偽装結婚でいいんです
腹違いの末妹は少々馬鹿だが美しい。
立場として姫と呼ばれ尚且つアルビノに産まれた事で周囲は巫女王まで期待していたが、中身が伴わないと神官様は第三巫女にのみ付かせた。それでも巫女を名乗り尚且つ若く美しい姫だ。他国に嫁がせる事ができる最も身分の高い女性と言っていい。最初から譲歩できないほどの人物を提示されておきながら、あっさりと断って来たジェゼロ国はどれだけ非礼な行為を行ったのか理解をしていなかったらしい。
その証拠に、故郷を見てみたいと言う第一巫女様の帰省時に攫ってこちらを嫁とすると言い出す始末。完全に誘拐であり、唯の人攫いではなくジェーム帝国における最高位の巫女を奪ったのだ。
「リンドウお姉さま、本当に、ベンジャミン様方は誘拐をされたのではありません」
馬鹿なコユキが泣きついてくる。
「お前が着いた時にはジェゼロ国にシィヴィラ様は幽閉されていたのでしょう。ならば攫ってきていないとどう証明ができますか」
ぴしゃりと言い放つと馬鹿だが可愛らしい妹は目に一杯の涙をためる。
一頻りの話は既に聞いている。口に出していなくてもベンジャミンと言う男に惚れて帰ってきたことも。もう一人の人物エラ・ジェゼロがコユキとは結婚しないと駄々を捏ねていた愚王であり、今ではただの逃亡者であることも判明している。帝王様には報告を上げているが帰ってきた答えはまだ殺すなと言うものだ。もし、シィヴィラ様の誘拐命令を出した王ならば、然るべき罪の償いをした後、その首をジェゼロに掲げて軍を向かわせるべき事態だと言うのに。現王と名乗る相手に至ってはコユキの綺麗な背中に文字を書くなどという万死に値する所業をしてきた。ジェームへ戦争を仕掛ける云々の内容よりも、跡が残らないかの方が気がかりだ。シィヴィラ様の薄れたサインがあるからと言って、シィヴィラ様が進んで書いた証明にはならない。何よりも、あの方が書類にサインをする時には必ず神の巫女と書かれていた。名を書くのは不自然と知らぬジェゼロの者を欺くために書かれた可能性が高いではないか。
「私が証人ですっ。幽閉などされていませんでした。助けを求めに来たシィヴィラ様を客として丁重にもてなされていました」
「それでも帝王様が処遇を決めるまでどうにもできない事でしょうが。お前があの胡散臭い男にほだされているのはわかりますけどね。あれは止めておきなさい」
はっきりと言ってやれば、その羨むほど白い肌がさっと紅くなる。
「まあまあ姉さん、ご自身が日照りとはいえ、コユキちゃんの恋くらいやさしく応援してあげたらいいじゃないですか。そうだ。いっそ婿に迎え入れては? 国に戻ってしまうよりいい暮らしができるし、巫女として頑張っているのだからそれくらいの特権はあってもいいじゃないですか。コユキちゃんだって、もう大人なんだから、ちゃんと世話できるよね?」
自分の腹違いの弟で、コユキと一番歳の近い兄であるセイワがいらぬことを言う。二人は同じ母を持つだけにコユキ同様見目はいいが、頭も同様に少しばかり弱い。ただ、神官様もコユキの子供には期待している。アルビノは遺伝だが劣勢のため子供でも白くなる確率は高くないが神聖な者の子には変わりない。
「でも、まあ……国王ではなくただの付き人だって言うし、あなたの夫となれば、罰せられることはないかもしれないわね」
世間知らずのこの子も適齢期ではある。今まで異性について興味も抱いていない初心と言うよりは人より間抜けな子だっただけに、これはいい機会でもある。自分のように婚期を逃すと本当に面倒が増える。
「結婚すれば、ベンジャミン様は助かるのですか?」
ああ、なんと可愛い馬鹿だろう。自分には、これが足りない。
「二人が想い合っているならねっ。神官様って、色恋沙汰に案外弱いから」
セイワの後押しに納得した顔をしている。
本当に両思いだと言うのなら、男は命を失わず美しい妻を得るだろう。だが、可愛いコユキの申し出を断ったら、得るものどころか失う物しかない。それを理解していないから、コユキはただいい方向の事しか考えないでいられるのだろう。
