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国王陛下、只今逃亡中につき、騎士は弱みに付け込んだ。  作者: 笹色 ゑ
この感情を知られる事は許されない。 ~ジェゼロ国にて~

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騎士はそれを忠誠と偽った。

   3―2  騎士はそれを忠誠と偽った。



 直ぐに噂は広がった。儀式が中断されるのは異例の事だったのもある。本来、王が現れるまで大人は飲み明かし、子供たちも夜遅くまで遊べたものだ。

 酒の入った議会員まで招集し緊急の議会が行われている。

 そんな中、ベンジャミンは国王付として執務室にいた。その椅子に座るのは似合わない男装をしたミサ・ハウスだ。

「そんな顔をして、今にも私を殺しそうね」

 ミサ・ハウスの母親は彼女を産んだ時に死んでいる。父親は酒に溺れ虐待をしたとしてサウラ様が子を取り上げハウスに入ることになった。その後、父親も事故死した。そんな事は議会員の誰もが知っている。サウラ様の子はエラ様だけだ。だがこの不安はなんだ。

 いつもの様に生意気な口を利くミサを今ここで殺せば、挽回の余地はある。そして自分は確実に死刑となるだろう。王位を復権したエラ様の命令で。

「私を殺しても、あの子に王位は戻らないわ。ふふっ、晒し首もいいけど、昔の拷問で、首切り台につないだまま、三日三晩嬲り者にされた後死刑を執行するっていうものがあってね。私はそれを命令する予定よ。私は優しいから、最初はあなたが嬲るといいわ。正し、首切りのロープもあなたが切るのよベンジャミン」

 至極楽しそうに、ミサが言う。よく知ったはずの女が、本物なのかわからない。生まれ変わったと言った。確かに、これは自分の知るミサ・ハウスではなかった。自分の知るそれは、自分の命を捨ててでもエラ様を守るはずだからだ。

「ゲスが、お前を王などと誰が認めるものか」

「認めるわ。神の怒りが怖いから」

 妙な自信だ。それに確かに嫌な予感を感じている。

「それに私はジェーム帝国との絆を大切にするため、駄々も捏ねずにちゃんと娶るわ。ただし、相手はシィヴィラ様。ああ、でも安心して。私の閨はベンジャミン。あなたを指名するって決めてるから、闇閨なんて他人に重荷も押し付けないわ」

