ありませんが、私にあの方の行動を制限する権利はありません。こちらのように議会院制ではなく、帝王陛下の命令は絶対ですので。悪いようにはしないと思いますが……私からはなんとも。できれば二人で話をしたいので、どこか部屋をお借りできれば。いっそ地下牢でも構いませんよ。久しぶりに怒鳴りたい気分ですから」
窓枠を掴む指が白くなるほど力が入っていた。
「それとそちらの使いがナサナ国の使者をジェゼロに通したそうです。それについては?」
「できれば汚れてもいい分厚い本をお借りできませんか? とりあえず、兄の頭を殴りましょう」
ナサナ国とは対して仲がいいわけでもない。あれは何をするつもりか。いよいよややこしい。自分を連れてきた理由を考えなければならないが、考えたくない自分がいた。家族が絡む話ならば自分はかかわりたくない。それに関してはなにせポンコツだ。
メガネっ子だが気が強い法律系女子のリンドウも案外好き。長女で兄弟から頼られるのは嫌いではない。言い寄ってくるのは権力につられてくる男ばかりだと思っている。自分以上に仕事ができないと意識しない質。帝王に対して意見はしても口答えはしない。反対であっても兄が決めれば従う。




