ジェゼロの神
対岸から小島までの距離と同じ程度歩くと、最後の審判を司る門が見えた。
「っ、なんでドアが開かない!? また何かしたのか」
「しらねーって。そもそも俺は正式な王位継承者じゃないんだって」
オオガミの声だ。それにシィヴィラもいる。王の寝所からの扉を知っていたのか。それなら、もっと前にここも試していたはずだ。どうして今更。知らぬのならば、知られたくないとわざわざ大変な道を通ってきたというのに、あの苦労を返して欲しい。
シィヴィラがあの神殿の第一巫女ならば、第二巫女よりも魔術に詳しいはずだ。少なくとも、自分より理解に深いだろう。それでも開けられないほど、あのドアは強い力が込められている。
「もう帰っていいか? 牢屋のあいつらの会話聞き逃す方が惜しいからさ」
軽い調子でオオガミが言う。状況はよくわからないが、少なくとも元気ではあるようだ。
「……」
「………」
そっと覗き込むと扉に背を預けたオオガミと目が合った。シィヴィラは扉の前にあるオーパーツの文字盤に呪文を打ち込むのに必死で気付いていない。万が一にもオオガミがシィヴィラに加担していたらと一瞬不安になる。オオガミが何事もなかったようにシィヴィラの近くに寄って行くと、後ろから衿を掴み、そのまま足を払い、抑え込む。無抵抗と高を括っていた相手に対して、見事なほどの容赦のなさだ。
「何しやがる。牢屋の奴らがどうなっても……」
そっと壁際から覗き込んでいたが、叫ぶシィヴィラと目が合った。仕方ないので出て行く。
「どこから入った」
「王族には色々秘密があるものだ」
苦々しいシィヴィラをよそに、逃げようとする相手を楽しそうに寝技にかけるオオガミを見た。
「無事で何よりだ。狼たちの世話は?」
「ハザキの所の娘がしてくれてるぜ」
確か医者だったが動物の医者でもあったか。
「しばらく抑えていてくれ」
文字盤は神殿で学ばされた。整頓されていない順番に初めは戸惑ったが、慣れると整然と並ぶそれよりも効率的だった。
そこに自分の正式な名前を入れる。エクラ・ジェゼロ・カサイ。打ち込むと先ほどと同じように手を入れる。吸い付くような感覚の後、手の平に小さな痛みを感じた。見ると小さな切り傷ができて血が出ていた。
少しして取っ手のないドアが開く。
「気い付けてな」
「ああ」
中に入り、ドアを閉めようとした時、間に指が挟まる。ぞっとした瞬間持主が万力でドアを押し、転げるように入ると反動でドアが閉まってしまった。
【エラーを検知。人数制限に違反します】
天から淡々とした声が言う。
「ここまでしてジェゼロの神とやらを起こしたくないのか。シィヴィラ」
距離を取って問う。シィヴィラはジェーム帝国の神を知っている。より近くにいたならば、あれが神ではないことも、歪であることもわかるだろう。だからこそ、ここにきて、先に壊そうとしたのだろう。あのオオガミを掻い潜ってよく来たものだと、そこは素直に感心する。
「俺を連れていけ、でなければお前が戻る前にお前の大事な物全部を壊してやるっ」
噛みつくように無理な事を言い出す。
「そこまでお前を駆り立てる物は何だ。国の者に慕われながら、なぜこのような事をする。神官からも無類の寵愛を受けていただろうに」
神官に会ったのはあの一度きりだ。第二巫女とは長い時間を過ごした。オーパーツの扱い方。国の成り立ち。彼らが守る物の理由。
「化け物に支配される世界が正しいなんて、間違っている。それを正す事の何が可笑しいんだ。ジェーム帝国なんて滅べばいい。ジェゼロも同じだ」
「……そうか。お前は、あれが世界の狂いだと思うのだな」
近くに行くことが許されるシィヴィラならば、こんな場所まで来なくても神官を二度と動かない様にできただろう。それをせず、こんな場所までやって来て、遠回りに死を与えようとする。
