王からの供物
最後に飲んだ酒に薬が入っていた。もっと飲ませるつもりだったが、目的を達して安堵してそのまま帰してしまった。自分もかなり飲んでいたから仕方ない事だ。
過去にあの薬を飲んだ後、別れのキスをした者が倒れた例がある。極少量では死なないが少なくとも、寝込む程度に体調は崩す。エラ・ジェゼロはまったくそんな予兆がなかった。
先代の屑国王が言っていた。ジェゼロの王家は化け物だから気を付けろと。
「エラ様に出発についてお伺いをしておきます」
「ああ」
こうも盲目的だといっそ哀れだ。
これには負い目がある。腹違いの美しい姉の死に様は悲壮だった。子供を姉から奪い捨てたのか、子の為に国から出したのかはわからない。だが、子供がいなくなってからものを食べなくなったのは確かだ。棺に入れられた姉は死に化粧でも補えないほど痩せ細り肉などないような姿だった。未だに別人ではないかと疑うほどだ。自分よりも王に相応しかった姉の葬儀の時、自分を産んだ母が言った言葉がある。やっと清々した。その言葉を聞いた時に、初めて恐ろしく嫌悪した。王族とは歪な生き物だ。
だがあの言葉を聞いて、姉は本当に死んだと妙に納得した。
憐れなベンジャミン・ハウスを解放して、退屈な執務室へ戻る。子を見付けても物寂しさは残る。ベラータ姉様は何をしたってもうお戻りにはなられないのだ。
「陛下……ジェゼロ王よりこれが」
戻って早々に手紙を渡される。まるでデジャヴだ。感傷に浸る間も王にはないらしい。
「それに……届け物がありまして」
手紙を一読するとため息をついた。エラ・ジェゼロではなくミサ・ジェゼロと署名がされている。新王になった事と、交友の証として贈り物をと書かれている。極短い文だ。
「その供物とやらを持ってこい」
しばらくして、持ってくるではなく入ってきたのはシィヴィラと同じ白い女だった。
「……名前を聞こうか」
「コユキ・イーリス……ジェーム帝国の第三巫女です」
震えながらも、その女性は名乗った。イーリスとは帝王が選ばれる家系だ。
「今、ジェゼロはどうなっている? 帝国の巫女がジェゼロからの供物とはな」
「……私は、何も……ただ、シィヴィラ様より書を預けられました」
「その書とやらを貰おうか」
怯えた目だ。仕方ない事か。少々手荒な真似をしてきていただく予定だったからな。
怯えた姫はまさにお姫様だ。エラ・ジェゼロは姫ではなく王だと納得する。どうなるともわからない異国にたった一人で乗り込みながら、エラ・ジェゼロは堂々としたものだった。
「……背中に……背中に密書を頂きました」
涙を流しそうな顔で言う。意を決したように上着を脱いだ。真っ白い背中の肌に直接文字が書かれていた。
もしも、例の胡散臭いほど美しいシィヴィラから、他国へ助けを求めるためにその背中に文字を託されたと思っているならばなんとも哀れだ。そして何よりも、美しいものにシミを付けるなど、死刑に相当する行為だ。
ベンジャミンにはもう介助が不要だった。苦しむ姿を見た時、恐ろしかったが、回復して意識が戻った彼を看病するのはどこか充実していた。何もない自分に付いてきてくれた。それに対して何も返せなかった分を少しでも返せた気がしたのだ。
好きだと言われたことも嬉しかった。本当に、うれしかった。だけど、それはあってはならないことだ。自分が嬉しいと喜ぶことがあってはならない。
「お考え事ですか?」
左が問う。
「それに浮かない顔です」
右が言う。
「大したことじゃない」
それほど気落ちしているだろうか。ベンジャミンの部屋にはできるだけ行かないようにした。その間ベンジャミンは運動機能の回復に専念している。
いっそのこと、自分一人でここを出るべきだ。フィカス殿とベンジャミンは何らかの所縁がある。孤児のベンジャミンに何かを聞くことはできなかった。怖いのだ。本当に手放さなくてはならなくなる。向こうから話すまで待ちたいとも。
隣の部屋からノックがある。左がすっと様子を見に行く。
「なんでしょう」
「エラ様にお話が」
当たり前だがベンジャミンがそこにいる。
「少々お待ちください」
一度ドアを閉めた左がこちらを見る。立ち上がって、随分と重くなったドアを開けた。
「どうした?」
すっかり回復したベンジャミンがそこにいて、感情を気取られないように淡々と聞く。
「フィカス様よりジェーム帝国行きを支援してくださるとのことです。お待たせしましたが近日中にでも出発できるかと」
「そうか」
