王か死かを選ぶ妙薬
もっと女の方が弱るかと思っていたが、瀕死の従者を前にしてもエラ・ジェゼロは淡々としていた。食事もとって、よく寝ている。いや、夜の眠りが浅く昼寝をしている。看病はほとんど一人でしているようだ。病態からして毒だと判断したらしてこちらに助けを求めても無駄だと考えたらしい。毒の王と言われていたサウラ・ジェゼロの子ならばそれくらいはわかって当たり前か。
自分のような優しき王でなければ、ベンジャミンはもちろん、無謀にも助けに来たエラ・ジェゼロの待遇も違っただろう。なにせジェゼロを侵攻する理由が手元に来たのだ。真の王自らが助けを求めたと言えば、向こうの国民と言う名の兵はすぐに降参するだろう。だがそんなつまらない事をするほど自分は馬鹿でも非道でもない。この女を使い、ジェゼロを手中にしたとして、ジェーム帝国がナサナもろとも喰うだけだ。だから今はただの客として持て成し、静観している。
自身の愛馬の世話に出てきたエラに近づくと、声をかける前に振り替える。自慢の黒い馬が警戒を示したからだろう。
「何か御用で、フィカス殿」
「つれない物言いだ。無条件で、持て成してやっていると言うのに」
棘のある口調に返すと鼻で笑うような不快なものをもらす。
「無条件と仰るわりに、私の従者で遊んでおられる」
いら立つ馬の首を撫でて続ける。飼い主の気持ちが言わずともわかるようだ。馬は頭のいい生き物だが所詮は畜生だ。それを王自ら世話するとは、まだ従者をベッドに招く方がましだろう。
「ベンジャミンが回復すればすぐにでも退散いたしましょう」
「それは、ジェーム帝国へか?」
「ええ」
あっさりと認めるとは、頭が弱いのか、フィカス・ベンジャミナはそれほど慈愛深いと思われているのか。
「此度の事、ジェームが仕組んだとは考えないのか」
「ならば尚更」
敵意とまではいかないが、警戒の強い眼差しだ。ただの女子供と扱っては失礼だ。同じ王という責務を背負ったことのある女は、やはり来た時の態度よりも今の方が似合いだ。奪われたとはいえ、対等の地位にあると女は信じて止まないようだ。フィカス自身、そう言う相手と話すのは王になって以来か。
「残念だが、私を満足させるまではいてもらうぞ。それが何日か何年かは私にもわからんがな」
「直ぐに飽きるだろう。それにしても、ベンジャミンの状態を聞く気もないのは、ご自身の経験からかな」
エラ・ジェゼロがまた知った風な口を利く。
「熱は引いたのならばいい兆候だ。後一日長ければ確実に頭がやられていただろう。しっかり玉も冷やしたか? あれの子を産みたいのならなおの事」
「人体の構造は良い教師に習っている。ベンジャミンが回復した後首を切るような真似をすれば、ナサナの国王とやらも気を付けられた方がいい。人を殺すのは生かすよりも余程簡単な事だ」
何の力もなくなって尚、この尊大さを演じられるとは。
「決闘でも申し込まない限り、チャンスはあるまい」
「それはいい。私が代わりにいつでも受けよう。ただ、ギャラリーは不要だ。王の敗北を家臣は見たくないだろう」
「ならばそれまで安心して療養されるといい」
口だけか、本気か、見てみたくもあったが、そこまで外道ではない。
神酒と呼ばれるそれを飲めば、普通はもがき苦しんで死ぬ。内臓は爛れ、腸は腹の中で腐り行く。早ければ翌朝にショック死をするが、運が悪ければ三日生きながらえたと言う話も聞く。証明として使われる罪人が生き残った場合、恩赦として死刑は執行されないが、岩戸に放り込まれ餓死を待つと聞いた事がある。生き延びたものを見たことがないので事実はわからない。自分と同じく神酒を飲んだ囚人は二日後に死んだ。一週間経っても死んでいないなら、それは神の加護があったと言うことに間違いがないだろう。
「エラお嬢様。ベンジャミン様がお呼びになられています」
走って馬小屋に入ってきたのは二人につけた双子のどれかだ。
「フィカス陛下、大変失礼いたしました」
一緒にいるのが王だとわかり慌てて首を垂れる。
意識が戻るには早いがうわ言にしても中々いい回復だ。自分は一か月床から出ることはできなかった。希代の王の中で出来が悪いと言われる理由はそこにもある。
「左か、走ってきてくれたのだな。ありがとう……では失礼する」
最後に愛馬に小さく声をかけると走って戻っていく。
「お前は左側か?」
「はい。そうでございます。フィカス陛下」
まったく同じように育てさせた。雇い主たる自分でも五割の正誤率だ。
「たまに間違えられますが」
伏し目がちにはにかんで笑う。サウラ・ジェゼロも女たらしとして有名だったのを思い出す。氏より名とは言うが、子は親から生まれる。どう足掻こうともどこかは似るものだ。
王族の方々や城に来られたお客様のマッサージやお召し代えなど、リラクゼーションと美容のお手伝いをしている。性的サービスは含まれていない。もちろん、看護の手伝いも本来は含まれていない。
今回のご奉仕相手であるエラお嬢様は、奉仕に対して満足をされていなかったので左と共に再度チャンスを得るためにお手伝いをしている。満足いただけないと言うことは存在意義が揺らぐと言うことだ。
