三つ目の誓い
あの不埒な男の悲鳴がして、ドアを開ける。そこには後ろから右腕を相手の右脇に巻き込み、左腕でセイワの首を固めたエラ様が、無心の顔でいた。
「せっ、セイワ様!?」
声を聞き慌てて入って来た女中も、状況が分からないながらに襲われていると思える状況に悲鳴を上げた。
「エラ様、落ち着いて、何をされたのですか?」
目が合って無だったその顔がさっと赤くなる。腕を解くと立ち上がり寝室のある部屋へ駆け込んだ。その一瞬の間に、エラ様の肌蹴た胸元が視界に入る。
「……セイワ殿、エラ様に一体、何を?」
盛大に咽ている男の肩を乱雑に踏みつけ、問う。
「ぶっ、無礼だぞ、きさっ……ひっ」
肩を折ってもいいと思いながら体重を乗せるが、後ろがソファの背で達成できなかった。
「何をしているっ! セイワ様。ご無事ですか!?」
帯刀した近衛が入ってきたため足をどけ後ろに引いた。
頭に血が上るを超えて、冷え切ったようだった。
「何をなされた? 我が君に」
低い声で静かに問う。冷静な自分は、二人きりにしてしまった時間は至極短かったから落ち着けと言う。
「たっ、ただ、親睦を深めていただけだ。そっ、その無礼な男を捕らえろ」
命令に従うのはお互いに悲しい性分だと理解しながら、素直に捕まる気にはならなかった。
ジェゼロともナサナとも違う細い剣の一太刀を避け、その持ち手を掴み捻りあげて剣を奪う。小さなコツで容易に行えることだ。もう一人の剣も、先ほど奪った剣を使って絡めて巻き上げ、天井に突き刺す。兵の武装を解除してから、改めて、ソファの下にへたり込んだままの下賤の眉間に、よく手入れされた光る剣を突きつける。
「エラ様に無礼を働くとは、命がいらないらしい」
「ひっ……無礼など、していない」
今その顔を一突きできればどれほどいいか。
「剣を降ろしなさい、ジェゼロの騎士よ。ジェームの者を裁くのは我が帝王の仕事」
入ってきたのは四十前後の女だった。何度かすれ違った事を記憶している。眼鏡に質素な恰好で静かな学者か何かだろうと推察していたが、その物言いから違ったらしい。確かに彼女には常に警護が付いていた。
「り、リンドウ姉様」
セイワが救世主でも現れたように言うが、王族で帝王の妹だろうその女はどこか呆れた顔をしていた。帝王が若く見え過ぎるのだろうが、帝王の妹と言うよりは姉と言った方がしっくりくる風貌だ。
「セイワ、付いてきなさい。エラ・ジェゼロとあなたはここで待機しているように。そう待つことなく、迎えをよこすことになるでしょう」
腰の抜けたらしいセイワを近衛が手を貸して出て行く。それを止めてまで構う暇はない。
「……」
ぴったりと閉じたままのドアに近づきノックをする。
「エラ様、ご無事ですか?」
「なんでもないっ」
直ぐに帰った言葉は、何かされたか言われたのだけは確かだとわかる。
だから、あんな男と二人きりになどしたくなかった。帝王とすら二人にしたくなどないというのに。
「………」
私は、あの男よりも信用に足らないのですか? そう言いかけた言葉を飲み込んだ。実際、自分以上に信用に値しない男はいない。
子どもの頃に叱られて拗ねていたエラ様が、部屋に籠城したことがある。何時間にも及んだためにサウラ様の命で窓から入って部屋から出すよう言われたが、結局日が変わるまで慰めてしまった事が懐かしい。お互いに、子供のままだったなら、どれだけ幸せだったか。
「帝王陛下が、お二人をお呼びするようにと……」
宣言の通り時間を待たずして迎えが来た。どう罪を問うにしろ同族に甘い物になるだろう。
「……私だけで構わんだろう」
「帝王様よりお二人をと」
王族に対して大層な無礼を働いた。自分にも何らかの処罰が出るのだろう。
部屋から出てきたエラ様は泣いてはいなかったが、泣いていた方がいくらか気は晴れていただろう。
黙ったまま表情を隠したエラ様が、帝王の私室ではなく執務室へ通される。自分も中に入ると、膝を付き後ろ手で拘束され真っ青な顔をしたセイワと、先ほどのリンドウ姫、それにいつもの微笑みではない帝王がいる。
「エラ殿、今回の件、私がどう謝ろうとも済まぬ事。セイワは正しく極刑としましょう」
セイワがガタガタと震えているのに気づく。リンドウ姫も硬い表情で腕を組んでいた。エラ様もその言葉には無表情を崩して驚いている。
「いくらなんでも重罰が過ぎる」
「いや……我が賓客に無礼を働いた。唯でさえ先日は危険な目に合わせてしまったと言うのに……これはもう駄目だ」
