王子の中での進展とその対応法について
帝王の私室は絢爛豪華でありながら質素と言う奇妙な部屋だった。そこに入るのはもう何度目か。大抵は彼の手が空いた時間に声をかけられる。こちらは大した用もないので、それに応じて部屋に招かれるのが常だった。
「これは、おいしい……」
「それはよかった」
出されたクリームの乗ったケーキは甘酸っぱくも甘美な味だった。それに出される茶もあいとても美味しい。
部屋の奥には寝室もあるだろう。最初のあのおぞましいジョークを思い出し、ここへ足を運んだ当初はいざとなった時の逃走経路を確認したほどだ。だが、食事時には旨いご飯を、それ以外はお茶やジュース、それに色々な菓子が用意されていた。繊細で美味な物の間に素朴な物も用意してほっとさせる。部屋には基本的に二人きりで近づきすぎず遠すぎない。パーソナルスペースを犯さないが、他人行儀ではない距離を保つ。そして何より聞き上手だった。
「この前はどこまで聞いたかな……ああ、地下牢に入れられた話だ」
「地下牢ではなく反省部屋だ。その後、友人の手引きで逃げだしたのを付き人に見つけられてから、地下牢には入れられたが……」
ベンジャミンの事を話す時、名前を出さずに話してしまう。ドアの外で今もベンジャミンは待機しているだろう。昔を思い出すとベンジャミンもそれにミサも出てきてしまう。次の王と決まっていた自分に対して、ベンジャミンははじめ興味も示さず、付き人に指名されてからは王への密通者だったし、やはり嫌われていたと今思い返すとよくわかる。あれがいつの間にか今のベンジャミンになって、ミサも、自分にとっては唯一無二の友人であり姉であった。他の誰でもなく、ミサが自分をあんな形で裏切ったのが、未だに飲み込めていなかったと、帝王殿と話すと浮き彫りになる。シィヴィラが画策したと思う反面、ミサは騙されたのだと擁護している自分がいるのだ。
「やんちゃだったのは、ご両親に振り向いてほしかったからかな」
「私のあれはやんちゃと言うには可愛い部類だと言われていた。それに……私に居たのは国王と言う人で、母も父も初めからいなかった。期待に応えるのは他の子が家の仕事を手伝うのと同じで保護されるのに当たり前だと思っていたし、かといって、まだ子供だったから興味や誘惑に負ける事も少なからずある。比較的早い内に、私は私を産んだ王に母親を求めなくなったようだ。記憶の中で、母と呼んだのはほんの数度だ」
長々と言い訳を並べる。次の王としては見られていても、あの人は自分を娘だと見ていなかったと思う。そもそも関わりを持とうとしなかった。閨が余程気に入らなかったのか。母親似と言われていても、生き写しではなかったから父親の面影が見えたのだろう。
「……父親は、本当に知らないまま? こっそり会ったりもさせてもらえなかったのかい」
オオガミがそうかと思った時期もあったが、あれが母の兄だと知った。
「本当に小さいころに誰が父か問うのが子供ながらのブームになっていたことがあって、皆が困った顔をするのが楽しかったんだろう。宴会の席で一人の議会員が酔って自分だと言った事があったが、翌朝には議会員を免責されていた。嘘ですら、そこまで厳しい処罰を受けると知って、聞くのを止めてしまったよ。だから、私には父がいない。父のような人はいたが、やはり父ではなかった。きっとサウラ国王しか親を知らないか、本人も誰か知らないまま産んだのやもしれぬ」
ハザキに対して、誰もいない森での稽古の時にこっそり聞いた事があった。それが質問をした本当の最期だった。彼は、自分には妻子がいるし、独身だったとして、サウラ様の相手は自分には荷が重すぎると、とてもまじめに返された。ハザキが父である可能性は彼が議会員をしていたことから低かったが、それを続けさせるために黙っていたのではと子供心に考えていた。それ以来、もう誰が父親かは探さないことにした。近親交配を避けるため、もし街にいたら知らせていただろう。死ぬ間際ですら言わなかったのは、父はもう死んだか異国に追いやったのだと思うことにした。
「君の国の伝統は、やはり複雑だし、よくこれほど長い時代守れたと思うよ」
