身代わりになれると言うならば、それはいっそ褒美だ。
怒りはそれ程湧いていなかった。
ミサ・ハウスと言う人間は勉強が飛びぬけて優秀ではなかったのも知っている。だが運動神経はとてもよかった。それに、ハウスの中が明るくて風通しがよかったのは、ミサが気を配った結果だと知っている。王だと名乗ったのが別の者だったら、自分はもっと怒りや恨みを向けられた。
内部の扉が開いていたのが無理やりならいいが、もし、オオガミを利用しての事なら安否が心配だった。新しい感情は精々それくらいだ。
船が岸に着くころにはすっかり日が暮れていた。
行きでは水かさが減って見たことのない底が垣間見えて少しばかり面白かったが、こう暗くては戻るときには見えない。
たった半年と言うべきか、まだ半年と言うべきか。前王の死後、ジェゼロの王と呼ばれてからの日々よりずっと長かった気がする。
「ハザキ、ミサは城か?」
桟橋で待っていたハザキに声をかけた。リンドウ殿には、ここからはジェゼロ王として私の好きにすると言っている。
「……はい。島に行かれた方全員を城にお連れするよう言われております」
白い装束を着たままの自分に対して、ハザキはいつもより少し優しく言う。
「ご無事で、何よりです」
「……お前も、生きていてよかった」
一度頷くと何もなかったように桟橋を戻っていく。それに続き、馬に乗って行き慣れた傾斜のきつい街道を上っていく。キングとは違う揺れに未だに違和感があった。急傾斜の先に馬小屋が見え、干し草の匂いを嗅いでぐっと懐かしさを感じる。
帰って来たのだ。ジェゼロに。ここにきてやっと、実感していた。自分の故郷はここだと。
「こちらへ」
門をくぐり、武器の所持を確認すると称して顔を見られるのではと心配したが、そのまま城へと入ることを許された。
「本当に行き遅れのリンドウ姫が来られたとは、婿探しでもして来いと言われたか?」
玄関ホールの二階の廊下に、白い悪魔が立っていた。相変わらずの美しさで、挑戦的な口を利く。
「あら、シィヴィラ様お元気そうでなによりですわ。コユキちゃんへの熱烈なラブレター。背中に書くのはさぞ楽しかったでしょうね。白くて艶かな背中だけで満足するような殿方では振り向いてももらえないでしょうけど」
「相変わらず、気持ちの悪い思考のババアだな」
「安心しなさい。今日はあなたの悪戯を戒めに来たわけではないわ。ジェーム帝国の調査隊を率いている以上、あなたよりも貴重な遺産を穢した頭の悪い国王に物を言う方が先だもの」
比較的丁寧ですっと背筋を伸ばした逞しい女性だと思っていた。いい意味で女性らしさのないサバサバとした雰囲気だったのに、とてつもなくねちっこくシィヴィラに対して毒を吐いた。神聖な巫女にそんな口を利くジェームの人間がいるのかと驚く。
「あなたの大好きな神官様が今ならまだ怒らないから戻っておいでとの事よ? よかったわね。御寵愛をまだもらえていて。桐生を殺したことも仕方のない奴だと今回は目を瞑ってくださるそうよ」
明らかな憎悪で見下ろす相手を挑発する様にそう続けた。
「お前の、そのよく回る舌も、頭だけになれば言葉を吐けなくなるだろうな!」
言い捨てると、玄関ホールから姿を消した。それにリンドウ殿は鼻で笑っている。
「……国王がお待ちです、こちらへ」
罵り合いが終わってからハザキが謁見の間の方を指した。謁見の間に入れられると、既にミサ・ハウスが王座についていた。
少し痩せただろうか。それでも自分が着ていた服を着ているので胸元が苦しそうだった。仕事をしている時と同じ感情を出さないよう自制した目をしている。昔から、ミサはふり幅が大きい。親しみのある自分の友は、無感情な使用人でもあった。
「リンドウ・イーリス殿、わざわざお越しいただいたようだが、天災が起きてしまったようでね」
「儀式の場があのような有様では、あなたが真の王と再び証明することは出来なくなったのでは? 私は、正当なるジェゼロ王と話したいのだ。悪いが退席願えないか?」
シィヴィラの時よりも口調は穏やかだが、リンドウ殿はあくまで攻撃的だ。
「ふっ、私こそが真の王。二度も示す必要がないと神が申された」
「これはこれはお可愛らしいこと。あなたが王だと言うのならば、ジェゼロ王がジェゼロの神から受ける神託を示して頂きたい。もっとも、あなたでは話にならない。せめてトウマ・ジェゼロを連れてこなければ、ジェゼロには正義はないと報告をせざるを得ない」
その名前にミサの目が細くなる。リンドウ殿からその名前が出たのは確かに意外だった。対外的に、その男は死んでいる。葬儀までしたと聞く。
「……そのトウマ・ジェゼロが犯人として裁きを受けぬよう、私なりの慈悲だったのだがな」
「では、あの惨状は十三代目ジェゼロ王の兄が行ったと? 天災でも神の意志でもなく」
「それについては、あなた方のスパイが既に報告済みでは?」
ミサが部屋の端で待機していたハザキを見やる。