首を横に振り、初めて否定的な言葉をエラ様に向けた。
「だが……」
「エラ殿は、とても優しい。街の者も教会の者も、死罪にしても可笑しくないというのに。そうやって、ミサ・ハウスも許すつもりかい?」
「……」
生易しく、エラ様に対してただただ無償で協力し、寝床と食事を与えていた男は静かに続ける。
「王を傷付けたものを、許してしまっては、国民同士で同じことが起きた時にどう裁く? 王への罪よりも重くできると? 国の上に立つと言うことは、国益のために誰を生かし、誰を殺すかを決める事だ。王であっても全てを救うことなど、できはしない」
「……今、この事とは、別の話だ」
「王としてジェゼロに戻れたとして、エラ殿は誰を許し誰を罰し、自分自身の失態をどう国民に詫びるのだい? ただ国に戻り、正式な王だと証明しただけでは意味がない。君は、見せしめとして、友だった人を殺さなくてはならないだろう」
エラ様が、ぐっと奥歯を噛む。
「私は、あなたが王に戻る事へ支援を惜しまない。それは何があろうと変わらない。その大事な相手に対して、この私の城の中で不敬を行うものがいれば、死罪以外には有り得ない。例え、弟でもそれは変わらない。これは、帝王としての決定だ」
とても静かな声で告げる。リンドウ姫は何か異論を言うかと思ったが、視線を逸らし、その決断に苦渋と諦めを抱いていた。
「セイワと君が恋中でもない限り、許されたことじゃない。君が気に病むことではないよ」
最後に優しく言ったその言葉で、呆然としていたエラ様の目の色が変わる。ぐっと拳を握り、震える唇で言葉を捻り出していた。
「か……それが目的か。ああ……ああいいだろう。私がセイワ殿と結婚すると、そう言えば命を救うと! 初めから、それが目的ならば、手を貸す代償がそれならば、はっきりとそう言えばいい! 私は……あなたと言う人を買い被っていた。この程度で死罪などと馬鹿げたことを言うのは、私ならば見捨てないとわかっているからだろう!? 最低だ……私はセイワ殿と結婚しよう。それで満足だろう!」
最後には怒鳴るような声量で言い切ると。涙を堪えて背を向け、帝王が何か言い止めるのを無視して出て行かれた。
「……」
その言葉に絶望しているのは帝王自身で、止めようと伸ばした手がぶらりと落ちた。
「……エラ・ジェゼロ様の付き人として、帝王陛下に恐れながら進言を。セイワ様を重い罪に問えば、どのように言い訳しようとも、我が君の信頼は二度と得られなくなるでしょう。ご理解されている通りに、我が王は慈愛を知っております」
助ける筋はないが、エラ様の前で人殺しは極力避けている。エラ様は、お優しい方だ。
「それと、事実を言われた方がいい」
言うと、部屋を出てエラ様の後を追う。
先に走り去ったエラ様が与えられた自室に入る姿は見えた。後を追い、室内に入るが寝室へ既に閉じ籠もってしまわれている。ノックするが返事はない。鍵はかけられていなかった。失礼を承知でそっと開ける。
天蓋のある美しい部屋だ。賓客の為の特別な部屋だろう。その鳥かごですら見劣りする美しい生き物が傷つき泣いておられて。
「……エラ様」
呼びかけると、ベッドに突っ伏していた背中がびくりと動く。鼻を啜ると立ち上がり、カーテンを閉めこちらに来たかと思うと、ドアを閉められた。ドアに凭れ、見上げるエラ様はやはり泣いておられたようだ。そしてとても怒っている。
「ベンジャミン・ハウス。命令だ、今ここで、私を孕ませろ」
泣きつくのではなく、はっきりとした口調で、予想外のセリフをその愛くるしい唇から漏らす。それは、自分の幻聴だろうか。
「自棄になるのは、まだ少し早いかと」
「言い方を変えよう。ずっと、好きだった。慕っていた。お前が……私を好きなどと言わなければ、私は、幸せな片思いで生きられた。なのに……もう、全部ぐちゃぐちゃだ。好きでもない者の妻になる前に……私にだって、思いを遂げる権利くらいっ、あったっていいではないかっ」
最後は泣き声になっていた。
可哀想なエラ様。きっと、あの男の方が自分よりいくらかマシだったろう。その泣いている姿を見て、心臓が頭が痺れるようだった。
「……」
両の頬に手を当てて、親指で涙を拭っても直ぐに溢れてしまう。微かに震える唇を貪る。拒否されるかと思ったが、一瞬体を強張らせたが、あの美しい両手が背に回る。
「……私は、酷いな」
謝罪の様に述べるエラ様の言葉はむしろ、自分が言うべきだ。