お前はここにいろといいかける。ジェゼロから去る時、本当にそれでよいか考えろと言った。ベンジャミンは冗談交じりに置いていくならジェゼロに戻ると返していた。
「旅路に関しては、私が口出しするより任せた方が得策だな」
「はい、お任せを」
変わらない微笑みで胸が苦しい。
「ジェームへ行かれるのですか」
「とても寂しいですが、お持ちになる服は我々が選んでも?」
「それはいい、是非そうさせてください」
ここに左と右がいてくれてよかった。二人きりはまだ無理だ。
「とても有り難いが、荷物は多く持てないのだ」
「ご安心ください。配慮します。あちらは寒いですから」
「中性的なものを上下と吟味いたします」
よくできたメイド二人に困ったように笑う。
「持って行かなくてもがっかりしないでくれよ」
「はい」
二人そろって言う。またノックがある。次は二つの部屋の廊下両方だ。開くと上下の二人がそれぞれ立っている。
「フィカス陛下が早急にお二人に来ていただきたいと」
左右よりも歳がいっているからか、年期の入ったハモリだ。
一度ベンジャミンを見るが小さく肩を竦めた。出発の話ではなさそうだ。
上下について案内されたのは自分が最初にフィカス殿と会った場所だ。王の執務室。入ってすぐに目に付いた人物はあまりに予想外だった。それがこちらを見るやすぐに立ち上がり、自分の横を素通りしてベンジャミンに抱き付いた。
「ベンジャミン様っ」
白いコユキ姫がさらに青白くなっている。
「………」
ベンジャミンは抱き返さずに、無実だと言わんばかりに手を開いていたが無言で慰めろと指示する。一瞬目を瞑った後優しく背中に手を回し素直に泣く美女を慰めている。今更だが、中々似合いではないか。青年に美女。男の格好をした無様な女より、余程。
「こちらが誰かはご存知で?」
部屋にはフィカス王と宰相イエン殿もいて、問う。知らなければ、我々が呼ばれはしないか。
「……ジェーム帝国帝王の末妹スノー・ドロップことコユキ姫だろう」
「ジェゼロから書簡……というか言付けとして来られました」
「書簡?」
珍しくフィカス王が言葉を探しイエン宰相を見た後ベンジャミンたちに目を向けた。
「コユキ姫は少々取り乱しておられるようだ。ベンジャミン殿の部屋にご案内して少し落ち着かせていただこうか」
随分と丁寧にフィカス殿が言う。
ベンジャミンがこっちを見て席を外すことはできないと目で言っているが、口を出す前にこっちから口を開く。
「そちらでも現状を聞いておいてくれ」
「……わかりました。こちらへどうぞ」
ベンジャミンとコユキ姫が出て行ってから、フィカス殿が袋を投げてよこした。重いというか、酷い臭いだ。中を見て目を瞑って少し離れたテーブルに置いた。
「これは、コユキ姫を連れ去ろうとした野盗の首だ。まあ、どこの国の者かは言わないが……それと姫君を送ってきたのはジェゼロの自称新王からか」
「新王からはあれが俺への贈り物だと。プレゼントカードにはジェーム帝国第一巫女シィヴィラと署名されていた」
「シィヴィラか……不幸の呼び水の様なものだな」
この王がすべての腹の中を見せているとは思っていない。まったく知らないとは思っていない。
「それで、手の平を返して私を売り払うか?」
腕を組み笑う。内心はどう対応するかを考えていた。今、ナサナの援助を失うだけならばいい。それよりもジェゼロに差し出されるのが恐ろしい。自分だけの引き渡しならまだしも、ベンジャミンもジェゼロに戻されれば二人とも死刑の可能性がある。
「俺は、美しいものは美しく保つ義務があると常々思っているし、所有者は管理を怠ってはならないとも考えている。もし今居座っている者が正式なジェゼロ国の王の血だというならば、エラ・ジェゼロに手を貸す通りはないが、少なくともここにいる客人がナサナから出ていくまでに判断はできんさ」
一先ず安堵するが、これ以上ベンジャミンの回復を待てない。少なくとも、動ける程度に回復できている。同行は可能だろう。一週間前だったなら、黙って去っていた。
「配慮に感謝する。明日には出発を」
「そんな急でなくてもよいのですよ」
裏があるのか単なるお人好しか宰相が言ってはくれるがそうもしていられない。
「これまでの事、感謝します。それで、なんと書かれていたのか伺っても問題は?」
少し落ち着いた姫君に上下が持ってきたお茶をカップに注ぐ。上下の二人は早々に部屋から出ていった。
「お二人とも、お元気そうで……ナサナ国へ亡命されていたとは知らず、身を案じておりました」