 怒りも沸点を超えると揺らぎがなくなる。ただ静かに、目の前の悪魔をどう焼き尽くすかだけを思考するようになっていた。もうこれは同志ではない。

「楽しみ、あんな子供の為に男が純潔のままでいたのにね。大丈夫よ。ちゃんと優しくしてあげるわ」

 女の声で笑うそれが耳障りだった。



 何か大変な事が起きているのは理解できた。大事な儀式で手違いが起きたのだ。

「ジェゼロの国王は、女性だったの?」

 そして、神子と呼ばれ自分達とよく似た役職の少女がジェゼロ国王だったことに驚愕した。だから、結婚を渋っていたのだ。

「ジェゼロは昔から女血統で、しかも普段は男装で儀式のときのみ神子を女として兼務してる。国民はみんな知ってたぞ」

 シィヴィラ様があざ笑うように言う。

 第一巫女であるシィヴィラ様とはジェームでも儀式の時にお手伝いをする程度しか接点はなかった。無口で神秘さすらあったが、ここで見る姿は野蛮と言っていい。

「あの儀式の結果で、国王が変わってしまうの? そんな国があるのですか?」

「変わってしまうじゃなく。確実に変わる。王族と偽証した場合は死刑もある。いや、きっと幽閉して、兵士の娼婦部屋にでもするかもしれないな。あの女なら」

 酷い内容をあまりにも簡単に言う巫女に吐き気がした。

「人の心配より自分の心配をした方がいいんじゃないのか? 世間知らずの御姫様」

 その物言いであたりを見回す。ジェームからの衛兵が二人、部屋にいる。なのに二人ともシィヴィラ様を守る配置だった。

「シィヴィラ様が……何か、されたのですね」

「少しは賢くなったか? 異国の男に尻尾振ってるだけかと思ってたけどな」

 知らせなければと立ち上がる。衛兵の一人がドアに立ちはだかった。

「良識ある議会院とやらが、どんな判断を下すか見ものしましょう。民衆の崇めるべき王が偽物だと言われた時、どれだけの人間が裏切るのかを」

 神殿で話すのと同じように、口調を変えて見せた自国の敬われるべきお人に、コユキ・イーリスは嫌悪を抱いてしまっていた。



 シィヴィラと姫君を入れたのは反省部屋のようなものだ。実際の地下にある窓すらない独房で身を縮めて端に座っていた。下着だけではここは寒い。警備の者がマントを貸そうとしたが、断った。見つかれば罰を受けるかもしれない。

 気を紛らわすために儀式のためにさんざん練習した唄を口遊んだ。古い話ことばで学者でもない限り全文を知っている者はいないだろう。

 空から降った星と太陽の怒りが人々を襲う。けれど我らは死なない。そんな一説から始まる。

 地下牢へ続くドアが重々しく開く。長く使っていなかったので錆で耳を裂く様な酷い音が出る。心のどこかでベンジャミンだと思ったが、ハザキ議会院長だった。当たり前か。あれは国王付きだ。王でない私のものではない。

「裁きは決まったか?」

 鉄格子の間から、農作業で農夫が着る様な服と靴を投げてよこすとハザキは背を向けた。同じように警備の兵も背を向けた。最低限の権利はまだあるのか、同情か。こんな格好を見せられる方も困るだろうと、サイズの合わない服を身に着けた。

「もうよいぞ」

 声をかけると、ハザキの顔がいつもよりも深く皺を寄せていた。

「……悪魔の仕業だと言うのならば、人間一人騙し消える事は容易でしょう」

 鉄格子のカギを開ける。そして手を差し出された。その皺のはっきりと寄った手の平を一度しっかり見てから、借りずに一人で立ち上がる。

「大丈夫だ。一人で逃げる」

 ハザキがここに来たと言うことは、死刑かよくて幽閉に決まると言うことだ。

「裏山は、今宵は月が綺麗です」

 厳しい所も多かったが、この一年、彼が後ろ盾となっていたから滞りなく進んだ。

「危険な事をさせてすまない」

 言うと、地下牢からの階段を上る。開いたままの廊下へ出るドアを開けると当たり前だが警備の兵が立っていた。彼らもまた。視線を合わせようとはしなかった。自分がまるでもう死んでいて、幽霊になった気がする。裏口から出ると、獣道すらない急斜面が待っている。それでも小さいころに抜け出すのに何度も使った道だ。夜の闇に紛れて、木を頼りに慎重に降りて行く。

「っ」

 痛んでいた枝を掴んでしまい、枝が折れて落ちるように転がった。この前痛めた背中をまたしても強かに打って息を詰める。それでも幸いすぐに止まった。そこからしばらくして、湖を囲う道にたどり着いた。

 立ち止まっている時間はない。少しでも人目を避けるために街道を歩かず、追手が来ても隠れやすいよう木々の間を歩く。

 馬の足音がしてハッとする。

 既に捜索が出たのか。

「陛下、いや、えーっと、なんて呼んだらいいんだ?」

 間抜けた声の呼びかけに木の陰から覗く。

「……ホルー?」

「ああっ、よかったー。見つけられなかったらオヤジさんに殺される所だった」

「ハザキ議長が捕まったのか?」

 はっとして口を付く。今、戻れば、彼らの命は救えるだろうか。

「え、違います違います。自分はたまったま嫁さんを迎えに来た馬番です。で、森から狼が降りて来たのを見たと言う情報があったと聞いたので、念のため確認をしようと遠回りをして走ってるだけのただちょっと腕のいい馬番です」

 いい訳がましく言うと、近づいて来たホルーが馬の上から手を伸ばす。もし義理の父親を助けるための嘘ならば素直に従ってやるべきだ。そして、もし、ハザキが逃亡の為に手助けをするように命じたのならば、ありがたく受け取るしかない。ここでまごついては結局彼にも危険が及ぶ。