【エラーを検知。人数制限に違反します】
もう一度声がする。
「ジェーム帝国神官の遣いの者を連れて来た。同行の承認を」
脅されたからではない。第二巫女殿がシィヴィラを可哀想な子と呼び、あの子は神を殺せないと言っていたからだ。
【申請を許可します】
両開きのドアが横にスライドして小さな行き止まりの小部屋になっていた。シィヴィラが中に入ると、警戒しつつ後に続く。二人が入ると自動的にドアが閉まり小さく揺れ出した。
「……私の部屋、王の寝室にはオオガミでも入れないはずだ。どうやって中に入った」
言うと、馬鹿にしたように鼻で笑われた。
「ミサは入れたのを忘れたか? お前に国王に戻られて一番困るのはあいつだろう」
「ああ、なるほどな」
いいながらも、まだどこかでミサを信じたい自分がいた。
重力を感じて下降していたらしい箱が停まる。ドアが開くとやはりさっきとは違う場所が開けていた。
細い廊下を少し歩くと、広い空間が広がっていた。円形の広場は高い天井を有し、壁にはアーチ状の通路がいくつも空いていた。それが三階に連なっている。白い大理石のような壁で、床は緑の艶やかな石だった。真ん中には、聖堂のような小さい建物があった。
美しいその神殿に息をのむ。それと同時に、あまりに不釣り合いなテーブルとイスに目が行った。そこには、母の、サウラ・ジェゼロが愛読していた薬草辞典がテーブルに乗っている。一瞬あり得ないことを期待した。通路から、前王が出てくるのではないかと。だが、息を引き取るとき、自分は近くにいたではないか。
【やっと、来たねサラの子エラ。随分と待たせるものだから、もう世界が終ってしまったのかと思ったよ】
さっきの声とは違う感情のある声が天井から響く。
「ジェゼロの神だな。ジェームの神官から……」
「黙れっ」
シィヴィラが急に飛びかかると口を塞がれる。
【女の子に乱暴をするのはいただけないな。ベリルの遣いって割にフェミニストじゃないのかい?】
暢気と言えるような声がした。
「……出て来い。姿を見せろ! でなければこいつをここで殺してやる」
手を剥がそうと掴むがあまりにも硬い。これでは、オオガミも力負けするはずだ。
【認証者ロミア。眠れ】
天からの声がした。何をしたのかわからないが、そう言うとシィヴィラの動きが停まる。まるで呪いにでもかけられ石にされたようだった。石のように重くて動かない。
「……ジェゼロの神は魔法を使うのか」
純粋に驚愕する。のしかかっていたシィヴィラを避けると、這い出る。それでもシィヴィラは動かなかった。
【野蛮なのを連れて来たね。それで、ベリルが何て? まさかその子の行動が答えかい】
「……時が来たと伝えて欲しいと」
【ベリルに直接会えたのかい?】
「儀式を行えなかったのは、国を追われていたからだ。今ここへ来たのは王位を取り戻すため。その為に、手を借りるためジェーム帝国に入った。そこで神官に会う機会を得ることができた」
正式な儀式の場から入っていない。そもそも、今自分が新しい国王と認められ入室を許可されたのかもわからなかった。
「神官からはそれだけで意味は伝わると聞いている。私は、新しい国王であると証明し昼の出に戻らなくてはならない。そうでなければ、私の代わりに人が殺されてしまう」
実の所、どうすれば証明されるのか、わからない。第二巫女は、ジェゼロの神の許へさえ行ければ、大丈夫だと言っていた。
【なんだか大変だったね。じゃあ、起きる準備を始めるけど、しばらく僕は話せなくなるから。ちょっと待っていてね】
そう言うとはたと声が止んだ。シィヴィラは依然と動かない。開いた目蓋は瞬きすら忘れ、息すらしていない。