抱え上げ、ベッドへ連れて行き、押し倒してもう一度長くキスを交わす。もっと感じる物があるかと思ったが、ただ必死だった。
ナサナでの口づけは、事故のようなものばかりだ。互いの意志があっては初めてと言っていい。これが夢であればと思う。現実にあってはならない事だ。だが、自分はもう、腹を決めていた。妄想でも夢でもなく、自分はどうしても、この方が欲しい。そのためならば自分は何を犠牲にしてもよいのだと自覚した。
「エラ様……私は、あなたを追って城を出た時に、誓いを二つ立てました」
薄明かりがカーテンから流れ込む。涙の溜まる瞳を他の暗がりとは対照的に輝かせる。それが、すぐそばにある。
「エラ様が、ただのエラとなり、王位を捨て、ただ一人の人として生きるならば、あなたを妻として、どこか追手の来ない場所で平穏に暮らせるように尽力し、子供をもうけて家族になると」
瞬きでエラ様の目じりから涙が溢れる。
「エラ様が、王位を取り戻すと仰るならば、その大義が果たされるまで何に替えてもお守りすると」
あの日、狼の森の中でエラ様を見つけた時に、後を追った時に、そんな願望を誓いを持っていた。この言葉でエラ様の瞳が溜まった涙で一層揺れる。だがそれは、エラ様から先の言葉を頂くまでの自分の心でしかない。
「ですが今は……あなたがエラ・ジェゼロとして王の座に戻った暁には、議会院に私を闇閨とするよう押し切り、国王付きも続け、あなたの御側にいると、そう決めています」
もう一度、長い瞬きをしてからエラ様がふっと笑みを漏らす。涙もまた溢れる。
「お前は、相変わらずの自信家だな」
「エラ様に片思いなどさせられません」
深くキスをする。できるだけ優しく、自分の下卑た想いではなく、ただ慰めるように努める。身を委ねるエラ様の表情仕草感触すべてを記憶に留めておきたかった。
このまま、自暴自棄なエラ様に付け込んで、既成事実を作ればどれだけ楽だろう。だが傷ついたエラ様を更にいたぶる真似などできない。自分は守る立場を選んだ。命に代えてもこの方の身も心も守りたい。今、自分の欲の為に動けば、一生、後悔するとわかっている。そんな事を、できるはずがない。
「今はまだ、エラ様の全てを暴く時にはございません。心配せずとも、結婚は帝王の目的ではないでしょう」
「……なぜ言い切れる。もし、私の処女がお前以外に渡ったら、どう責任を取るつもりだ」
大粒の涙を溢れさせエラ様が言う。
「自分の身一つでは何の力もないことなど知っている。ここまでよくこられたものだとも。だが、私の些細な希望など、帝国にとっては利用価値があるだけの事だ」
彼女のその小さな身一つで、どれだけ価値があり、誰よりも強く、そして弱いかは重々承知している。本当は、このまますべてを暴いて、いっそう泣かせたい。
ベッドに横になり、強く抱き寄せる。これだけ近くに寄れたのは57日ぶりだ。エラ様に対して飢餓状態だった自分には刺激が強すぎて、最早感覚は麻痺している。
「あなたの信頼を得るためにあれだけの時間をかけながら、こんな形ですべてを壊すようなことを、帝王はしないでしょう。大丈夫です。目を閉じて、ゆっくりと息をして」
「嫌だ。……お前が望むなら、もう……王位奪還など、もういい……。普通の、ただの女でいたい。もう、ベンジャミンだけでいいからっ」
ぎゅっとしがみつく手が愛おしい。本当に、自分以外の全てを奪えたらどれだけいいか。実際には、できる訳もないと言うのに。
余程、帝王に対して信頼を抱いていたのだろう。ミサを思い出すのか、裏切りに対して、エラ様は酷く過敏になってしまった。仕方ない事か。友人と呼び誰よりも信頼をしていた相手に裏切られ、ここまできたのだ。
「私は常にあなたの物だ。それだけは変わりません」
胸に顔を埋めるエラ様を、潰さない様に自重しながら抱き寄せる。
いっそあの男には感謝したい気分だ。ただ、強く自制してキスだけで終わりたくない自分を止めるのは中々に辛い。その甘い匂いを近くに感じながら、行為に同意するエラ様を腕の中にしながら、手を出さないよう自分を鼓舞している。自分が欲しいのは一度の関係などではない。
今、腕の中にあるこの人の全てを、自分のモノにしたい。口にすらしてはならない劣情を、もう隠すことができなくなった。いや、隠さず、すべてを使って示していきたい。
タイトル、ほんとは別なんですけど、流行りは長いタイトルだしなーと言うことで、こんな題名になってます。三つの誓いと言うよりは弱り目の相手に付け込んだ感じです。