 ホルーに引き上げられ、馬の背に乗るとそのまままっすぐ走り出す。祭りの日は街灯が全て消え松明の明かりだけが頼りになる。そんな中での最速で走ってくれている。

 馬の背に揺られ、背中にはホルーの屈強な体がある。安心はしていないが、感謝の気持ちで胸が痛い。

 戻るように言わなくていいのかと何度も自問する。いなくなれば手引きをしたものが代わりに罰を受けるのではないだろうか。そんな事はあってはならない。

「いやー、白雪姫を森に連れて行く狩人の気持ちがすげーわかりますね」

 ホルーが軽い調子で言う。

「まあ実際ね、妻が……あそこらで拾えるはずだからって言ってくれただけで、オヤジさんからは何も聞いてなかったんですけどね。いやー、本当にいい嫁だと実感しました」

「ああ」

 森の麓にまで進むと、馬の足が遅くなった。

「その……馬をお渡しできず、申し訳ありません」

「ああ、家族を守れない男ならばあのシューセイ・ハザキが婿養子になどせんよ」

 馬を下りると気丈に返して見せる。

「いくらかの食料と、多くはないですが金も。絶対に、汚名を晴らし、戻っていただけるよう議会院はオヤジさんは努めます。なのでどうか……生きてください」

 鞄を渡すとホルーが噛み締めるように言う。

 自分は、とても幸せな王だったのだと実感していた。

「皆も無事であるように。それだけが私が望むことだ。ありがとう。もう家に帰って温かいスープを飲むといい」

 いつまでもいる事が危険と判断し、ホルーがそのまま湖を回る形で走っていく。

「狼の森か……」

 ここならば、追手が来ても少しは安心ができる。普通は大人でも入らない場所だ。

「泣くな。これしきの事で」

 ぐっと前を向いて、歩き始める。千里の道も、一歩目を歩かない事には始まらない。

 逃走の手助けをした者の為にも、遠くに逃げる事、それが先決だった。

 狼は怖くない。暗がりでも匂いで分かってくれるだろう。だが、不気味な闇夜にフクロウの声がした。夜に歩くのは初めてで、道があっているのかも怪しい。木の根に何度か足を取られても、前だけを見た。



 空々しく白熱した議会だったが、多数決の暴力で陛下の……エラ様の幽閉が決定した。一年後、再び儀式を行いどちらが真の王か見極める事となったのだ。だが、ひとりは王座に就きもう一人は牢獄となれば、それまで一年もの間生きられるとは到底思えなかった。最悪の事案は一年の間に、エラ様が子を産まされてしまった場合だ。その子を取り上げて自分の子とされれば、あの恩を知らないミサ・ハウスが真に王位を得て、エラ様は女児を産んだ時点で殺されるだろう。そう、どちらにせよ、一年後まで、嬲り者にされる。それをわからない議会の脳足りんにエユは今までにないほど頭に来ていた。

「それでは、一年後の儀式の時までエラを投獄する」

 顔色を変えずに、ハザキは告げた。この男の頭もワインボトルで叩き割ってやりたい。

 馬鹿々々しい採択に異議を唱えようとした時、ノックもなく議会院室のドアが開いた。

「議長、もうひとつ議会にかけて頂きたい事案がございます」

 不躾にドアを開けたのはベンジャミン・ハウスだった。まるで採決結果に聞き耳を立てて待っていたようなタイミングだ。

「なんだ」

 ハザキの厳しい声にひるむことなく部屋に入ると、ベンジャミンは真っ直ぐハザキ議会院長を見て口を開く。

「ミサ・ジェゼロ様より閨の打診を受けました。私は快諾しましたので議会にて承認を」

 開いた口が塞がらない。他の議会員も唖然としていた。まさか、彼までもが裏切り者だと言うのか?

