帝王の条件
帯刀が許されていれば、教会への退避は容易だったろう。
改めて、医師がエラ様の傷口を縫合するのを見て思う。自分はいったい何をしていたと。
「傷跡は残るかもしれません」
「別にそれくらいは構わない。運動機能に支障はでないか?」
エラ様の肌に傷が? それを聞いただけで卒倒しそうだった。
「きっちり傷が塞がるまで我慢できれば大丈夫でしょう」
女医が傷の上からガーゼを張り付ける。右袖だけ脱いで肩にかけていた服を下ろす。胸の片鱗など今は目に入っていなかった。
「次はあなたよ」
自分は問題ないと言いかけてエラ様がじっとこちらを見るので口を噤んだ。
「……頭の傷は出血が多くなるから派手に見えるけど、もう血も止まっているわね。今日明日は頭を洗わないように。気分が悪かったり、手足に違和感があったらすぐに知らせるように。一週間は運動も控えてください」
「わかりました」
他は投石での打撲がいくらかあるだけで、それはエラ様も同様だ。
どうしてうまく立ち回れなかった。どうしてエラ様の我が儘をただ容認してしまった。ここが、この国が安全であると、誰が言ったのだ。
わかっている。間合いが今までと違うのだ。この距離では、盾にすらなれないと痛感する。自分が欲を出した所為で、エラ様との距離が開いた。全ては自分の愚行の結果だ。
「エラ殿が怪我をしたと聞いたが!?」
駆け込んできたのがジェーム帝王であったため、女医が言葉の通りに飛び上がった。
「大事ないか!?」
女医に対して早口に問う。
「御命に別状はございません。刺し傷はろっ骨を掠めましたが、内臓までは達しておらず、止血もできていましたので」
女医は体がびたっと硬直したまま、それでも口だけは滑らかに動かし端的な説明をこなした。
「熱は? 気分が優れないなどは?」
エラ様の方を見て問う。
「痛みだけで特には。そのように心配されずとも、山育ちで体は丈夫に」
「毒も盛られたと」
「……幸い解毒薬もあったので見ての通りだ。ご安心を」
慌て様に笑い返すエラ様に帝王は文字通りへたり込み、椅子に座り込んだ。セイワ様まで殺さぬようにか、解毒剤は直ぐに用意出来る物だった。
「すまない。まさかこんな事になるとは思っていなくてね。気晴らしができればと安易に許可してしまった。セイワもついていたと言うのに……本当に、申し訳ない」
「私の不手際の結果、大事な弟君も危険な目に合せてしまった。それにコユキ姫にも助けられた。なに……帝王殿が気に病むことではない」
薄着のシャツの上に上着を羽織ってからエラ様が返す。
「いや、ジェーム帝国におられる間の事は私の責任だ」
「……今回の事はいい教訓になった。襲撃犯の些末は私も知りたいが、重罪にまではしないでやって欲しい。それに、町の者もシィヴィラ殿を敬愛しての事。罰しては、私は街に行けなくなる」
甘いと、ベンジャミンでも思う。優しさと言えばそうだ。だが無罪とはできない事だ。
「そう言うならば、誰も罰せず代わりに街の者は全て入れ替えよう。半月もあれば済むから、それからまた行けば安心だよ」
柔らかな微笑みで帝王は簡単な事のように言う。それにエラ様は一瞬意味が理解できなかったようだが、少しして頭を抱えるような仕草をした。どこまで本気かは知らないが、百や二百の話ではない。
「待ってくれ、住民を全員?」
「それに愛馬とも会いやすいよう、近くに馬場を作らせるから。もっと頻繁に……」
「勘弁してくれ」
呻くようにエラ様が言う。崇高なエラ様が最も好かない事は、物で釣る事だと重々承知している。帝王だからこそ提案し実現できる。その発言にエラ様がどれだけ呆れているかをジェゼロの者にならば説明など不要だろう。
「何か、お気に召されないかな」
帝王が心底不思議そうなのが、不思議でならない。
「街の人間を入れ替えてなど欲しくない。キングには会いに行きたいが、そこまでされても困る。その申し出すべてが私には迷惑だ。それよりも、私は協力を仰ぎに来たのだ。その話をせず、何日待たされた? このまま、この場に留まらせるだけならば、私は他を当たる。ジェームに来たのは私の考え違いだったようだ」
女医が帝王に対してあまりにも横柄に物を言って見せるエラ様に泡を吹きそうな顔をしていた。
「その、それは、申し訳ない事をしてしまった。機嫌を直して欲しい。我々は、エラ殿が王に戻れるよう、今調査をさせていたので、その報告が全て整うまで待っていただきたかったんだ。国民を思うと焦れるのはわかるが、今しばらく私を信じて待って欲しい」
慌てて言い訳をする帝王があまりにも妙だった。ベンジャミンが持つ彼の印象とは違っていた。
