王に戻る決意を
まるで自分の時の様に話が進んだ。ミサは牢に入れられ、自分は保留として自由の身になっている。その間、議会が誰を真の王とするか議論しているのだ。
「……」
ベンジャミンの指の傷は他の部位ならそれほど深いとは言わないだろうが、元々細い場所だ。一歩間違えば大好きなこの手の形が変わっていた。
「その、エラ様?」
ハザキが手当てしたから腐る心配はないだろ。それでも厳重に包帯を巻かれ固定された手を前にして押し黙ったまま考えていた。
帝王が言っていた。私の採択は優しすぎると……事実今も、ミサを死刑にしなければならないのに、したくないのだ。
「ミサに会われるのでしたらお供します」
ベンジャミンが優しく言う。
「水が戻った……そんな事で、神に会ったと証明される物なのか?」
「儀式の場から出て来ただけで王になれた国ですから」
本当に馬鹿げたことだ。自分たちが地下にあるものに支配されているとシィヴィラは言うが、自分たちは結局馬鹿みたいな伝統と人間の間抜けさに翻弄されている。
「シィヴィラが一緒だったとオオガミに聞きました。ご無事で……本当によかった」
いいことなどない。王に戻ったら、ベンジャミンとの関係は変わる。変えられる。王ならばそれを受け入れなくてはならない。折角王に戻れても、嫌な事しかないではないか。友だった者を裏切り者と殺して、想う相手を閨に入れられない。
「……もう一度、神のいる場へ戻らなくてはならない。お前をそのままには出来ないから戻ってきてしまったんだ。怒りに触れたかもしれないが、戻って、話を聞かないと」
走らずとも、ジェゼロが神と崇めるものが証明し事は無事に済んでいたかもしれない。自分の滑稽さに恥ずかしくなる。それでも、ベンジャミンが自分の所為で傷付くかもしれないのに悠長にはしていられなかった。
「エラ様」
伸びて来たベンジャミンの手が腕を掴む。触られただけで痛んで痣ができていると今更気付いた。
「シィヴィラに何かされたのですか?」
神妙な顔で問われる。暗闇の洞窟を歩いた時の痣や擦り傷だろうが、それをベンジャミンは知らない。
「心配するようなことはない。ちょっとした難所を通った時の物だ。不安な思いをさせたな、私の代わりに……すまない」
「エラ様」
もう一度はっきりと名を呼ばれる。
「あなたが望むなら、国など捨てて共に生きましょう」
「…………」
「折角、あなたの愛するジェゼロに戻れたのです。そんな不安そうな顔をなさらないでください。王に戻る事で諦めることをもう諦めましょう。少なくとも私は、国王付きに戻っても、エラ様を諦める気はありませんよ」
手を握り、国王付きをしていた時とは違う、一緒に国を出たベンジャミンが言う。
「あまりに、対極な申し出だな……」
「私がエラ様の横にいるか斜め後ろにいるかの違いだけですよ」
「お前にそこまで好いてもらえる理由がやはりわからないな」
つられて笑ってしまう。まるで心を抱擁されているように、不安と願望を包み込まれる。自分がわかる事と言えば、ベンジャミンが何よりもエラという自分を大切にしていると言うことくらいだ。
もっと言いたいことがあったのに議会院から迎えが来た。
議会院室までいつもの様にベンジャミンがついてきてくれる。さっきは礼儀も知らずにドアを叩き開けたのに今は躊躇していた。ベンジャミンは、何も言わず後ろにいてくれる。覚悟を決めて中に入るとエユと目が合った。それだけで大丈夫だとわかる。
「話は決まったのだな?」
議会院長の席にエユが座っている。少し前にその立場になったとは聞いた。自分にとっては頼もしく、覚悟を決めなくてはならないと腹を決める。
「ジェゼロ議会院は全議会員一致でエラ・ジェゼロ様を十四代目ジェゼロ王として正式に承認します」
勿体ぶりもせず、そう宣言をされる。それに対して自分は二つ返事で受け入れは出来ない立場にあった。その勇気をついさっき、与えられた。
「私が王になるにあたり、ジェーム帝国及びナサナ国との外交の復活の受け入れを要請する。条件は追って話し合うが、その方向性が必要であることを理解して欲しい」
「国への干渉でないのならば、受け入れをしましょう」
王の座へ歩いて行く。ミサが座っていたその椅子に掛ける前に立ち止まる。
「広場に置かれた死刑台の撤去を提案する。私が王座に座るならば必要のないものだ」
「……手配をしましょう」
「今日中に取り掛かって欲しい。取り壊すだけなら日が暮れる前に終わるだろう」
言うとエユが答えをしばらく控える。
「……それは、ミサ・ハウスの死刑は公開で行わないと言う事でしょうか? 此度の大罪に対して」
「非公開でも行わない」
言い切るとそれまで黙っていた議会院達がざわめく。
「ご存知かも知れませんが、ミサの許で死刑が執行されています」
「それについては、議会院で採決の結果ならば王一人の責任とは言えない。その為に議会院はあったのだろう? まさか自分達に責任がないとでも言うのではあるまいな」
「……王の偽証にも責任がないとは言えません」