「了承した。それでは皆に問う。ベンジャミン・ハウスを国王の閨とする。並びに閨は政治に影響しないよう国王付きの任を解除することとなる。それに異議ある者は挙手を」

 ハザキの朗々とした採択に驚き、誰も手を上げなかった。議論なしに採決を行った事と、閨が国王付きを自動的に解任になると言う事実を今更示したことに驚いていた。

「ベンジャミン・ハウスを国王の閨として認める。下がってよい」

「はっ、ありがとうございます」

 ぴしっと頭を下げてすぐさまベンジャミンが部屋を出ていった。

「シューセイ……どういうことですか」

 エユは声が震えている自覚をしながら問う。

「忌々しいベンジャミン・ハウスをようやく国王付きから外せたと言う朗報だ」

 昨日までは国の実権を握れていた堅物の男がいつもと変わらずに言った。そして、夜が明ける頃に、この男は議会院長の席を新たな王によって外されているだろう。



 どこで怪我をしたのか、腕が擦れて血塗れになっていた。この匂いなら狼犬ではない別の獣が寄ってくるかもしれない。ぼんやりとそんな事を考えた。

 この後どうしようか。オオガミの家へ行こうと歩いているが、道を間違えていないかと常に不安が襲ってくる。

 それにオオガミの家にずっといる訳にもいかない。朝にはもっと遠くに逃げなくては。でも、どこへ?

 国王でなくなったただの小娘に頼れるものがあるのか? 故郷を追われて、全て失った。一体自分が何をしたと言うのか。王としてできるだけの事をしたと思っていた。ミサの事も、友人であり姉の様に慕っていた。

 泣いては駄目だ。

 そうだ。服だけでなく靴を用意してくれたハザキはやはり深慮がある。靴を履いていなければここまで歩けなかった。

 いい事を見つけようとした時、後ろから物音がした。ウサギか何かか。いや、大きい。

「っ」

 闇の中迫って来た獣が襲い掛かってきて、とっさに手で頭を庇う。その腕の血をべろんと舐められ声にならない悲鳴を上げた。

「……犬?」

 ハッハと言う息遣いと口臭に目を細めると顔を盛大に舐められた。これはオオガミの所の狼犬だ。

「こら、顔は止めてくれ。ふふっ……家はもう、すぐ近くなのか?」

 一頭の仲間を得て安堵していた。一人ぼっちに比べたら、毛むくじゃらでもいてくれるだけでありがたい。自分以外の体温にほっとして、涙が出そうだった。

 感動も消えぬ前に馬の嘶きと足音で体が固まる。

「陛下?」

 聞きなれた声と呼び名だった。

「お前が……捕まえに来たのか、ベンジャミン」

 馬から降りる音がする。木々の間の月明りでうっすらと姿が見える。

「連れ戻すくらいなら、ここで殺す情けをかけてくれ」

 強張った声にため息が聞こえた。

「エラ様、ご報告があります。ベンジャミン・ハウスは本日閨の任を受け、結果国王付きの職務を解任され、現在無職となりました。ですので、自由意志の元、エラ・ジェゼロ様と逃避行するためにここに参った所存です。大変残念ながら、エラ様に拒否権は存在しませんので」