「歴史の中には色々あった。王を降ろし、民衆が全権を掌握した時期もあるが、天災が起きジェゼロで唯一飢饉が起きるほどだった。王を牢から出して、再び冠を与えると、天の神が鎮まったと言うこともある。だから、魔除けとして我々は王を置いている。ジェーム帝国の巫女の様なものだ。ジェームは神官が帝王を選出するのだろう? うちとは違って、王候補が多くては色々と内政に問題が出るのでは?」
水位が下がっていると、先日聞かされた。それは枯れる事なく溢れる事もないジェゼロの湖の話だ。自分が国を出てから、顕著に水量が減っていると。それだけで、ミサが王だと言うことが間違いだと証明している。
「昔には、ジェーム帝国も色々とあったからね」
誤魔化す様に言った後、姿勢を正して真っすぐにこちらを見た。
「その、神官様が君に会ってもいいと仰ってくださっている。私としても、ジェーム帝王としてそれを許そうと思う。もちろな、君が同意してくれるならばだ。あの方から直接お言葉を頂くのは……帝王や上位巫女と同じ規約がかかることになってしまう。それでも、ジェゼロ王を名乗るならば、会って置くべきだと……思っているのだけど」
珍しく歯切れ悪くいう。神官はジェーム帝国建国後、ずっと同じだと記されていた。人が死なずに三百年以上生きる事は有り得ない。秘密裏に別の者に代わっているのだろう。そもそもいないのかもしれない。だから、それだけの秘密を知ると言うことは、もし、うっかり口に出せば戦争をしてでも口を封じに来るだろう。
「帝王だけでは私への支援を決めるには足りないと?」
「いや、君が王に戻るためならば軍を全て使ったっていい。もちろん……そんな事をしては君の愛した美しいジェゼロを踏み荒らしてしまうから、できるだけ穏便に事を勧めるよ。だからそんな怖い顔をしないで欲しい。それくらい、私の権限だけでも行えるが、そもそも婚姻の話を始めたのは神官様だ。その意を君も知りたいだろう?」
「それは、そうだが……」
水位は下がっていても、今はまだ大きな災害は起きていない。王と新しい議会員が処刑を執行したのは2人。共に公開処刑を行われていたと聞く。税は上げられ、子供は強制的に学校と教会に行かねばならぬようになった。
ミサは、もっと好き勝手もできただろう。この程度で抑えているとも言えた。本来ならば良策や民意を得る策に出るべきだろう。税を下げることだって可能だ。だが、暴動が起きない程度のいやらしい政治を行っている。
一刻も早く国を取り戻さなければ国民が苦しむほどの危機感は与えず、もう自分が王に戻る必要はないと、いっそ国をミサに預けてしまえばいいと思うほどの政治も行っていない。まさに、自分の知るミサ・ハウスらしい行動だった。自分が逃げられたのも、まだ国民が戸惑っているからだと思った。だが、ミサならば、誰が危険を冒してでも私に味方するかわかる話だ。その者を捕らえるか、牽制すれば、自分は未だに地下牢で膝を抱え無力感に捕らわれたままだったろう。まるで、初めから国外に逃亡させるのが目的だったみたいに手を抜かれていた。
帝王からの手厚さは真意が読めないだけに、信頼を抱くのと同時に、ジェーム帝国へ入れるまでが帝王の計画だったのではないかと思ってしまう。その為にシィヴィラやコユキ姫をジェゼロに送ったのではないかと。疑心暗鬼と期待が自分の中で渦を巻く。
「少し考えてからで構わないよ。君が思う以上に大きな決断だ」
単なる好意的な相手に見えてしまうのは、帝王としての手腕の一つなのか。答えに揺らぎがあるとみると、もうひと押しをせずに一歩引いて余裕を見せる。
「我々は君がジェゼロの選ばれた王だとよく理解している。例え一時的に国を追われたとしても、正義はなされるだろう。だから、今は安心して過ごして欲しい。足りぬものはいつでも言ってくれて構わないよ」
「ええ……ジェームの協力に感謝を」
素直な感謝を述べると、一言で全てを手に入れられる男は少年のようにはにかんで笑う。それが余計に判断を惑わせる。
部屋を出ると帝王の私室の前、警備の横にベンジャミンが立っている。
「……」
黙って部屋への廊下を進む。特に何か言うわけでもなく、ベンジャミンは一定の距離を保ちついてくる。今ではキングに会いに行くか帝王との談笑が癒しになっていた。ベンジャミンとのこの距離感に覚えがあった。付き人になってしばらくは、こんな感じだったではないか。これが、本来の自分たちの立ち位置だ。