「この半年間の検証委員会の設置を要望する。ミサは重要証人だ。それに、こんな事で王位が揺らぐようなシステムに問題がある。儀式の場が破壊されたからには、今後の継承の方法も考える必要があるだろう」
帝王殿がいれば甘いと呆れられていただろう。
「………ミサ・ハウスの処刑や処罰については、検証委員会で立証後に再度検討をしましょう。それで、王に戻る事を受け入れて頂けますね?」
王座に触れながら一向に座らない意味を理解してエユが言う。
ここまでは、自分が王として未熟だった結果の清算だ。
「もう一つ……変えたいことがある」
それまでの要請とは違う、自分のただの我が儘だった。だが、今の自分にとってベンジャミンを裏切ることはできない。彼の信頼を裏切るのが怖いのだ。
「閨の制度は変えられませんよ」
流石にエユが先手を打ってくる。母よりも母らしかった人だ。それくらいは御見通しか……。
「ベンジャミンを国王付きに戻す。これは私自身に与えられた権利だ。余程の重大違反がない限り議会院でも変えられないはずだ。それと、闇閨を希望する」
「闇閨の意味をご理解されておいでですか?」
「……議会院にも知られては意味がない。この意味も分かるな?」
エユが後ろに控えるベンジャミンを睨むのが分かる。
「議会院長と闇閨に選ばれた者だけは別にございます。国王様ですら知らぬようにする制度です」
「……ジェーム帝国は私にとって過ごしやすい場だった。この程度の願いすら受け入れられぬなら、私は自分の幸せの為だけにこの国を出ざるを得ない。王である前に私はサウラ・ジェゼロの娘だと言う事は忘れない方がいい」
「それは、脅しですか?」
「事実だ」
あの母ならば、儀式の時だけ戻るからと出て行きかねなかったろう。もし自分が産まれていなかったら可能性は高かった。自分は重い足枷になっていたと自覚している。
「もし……国王付きが立場を弁えずに、国政に係わるような事態が発生した場合、解任権と国外追放の権利が議会院にもある事をお忘れなく」
「ああ」
ベンジャミンを見たい気持ちをぐっと堪える。
「他には何かあるか? なければもう一度ジェゼロの神に会いに行きたい」
議会院の採択を待っていた所為で戻れていない。ジェゼロの神を放って来てしまった。
「……取り急ぎ、エラ様には十四代目ジェゼロ王になられたことをお示ししたく来て頂きました。後程、ご不在時の国状と新しい議会院の体制などを話させていただきます」
「ああ」
あの地下の間へ戻ろうと、王座に座ることなく議会院室を出ようとした。
「ベンジャミン・ハウスには正式な場で、これまでのエラ様の状況を報告して頂きたいので、残っていただいても?」
「……」
立ち止まったベンジャミンが指示を待つ。
「戻るのは時間がかかるかもしれない。ジェーム帝王とナサナ国王についても掻い摘んで報告をしてくれ」
「かしこまりました。ただ、陛下の見送りをさせて頂いた後、こちらに戻ります。大事な時期に何かあってはいけませんので」
真っすぐに見てくるベンジャミンにここに居るように言いたかったが、ミサ・ハウスの許で私欲を得ていた者が襲撃しないとは言えないのもわかる。
「できるだけ、早く戻りなさい」
エユの許可を得て、ベンジャミンと部屋を出た。振り返らずに自分の部屋、王の私室へ向かった。途中でメイドや警備の兵が形容しがたい笑顔で頭を下げる。当たり前だったモノをもう一度手にして嬉しい反面妙な気分だった。
懐かしき部屋は自分よりもサウラ・ジェゼロがいるのではないかと思ってしまう。自分の母だった人は、自分以外には親しくかつ尊大だったのに、自分がくると一瞬固まって、いつも困った顔をしていた。
「……ミサは、寝室だけは使用していなかったようです」
ベンジャミンが執務室まで入ると口を開いた。
「そうか……」
ベンジャミンが入れない寝室を前にして振り返る。いつものベンジャミンが優しく微笑んでいる。
「ミサは、私を憎んでいたのだろうか」
ベンジャミンとミサだけはエラ・ジェゼロである自分をエラと言う個人を前提に扱ってくれていた。短刀を振り下ろした時、咄嗟に手を掴んだミサは、やはり自分の知っているお節介で姉の様で、何より信頼ができる親友だった。なのに、あんな大それたことをした。
「私は、エラ様をずっと見てきました。だからこそ、ミサ・ハウスは私にとっては敵であり、エラ様にとっては味方だと言えます」
甘いのは解っている。どんな理由があろうとも、あってはならないことだ。それでも、ミサを殺すために国王になどなりたくないのだ。
「エラ様、お気を付けて、まだシィヴィラがいるのでしたら尚の事」
死んだように動かないシィヴィラを淡々とした空の声の指示で蘇生装置とやらに運んだ。少なくとも自分に害はなさそうだった。
「ああ。お前も、あまりいらぬ事まで報告はするな」
「承知しております」
閨の話はせずに別れた。普段考えが読めないベンジャミンの顔は、隠し切れない喜びが見えてしまって、直視できない。