帝国の神域であろうと、あなた様があるならば
神官との謁見に際して、神殿への迎えが来た。城よりもずっと下へ続く道を案内人について行く。外へ出る時の様に窓のない馬車に乗せられることもない。途中門番が立つ門を何か所か通った。
慣れては来ていたが、この恐ろしく広い地下空間の更に先に少し恐ろしさを感じる。水の流れる音はしていたが、それがより大きく鳴り心もとない橋を渡るときにはジェゼロ城から見下ろす街よりも倍近く下に川が流れ騒音を出していた。細い道が続き、ようやく崖に戸が現れる。斜め前の道のない絶壁には確かに神殿と呼べるだろう建造物が埋まるように存在していた。入り口はここだけなのか、他にあるかは知らないが、特殊な洞窟内の都の者でもそうそうこの神殿すらお目にはかかれない。まして下には水量多く流れの速い川。そしてこの絶壁だ。不当な侵入は更に困難だろう。
中へ入ると馬車二つ分ほどの空間と入ったのとは別にドアが二つあった。
「エラ様はこちらから、付き人ベンジャミン・ハウスはそちらからどうぞ」
指示に従い別のドアへ入る。
「コユキ姫」
「ここでは第三巫女ですよ。エラ様」
真っ白い装束を着たコユキ姫がふふっと笑う。
「それではこちらで一度服を全てお脱ぎください」
「は?」
「嫌がらせとかじゃありませんよ。危険物持ち込みを精査するために帝王様でも行う儀の一環です」
いつもよりもハキハキと言い切られる。
「……まさか裸で行くわけではあるまいな」
人が最も無防備な状態だ。有り得ないとは言えない。
「白着に着替えて頂きますが、その前に確認をします」
当たり前の様に言われる。人間はそれが常識だと言われると受け入れがちだ。男の前ならいざ知らず、女性の前でまで恥じらって嫌だと駄々を捏ねても仕方ないと意を決して服を脱ぐ。
「あ、御下着も全てになります」
絶望しつつも指示に従う。別にじろじろと見られるわけではないが、それでも貧相な体を人に見せたくもない。
「では、次の部屋で風の洗礼後、止みましたら中へお入りください。着替えを置いていますから、そちらを召して頂ければ。エラ様が入られた後、私も続きますので着方がわからなければそのままお待ちください」
言われるままに中へ入る。ドアが閉まると数秒後には風の洗礼と呼ばれるだろう暴風が無数に空いた穴から吹き付けられる。そう言えば向かう前に風呂で身を清め、化粧や整髪の類もしないように言われていた。裸に吹き付ける風に悲鳴を上げたいのを堪え、耐えると風が止んで次のドアの鍵が開いた。急いで入るとまた小部屋で籠の中に服が置かれている。下着を身に着け服に袖を通すが、ワンピースにしてもボタンがないし着丈も随分長い。コルセットにしてはやけに長い布があるが使い道が分からない。そうこうしている間にコユキ姫が風の洗礼とやらを受けて入ってくる。コユキ姫は服を着たままでずるいとすら思う。
「ジェームでも一部でしか着られない民族衣装のキモノと呼ばれるものです。もしかしたらご存知かと思いましたが」
「いや、こんな衣服は知らんよ」
ナサナでは双子の成すがままにドレスを着せられたが、ここではコユキ姫の成すがままに不思議な服を着せられる。
胸の下に手を広げたほどの太さの布でできたコルセットを結ばれ、その中には長かった丈を調整して足首までの巻きスカートの様にした物を着ていた。その中にも薄手の似た様な服を着せられている。袖が無駄に長くて腕を降ろすと下に付くのではないかと心配する程だ。
これでは歩幅も限られているし袖の長い布と腹を絞めつけられているので、奇襲するのは難しそうだ。そういった意味での礼装なのだろう。靴はなく素足だった。
「髪も少し整えますので、お座りください」
少しの割に長い事頭をいじくりまわされていた。油も使わずに器用な物だ。
「こういった事が巫女の仕事で?」
「いえ……本来は神官様の身の回りのお世話をするものが巫女と呼ばれますが、私は悪い意味で異例で、神官様に直接お会いすることがありませんから、謁見に来られた方のお世話も担当しています。他にも細かな仕事が色々と。帝王以外の王族がここに入るのもとても稀なので、姫である私への配慮なのか、私の技量の問題なのか……」
「この服を着せるのも中々の技術だよ」
後者の気がしたが慰め程度に言って置く。
