帝王の寵愛
今回の端々に自分が発端だろうところが見受けられた。帝王からは外政の手腕は頼もしいが内政特に兄弟の事に関してはなにも関わらないで欲しいと言われていた。理由はわかっている。無慈悲であるべき外政は心が荒む。血を分けた兄弟に愛玩動物に対するような癒しを求めていては判断も甘くなる。
「帝王陛下、これは外政を含めお聞きします。エラ・ジェゼロはあなたにとって何なのですか?」
セイワを部屋に返してから改めて問う。高が強姦未遂。いや、強姦と言うほどではなく戯れと言った程度だ。それに相手がセイワならば今までは相手が求める事はあっても嫌がることなどなかった。無理強いをする必要すらない。ただの一度の勘違いで極刑は少々乱暴すぎる。もしエラ・ジェゼロが止めなければ、本当に首を落とすつもりだったろう。
「……私の子が………」
見たことのない落ち込みようで、兄が呟く。それに対してリンドウは瞬きをして眉をしかめ頭を抱えた後、顔を上げた。
「それは、とてもめでたい事ではありませんか」
あれだけ寵愛を示していれば、一度や二度の関係と違い、可能性は十分にあったろう。歳の差はあるにしろ、母体は若い方がいい事はわかっている。確証にはすこし早いが、そうであるならば祝うべきことだ。それならば、セイワへの怒りも、嫉妬として理解できる。
「ジェゼロ国との交渉、並びにシィヴィラ様の対処は私がしましょう。取り込みではなく、協定を結び、女児ならば惜しいですがあちらの正式な国王とすればよろしいでしょう」
そうと決まれば軍の編成を考え、頼みという名の強行手段を取ればいい。あの程度の小国、隣国のナサナ共々手中に収め、議会院とやらにジェームの者を入れれば独立国のままジェーム帝国の支配下にできる。
「ジェゼロに関しては全て私が対応する。リンドウは係わらなくていい」
本来ならば帝王に対して暴言を吐くなどあってはならないことだが、それを許される関係ならば口を出す事ではない。だが、政治に係われば話は別だ。
「ジェゼロを欲しているのは神官様だと伺っております、帝王が今行っている引き留める事だけを考慮した采配で納得がいただけているとはとても思えません。兄様は、目が暗んでおられる。ジェゼロ国の事は私に任せ、エラ・ジェゼロとの関係修復に専念された方がよろしいのでは?」
鋭い眼光にまっすぐ対峙する。本来のジェーム帝国の現帝王は、人を愛しい家畜程度にしか思わぬ方だ。何事にも大した執着など見せず、淡々と仕事をこなし、必要ならば兵の命を駒として使い業績を上げる人のはずだった。柔和な物腰の半面、人を人とすら見ていないと思う時があるほどに彼は慈悲深く無慈悲だ。産みの親ですら粛清する時も、事務的だった。
「ジェームとジェゼロには古くからの盟約がある。互いの不可侵を破れば我々は存続すらできなくなる。これは言い伝えではなく神の意志なんだ。だから、私を信じて任せて欲しい」
すっと息をついて、ただの兄様としての顔を見せる。強固な命令をする事はまずない彼が信じろと言い出した場合、もう何を言っても仕方がないと承知していた。
「エラ・ジェゼロを大事にするならば少しは我慢も必要ですよ」
美女ならばいくらでも選べる。博学や芯の強い女性だってその中にはいるだろう。何も異国のややこしい女に手を出さずともいいだろうに。
「わかってはいるのだけれど。あの子は愛らしく育ち過ぎた」
あの帝王に、もう父親にでもなったような顔で笑われてしまっては、何も言えない。妹として、彼が普通の人のように人を愛するなら、それは嬉しい事だ。帝王も自分にとっては愛すべき兄弟の一人なのだ。
外はもう完全なる冬だった。
ジェーム帝国に来て、幾日が経ったか。そろそろ、諦めるべきだと悟っていた。
雪の積もる馬場で白い息を吐き出すキングの顔を撫でる。春まで待つべきなのかも知れない。だがその間にまた襲われるなど御免だ。
「エラ様、冷えますよ」
ベンジャミンにぐるりとマフラーをかけられる。
「………」
「どうされました?」
「なんでもない」
ベンジャミンから視線を逸らしてキングのごわごわとしたたてがみに顔を埋める。干し草とちょっとばかりの馬糞と獣の匂い。
「雪の中を一緒に駆け回れないなんてなぁ……」
馬場への付き添いは厳重な警備と『絶対に馬には乗せない隊』で編成されている。そう思うのは被害妄想ではないだろう。それに、洗濯と称して持ってきた服は下着ごと全て持っていかれてしまった。それまでに用意されていた可愛らしい服と違いシンプルな物とズボン類であったため渋々着ている。服の類はあの時にいたリンドウ姫が用意しているとコユキ姫に聞いたのも着ている理由の一つだ。彼女の着ていた服は質素でありながらいい趣味をしていた。