「ハザキは古くからジェーム帝国の密偵としてジェゼロに潜り込み、代々情報を売っていた。違うか? この場ではっきりさせておきたかったかのだよ」
その言葉でハザキを見ると、眉を顰め明らかに嫌悪していた。
「ハザキの名は古くから帝王が与える姓の一つ。確かに可能性はあるけれど、そこまでわかりやすい名のまま入れるほど、我々は浅はかではないわ。まあ、そちらの内情で処罰したいなら、お好きな罪状を、我々とは無関係の者まで庇うほど、暇ではないので」
その言葉に立ち上がり、ミサが王座を下りこちらへ歩いてくる。リンドウ殿に何かするのではないかと、白装束の者が警戒姿勢を取った。話は何度かしたが、見分けがつかないままだった。ただ、彼ら全員がかなりの手練れで、姿を見せない風習を守っていた。
「あなた達の、仲間意識などその程度でしょうね」
リンドウ殿の隣を通り、間を吟味する様に歩いて行く。
自分の横を素通りしたと思ったら、視界が急に開けた。
「でも、エラは見捨てる事が出来ない性質なの」
振り返ると、ミサが白い装束の被りを持っていた。ベンジャミンだけでなく、他の者も身構える。リンドウ殿が指示すればミサはあっけなく死ぬだろう。
「……相変わらず、嘘が下手ね」
昔と変わらない笑みに錯覚しそうだった。
「あんなことを許せば、自ら王ではないと言っているようなものだろう。何故あんなことを許した。オオガミはどこにいる?」
「可愛そうなエラ、現実をまだ受け入れられないのね。それにあの場所を駄目にしたのは本当にオオガミよ。私が、儀式をできないんじゃない。あなたが二度とジェゼロ王だと証明できなくなっただけ。どうやって議会を開くの? 他国の力を借りる? そうやってジェーム帝国の介入を認めるのね。ジェゼロを汚しているのは誰かしら」
目の前でミサは言う。自分の知っているのとは違う人の様だった。
「ああ……そうだ。私はここまでお前に嫌われていたのだと……ずっと受け入れられなかった」
目を瞑る。泣きはしなかった。
「十四代目ジェゼロ王、エラ・ジェゼロとしてミサ・ハウスを国家転覆の罪に問う」
「今のあなたは王と偽証したただの罪人よ」
真っすぐに見返す相手に続けなくてはならない。喉の奥に物が詰まったようだった。
「これを捕らえて牢に入れなさい」
謁見の間にいた兵が戸惑いながらも近づこうとする。それに対して調査隊が剣を構え近づくことを許さなかった。
「……これは、ジェゼロに対する冒涜よ。他国の干渉に他ならない」
引く気配のないミサにぐっと唾を飲みこみはっきりと言う。
「ならば、今から証明しよう。明日、日が頂点まで昇るとき、私がジェゼロの神に会ったと、証明してみせよう」
「……あら、どうやって儀式を見せてくれるのかしら」
「あれは、大衆用の物だ。それ以外にも王は神の許へ行っていた」
王に戻れたとして、陥れた者を罰することができるかと帝王は説いた。自分は、ジェゼロの神に会う事よりも、失敗する可能性よりも、ミサに死刑を宣告することが怖かった。
「でも、失敗した時に戻ってくる保証のない犯罪者逃がすほど、私は馬鹿じゃないの。なんと言おうと、今このジェゼロの王は私なのだから」
証明されれば自分がどうなるかくらいわかっているだろう。だからミサが認めるとは思っていなかった。
「まあ、その意見は一理あるわね。こちらからエラ・ジェゼロの身代わりとして誰かをそちらに保険として預ける事は容認しましょう。もちろん、私でも構わない」
リンドウ殿が平行線の議論に対して口を出す。それにミサが笑う。
「もし、戻らなかったら、その者をどうしてもいいのね?」
「その前提があるからこその身代わりが成り立つのよ。ジェゼロの真の王の代わりに吊り合うのは、ジェーム帝国の王族たる私くらいでしょうけれど」
リンドウ殿が腕を組み言い切る。もし失敗すれば、殺されるかもしれないのに。
「その為にわざわざジェーム帝国が年増の姫様を寄こしたのは無駄な手間ね。あなたの手足をひとつずつ切り落とせば、帝国軍に名目を与えてしまうじゃない。でもそうね……エラが馬鹿みたいに戻ってきたせいで、あなたが泣きながら死んでいくのを見るのは楽しそう。ベンジャミン、どうせ芸もなく間抜けみたいに付いてきてるんでしょ?」
ミサが言うと、ベンジャミンはあっさりと白装束の被りを脱ぎ捨てた。
「これで、交渉が終わったのでしたら、エラ様はどうぞ私の事は気にせずにご自身の務めを」
恐れも何もない優しく笑いかけてベンジャミンが言う。
「自分が王だなんて戯言の所為で、馬鹿が代わりに死ぬのを見るといいわ。安心して、明日の正午に殺しはしないから、指を一本ずつ、指がなくなったら腕と足、少しずつ軽くして、最後は腐って死ぬまで野晒しにしてあげる。それともジェーム帝国で飼えるように送ってあげましょうか?」
楽しそうなミサに拳を握り聞き流す。
「ミサ・ハウス。王と名乗るなら、ジェゼロの王らしく振舞え」
言うと、踵を返して王の謁見の間を出て行く。ベンジャミンを見る事はしなかった。