「あのっ、今更ですが、他国の方が神官様に会われるのは本当に異例で、きっと開国以来初めてだと思いますっ」
いつものコユキ姫に戻ったようにぱっと明るく返される。
「それにっ……途中までとはいえ、ベンジャミン様のご同行も許可され、よろしゅうございました。これだって、凄く異例の事ですよっ」
「ああ……そうらしい。色々と配慮してもらったと、思っている」
やはり、この姫君は苦手だ。
「……エラ様は、もう少しご自身の欲を尊重してください」
髪を結う手を再開して、言われる。
「存外、欲動しい性質だと最近は実感している」
ベンジャミンと自分には主従関係が大前提にある。それを踏まえて付け込んでいる自覚もあった。
「多分ですけど、それはみんな持っている程度か少ないくらいですよ。はい、御着替えは完了です。行きましょうか、ご案内します」
鏡がないのでどんな姿になっているのかさっぱりだが、まあ髪は後ろで結ばれた程度か。コユキ姫も髪は珍しく結っているし、それも決まりなのかもしれない。
ここから出るドアはジェゼロの寝室へのドアと同じような鍵がなされていた。手を置くと認識し開くものだ。
後に続き、やっと神殿の中へ入る。乳白色の大理石で作られた廊下に出ると、ベンジャミンが別の巫女だろう人物と共に待っていた。
上の服の部分は同じような長い袖だが、下はプリーツの入ったロングスカートのように見えた。あちらの方がまだ動きやすそうだ。同じように白い装束だ。
「待たせたな」
「それほどではありません」
酷くマジマジと見てベンジャミンは言う。さしてない胸は隠れているが強調されたような不思議な服に今更恥ずかしくなる。目の前の男は裸にされようとしれっとしていた事だろうと考えると少し腹立たしくもなっていた。
「迷われると最悪餓死して見つけられるまでそのままと言うこともありますので、着いてきていただくようお願いします」
ベンジャミンの横にいた者は頭も白いベールに覆われていて、はっきりと顔は見えなかったが声は女性だった。
いつもの半分ほどの歩幅でしか歩けずどうにもストレスが溜まる服だ。後ろをついてそれこそ迷路のような分かれ道を何度となく曲がり、半時は歩かされてやっとのことで目的の場へ着いた。仰々しい門の前に白い装束を着た帝王が待っていた。
こちらを見ると嬉しそうに笑みを向けられる。あの後も何度か呼び出され、ベンジャミン同席でならばと会ってはいた。向こうは至極機嫌がいいのだがこちらとしてはどう顔を合わせればいいのかが未だに分からない。
自暴自棄に帝王の子を産めばジェゼロは安泰などと考えたが、現実として付きつけられるとその意味の重さがよくわかる。それに、自分が産むのと、自分が実はそうであったと言うことは意味が大きく違うのだ。あのサウラ・ジェゼロが墓まで持って行った事案だ。自分では上手く消化できなくても当たり前だ。
「とても似合っているよ」
「この度は名誉ある場を頂き感謝します」
褒め言葉を流して言う。いつものように気を害した様子もない。
「大きな決断をしてくれたね。後は私が案内するよ。二人は下がって構わない」
無駄口を叩きもせずにすっと背筋を伸ばして一礼するとコユキ姫達が去っていく。あの姿だけ見たらコユキ姫はポンコツには見えない。尊い巫女様だ。
「本来は、ここから先はエラ・ジェゼロにのみ許可が与えられているが、私の一存でベンジャミン・ハウスにも許可を与えようと思う。ただ、それには相応の代償があると考えて欲しい」
人払いが済んでからの唐突の申し出に驚いて二人に視線を巡らせる。
「ちょっと待ってくれ。ベンジャミンはここまでのはずだ」
どんな人物かもわからない。それこそ、帝王を変える事すら意のままの相手だ。自分を喜ばすためだけの勝手な申し出だと割って入る。
「これは、君の為だけではないよ?」
変わらない温和な笑みで返される。
「さて、ベンジャミン。その名に対する責任を認めるならば、君は中に入るに値するものと認めよう。意味は分かるね。それに、君が口外した場合は相応の代償が付きまとう。それこそ、酒すら気軽に飲めなくなる。大衆として生きる君には荷が重い話かな?」
帝王を真っすぐに見返して、こちらを見ないベンジャミンの答えなど聞くまでもない。
「ベンジャミン・ハウスの命でよろしければ」