 あまりにもいつもと変わらない調子で言ってくるから、内容が半分も理解できなかった。

「嘘だ……」

「嘘って……十二の時から、自分はエラ様の付き人ですよ。ああ、そちらはまだ解雇されてないので、無職ではありませんね」

「嘘だ……私を騙して連れて行くつもりなのだろう? ベンジャミン、一人で戻ってくれ、私はもう、国には戻れないのだ」

 すぐそばまで近づくベンジャミンから思わず後ろに下がる。願望であって事実なはずがない。

「今はまだ、戻れないでしょう。だからといって、真の国王様に付き人一人つけないわけにはいかない。私ではご不満でしたか?」

 泣いては駄目だ。

「ああ、私は……一人で大丈夫だ。雇う金もない」

 泣いては、駄目なのに。

「報酬ならご安心を」

 また一歩下がったのにベンジャミンが距離を詰めると逃げる間もなく捕らえられる。

 ベンジャミンにこうもしっかり抱きしめられたのは何年前だったろう。そう思って一年前の葬儀の後にも慰めてくれたのを思い出していた。

「陛下の傍に置いていただく権利だけで支払いには十分です。どうか、憐れな私に慈悲を。エラ様」

 泣いては駄目なのにもう涙が止まらない。

 狼犬よりもずっとベンジャミンのぬくもりは堪える。

 しばらく泣いた後、不恰好な呼吸のまま何とか言葉を出す。

「もし、共にいて立場に、困れば……構わずに、売ってくれ。これ以上誰かを、犠牲にしたくはない」

 逃亡者だ。国外に逃げたとして、助かる保証も明日の食べ物ですら怪しい。

「許可を頂いたところで、一度オオガミの家へ行きましょう。明日の日の出前には出発を」

「追手はこないか?」

 そうしようと自分も思っていたのにそんな事を言う。

「オオガミの家を正確に知る者は少ないので、今晩だけならば持つでしょう」

 一夜にして何もかも奪われたはずなのに。今はもう絶望に押し潰されてはいなかった。



 エラと悪童ベンジャミンが夜中にやってきた。怪我の手当をするとエラは泥のように眠りに落ちた。余程疲れていたのだろう。

「お前が性犯罪者にならないよう願ってたんだがなぁ」

 似合わない安い恰好に、手足の切り傷に打ち身。エラの泣き腫れた目など何年振りか。怪我ごときで泣くほど繊細ではないのはよく知っている。

「儀式でミサ・ハウスが真の王であると証明しました。傷心のエラ様に付け入っても手を出すほど下種な男ではありませんよ。明日にはここにも兵が来るでしょう。あなたが捨て損ねた白い悪魔が、何か知っているようですが……そこまでは探る時間がなかった」

「ああ、あの。妖艶だったもんなぁ。なら、すぐに出なくていいのか?」

「数時間でも、休息を取らせるべきだと」

 可愛いエラの騎士は、人の家から食料や衣服を許可も得ずに物色している。

「飾りナイフは持ってってくれるなよ。家を出るとき唯一持ってきたシロモンだ」

「あなたでも、家紋が大事ですか。親のいない俺には正直理解ができない」

「お前もずっとアレを持ってるだろ。あれと似たような感覚だ」

 これが森に捨てられたのは何年前だったか。三歳くらいの子供が狼の森を一人歩いていた。握っていた指輪だけが身元を示す可能性のある物だったが、結局親は見つからなかった。滅多に町に下りない自分が子供を連れてやってきたから、こいつは狼男の子供だと噂されていた。まあ、息子みたいなものではあるか。犬笛も狼犬の躾方も教えた。こんな風に育ったのは、少なからず自分にも責任がある。

「これからどうする? 馬一頭じゃ行動範囲や荷物も限られるだろ。ジェゼロの領地じゃあ匿った相手が不利になるってエラは嫌がるだろうしな」

 今回の事態をあまり驚いていない。どれだけの間あの歪んだ制度が続くか見ものだったが、思ったよりは早い終いだったらしい。ただ、願わくば可愛いエラの代でなければと思っていた。

「国は出ます。どことは言いかねますが」

「お前、嬉しそうだな」

 意気揚々としているのは明らかだ。

「興奮物質が出ているんでしょう」

「エラの信頼は裏切ってやるなよ。今ここでお前に裏切られでもしたら立ち直るのに時間がかかるだろう。それまでに生き延びられるかわからないからな」

「そういうあなたは、随分暢気ですね」

「世捨て人は俗世に興味がないからな。まあ、エラにはこのまま山に隠れ住んでもらえればとは思うけどな。可愛い一人きりの姪だ」

 女が王位を継ぐのは絶対だ。男児が生まれても国王にはなれない。むしろ疎まれる。男児の子供が女でもそれは同じだ。王位を継がなくても女児の子が女であれば、王に子がなき場合に限り次代の王となる。運よく今までその女人家系は絶えなかったようだが、オオガミの知る限り、今の女の血筋はエラだけだ。かなり古く遡れば、まだいるかもしれないが、少なくも、ジェゼロ国にはいない。自分のように王族争いを馬鹿らしく思い、他所の土地にいっている。見つけるのはかなり困難だろう。