帝王が以前と同じように呼びつけてくるが、全て用事があると断っている。やんわりと言うならば、あのような下衆の顔は見たくない。
キングにぴったりとくっつきながら、どうやってこの者たちを振り切り、ジェゼロへ戻る道を取るかを考えていた。まだフィカス王の方が実力行使で手伝ってくれただろう。
遥々ジェーム帝国へ来たのは思い付きではない。首謀である可能性すらあったと言うのにわざわざ選いんだのはいくつか理由がある。
ジェゼロとジェームはルーツを同じとし、神として崇める対象もまた同じ起源を持っている。起源と言うよりは兄弟として記されていた。生き続けるジェームの神と新しい世になるまで眠ると言われるジェゼロの神。自分達ジェゼロの王は、眠る神の守り人であり鍵だと言われていた。
神に選ばれた血族が地を支配すると言う証明を儀式で行うと聞かされている。やり方は行けば全てわかると前王は教えてくれない。そして、どの王の書にもあの窟での事は記されていなかった。日々の愚痴帳の様に王の誌を書き綴っていた者も儀式に関しては儀式を執り行った程度しか触れていなかった。者によっては酷く陰鬱になってしまった者もいた。
ジェームの神が求めればジェゼロの神はそれに応じる。今がその時ならば、ジェーム帝国にとって本物の鍵である自分がいなければジェームの神託は届かない。そんな安い宗教を信じてここまで来た。
女の血であることが重要であれば、エラ・ジェゼロでなくとも、自分の子でもジェームにとっては目的を果たせると今更寒気がしていた。早ければ一年で新しい鍵を手にできるのだから。
シィヴィラがジェゼロの古い書に興味を示していたことと、孤島へ行きたがっていたのも気にはなっていた。ジェーム帝国の謀りならばシィヴィラはあまりにも軽率だった。
「あまり、体を冷やされては我々がお叱りを受けます。温かいお茶を用意しますので」
付いてきているメイドがおずおずと言う。あれ以来、自分には警備と言う名の監視とメイドと言う名の内通者が多数付けられていた。とても鬱陶しい。
「……まだ着いて間もないだろう。キングのブラッシングもできていないと言うのに帰れる訳がない」
美しい動物と触れ合う時間まで奪うのかと呆れてしまう。まあ従う気はないのでブラシを手にする。
空がある事と嗅ぎ慣れた匂いで安堵するのだろう。空気が濃いのかも知れない。頭の回転が少しはまともになる気がした。
神官に会う必要はある。だが、それは帝王との謁見とは質の違う、ジェゼロの儀式に近い物だ。それを帝王自ら申し出たのは意外ではあった。だからこそ、あの時に躊躇した。自分が一度でもジェゼロでの儀式を全うできていれば違ったのかもしれない。歴代の王が揃って口を閉ざす何かを自国ではない場で見る事への恐怖があった。
それに、帝王殿に会うことにもなるだろう。それはそれで気が重い。自分が思っていたよりも彼の事を好意的に見ていたのだと自覚する。色恋ではなく信頼と言うか安心感を覚えていた。そう言った相手に裏切られることは、堪える。
「エラ様っ……」
コユキ姫が声をかけて走ってくる。到達前に雪に足を取られて盛大にこけたのを眺めながら、悪い人ではないが、もう少し深慮が必要ではあるだろうとも思う。巫女としては敬われているのは身をもって知っていたが、やはり、ポンコツな所が目に付く。
「大丈夫で?」
ベンジャミンはコユキ姫から一定の距離を取っているのがわかる。コユキ姫も会釈をする程度で留め、今では自分の事を気にかけてくれている。彼の兄の一件もあるだろう。二人は正しく兄弟だと思う。悪人ではないのはわかるが、少しばかり苦手だ。
「エラ様、このような寒い場所ではお体に障りますっ。ああ、でも健康には日光浴も大事とは聞いていますが、それに……いくら……その」
言いかけた言葉が大声ではいけないと口に出す前に分かったらしく言い淀み、口に手を当て耳元で囁かれる。
「叶わぬ恋の辛さはわかりますが……いえ、いいんです。でも、諦めて帝王様の子を身籠られたのならば、お体を大事にしてください」
「……どこの情報で?」
「噂になっております。はっ……ま、まさかベンジャミン様の!?」
「何が、はっ……だ。くそぅ……それでこの厳戒態勢かっ」
身重で寒空に出ているとわざわざ駆け付けたコユキ姫には悪いが無性に殴りたい。もちろん姫をじゃない。
「私は妊娠などしていない。馬鹿々々しい」
抱えていた苛立ちが限界点を超える。キングに鞍も付けずによじ登る。止める間もなく駆け出した。キングはよく理解していて首を上げて早々に走り始めた。悲鳴に近い声は直ぐに遠のく。