「……いつまで待てば?」
「ひと月は、まだかかるだろう」
「………」
申し訳なさそうにする立場ではないだろうが帝王は酷く下手だった。エラ様が懇願すべき場ともいえる。あのフィカス王ならば上から目線で喜々として重圧をかける場面だろう。
「私に、何かできる事は? それこそ、馬の世話でもいい。ただ部屋で知らせを待つのは性に合わない」
自分が一頻り我が儘を言っている自覚のあるエラ様がトーンを落として問われる。
「では……その……たまにで構わないから、話し相手になってもらえないかい? ジェゼロの事を詳しく知りたい。私は、この地から離れられないだろうから。神官様が言う地に興味があるんだ。それに、こちらからの情報開示もしやすい」
「その程度の事でいいのならいつでも」
そんな事でいいのかと逆に渋るような口調でエラ様が言うと男は嬉しそうに破顔する。
ベンジャミンは今更、目の前にいる相手が自分と同じ性別であると理解していた。
週に三度は帝王の私室に呼ばれる王位を追われた若き女。帝王に対する不敬に敏感な洞窟の神都ですら、その噂に花が咲いていた。何せ仕事が恋人と揶揄され妻を娶らずに子供もいない人だ。相手が少々面倒な立場であっても、帝王の子供をなすならばと期待しているのだ。現帝王の子が継ぐとは限らないにしても、神官様のお気に入りである兄の子ならば可能性は高い。日中は帝王許可の元、書庫にいるか、警備が厳重な馬場へ愛馬に会いに行っている。
ここに連れてくる際、彼女に不敬を働いた二人の兵は既に流刑に処され、その家族と部隊長は私財の没収がなされている。今回直接手を下そうとした二人のシスターは聴取という拷問の末衰弱死していた。シスター達にシィヴィラ様の事を吹聴した祭司はシィヴィラ様の使いの者が話したと言っていたらしい。街人もそんな話を聞いたと言う。長くシィヴィラ様が出てこられない事に対して、疑問が出ていたのも信じた要因だろう。
帝国の賓客に対しての事案だ。この程度の粛清で済んでいることの方が問題だが、この僅かな死者すら、被害者たるエラ・ジェゼロには知られたくないらしい。そんな配慮をするほどに、帝王はご執心だ。彼女が止めなければ、あの都に住んでいた者は全員が開拓地に送られていただろう。貴族も子供も関係なしにだ。
帝王としての命令に従い、その帝王の愛しの君に、リンドウは直接会うようなことはしていなかったが、書庫で何度か擦れ違った。見るからにみすぼらしい格好のままだ。服はもちろん用意しているが持ってきた服ばかり着ている。帝国のコートを着ているにしてもみすぼらしい。帝王の寵愛者にそのような格好をしたまま外を出歩かれるのは困る。威信にかかわるのだ。
「いじいじとしていないで、これをあのお嬢さんに届けてあげなさい」
こちらからちょっかいをかけるように言う前に、町へ連れて行って痛い目を見て来たセイワは命令で軟禁生活をしていた。解除された今も部屋にこもっている。
「……俺に姉様くらいの神経があれば……」
「女に振られるたびに落ち込む男なかと比べないで」
「今回はまだ振られてはいませんー」
一回り年下の馬鹿弟を蹴り飛ばそうかと考える。
「今回、勝手に街まで連れて行って、賓客を危険な目に合せて、この程度で済んだのはお嬢さんの言葉のお陰よ。お詫びとお礼もしていないなんて、男としてはただの屑じゃないの」
用意したものを置いて追い打ちをかける。セイワの処罰として、初めは永久投獄と王位剥奪が検討されていた。
「それに、あなた言っていたじゃない。自分に恋しない女の子なんていないって」
まあ見た目はいい。実際どれだけの浮世を流してきたか。実際婚外子が既に四人いた。母子には不自由のない生活と、子は運が良ければ帝王に選出されるか、優秀であれば執政にもかかわれる。
「そうだけど……」
困ったように言う愚弟を見て、神官様が選んだのが兄でよかったとつくづく思う。兄は病弱だったが今では健康だ。女にうつつを抜かす性質でもなかったが、今は少し心配だ。セイワのようになってしまったら、また身内で争いが起きる。
「ちゃんと誠意を見せて、謝ればいいわ。なんにしろ、王族としての礼儀を知らない者など必要ないわ」
「……わかった」
だらしない成年男子にうんざりして立ち上がる。
馬鹿な子ほどかわいいと言うが、もし自分で産んだ子供がこんな風に育ったら、山に捨てるかもしれない。産む予定はないが。
部屋を出てため息をついた。セイワは巫女ではないが公務として各所に出向いたりと案外民衆受けはいい。程よいゴシップと憎めないキャラ。ただ頭が少し足らない。