泣き止んだ姫君はまさにお姫様だ。女性というものは守られる対象としてそれらしくするものなのだと思う。ただ、それがいいかはそれぞれの好みだ。
「ジェゼロの混乱に巻き込んでしまい申し訳がありませんでした。姫君もご無事であったこと心より安堵しております」
ソファに座る姫君の少し離れた位置で、膝をつき頭を垂れる。
向こうからのごり押しで来たとはいえ、無関係だというのにとんだとばっちりだ。正直を言えば逃亡者となったエラ様を助ける以外に考えはなく、先ほどまで姫君の事は頭の片隅にもなかった。
「ジェゼロが、今どんな状況か、お教えいただいてもよろしいでしょうか」
聞くとまたじわりと涙を滲ませた。
「キリュウ隊長が、私を生かすために犠牲に。それに……神父様も処刑されたと。それ以外に死刑になった者は耳にしていません。すみません、私は部屋から出られなくて……詳しい事もわからず。今回も……」
意を決したように目を瞑ると、立ち上がり、急に服を脱ぎだす。ぎょっとしたが理由は直ぐにわかった。書簡や言付けと曖昧に言ったのは紙に書かれたわけでも、口で伝える物でもなかったからだ。
コユキ姫の背中に、字が書かれていた。これを男であるナサナの国王に見せなければならないとは、酷い仕打ちだ。
「入れ墨ではないですね」
「日が経てば落ちると……」
白いキャンパスに焦げ茶の文字が書かれている。
ナサナ国と国交を回復させる準備がある事。そしてこの姫は我々がジェーム帝国に反旗を翻す意志の表れであり、返す必要はないから好きに処理をしてくれとのことだ。
「何と……書かれているのですか。シィヴィラ様からミサ・ジェゼロにばれぬよう内密に託されたものです」
震える肩にブランケットをかける。確かに、シィヴィラとサインが書かれていた。
「今のジェゼロは、シィヴィラ様はジェーム帝国と戦争を希望しているようです」
「そんな……帝王様も神官様も、ジェゼロとは国交を再開し、良い関係を築きたいと願っておりました。なのに、なんで……」
「……」
シィヴィラが最初に言ったのは嘘だ。だが完全な虚偽ではないからややこしくなった。少なくともジェーム帝国がナサナに近づいていた様子は見られなかった。武器の輸入が増えているのは、西の町の内乱に対する物だとすれば話の筋も通る。
そしてこれは、ジェゼロが宣戦布告しただけではない。ジェーム帝国の大事な巫女姫が不当な理由でナサナにいるならば、ジェームがナサナへ進行する大義名分になる。
「姫君に責任はありません。お辛い事ばかりでしたでしょう。よく耐えられました」
他に傷も痣も見られない。少なくとも、シィヴィラは彼女に対して肉体的危害が加わるような事はしなかったようだ。反逆者たちがなにを考えてこんなことをしでかしているのか、未だに掴めないことが多い。
ミサは甘言に乗り王となり憐れなハウスの子から脱したかっただけなのか。シィヴィラに目的があるならば何なのかがわからない事には次の一手を読むのは困難だ。
「ベンジャミン、入るぞ」
ドアが開くと、驚いたコユキ姫の肩からブランケットが落ちて肌が露わになる。咄嗟に焦ったのは、密室で女性に何かしていたと疑惑でも抱かせたくなかったからだ。それも、あの文字を見れば無駄な心配事だとわかる。
「コユキ姫、このような事を強要して申し訳ないが、私も知っておく必要がある」
「いえ……私は平気です」
まじまじと見た後同じようにブランケットを拾うとエラ様はコユキ姫の肩にそれをそっとかけた。
「ベンジャミン。明日ここを立つ。準備を始めてくれ」
「かしこまりました」
「そんなっ……私はこれからどうすればよいのですか」
ジェゼロから出たと思えば攫おうと画策した国の王城に連れてこられては、不安で仕方がないだろうことは察する。だが、ベンジャミンは今彼女に構う余裕はなかった。
「姫君がお決めになるならば、同行頂いても構わない。私たちはジェーム帝国へ向かう。姫に付き人も付けられない。すべての事は自分でしてもらうので、王室の方には少々難しいかもしれないが」
エラ様が驚くことを提案する。頼めば、少なくともこの姫君をナサナの客として対応はしてもらえるだろうに。フィカス王はジェーム帝国と真っ向から戦争をするほど馬鹿ではない。ならば、連れて行くのはいい案ではない。
「……行きます」
はっきりと意思のあるその言葉に気落ちする。わかってはいる。二人きりでいる事をエラ様は不安に思われていたのだ。あれ以来、距離を取っているのは明らかだった。それを侘しく思うのは、自分の卑しさの所為だ。