「ベッドでお休み頂いた方が、疲れは取れるかと」
「ご自身に罰を与えても、お付きの方はよくなりません」
当たり前の様にソファで毛布にくるまっていたエラお嬢様に言う。朝食を持ってきたのだ。
「毎日ありがとう」
女の子として可愛らしい年下の少女は、時折歌劇の美少年の様に振舞う。スカートよりもズボンを、胸の開いた服も好かれない。変わった趣味の方だ。
「御加減は?」
二人揃って聞くと曖昧な笑いを返される。
「着ている物を取り換えてやりたい。それと、湯も頼めるか?」
「朝食後に準備を」
「ありがとう」
異国では上流階級の者は命令をしないのか。少なからず、やれといった部類の命令はいままでない。
「本日は、晩餐が開かれますので、参加いただくようフィカス様より言付かっております」
「……わかった。ただし、格好は私が選ぶ。あんなひらひらとした服では息ができない」
「お似合いでした」
「勿体ない事をするのは罪にございます」
口々に言う。自分たちは平凡な顔でそれが二つあるから目立つだけだ。
「カッコの良い女と言う物も悪くはないのだぞ?」
左と顔を見合わせる。
「それもそうですね」
二人揃って納得した。
「それでは、後程」
部屋を出てから同じ方向へ歩く。
「悔しくはあるけれど、今日は上下にお任せしましょう」
「任せきりにはしたくはありませんが、それはいい案です」
同じような仕事をしている同じ双子は、特に男性に付くことが多い。性的サービスも手管で済ませられる事と、理解に深いからだ。
毒を盛られたらしいあの日から十日が経っていた。
初めこそ酷い状態だった。高熱で痙攣発作のような症状も出ていた。本当に死んでしまうのではないかと、涙が溢れるほど、恐ろしかった。今はもう、安定している。それでもまだ床に伏したままだ。
「エラさま……」
うわ言のように名を呼ばれる。
「どうした。水か?」
問うと目を開けたベンジャミンは小さく頷いた。
意識が最初に戻った時、水が飲みたいと言われた。神経に影響が出ているのか、上手く水を飲めないので仕方なく、口移しで与えた。これが一番すんなりと飲んでくれたのもあって、慎みもなくそれから、何度もそれをしてしまった。
「まだ……飲みづらいか?」
今はもう、意識がしっかりしている。半分朦朧としていた相手ならまだしも、流石に恥ずかしい。
「……自分で」
まだ食事がまともに取れていない。カップに水を入れて渡そうとするが、手が震えている。代わりに口元に運んでやると、ゆっくりと飲み込んだ。
大丈夫だ。回復している。ベンジャミンは死んだりしない。そう思うと、また涙が出そうだった。
「何か、食べられるか?」
小さく頷く弱った姿は自分の知るベンジャミンとはあまりにかけ離れている。
自分の食事は固形で、後で何か柔らかい物を持ってきてもらうか。だが、ベンジャミンの食事にまた毒を盛られるのではないかと、恐怖が湧いた。
「……まだ、あまり……噛めそうには」
考えを察したように弱々しくベンジャミンが笑う。
「食べないと、元気も出ないだろう」
パンをちぎり、自分の口に入れる。よく噛んでから、水の時と同じように口を近づける。嫌がる事もなく、ベンジャミンが口を開ける。口移しでなど屈辱だろうが、必要な事と甘んじて受け入れられる。
「このような事をさせて、もうしわけ、ありません」
ゆっくりと飲み下してからベンジャミンが謝る。
「これなら食べられるか?」
「……はい」
鳥がヒナに餌を与えるのと同じだと自分に言い聞かせる。唇が触れるのなど、ただの握手と同じだ。大して変わらない。できる限り事務的に続ける。
何度も、触れる唇を意識しないのが難しい。なるべく、あの日の言葉は思い出さない様に努めた。これはキスでもない。ただの介助だ。
「………もう」
すぐそばにあるベンジャミンの唇から言葉が漏れる。
「ああ」
熱い視線を感じるのは、唯の気の所為だ。熱でベンジャミンの目がいつもより潤んでいる所為だ。
ベンジャミンの手が上がり頬を撫でられる。指先が震えている。
「私では、足手まといに……」
その自分の手を見て、震える拳に変えると、ベンジャミンが小さく呟く。それだけ話せるならば随分と回復した証しだ。
「私の為に命を懸けて、大事な物まで売り払って助けてくれた者を、病に伏したからと見捨てはせんよ。今は、回復するのに専念してくれ。今くらい、私に世話をさせてくれ」
言いながらとても苦しかった。自分の感情を抑えて、いつもベンジャミンがするような微笑みを心がける。
死んでしまうと言われて、とても怖かった。峠を越した今、別の恐怖が間近にある。
「エラお嬢様、そろそろお支度を」
「ああ、今行く」
本来自分に与えられた部屋の方から声をかけられ返事をして立ち上がる。
「無理は、なさらないでください。……そばに、いられないのが、恐ろしい」
ベンジャミンがとても辛そうな顔をする。一緒にいるのが、当たり前だった。
「ああ」
それは、自分にも同じ事で、それが当たり前だと思っていた。