少なくとも、コユキ姫誘拐に関しては疑いが晴れているはずだ。だがシィヴィラやジェゼロでの件がどうなったかがエラ様にとって真に問題だ。
行先のわからない馬車で移動させられ、収容された牢はそれほど酷い場所ではない。だが神都に入ってから頭に袋を被せられ、その時にエラ様とは離されてしまった。どこに連れていかれたかが心配でならない。
コユキ殿の言葉だけでは、拷問される恐れも十分にあった。今の所は食事も出ている。ベンジャミンの分かる程度の毒も盛られてはいない。せめて、エラ様の扱いもこれと同様であって欲しい。頭の中でならばまだしも、もし実際にエラ様に何かあれば、相手を殺しても気が済まない。ここにエラ様を襲おうとする野蛮な帝国軍人がいないなどどこにも保証がない。エラ様の美しさは、あらゆるものを惑わせる。
何とかしてエラ様の無事を確認したいと考えていた中、湯桶と新しい服が牢に入れられた。髭を剃る剃刀までが準備されている。裁判にでもかけられるのだろう。指示に従い身支度を整える。
牢にいるよりは、エラ様の情報が得られる可能性が高い。そう期待したが牢に入れられた時同様に視界を塞がれた状態で連れていかれた。歩くルートを体感だけで覚えておく。
どこかの部屋に入れられると頭の被りを取られ、唖然とした。先は裁判所でも尋問部屋でもなく、ピンクと白の少女趣味の部屋だった。現状の理解に苦しむ。
質のいい家具にベッドは白とピンクのシーツ。生活感はあるが綺麗に片づけられた部屋だ。客室ではなく誰かの部屋だった。
困惑している間に、手枷も外され監守が部屋から出た。見張りが一人もいなくなる。
窓から辺りを見れば、自分の知るジェーム帝国の都とは違った。いや、どの国でも見たことがない。
乳白色の建物に街頭の明かりが反射して暖かい色を見せている。そして、そこには空がなかった。
「ここは……どこだ?」
川の流れる音がする。地下牢だから寒いのだと思ったが、与えられた服は冬着だった。ここは、この巨大な空間は、地上ではない。街一つが入った巨大な洞窟都市だ。
ジェーム帝国の都は確かに教会や市政の場はあったが、国政の場も帝王城もなく、噂では隠れた都市が、神都があると聞いていた。まさかそれが、こんな物とは……。そして、部屋の明かりも、外の街道も、ジェゼロが有する神の恵みと同じだと気付く。
「ベンジャミン様」
ドアの開く音で振り返ると、頬を部屋と同じピンクに染めたコユキ姫がいた。
「今回の件は……本当に申し訳ありませんでした。ですが……その」
「エラ様はどちらに」
謝罪よりも聞きたいのはそれだけだ。
「あ……彼女は、無事です。安心してください」
「お会いしたい。できれば近い部屋に移動したい」
疑いが晴れたのならば、同室とは言わない、せめて近い部屋にいなければ。
「それはできません……あなたの部屋はここに……その、私の部屋にいなければ、疑われてしまいます」
困ったように控えめに姫君が言う。
「疑われる?」
「その……ベンジャミン様を、牢から出すため……いえ、お二人が安全な人物であると証明するためにも……ベンジャミン様は、私の……その、夫であると……」
言い淀んだ言葉に、開いた口が塞がらなかった。
「その、勝手をしたこと、申し訳ありません」
「いろいろと、手を尽くしてくださったこと……ありがたいと思います。ですが、私は……誰とも、結婚は、できません」
言うと、姫君はゆっくりと息を吸った。
「嘘でいいんです。あなたの身を守るために」
懇願に近いその言葉にため息が出そうだった。これは姫君にとっても相応のリスクだ。それを覚悟で助けようとしたのはわかるが、そんな助け方をされるくらいなら、大人しく牢にいた方がマシだった。末子とはいえ姫であり、尚且つ重要な役目を追う巫女の夫となれば嘘であっても婚儀の解消は難しい。
「……私には、その権利がないのです。私はジェゼロの人間だ。私には身に余るお話ですが……私は、お受けできない」
「それは、エラ・ジェゼロ様がおられるからですかっ」
悲しみとも切羽詰まったともいえる目が見てくる。
「それとは……別の話です」
そう、エラ様には関係のない話だ。結婚は、できない。自分がそう決めていることだ。