神殿の中、それも謁見の間の前まで許可した時点で帝王の考えを察するべきだった。
「エラ様……酒は控えるべきだと先日身を持って学習していますので未練はありませんよ」
冗談めかして言われる。ここで待てと命じて聞いてくれるだろうか。
「そんな顔をなさらないでください。私は国を背負うほどの重荷を持っている訳ではないのですから」
「……勝手にしろ」
余程酷い顔をしていたのだろう。諦めと覚悟を決めて前を見た。
結婚式をこのままあげたくなるようなお姿のエラ様は、着替えまでの過程を考えると少なからず胸が熱くなってしまう。それをかき消す申し出に迷いがなかったとは言えない。
ベンジャミン・ハウスとしてではなく、ナサナのベンジャミナとして帝王は提案していたと思ったからだ。それを受け入れれば、自分がエラ様の付き人を降ろされるだけの重大事項だと自覚している。それでも、行くことを決めたのは、エラ様に何があったかを聞くことができずに過ごす事を恐れたからだ。
神殿内の事は口外を禁じられる。それを受け入れた者だけが入れるのだ。ならば、共に入らなければ、また一つエラ様だけが背負うものが増えてしまう。
飾りの美しい大門に手をかざすと予想外に人ひとりが入れる程度の小さなドアが開いた。
エラ様の後に続き中に入る。広々とした空間は予想に反して倉庫の様になっていた。箱には数字と記号が書かれている。
完全にドアが閉まると帝王が小さく息を付いた。
「ようこそ、旧人類の世界へ」
何のことだとあたりを見るが、オブジェのような物がいくつかあるが、用途はわからない。
「……オーパーツが使えた時代の代物か」
エラ様が目を輝かせているのがわかる。サウラ様が毒草に惹かれたように、エラ様はオーパーツと呼ばれる物に興味を持っていた。ジェゼロの歴代の王は何かしらに没頭する気質はあったらしい。エラ様はまだましな方だ。
「エラ殿が思うほど楽しい物ではないと思うけれど……いこうか」
倉庫の間を進み更に奥の部屋へ向かう。興味津々にあたりを見渡すエラ様がぶつかったり扱けたりしないように注意を払い付いて行く。こんな重大な場でありながら、好奇心を抑えきれないお姿もまた可愛らしい。
「儀式は、まだできていないんだったね」
「……儀式は行ったが、成功はしなかった」
一度だけベンジャミンからも王を追われた経緯は話していた。その再確認にエラ様は現実に戻ったように慎重に返す。
「私がするように、ここに手を、少しぴりっとするけど離さないで」
倉庫の奥にあったドアの横に、穴が開いていた。先に長方形の黒い穴に手を置いて言う。青白い光が止んでから、手を引いた。
「……っ」
エラ様が同じようにする。一瞬肩を震わせたが無事に終わったのか手を引いた。後に続くと、ほんのりと温かい。一瞬だが手の平を吸い付くよう感覚と肘の神経を打った時と同じような刺激が手に広がった。
もう一度帝王が同じ事を繰り返すとドアの施錠が外れる音がした。中は小さな個室で先ほどあった無数の穴の開いた部屋だ。同じく突風が四方から吹き荒れる。エラ様がぎゅっと目を瞑り、口を噤んで手をピッと伸ばして立っているのが可愛らしかった。しばらくして風が止むと前の扉が開く。
「本当に、神官様は繊細だから、色々と規定があってね」
困り気味に帝王が言う。ドアの向こうには明らかにそれまでとは違う整った部屋が見えた。一度エラ様が不安そうに見上げるのでできるだけ優しく笑い返すが果たしてそうなったかは疑問だ。
「妙な事に巻き込みっぱなしだな……」
「そこにエラ様がいるのならば喜んで」
いつもの様に後に続く。普通の男女ならば男が先に行くものだろう。だが、自分たちの関係はそうではない。
やっとたどり着いた最後の部屋は、艶やかな飾り布で区切られ、その奥はわからない。椅子は何脚かあるが、クッションの類はなく木がむき出しの質素なものだった。
【よく来られたジェゼロの王よ】
部屋に声が響く。それは確かに人の言葉だったが、人の声ではない。ひびが入ったような、不思議な声だった。老人を予想していたが、若い男とも言えなくはない。
ここから結構話がSF? 未来系? になっていく…
初期の世界設定がそうだったから……わかってる。現存しているオーパーツをうまく話しに盛り込めてないってことは…ぅう