「エラ嬢、その……先日の件でお詫びをしたいのですが」
金髪碧眼の童話に出てくる王子様を、現実にしたような見目をしたセイワ殿が部屋の前に立っている。実際に王子と呼べる立場だが。王子という生き物が何の仕事をしているかさっぱりわからないというのも、童話にそっくりだ。
「詫びなど構わんよ。こちらも助ける余裕はなかった」
あれがジェゼロ国内ならもちろん違うが、彼の国で彼を守るのは自分の役目ではない。
「まあ……中へどうぞ」
詫びの品らしき大荷物を後ろに従えた従者たちが持っている。ここで締め出すわけにもいかないと中に招く。従者は大きな飾り箱をいくつも部屋に置くとそそくさと出て行った。
「……」
ベンジャミンの視線を無視して、ドアを閉めた。奴の視線だけは、距離があった昔とは違う。わかるからこそ、見られない。見てはならない。
「その、エラ殿は……用意した服が趣味ではないようだから。知人が見繕ってくれたんですよ。旅の際にお持ちになられた服だけでは、ここは寒いでしょうから」
「気を遣わせて申し訳ないが、ここにはそれほど長居をするつもりはないので」
「着てもらわないと、何を言われるか……いや、先日の件は、自分の軽率さの結果。この程度ですが、受け取っていただかないと男として立つ背がなくなってしまう」
「……では、受け取ろう」
ジェゼロでは、女であるよりも王として扱われる。この者のする女扱いにはどうにも慣れない。
「怪我の具合は……コユキを庇って下さったと聞きました」
「いや、コユキ姫には助けて頂いた。彼女が場を収めてくれなければ、あの程度では済まなかっただろう。それにしても、シィヴィラ殿の人気は凄まじいようだ」
ソファに促され、仕方なく座ると当たり前の様に隣に腰かけてくる。帝王の様に適度な距離でもベンジャミンの様に離れてもいない。むしろパーソナルスペースに入られ不快になる距離感で、無意識に一歩横にずれていた。
「シィヴィラ様は巫女として歴代屈指の美人で且つ麗しさの変わらない神秘さで民衆受けがとてもよろしかったので、姿を見せなくなり不安が広がっていたのでしょう。巫女として籠り勤めをしているだけだと言うのに」
内部にすらシィヴィラがジェゼロにいる事は知らせていないのだろう。それともセイワ殿が知らされる立場にないだけか。
「考えてみたんです。あなたもシィヴィラ様の様に強い女性だが、ジェゼロに戻っても、あのような刺客にまたも襲われてしまうのではないかと」
「……」
ぱっと手を取られる。ひっこめる機会を一瞬の戸惑いで逃してしまう。そもそも、あれはジェゼロの刺客とは言えない代物だった。そう、敬愛されるシィヴィラが仕込んだ刺客だ。なによりも、この男はあれを女だと思っているのか? 王族なのに。
「男のような格好をさせられて、遠い地まで単身で旅をするなどと言う危険まで冒して、これ以上、あなたのようにか弱い女性が苦しむのは見ていられない」
セイワ殿はコユキ姫と母も同じくした兄だとは聞いていた。帝王の腹違いの兄弟の中でも二人は確かによく似ている。思い込みの強い恋愛体質で、自分が誰をも魅了すると自覚し誤解している。自分の知らぬ彼の内で、自分たちの関係が盛り上がりを見せているのだけは察した。
ひっしと手を握ったまま、セイワ殿が身を寄せる。顔が近いと怪訝に思ったが一瞬目を逸らしてしまったのが痛恨のミスだった。
「!?」
「エラ、あなたを僕の最後の女性にしてもいい」
背凭れに押し付けられて唇が重なったのは理解した。素手の男一人くらいなら組み敷く事ができるよう訓練されている。が、あまりの事にアホの様にぽかんとしてしまった。彼の頭の中で、自分たちはどんな関係にまで発展しているのだ。
「あなたはここで暮らして、ジェゼロは我々が取り戻して……平和に………いぎっ、いだだだだだだだっ」
前のボタンをいくつか開けられた時点で、唖然とする思考とは別に体が拒否反応を起こしていた。武術の師であるハザキに体の芯まで叩き込んでもらった護身術は自分の実になっていたと感謝した。
ネズミーランド系の正統派王子様。