「むしろ、国王なんてくだらない仕事を男の格好でするくらいなら、女として平穏に暮らしてくれたらと願ってた」

 荷物をあらかた詰めたベンジャミンが鼻で笑う。

「本音を吐かないあなたが、そんなことを考えていたとは」

 琥珀色の酒を傾けて、鼻で笑い返す。

「エラとお前のことは人間の中でも好きだ。大概に馬鹿で変わり者だからな」

「それはどうも。自分も少し寝ます。優秀な客が来るとは思いますが、干し草を食べるだけでしょうから持て成しは不要です。ああ塩くらいはお出ししてください」

 寝室のドアから一番近いソファで、毛布を掛けてベンジャミンまでが寝出す。



 不思議なことによく寝た。全部夢のようだが、事実なのはわかっている。

「おう、起きたかおチビちゃん。外に友達が来てるぞ」

 すでに追手でも来たかと思ったが、嘶きが聞こえた。外に出ると、真っ黒い牡馬がそこにいた。

「キングっ。お前どうしてここにいるんだ」

 首に抱きつくと屈強な筋肉が動くのがわかる。頬を体に摺り寄せられる。

「来るときに城の馬の縄を全て外しておいたんですよ。キングだけは鞍付けを。こいつは言葉をよく理解するので。初めて蹴り殺そうとせずに鞍をつけさせてくれました」

 ベンジャミンが裏からやってくるという。

「服を着替えられましたら、出発しますよ。昨日ここに留まったのは、彼が来るだろうと思っていたのもありますから」

 ベンジャミンは既に城仕えの服ではない普通の格好をしている。本当に、ついてくる気なのだ。疲労が和らいで思考がダメだと今更言う。

「ベンジャミン。もう一度考えろ。王位奪還の確約どころか、捕まればどうなるかわからない。引き返すチャンスはこれが最後だ」

 キングの足があれば今日の間に森を抜け国から離れる事は出来るだろう。馬ならば反逆罪にはならない。だが、ベンジャミンはどうだ? 棘の道に引き込む権利が今の自分にはもうないのだ。

「……考えました」

 ほんの少し沈黙した後、柔らかく笑い返された。

「エラ様を陛下と再び呼べるよう。最善を尽くします。これだけ明確な目的地があれば道に迷うこともないでしょう。もし、私を置いて行かれるようなことがあれば、ジェゼロ城に戻り国家転覆を経略した罪を告白し、刑を全うする覚悟ですので、私を捨てる際はお忘れなく」

 膝を付き、手の平に口づけを落とされた。これはたまに、上流階級でもしないような事を恥ずかしげもなくやって見せる。

「普通は女に言ったらまず引かれんぞ」

「出てくるなら空気読んでいただけますか? ああ、あなたには無理な事でした」

 温度差激しくオオガミに言うとベンジャミンが立ち上がる。

「さあ、食事をして服を着替えてください」

 追い立てられてオオガミの家へ戻された。


ベンジャミンが素を出すオオガミやホルーとのシーンが好きです。

第一章 ジェゼロ編は終わって、次はナサナ国編に移ります。


閨:王の夜の相手。子供の父親となるため呼ばれた時のみ内密に王の寝室(閨)へ入る事が許可される。それ以外は王と会う事はできない。また子供には会えない決まりとなっている。基本的には議会院の一部だけが閨が誰か知っており、その後、閨が家庭を持った場合など、血縁関係で閨にしないよう管理する。

闇閨:暗闇の中、王も相手が誰か知らぬまま事を終える。病歴などから選定し、議会院長のみが相手を知っている。闇閨は自身がそれと言う事は許されない。虚偽の場合も本物が言ったのと同等の処罰が下る。

閨制度:女家系の存続と男として王になるため夫をとれない。王以外が国を統治しないよう、父親は政治的関与の一切が禁止されている。

替え腹:世話役として妻を娶ることはできる。王が懐妊した際は妻も妊娠させるか妊娠として扱う習わしがあった。もし妻が子を産んだ場合贄として神に捧げられる。実際は他国の施設に預けられる。13代目ジェゼロ王が時代錯誤としてこれらの行為を禁止した。


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